英学史研究
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富山のお雇い外国人教師 (その1)
高成 玲子
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1994 年 1995 巻 27 号 p. 59-73

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抄録
近代日本の黎明期を過ぎて, 西欧諸国に追いつくために日本が劇的な変化を遂げつっあった明治の半ば, ラフカディオ・ハーンが島根県尋常中学校及び師範学校の英語教師として松江にやってきたのは, 明治19年の「学校令」と「中学校ノ学科及其程度」の公布により英語に会話が取り入れられたことによると思われる.教師ラフカディオ・ハーンの松江での生活, またその後の活躍については, 彼の多くの著書や教え子たちによる記録によって夙に知られているところである。
では同じ頃, 富山にラフカディオ・ハーンのような人物はいなかったのであろうか。明治22年の『文部省第16年報』はその年全国の尋常中学校53校に29名の外国人教師がいたことを伝えている。富山には, 明治21年から28年まで3人のお雇い外国人教師がいたことが判明している。彼らはどのような人々であったのか, どのような足跡を富山の地に残していったのか。私は富山のこの小さなヘルンさん達の足跡をたどり, その教え子達との関わりを探ることによって, 富山における英語教育の一端を明らかにしたいと思う。この稿では, その1として最初の「お雇いアメリカ人教師」クラレンス・ラドロウ・ブラウネルを取り上げる。
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