2024 Volume 2024 Issue 2 Article ID: JRJ20240205
一般道を自動走行システムが安全かつ円滑に走行するためには複雑な状況に対処できる高度な認識・判断技術が不可欠である.実車実証実験によって希少な事象を効率的に収集・検証することが難しい課題を解決するため,マルチエージェント交通流シミュレーションの機能拡張によって希少な事象を効率的に検証できる評価環境について報告する.
This paper presents an effective testing methodology aimed at enhancing the development of a more advanced Automated Driving System (ADS). This is achieved through the generation of both intricate and challenging scenarios using a virtual test platform. Given the challenges associated with identifying and accumulating these scenarios via field operational tests, the a virtual test platform is expected to be a valuable approach for enhancing the performance of ADS. However, thea virtual test platform must provide appropriate scenarios in accordance with the current performance capabilities of the respective ADS. To address this, the current research has realized a virtual test platform by integrating a multi-agent traffic simulation with ADS. This integration incorporates functionalities that enable ADS to effectively navigate complex and perplexing scenario. The results of this study reveal that these functionalities not only facilitate the extraction of rare scenarios but also to reinforce significant diversification required to develop sophisticated ADS.
1. はじめに
国内外で研究・開発中の自動走行システムには多様な社会課題の解決が期待されるが1),その実用化には安全性が担保されていることが前提となる.自動走行システムの安全性評価手法は国際的な議論が継続しており,国際連合と国土交通省は,自動走行システムが具備すべき安全性を「運行設計領域内において,合理的に予見可能で防止可能な人身事故を起こさないこと」と定めている2), 3).これに基づき,日本自動車工業会は自動走行システムの動的運転タスクに関わる網羅的な走行場面(シナリオ)の体系・合理的予見可能性・防止可能性を定義する手法を提唱している4).この考え方は,国際標準(ISO34502)として発行された5)ほか,UN-R157(Automated Lane Keeping System)の評価シナリオ導出に適用された6).さらに,米国の複数都市で無人移動サービスを展開中のWaymoもISO34502を参照して自社の安全性評価結果を公表している7).
このように安全性評価手法の一手法として走行場面(シナリオ)に基づいた考え方が提案されているが,現時点の適用対象は高速自動車国道・自動車専用道路であり,今後は自転車や歩行者が混在する一般道に適用していく必要がある.しかし,一般道は自動車専用道に比べて道路環境や交通参加者の相互作用が複雑・多様であり,同様の手法で網羅的なシナリオと評価範囲を定義するには大きな困難が伴う.さらに,ISO21448(SOTIF:Safety Of The Intended Functionality)では,意図した機能の安全性は「既知で危険なシナリオ」と「未知で危険なシナリオ」におけるリスク低減によって達成することを推奨している8).このうち,既知で危険なシナリオは前述したシナリオに基づいた考え方が有効であるが,未知で危険なシナリオに有効な考え方は現時点では確立されていない.
人間の想像力には限界があるため,未知で危険なシナリオを事前に想定し,既知シナリオとして追加していくためには,数理モデルに基づく演繹的な推論による発見的アプローチが有効であると考えられる.その一案としてマルチエージェント交通流シミュレーションの活用が挙げられる.筆者らは,現実的な交通流に運転支援/自動走行が混在した場合の効果を定量的に予測することを目指して当該シミュレーションの開発を進め9),代表的な都市の結果から全国規模の効果を推計する方法論を示した10).
このシミュレーションには,(1)ドライバや歩行者などの交通参加者がそれぞれ行為者(エージェント)として独自に行動,(2)エージェント同士の相互作用を模擬,(3)複数のエージェントや死角が関する交通状況の創発が可能という特長がある.これらの特長は,既述したように,確度の高い効果予測において有用であったが9), 10),このシミュレーションの新たな活用手法として,危険シナリオの効率的な発見にも有用であると考えられる.今後,自動走行システムにとっての危険なシナリオが効率的に発見され,より高い技術を用いて当該シナリオに対する安全性の確保が図られるとすると,結果として,本シミュレーションが自動走行システムの高度化に資するツールとして発展することが期待できる.新たな活用手法の考査にあたっては,特に,実路走行による収集が難しい希少な危険事象をいかにして効率的に収集・検証できるかを指向して取組むことが重要である.
本研究では,未知で危険なシナリオをいかにして効率的に発見するかという課題と当該シナリオにおいて,自動走行システムは難しい対応を迫られる可能性があるため,リスク低減が必ずしも容易でないという課題を解決する新たなアプローチを目指し,自動走行システムの認識・判断技術の高度化に資する安全性評価手法を提案した上で,マルチエージェント交通流シミュレーションに現在開発中の自動走行システムを接続した環境下における提案手法の妥当性を検証する.
2. 自動運転技術の高度化に資する評価環境の構築
2.1 評価環境のコンセプト
自動走行システムの実路実証実験を長距離・長時間継続したとしても希少な危険事象を収集・検証することは難しい.この課題を解決するため,運転支援/自動走行の事故低減効果予測用に開発されたマルチエージェント交通流シミュレーション(JA-Re:sim)の機能を拡張することで,危険事象の効率的な収集とその事象への対応能力の検証を行う.
JA-Re:simの事象を創発する特長を活かして未知の危険を自動生成し,シナリオの網羅性を高めることを基本的なコンセプトに据えている.ただし,未知のものであればいかなるシナリオでも良いということではなく,現実的なエージェント行動とそれらの相互作用が連鎖した結果として得られたシナリオであることが求められる.シミュレーション中の特定の1台が危険事象に遭遇する頻度は小さいため,より効率的に自動走行システムが危険場面を体験できる加速化手法が必要である.つまり,自動走行システムをJA-Re:simの一つのエージェントとして置き換える(これを接続という)だけでは評価環境の高度化にはならないことに留意すべきである.
したがって,図1に示すようにJA-Re:simと自動走行システムを接続する環境 (i) を基軸としつつ,エージェント行動モデルの充実を含めたシミュレーションの継続的な発展 (ii),システム安全性検証を加速するテスト技法の開発・実装 (iii) (iv) を総合的に進めることが重要である.(ii) (iii) (iv) が相互に連携できれば,評価対象である自動走行システムの現状の熟練度を予め診断し,その結果に基づいて適度な難易度に調節した評価環境が用意できる.これにより,システム開発フェーズに対応した検証手段が実現され,結果として希少な危険事象の効率的な収集・検証が可能になる.
図1 自動走行システムの高度化を実現する仮想評価環境のコンセプト
2.2 自動走行技術の向上に資する仮想評価環境の構築
(1) 仮想評価環境
図2は,JA-Re:simと自動走行システムを接続した仮想評価環境を示している.中継ソフトウェアを介することにより,JA-Re:simのなかの特定のドライバエージェントを自動走行システムに置き換える.このとき,JA-Re:simからは自動走行システムの周辺環境の時々刻々の情報を送信し,自動走行システムからはその情報に基づいて認識・判断された制御指令値(アクセル・ブレーキ・ステアリング)が送信される.
図 2 マルチエージェント交通流シミュレーションと自動走行システムの接続
(2) マルチエージェント交通流シミュレーション
JA-Re:simは,内閣府SIP事業の研究成果11) をベースに開発されたマルチエージェント交通シミュレーションである.ドライバ・歩行者などの交通参加者エージェント行動による現実的な交通流とエラー・不安全行動の模擬による交通事故の再現を行い,運転支援・自動走行の普及効果を予測する.図3は,実装された交通参加者エージェントの一例として追従走行時のドライバ行動モデルを示している9).なお,JA-Re:simの機能・特性は,自動車技術会の交通事故シミュレーション検定検討委員会のマニュアル12) に沿って検証を行い,マニュアルの要求に沿って事故件数の多い7つの基本検証シナリオが実行可能であること,現実的な交通流・交差点の信号制御状況が再現できることを確認している.
図 3 ドライバエージェントの行動モデル(追従走行時)
(3) 自動走行システム
本研究では,金沢大学が開発した自動走行システムを一例として,自動走行システムの安全性評価を実施した.金沢大学では1998年から市街地における自律的な自動運転を目指した研究開発を実施しており,2015年からは国内の大学では初となる公道走行実証実験も開始している13).また,内閣府SIP事業第2期においては,AD-URBAN(Automated Driving system Under Real City environment Based on Academic researcher's Neutral knowledge)プロジェクトに参画し,東京臨海部などの実環境下で安定的な自動走行が実現可能であることを実証している14) (図4).
図 4 評価対象の自動走行システムによる公道走行実証実験の様子
3. 仮想評価環境を用いた安全性評価テスト技法の研究
3.1 自動走行システムの安全性評価観点
自動走行システムの安全性評価にあたっては,変化や外乱を吸収して正常な機能や平静を保つ能力を高めるレジリエンス工学の概念を取り入れる15).図5は,システムのパフォーマンスの時系列的な変化を示す模式図を示している.自動走行システムは運転支援システムと異なり,平常時から遭遇する多様な外乱に対して弾力性・復元性のあることが求められる.安全学においては,以下の3つの要件を満たす場合にレジリエントが優れたシステムとみなすことができる.
・要件1:システムは変化に対応することで動作を継続
・要件2:継続困難な場合は,非常時対応により動作を継続
・要件3:非常事態が解消したら適宜正常時に復帰
図 5 システムパフォーマンスの時系列的な変化に関する概念図
本研究の狙いに照らし合わせると,要件1は自らは危険に近づかない(自ら危険事象を作り出さない)ことであり,要件2と3は危険状況に巻き込まれたときに,事故に至らないようにその状況に対処することである.したがって,要件1のテストには,交通流における特定のエージェントを自動走行システムに置き換える方式(通常場面を体験させる)が有効と考えられ,要件2・3のテストには,登場する全エージェントが遭遇した危険場面を抽出し,事後的に自動走行システムに置き換える方式(危険場面を体験させる)が有効と考えられる.
3.2 二種類の安全性評価テスト技法を用いた検証の試行
(1) 方式 1:特定のエージェントを置換する方式
JA-Re:simに登場するエージェントのうち,ある特定のエージェントを自動走行システムに置き換えるテスト技法である.このとき,他交通参加者のエージェントのエラー・不安全行動の発生確率を高めることによって危険な状況に遭遇する頻度を加速化することもできる.ただし,この方式では評価対象となる自動走行システムの基本走行ロジックの完成度が高くなるほど,高度な認識・判断を迫られるシナリオに遭遇する頻度が低くなることが想定される.
(2) 方式 2:抽出した場面のエージェントを事後的に置換する方式
全エージェントが遭遇した危険場面を事後的に置き換えるために図6のようなテスト技法を用意した.機能1(再シミュレーション用情報出力機能)は,シミュレーション中の任意の時刻において,その時刻の前後の場面を再現するための情報を出力する.なお,情報を出力する対象は,衝突,ニアミス,急制動/急操舵などの観点で柔軟に用意できる.つぎに,機能2(再シミュレーション実行機能)によって,機能1が出力した情報を読み込み,特定のエージェントを自動走行システムに置き換えて連続的にシミュレーションを実行する.このとき,再開時に自動走行システムがいずれのエージェントにも置き換えられる仕組みを備えている.ここで,再シミュレーション機能とは,各エージェントの位置や速度などのログデータを「再生」するものではなく,再開時を初期状態としてシミュレーションを実行するものである.したがって,置き換えた車両の挙動に応じて他交通参加者の挙動も改めて計算されるため,再現した場面が相互作用に基づいて変化する.
図 6 再シミュレーション用情報出力機能と再シミュレーション実行機能
3.3 構築した仮想評価環境を用いた検証が可能にすること
(1) 複雑かつ動的な死角の影響を考慮した自動走行ロジックの検証
JA-Re:simと自動走行システムの接続によって,仮想評価環境において自動走行システムが単独・複数の他者(車両・歩行者など)との多様な相互作用に対応できるかを検証できる.とりわけ,図7に示すCheckVisibitily関数によって,建物が形成する静的な死角と周辺車両などが形成する動的な死角の影響を考慮できる.この関数が自車の周辺車両の認識の可能/不可能な状態を連続的に判別し,公道で遭遇する継続的に認識できない状態と一時的に認識できない状態が混在する実践的な検証環境を実現する.自動走行システムには,この検証環境内で,事故を起こさず,かつ,円滑に走行できる基本走行ロジックを備えていることが第一に求められる.図7は具体的な事例を示している.V274を自動走行システムとした場合,直近の先行車であるV39は認識可能と判別するが,V184とV264はV39の遮蔽によって認識不能と判別するうえにV54も建物の遮蔽により認識不能と判別される.ここで,V39が車線変更した場合は位置関係が変わるためにV264が認識できるようになるなど,死角に影響しうる周辺車両との複雑な位置関係の変化を連続的に扱うことができる.現状のシナリオベースの安全性評価の方法論では1対1のシナリオに死角の影響を個別に付加するアプローチを採用している4) が,本研究は現実的な交通流において発生しうる死角の影響を包括的に扱うことができるアプローチを提供する.
図 7 静的・動的な物体との位置関係から計算した死角情報に基づく遮蔽度の判別
(2) (a) 方式 1:特定のエージェントを置換した場合の検証
方式1によって検証を行ったところ,自動走行システムの振る舞いが主因となって事故・ニアミスを引き起こす場面は発生しなかった.このことは,交通流シミュレーションに接続した検証に意義がないことを示す結果ではない.むしろ,本研究で評価対象とした自動走行システムは,各地で公道実証実験に臨めるような安全性の高い基本走行ロジックを有しており,平常時に遭遇しやすい外乱に対して頑健であると解釈できる.すなわち,安全に走行するための基本を備えているといえる.一方,これから公道走行に臨む段階のシステムの場合は,本方式の検証が基本走行ロジックの性能確認と向上のために有効な手段となりえる.なお,現状のJA-Re:simでは,二輪車や自転車の振る舞いや不安全行動・エラーに関するロジックの実装は決して十分ではなく,より現実度の高い検証環境に向けて,各エージェントの行動モデルの開発・高度化を図る必要がある.
(2) (b) 方式 2:抽出した場面のエージェントを事後的に置換した場合の検証
つぎに,方式2によって検証した結果について述べる.方式2では,エージェント同士の交通流シミュレーションの実行を通して事故やニアミスなどの危険な場面を抽出し,再シミュレーション実行のためのログデータを記録する.図8は,信号交差点において青信号に従って進入した車両と赤信号で停止中の車列の間を信号の見落としにより進入した車両が衝突した事例である.このように,現実のドライバのような脇見や見落としなどの過失や不安全行動が要因となって発生する危険場面を抽出できる.方式2では,図8の衝突事例の双方の当事者を事後的に自動走行システムに置換できる.危険場面に陥った状況において自車の被害軽減や衝突回避を図る性能の向上が期待され,とりわけ第2当事者の立場をシステムに置換した検証が有効である.図9は,前述した事例の第2当事者をシステムに置換した場合のシミュレーション結果である.システムは右から接近する信号無視の車両を検知してエージェントよりも早期に減速したことで衝突を回避した.危険場面に対応したか否かに着目するだけではなく,自動走行システムのロジックがいかに機能したかを詳細に解析する必要がある.図9は,シミュレーション実行中のシステムの認識・判断・制御ロジックの動作状況である.このとき,システムは青信号で発進した先行車に追従して発進したが,右から接近する車両検出と進路予測に基づく減速によって信号無視に対して適切に対応した過程が分かる.
ただし,現状は抽出された場面を忠実に再現した状況での検証にとどまっており,システムの対応能力の充分性を示すことは難しい.例えば,自車速度・他車速度が高い,先行車が存在しない,車列の位置が自車に近い状況においても同様に回避できたかは現時点では保証されない.したがって,抽出した場面を忠実に再現するテスト技法にバリエーションを拡張できるようにする点が課題である.
図. 8 抽出した危険場面
図 9 第2当事者を自動走行システムに置き換えた検証と動作状況に基づく回避要因の解析
4. おわりに
本研究では,自動走行システムの高度化に資する安全性評価テスト技法として,マルチエージェント交通流シミュレーションと自動走行システムを接続した評価環境を構築し,エージェントを二通りの方式で自動走行システムに置き換える方法を提案した上でそれぞれの妥当性を検証し,以下の1)および2)に示すことが分かった.
1) 特定のエージェントを置き換える方式は,自動走行システムの基本走行ロジックの検証に有効であるが,基本性能が高いシステムであるほど問題となる場面に遭遇することが減少する側面がある.
2) 全エージェントが遭遇した危険場面の当事者を事後的に自動走行システムに置き換える方式は,自動走行システムにとって難しい対応を迫られた状況の効率的な発見を可能にする点で技術の高度化に有効である.ただし,現状は忠実な再現にとどまっているため,対応能力の充分性を示すことに課題がある.
今後の課題は,事後的に置き換える方式をさらに効果的にするため,自動走行システムにとって“嫌らしい”バリエーションを付加する機能をマルチエージェント交通流シミュレーションに実装し,自動走行システムと接続した検証に組み込み,その有効性を示すことである.
ここで,”嫌らしい状況”とは, 自動走行システムが回避挙動をとっても,衝突可能性のある他の交通参加者がシステムの回避挙動に同調するように変化したり,衝突する可能性のある他の交通参加者と自動走行システムとの間に第三者の車両が割り込むことで対象を検出できなくなったりする状況が考えられる.