JARI Research Journal
Online ISSN : 2759-4602
Essei
[title in Japanese]
Minoru KAMATA
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2024 Volume 2024 Issue 7 Article ID: JRJ20240702

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(1) に続いて,(2) では釜石での交通の取り組みについて記すことにいたします.

釜石でも大槌と同様,津波被害による仮設住宅が,不便な所にたくさん建設されました.市では路線バスをしばらくは無料で運行するようにしましたが,それだけではカバーできない所もあり,トヨタ自動車からのデマンドバスの提案にのることになり,2012年に鵜住居から奥地側の栗林方面で運行する計画が作られました.混乱期が続いていて,しっかりとした需要調査に基づくものではなく,ハイエース10人乗り2台で,目一杯走らせるとこれくらいになるというのを目安に運行が始まりました.(写真1)しかしながら,仮設住宅の住民でもマイカーが入手できた人はデマンドバスを使わないので,利用は極めて限られていました.そこで,トヨタ自動車の担当者の一人が旧知の方だったので,東大に協力要請があり,私は東大IOG機構長の身のため十分な貢献ができない可能性があることから,当時東大の社会基盤の講師だった鳩山紀一郎先生にも加わっていただき,チームを組んで釜石のデマンドバスや路線バスなどの検討を始めることにしました.2012年の終わりの頃です.

写真1 釜石市のデマンドバス「にこにこバス」

交通計画の基本は需要が明確になり,それに合った運行を計画することなので,まずは真の需要がわかることが必要なことより,仮設住宅に住んでいる人のどれくらいが利用者と想定できるかの調査をすることとしました.そこで市から情報をいただき,釜石北部の仮設住宅の全戸調査を実施することにしました.学生を十数名動員し,手分けして各戸を訪問し,デマンドバスの説明をして利用可能性を得ていくこととしました.(2013年8月,2014年2月と8月で,北部の仮設住宅,北部の非仮設,そして南部とまわりました) 1戸に3分~5分程度と見込んで計画をたてましたが,高齢者宅は若い子が来ることは珍しく,話し相手として菓子とお茶が出てきて10分以上かかってしまうことも度々であり,予定時間を相当オーバーしてしまいましたが,何とか所定の目的を果たすことができました.学生は東大の工学部の者が中心ですが,体験学習として釜石に来ていた者もおり,被災地に行ったら仮設住宅訪問をやれと言われて面食らったかと思いますけれど,後で聞いたらいい経験ができたと言ってくれて,文系学部の学生が工学部の学生と親しくなって話が弾むという側面もありました.(写真2)

写真2 東大の学生による仮設住宅調査チーム

そういった調査で分かったのは,当初デマンドバスの設計をしていた想定値の1/6くらいしか需要は無いこと.それなら運行領域を別の地域に広げられるだろう,そこの地域の普通の路線バスをデマンドバスに切り替えることで,より利便性を向上させられないかといった議論が進みました.この2台のデマンドバスの活動領域を広げることで,路線バスの運行を止めることによる経費削減,ドライバ不足対応に貢献できるだろうということで,この話は即座に進めることになりました.(箱崎地区の定時定路線の路線バスを廃止してデマンド化して利便性向上へ)

こういったことで,東大チームの貢献が市役所内でも認められることになり,市全体の交通再編に向けての議論を,われわれも入って行っていくことになりました.そのため,南部地域でもデマンドバス化の可能性を探るために,上記のように南部での仮設・非仮設の全戸調査を実施しましたし,市での大きなトピックであるイオンの開業(2014年3月)によって,交通利用がどのように変わるかというのを市内バス全便での乗客の乗降調査をイオン開業前後で実施することになりました.これについてはさすがに東大の学生を集めての実施は大変だったので,岩手のNPOに頼んで県内の学生を集めて対応していただきました.

この全便調査は,市内でのバス利用の状況がよくわかり,その後の交通再編の議論に非常に役立ちました.交通事業者と市とのやり取りでは,全路線が赤字で,赤字補填を行政が行うという図式になってしまいますが,細かく見ると,市内中心部では利用は多く,その部分を抜き出して,かかった経費と収入を比べると(当時は割引運賃でしたが,それを正規に運賃に戻るとして)なんと黒字で動かすことが可能ということがわかりました.バス路線の端部で乗客が少数かゼロで走っている便が多く,収入がほとんど無く経費は膨大にかかっているのです.端部の需要はマイクロバスかワゴン車でも十分であり,幹線部分は特に学生利用が多い便は大型バスが必要でした.このため,市内の路線バス網を,幹線と支線に分けて,幹線部分は既存交通事業者に黒字で運営してもらい,支線部はタクシー事業者や貸切バス事業者に市がお金を用意して委託するような形態が,望ましい姿として描くことができました.

しかし,それは机上での話なので,実際にやるとなると,乗り継ぎが発生する所で利用者の受容性はどうか,乗り継ぐ場合の運賃設定をどうするかといった課題があります.そこでまずは乗り継ぐことを体験していただき,その受容性をみるような実験を行うことにしました.(2016年12月) 乗り継ぎは手間がかかりますが,端部の車両を小型化することで,大きなバスでは入れないところまで行くことができ,道が狭い所では折り返し場所の確保のために集落のずっと手前が終点になっていて,利用者は終点のバス停からかなり歩かないといけない状況だったのを解消できるとか,車両が小さいのできめ細かくバス停を用意できることでの利便性向上がはかれるはずなので,そういったメリットと乗り継ぐ手間を実際に経験して意見招集することにしました.大学の研究費でやるため,小規模になるので,買い物ツアー的な形を組み,自治会長さんに宣伝していただいての実施となりました.既存のバスの運行を変えずに,運賃を大学側で持ち,端部だけ別にマイクロバスやミニバンを用意して乗車してもらい,乗り継ぎ点で通常運行のバスに乗り換える(逆はそこまで通常バスで,そこからマイクロバス等へ乗り換え)形にしました.マイクロバスやミニバンでは自宅近くまでの送迎とし,毎回10名弱の人が参加するような実証実験になりました.

参加者は運転免許を持たない女性が圧倒的に多く,車内でおしゃべりが始まると終わらない感じで,乗り継ぎ点でも話が続き,路線バスでも,行先のスーパーでも楽しくおしゃべりしながら買い物をしてくださりました.帰りも,買ったものを見せ合い,いろいろな話題での話が続き,楽しく過ごせた実験になりました.アンケート調査すると,乗り継ぎの抵抗は,他の人と一緒であれば小さくできる,一人だけだと不安になる,みんなで一緒に行動することは楽しい,といった意見が多く得られ,交通の状況だけでなく,イベント的に外出促進をすることの重要性がわかりました.(写真3)

写真3 乗継ぎ実験風景

こういったことを踏まえ,釜石市内全体の交通再編に向けての検討が進みました.コンセプトは幹線・支線の体制,幹線は黒字経営を目指す,支線は小型車両によりきめ細かくニーズに応え,一部はデマンドバス化を実施,といったことがまとめられました.

そういう方向で,具体的なダイヤなども考えて議論を進めていましたが,2018年7月に交通事業者からドライバ不足による大幅な減便の要請がきました.震災前は,釜石中心部でのバス便は本数も多く(釜石駅前から釜石中央方向へは日に95本あった),時刻表を見なくてもすぐにバスが来るという状態で,乗客数も多かったですが,震災後には66本になり,それがさらに55本なるという変更案でした.利便性が高いとバスへの信頼が強く利用も多いですが,それを減便で利便性低下になると乗客は離れていくのが各地で見られており,端部を切り離してでも中心部の運行本数を確保すべき,そのために交通再編を早めたらと市に提案しましたが,却下され,地域公共交通会議にかけられることになりました.私は減便提案に異議を申し上げ,地域の交通の持続性のためにはうまく交通再編をやるべきとの意見を言ったのですが,同調してくれる委員は誰もおらず,地域の足のことをしっかり考えようとする委員がいないことに落胆し,決を採る前に退席し,委員を辞任することにしました.それまで相当な時間をかけて調査や議論を重ねてきたのに,事業者のドライバ不足の悲鳴に,どう工夫して,利用者の利便性確保にも応えていこうかと考えようとする人がいないことに,これまでの苦労が水の泡になってしまいそうでがっかりしました.補助の仕方,事業者の黒字運行のための努力,再編への利用者の理解の呼びかけなど,いろいろなことを重ね合わせてやっと実現できるものと考えていましたが,自分たちの役割は終わったと実感しました.その後,交通再編による幹線・支線化は予定通り実施されましたが,幹線部の本数はさらに削減されていて(現在は45本),利便性の確保は達成されず,利用者数のデータは不明ですが,おそらく当初のコンセプトのようにはまわっていないように思われます.(写真4,5)

写真4 「幹線;大型バス(緑色)」と「支線;マイクロバス(黄色)」との乗継ぎ場所(鵜住居地区)

写真5 支線化による車両小型化で集落内まで運行可能へ(花露辺地区)

釜石での震災復興は,市内中心部の利便性のいいところ(歩ける範囲にスーパーなどがあるとか,バス便の利便性の良さなど)に復興住宅やサービス付き高齢者向け住宅などを建設し,見守りの必要な人を中心部ならびに近いところに集めるような政策がとれるといいと感じていましたが,住民は震災前のように戻りたいという強い意見が多く,行政も住民の声を無視できないので,中心部に復興住宅が数多く建てられましたが,周辺部にもそれなりの数の復興住宅ができました.釜石は元々新日鉄が華やかな頃には9万人の人口があったので,国道沿いのバスの幹線部に土地はあるはずで,もっとそこへ人を誘導するようになっていくとよかったのですが,そうはなりませんでした.利便性のよくない復興住宅は空きも目立つようですし,幹線部のバス便も相当削減されてしまい,人口はとうとう3万人を割ってしまいました.

他の地方地域もそうですけれども,人口減少は加速していて,それは少子高齢化で避けられないものですが,そういう人口規模での持続性のあるまちづくりが求められています.震災被災地では被災という大きな不幸がありましたが,復興に莫大な予算が投下されたので,それを機に人口減少下における持続性のあるまちづくりを目指してほしかったです.しかし,そういう形が取れた事例は少なく,空き地・空き家が多くあるなかで,箱物の維持にも費用がかかり,将来の見通しはなかなか厳しいものになりそうです.

大槌・釜石と,復興プロセスに関与させていただき,できたこと・できなかったことが多々ありますが,いい経験をさせてもらったと思っております.住民に寄り添いながら,一方で人口減少という厳しい現実を見据えて,持続性のあるコミュニティを作ることが大切であり,そこにおいてモビリティの果たす役割は大きいものだと強く実感しました.

 
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