2024 Volume 2024 Issue 3 Article ID: JRJ20240301
わが国では高齢化等を背景に車いす利用者の割合が増えると考えられ,車いす利用者が自動車に乗る際の安全性/利便性を向上するために,車いすの自動車への確実な固定を容易にする固定方式の標準化や車載用車いすの普及が望まれている.本稿では,わが国で検討されている新しい簡易固定方式の安全性について,ISOに規定された衝撃試験方法にもとづき評価し,従来の固定方式と同等の安全性があることを確認した.
1. はじめに
内閣府がまとめた「令和4年版高齢社会白書1)」によると,2021年10月1日時点のわが国の総人口は1億2550万人となっており,このうち65歳以上が占める割合(高齢化率)は,28.9%にまで拡大している.また,厚生労働省が公表している高齢者人口の見通し2) をみると,高齢化率は2025年には30%,2055年には38%に達する.
このように高齢化が進む日本では,加齢による歩行機能の低下などで車いすを利用する人の割合が増えると考えられるが,それに伴って,車いす利用者が車いすのまま自動車(自家用や福祉サービスの車いす移動車,バス)などの交通手段に乗車する割合も増えると考えられる.今後も車いす利用者の割合は増える見込みであり,車いす乗員の交通事故時の安全性について関心が高まりつつある.一方で,車いす利用者が自動車に乗車する場合,加減速や事故の衝撃などにより車いすが転倒し,車いす利用者が重大な傷害を負う恐れがある.そのため,車いすを車内に固定して転倒を防ぐ安全対策が求められる.現状,そのような安全対策としてはストラップを用いて車いすを車内に固定する方式が普及している.しかし,この方式では車いすの固定および固定解除の際,介助者がかがみこんだ状態で5~6分程度の作業を実施する必要があり,介助者の身体的負担や車いす利用者の心理的負担が大きくなっている.そのため,車いすの自動車への確実な固定を容易にする固定方式(以下,車いす簡易固定方式)を確立し,普及を促進させることにより,車いす利用者の安全性や利便性の向上が望まれている.
これらの背景から,経済産業省は2020年より2022年まで「車椅子の自動車等へのワンタッチ固定機器に関する国際標準化」事業3) を推進し,さらには車いす簡易固定方式を浸透・普及させるために2022年4月に国内の車いす・車いす移動車・バスのメーカー13社が参加して設立された「車椅子簡易固定標準化コンソーシアム4)」と連携して,2023年から将来的なISO(国際標準化機構)への提案を念頭に車いす簡易固定方式のJIS(日本産業規格)化を進めている状況である.また,一般社団法人日本自動車工業会(JAMA)においても,車いす簡易固定方式の規格化に関する研究を実施して,その調査および分析結果を前述の経済産業省の事業に提供している5).
一般財団法人日本自動車研究所(JARI)では,JAMAから委託を受けた研究の一部として,自動車に乗車可能な車いす(以下,車載用車いす)の規格(ISO 7176-19)6) ならびに車いす固定および乗員拘束装置の試験方法の規格(ISO 10542-1)7) に準じた車いすの前面衝撃試験(以下,スレッドテスト)を実施し,ストラップを用いた従来の固定方式と,日本がJIS化を進めている固定バーを用いた固定方式による車いすの安全性能を調査・比較した.本稿では,これらの試験結果について述べる.
2.車載用車いすの固定方式
車いす利用者が自動車に乗車する際の車いす固定方式として,ISO 10542-1では図1に示すように車いすの前側2箇所と後側2箇所をストラップで車両床面に固定する「4点ストラップ固定」が採用されている.なお,ストラップはあくまで車いすを固定するためのものであるため,車いす利用者を保持するための3点式ベルト(以下,人ベルト)を組み合わせて使用する.この固定方式は,自動車に車いすおよび車いす乗員を固定する方法として日本でも広く採用されており標準的な方式である.
(4点ストラップ固定)
図1 従来の車いす固定方式
この他にドッキング固定機器という固定方式がISO 10542-1に参考掲載されており,日本がJIS化を進めている固定バーの固定方式は,このドッキング固定機器に準じる方式である.このドッキング固定機器では,予め車いす側に固定アダプターを装備しておき,この固定アダプターを車両側の固定機器と締結することにより車いすを固定する.なお,ISO 10542-1では固定アダプターの形状や寸法は規定されておらず,固定方法の概念のみが参考として記載されている.
図2に日本がJIS化を進めている固定バーとそれを利用する固定方式案を示す.固定方式は現在2種類(ワンタッチ固定,ウィンチ併用固定)が想定されている.ワンタッチ固定は,車いす側に取り付けたバー型の固定アダプター(固定バー)を車両側の固定装置で挟み込んで固定する方式である.一方,ウィンチ併用固定は,固定バーを車両側のフックに引っ掛けた状態で,ウィンチに張力を持たせることで固定する方式である.ウィンチは,福祉車両において車いすを牽引し乗車させるためのものをそのまま使用する.また,ウィンチ併用固定では車いす側の固定バーの取付け位置が異なる専用仕様も想定されており,今回のウィンチ併用固定の試験では車いす固定性能差の確認のためにウィンチ併用固定専用位置で実施した.なお,これらの固定方式においても,車いす乗員を保持するための人ベルトを組み合わせて使用する.
図2 日本がJIS化を進めている固定バーとそれを利用する固定方式案
3. ISOに規定されている前面衝突試験の設定条件
車いす利用者が自動車に乗車する際の安全性を確保するためには,車載用車いすならびに車いす固定装置等に対する衝突時の安全性能を評価・確保する必要がある.ISOでは,車載用車いすの規格(ISO 7176-19)ならびに車いす固定および乗員拘束装置の試験方法の規格(ISO 10542-1)があり,衝突時の安全性能を評価する試験方法としてスレッドテストが規定されている.表1にスレッドテストの試験概要について示す.
表1 ISO 7176-19とISO 10542-1に規定されているスレッドテスト概要
スレッドテストとは,レール上を水平に移動可能なスレッド(台車)に評価対象の車いすを搭載し,スレッドを水平方向に急激に加速または減速させることで,実際の衝突現象において車いすが受ける衝撃度合いを簡易的に再現する試験である.試験速度は48~50 km/hと,国連規則における乗用車のフルラップ前面衝突試験(UN-R137)8) と同等の試験速度が求められている.2つのISO規格のスレッドテストでは,車いす乗員を模擬する評価ダミー(ATD: Anthropomorphic Test Device,以下「乗員ダミー」)や試験速度などが互いに類似な条件となっており,試験中の「車いすの移動量」,「乗員ダミーの移動量」および試験後の「車いす・乗員ダミーの状態」を評価する.なお,ダミー頭部移動量およびダミー頭部後退量の要求事項は,ダミー頭部が最も前方に移動した点(以下,ダミー頭部移動量)およびダミー頭部が最も後方に移動した点(以下,ダミー頭部後退量)の移動距離が規定されている.
4. 供試車いすの性能確認と車いす簡易固定装置のISO適合評価
4.1 実施したスレッドテストの条件
図3にJARIで実施したスレッドテストの概況を示す.本試験では加速式スレッドテスト装置を用い,乗員ダミーとして平均的な体格の成人男性ダミーであるHybrid-III AM50を用いた.
スレッド上には,評価対象となる車いすおよび乗員ダミーを表1に示した方法で固定できるような治具を配置した.また,ISO規定に準じてダミー脚部の跳ね上げを防止する装置や挙動撮影のための高速度カメラ,万が一ダミーがスレッドから投げ出された場合に備え脱落防止装置などを配置した.
図3 スレッドテストの概況(4点ストラップ固定の一例)
表2にスレッドテストの条件を示す.本試験は全5条件を行った.
SS(S社・4点ストラップ固定)の条件は,従来の4点ストラップ固定方式に,ISO 7176-19に準拠した海外製の手動車いすを組み合わせる.ストラップはISO 10542-1に準拠した車いす固定用のストラップを用い,公開されているISO評価試験の画像等を参考にしながら表1の試験条件に合致するよう設置した.同試験では車いすおよびストラップはISO規格を満足することが予め分かっているため,参考情報として実施した.
次にAS(A社・4点ストラップ固定)の条件は,SSの条件と同様の4点ストラップ固定方式に,日本製の手動車いすを組みわせる条件である.使用した日本製の手動車いすは「20 Gの衝撃に耐える車載用の車椅子」として市販されている製品で,簡易固定方式の開発ベースとして使用しているが,ISO 7176-19に基づいて開発された車いすでないため,同条件にて性能を確認した.
一方で,AO(A社・ワンタッチ固定), BO(B社・ワンタッチ固定), AW(A社・ウィンチ併用固定)の3条件については,車いす簡易固定装置のISO適合評価を行うものである.車いす簡易固定装置には,日本がJIS化を進めている固定バーのワンタッチ固定とウィンチ併用固定の2方式を用いた.車いすは,ASの条件で用いた日本製の手動車いすおよび質量が30 kgを超える日本製の電動車いすの2種類を用いた.なお,ウィンチ併用固定については試験回数の制約上AWの1条件とした.
全ての条件における人ベルトについては,ISO 10542-1に準拠した車いす専用の3点式シートベルト(自動巻き取り装置無)を用いた.
表2 スレッドテストの条件
4.2 テスト結果
試験結果の一例として,図4に同一の車いす(日本製の手動車いす)を用いた3条件での乗員ダミーと車いすの挙動を示す.同図では,固定方式が異なるAS(A社・4点ストラップ固定)・AO(A社・ワンタッチ固定)・AW(A社・ウィンチ併用固定)の条件について,側面から見た主要ポイントの移動軌跡を示しており,青色実線は試験前の車いすや乗員ダミーの側面視,赤色点線および水色点線は各種移動量が最大値となった時の車いすや乗員ダミーの側面視を示している.また,縦線は実際の移動量と要求事項の許容範囲を示している.
条件ASの試験結果を見ると,試験中の車いす移動量の要求事項(≦ 200 mm),ダミー膝移動量の要求事項(≦ 375 mm),ダミー頭部移動量の要求事項(≦ 650 mm)およびダミー頭部後退量の要求事項(≦ 450 mm)を全て満足しており,本試験で使用した日本製の手動車いすは移動量の要求事項を満足できる車いすであることがわかった.
また,AO,AW条件の試験から,日本がJIS化を進めている固定バーのワンタッチ固定やウィンチ併用固定についても,試験中の車いす移動量やダミー移動量の要件を全て満足する結果が得られた.4点ストラップ固定と比較すると,ワンタッチ固定やウィンチ併用固定は,車いす移動量が幾分増加する傾向が見られたが,膝部移動量や頭部移動量については,4点ストラップ固定よりも移動量が小さいケースも見られ,試験誤差を考慮すると,総じて4点ストラップ固定と同等の結果となった.
表3はISO 7176-19ならびに10542-1の要求事項に対する(全5条件の)試験結果のまとめである.要求事項に対する試験結果を見ると,固定方式や車いすの種類に関わらず,全5条件で試験中の移動量の要件を満足していることがわかった.なお,固定バーは35 kg程度までの車いすを固定可能な設計思想であり,BOの条件のように30 kgを超える電動車いすを用いても,ワンタッチ固定で移動量の要件を満足していた.
試験後の要求事項についても,4点ストラップ固定,車いす簡易固定方式ともに要件を満足していることがわかった.なお,SSの条件においては,ISO 7176-19に準拠した海外製の手動車いすに構成部品および付属品の破損がみられたが,破損部品の合計質量が150 g未満であったことから,要求事項を満たしていた.
また,車いす簡易固定方式のAO・AW条件の試験において,固定バー自体に破断等の不具合は無く,固定バーの耐荷重が十分であることが確認できた.
4点ストラップ固定 ワンタッチ固定 ウィンチ併用固定
図4 同一車いす(日本製の手動車いす)での各部位の移動量
表3 ISO要求事項と試験結果
5. まとめ
本研究においては,ISO 7176-19ならびにISO 10542-1に規定されているスレッドテスト(車いすおよび車いす固定装置等に対する衝突時の安全性能を評価)を実施可能な体制を整え,そのスレッドテストに準じた試験を行い,各種要求事項の確認をした上で,以下の知見を得た.
・固定バーを用いる簡易固定方式開発ベースとして使用した日本製の手動車いすはISO 7176-19の性能要件を満足しておりISO適合を目指す簡易固定方式の開発に支障がないことがわかった.
・上記の日本製手動車いすを用い,日本がJIS化を進めている固定バーを用いた2種類の簡易固定方式によるスレッドテストを実施した結果,ワンタッチ固定,ウィンチ併用固定ともにISO 7176-19ならびにISO 10542-1の要求事項を満足することが確認された.
・質量が30 kgを超える電動車いすを用い,日本がJIS化を進めている固定バーを用いた固定方式のうちワンタッチ固定方式でスレッドテストを実施した結果,ISO 7176-19ならびにISO 10542-1の要求事項を満足することが確認された.
以上の結果から,日本がJIS化を進めている固定バーを用いた2種類の簡易固定方式は,従来の4点ストラップ固定方式に比べて車内での固定に掛かる労力を大幅に軽減しつつ,適切な車いすとの組み合わせで車いす利用者の自動車乗車時の安全を確保し得るものであることが確認できた.
高齢化が進む日本では,今後も車いす利用者が自動車に乗る機会も増えることが予想され,車いす簡易固定装置を装備した車両,ならびに固定バーを装備するISO規格に適した車載用車いすが開発・普及することで,車いす利用者の利便性と安全性が向上することを期待する.
謝辞
本研究を進めるにあたり,JAMAの保護装置分科会・車いす固定標準化タスクフォースの皆様には多大なるご協力をいただき,心より感謝いたします.