酪農乳業史研究
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京都牧畜業の発展と経過の考察
- 京都府官営牧畜場を中心に -
矢澤 好幸
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2019 年 2019 巻 16 号 p. 29-43

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抄録
京都は、東京遷都によって商業を中心に地域産業が急速に弱体化する中で明治維新を迎えた。したがって、明治期 の京都の産業政策は、弱体化した地域産業の再興という意味合いもあり、明治政府による殖産興業政策で一括りに語ることができない。 京都は、地域産業の再興を図るため五大事業を掲げたが、その重要な一つに「牛乳生産牧畜業」があった。 これらの産業振興の原動力になった中心人物は、京都府参事(後の知事)槇村正直、京都府顧問山本覚馬、医師明 石博高である。彼らは立場こそ違えども、京都の復興に人材の育成と科学的知識の導入を図る必要性を悟り、京都の 勧業政策を強力に推進した。こうした背景から京都は、東京とならんで早くから牧畜業の近代化への歩みを進めたの である。 当時は、牛乳や牛肉を食べる事を忌避していた時代であり、牛は荷物の運般や耕転に用いるのみであった。1871(明 治4)年、当時の京都府知事長谷信篤は「牧牛奨励の布告」を出し、①牛肉を食べることは滋養によいこと。②牧畜 を奨励し肉牛及び乳牛を飼育すれば、外国人に販売することが可能であり、そこから利益を得ることができるので、 これらを実施すれば京都の発展につながると強く主張した1)。 そして牧畜奨励策の一環として、1872(明治5)年にアメリカから乳牛を購入し、さらに外国人農学者を雇い、京 都府官営牧畜場を開設した。(図表1)この牧畜場で飼育した乳牛は、士族授産及び貧民救済対策として、開墾を行 った地域住民に貸与・払い下げをおこなった。さらに牛乳・乳製品の製造販売をおこない府民に普及啓蒙を図った。 なお1876(明治9)年京都府立農牧学校を設立し、アメリカ大規模農法を伝授し、かつ農業実習と学術講義によっ て専門教育もおこなわれた。 このような明治初期の京都牧畜業の特異な発展の内容について、京都府官営牧畜場を中心に事業の発展及び経過について、関連事項を含めて考察を試みた。
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© 2019 日本酪農乳業史研究会
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