JES Journal
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2024 Volume 2024 Issue 1 Pages 194-209

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和田 あずさ(宮城教育大学)

キーワード:音声,教師教育,ナラティブ

要旨

本研究では,熟達期にある小学校教師の英語音声指導とその背景にある教師の信念が,授業実践経験を重ねることによっていかに変容するか,そしてその過程で直面する成功や葛藤などの情動的体験,児童の気づきを通した授業者自身の学びなどにより,この授業者が言語教師としていかに成長してい くかについて質的に検討した。その結果,「オープン•マインド」「分かることやできること」などに関する教師の信念は一貰している一方で,授業者あるいは児童にとって注意を要するとして授業中および省察において授業者が言及する音素が多様になるという実践上の変容が見られた。また 2022 年度の省察からは「,国語科における発音指導との関連」が新たなテーマとして導出された。このように,経年的な実践と研究への参画の過程で,自らの学習者としての音声に関する気づきと学びの体験や小学校教師としての経験的知識から実際の児童の学びの姿を認識し理解に努め,実際の指導に関する判断の自己調整を行う段階へと移行していると考えられる。

はじめに

小学校英語教育に関する従来の研究の傾向として本田•田所•星加•染谷(2020)は,特定の指導法や教材などの効果検証に関するものが多いことを明らかにしたうえで,「目の前の児童あるいは教室で起こっていることの理解を深める理解志向の研究課題も検討される必要がある」(p.363)と指摘している。また,萬谷•堀田•鈴木•内野(2022)は扱われる内容の傾向として,教材や第二言語習得,指導法などが多い一方で,授業内の教師の発話を対象としたものは極めて少ない点や,教師に関する研究は時期を問わず一定数行われているが,教師の信念やその変容を捉えようとする研究は比較的近年になって散見されるようになっている点を明らかにしている。これらを踏まえると,小学校英語教育研究の課題として,教室での実際の営み,すなわち授業実践における教師の心理過程や意思決定と,それによって生起される教師の実際の言動について理解しようとする研究の充実が求められていると考えられる。

このような当事者教師の心理過程や意思決定とその表れとしての教室での実際の営みなどの教室の事実を理解する手がかりとして,筆者は教師の語りに着目している。坂本(2022)は教師が自らの実践を語ることについて,「教師がどのように授業に関わり,自己の教えの理論を構成し,他者との関係を築いているかを可視化」(p.13)し,「教師がプロとして自己の世界を理解し,教育実践に価値のあ

る変化をもたらし,教師として成長を可能」(p.12)にする営みであると述べる。教室での営みは,実際に物事が起こったとおりに記憶されるわけではなく,それまでに教師が学習や経験から身に付けた既有知識や,その場その時に教師が気づいたこと,そこで生じた情動や取捨選択の意思決定などの実践的思考と関連づけられ,主観的な経験の総体として蓄積され,これが教師としての実践的知識となる。すなわち教室での営みに関する教師の語りは,その教師の信念やそれを構築した教師の経験などによって教室の事実がいかに意味づけられるかを表しているものであるとともに,教師自身が語ることを通して自らが意味づけた教室での経験を追体験し,実践的知識として再構築することで,教師としての熟達化や成長を促す営みであるといえる。

そのため筆者は,公立小学校で外国語指導に携わる複数の教師を事例とし,実践経験の積み重ねによって英語音声に関する教師の信念と実際の指導をどのように変容させているのかに焦点をあてて研究に取り組んでいる。音声指導に着目する理由は,小学校段階では音声面での言語活動が学習活動の基礎となっており,英語の音声の特徴に慣れ親しみ,日本語との違いに気づくことが肝要であるためと,多くの小学校教師が英語の発音とその指導を課題としている(三宅•上斗•西尾, 2016)ためである。そのうち本研究は,和田(2019; 2020; 2022a; 2022b)と同じく,教職歴が熟達段階にある 1 名の小学校教師(以下,授業者)を事例としている。教職歴と英語指導歴が異なる教師の事例について検討することで,「小学校教師として」「言語教師として」という二つの側面が融合されていくことに一教師としての包括的な成長過程をみとることができると考えられる。また他の多くの小学校教師と同様,授業者もリスニングやスピーキング,発音には自信がないと感じているとのことである。いわゆる「英語が苦手」な教師の事例をとおして,「小学校教師としての力量」が音声指導にいかに寄与し得るかを理解するためのてがかりを得ることができるだろう。このような背景から本研究では,英語の発音に苦手意識を持つ熟達小学校教師である授業者の音声指導に関する教師の信念と実践的思考や実践的知識が実践経験によっていかに変容するか,そしてこの変容から言語教師としてどのような成長の過程をたどっていると考えられるかについて検討する。

先行研究

小学校教師の語りをてがかりとし,教師の信念や教師の成長について検討した研究には,中村•志村(2011),階戸(2012),根本•劇木(2017),小林(2021),大石(2021)などが挙げられる。中村•志村(2011)の研究は,3 名の教師のインタビューと集団討議の語りから,これらの教師の言語教師としての成長過程を導いている。階戸(2012)も 3 名の教師の語りにより,外国語活動必修化後の課題の背景となり得る教師の不安や意識差を指摘している。根本•劇木(2017)の研究では,日本人英語指導者と大学のメンター教員の省察を質的に分析し,この教師が自らの長所と課題,教育観や実際の指導を認識しながら授業改善を行うまでの過程を明らかにしている。また,小林(2021)の 3 名の日本人英語指導者へのインタビュー調査からは,カリキュラム改訂を分岐点とした教師の不安

や葛藤が詳らかにされている。一方,大石(2021)は 2 名の教師の語りから,母語話者重視の志向と実際の音声指導の関わりについて考察している。さらに,実践経験の違いが授業事例に関する語りにどのように表れるのかを検討した研究には,中村•志村•長谷川(2013)の外国語活動の指導経験の有無に着目した研究や,学級担任と専科教員を比較した中村•志村•佐々木•坂部(2019)の研究が

ある。

これらの研究はいずれも教師の語りを詳細に分析した一方で,参加者である教師自らの授業実践との直接の関連については検討されていない。そのような先行研究の課題に応えるものとして,COLT part A を用いた授業分析とインタビューを併用することで,各教師の実践経験や授業者の信念が授業に影響することを明らかにしている白鳥•志村(2022)の研究がある。この研究の課題として,分析対象が限定的である点に加えて,単一授業を対象としている点,それゆえに授業の変容について検討していない点などが挙げられている。この指摘にあるように,小学校英語教育研究に関して,同一の教師と継続的に関わりながら,授業実践のあり様やその背景にある教師の信念の変容を捉え,教師としての成長過程を導こうとする研究は,ほとんど行われていないのが現状である。

そこで筆者は,2016 年度から公立の小学校において,複数の教師の協力を得て,授業の参与観察と各教師との協同的な省察を行うことにより,各教師の信念と音声指導との関わりがどのようなものであるか,また実践経験を積み重ねていくことでこれらがどのように変容していくかについて,研究に取り組んでいる。同一の教師と経年的に研究を行っている事例は 2 例あり,このうちの 1 例が,本研究で取り上げる,英語の聞き取りや発音に苦手意識を持つ熟達期の小学校教師である。和田(2019)での授業者の語りからは,音声指導に関する授業者の信念と実際の指導の言葉かけの背景に,十分な音声指導を受けてこなかった学習者としての経験に起因する発音の知識や技能に対する不安と,「オープン•マインド」な授業を重視する姿勢が一貰して表れていた。また,「オープン•マインド」の授業を運営するために,英語の発音の正しさを児童には求めすぎないものの,聞き取りや発音につまずく児童へのまなざしから,「できること」や「分かること」を重視する姿勢も見られた。このような傾向はその後の語りにもおおむね一貰して表れている。それ以降の研究で明らかになったことのうち特徴的なこととして,和田(2020)では,新しい ALT の発音のうち自身が聞き慣れていないものに対する戸惑いが表出され,この戸惑いが年間を通して保持されていたことと,このことから指導にあたって児童の疑問や不安をより丁寧に推し測ろうとするようになった過程が示された。続く和田 (2022a)は,授業者の各種の経験とそれに伴う情動に関する語りに着目し,英語音声指導に関する教師の信念に,教師としての自己だけでなく学習者としての自己が密接に関わっていることを示唆した。そして和田(2022b)は,省察のうち ALT に関連する語りを解釈し,ALT が非英語母語者であることに起因する,授業者自身も慣れていない発音や,ALT 自身の発音が一貰していないことへの戸惑いを吐露するものの,世界の多様な英語発音の一つとして受容しようとしているとともに,英語の第二言語話者だからこそ,口語的な発音ではなく基礎的基本的な内容を重視する ALT の方針に賛同していることが明らかになった。さらにこの研究では,/r, l/の違いや/th/のほかに母音や破裂音に言及するという変容が確認された。このような過程から和田(2022b)はここまでの授業者の言語教師としての成長過程について,「児童や ALT の発音の観察→自らの実践の省察→児童のつまずきの要因の解釈→指導改善」というサイクルが,少しずつ構築され」「指導経験の積み重ねで形成されたルーティーンが,即興的思考や状況的思考によって柔軟に適用される段階にある」(pp.51-52)と結んでいる。以上の研究経過を踏まえ,本研究では,英語に非常に堪能ではあるが発音には母語の影響がある,英語の第二言語話者である ALT の発音に対する戸惑いについて,①自らの誤概念を認識した際に,「科学的に正しい考え方が示されたとしても,個人は誤った,あるいは不完全な知識に基づく信条を保持する傾向がある」(Pajares, 1992, p. 325)のか,②ALT の発音への慣れに伴いこの戸惑いは解消されるかという

点と,③小学校教師としての経験が言語教師としての語りにどのように表れるか,という計 3 点に着目しながら,引き続き経年的な変容のあり様を検討する。

  1. 3.   研究方法
    1.    参加者

本研究における参加者である授業者は,関西圏にある公立小学校(以下,研究協力校)の再任用教員であり,研究協力校での勤務は 2022 年度時点で 7 年目である。授業者は研究協力校において校内の全学年のカリキュラムの調整や近隣自治体との連絡調整を行う教科部会で英語を担当し,2017 年度は低中学年,2018 年度は全学年,2019,2020 年度は低中学年,2021,2022 年度は低学年において, ALT とのティーム•ティーチングにより,英語専科として外国語活動や英語活動の指導を担当している。一方で,授業者は学生時代から英語が苦手で,発音が一因となって英語での意思疎通が思うようにできなかった経験が何度かあるとのことである。そのため,英会話教室に通ったり,英語教育や英語発音に関する関連書籍を購読したりして研鑽を積んでいる。

これまでの筆者の研究で明らかになった授業者の信念は,大きくは 2 点の主題に分類できる。小学校教師としての授業者は,地域や児童の特性を踏まえ,間違いを恐れず,友達同士で打ち解けて心を開き,自分を表現し相手を受け止める「オープン•マインド」な授業風土を重視している。また,外国語学習者としての授業者は,音声は言語習得において最も基礎となると認識し,音声への気づきの機会を増やし,聞き取りや発音が分からないもしくはできない児童を取りこぼさないために,音声指導を重視している。

過去の研究における授業者の指導には,ALTの発音指導やカタカナ英語の影響を受けた児童の発音など,偶発的に直面した場面において,ALTの調音方法を観察させる,日本語で調音方法を説明する, ALTの発音を注意深く聞いて発音するよう促す,児童の聞き取りや発音を褒める,児童のつまずきの要因に関する授業者なりの解釈を提示する,などの方法が観察されてきた。佐藤•岩川•秋田(1990)は熟達した教師の思考の特徴として,①即興的思考,②状況的思考,③多元的思考,④文脈化された思考,⑤枠組みの再構成の5点を挙げている。中高英語科の教員免許を持たず,英語の発音に苦手意識がある授業者が,上記のような多様な方法で児童の音声への気づきを促そうとしていることは,授業者が言語教師としての専門性を,小学校教師としての経験で培った熟達教師の思考を発揮することで補っていると考えられる。このことから,本研究では授業者を小学校教師として熟達段階にあると捉えている。

方法

授業者が担当する第 1,2 学年の英語活動の授業について,2021 年度は 10 授業時間,2022 年度は 13 授業時間,参与観察した。この時,ビデオカメラ,IC レコーダー,フィールドノーツで記録した。また,各授業後数分,授業の内容や児童の様子などについて気づいたことを共有し合う振り返りを行うとともに,各年度につき 2 回,長期休暇前後に半構造化面接形式の省察を行った。授業の中で授業者あるいは筆者が気になった音声やその指導については,授業後の振り返りでは十分に取り上げきれないため,詳細は省察で改めて伺うという前提で,あらかじめ口頭もしくはメールで気づいた点を共

有し合った。省察では,授業者の授業メモや筆者のフィールドノーツ,メールなどの記録を基に授業の目標と展開,児童の様子について自由に振り返ったうえで,音声指導に関連する意思決定や情動の過程などについて聞き取りを行った。その際,IC レコーダーと簡易なメモで記録した。

以上の手続きで得られたデータを,テーマ分析(Braun & Clarke 2006; 2017)の手法で分析した。ま ず,音声指導に関わる語りを抽出し,発話の文脈を補う情報を加筆した発話記録を作成した。次に,音声データを聞きながら発話記録を読み込み,話題,言葉遣いや言葉選び,口調などから,発話の全体的な印象を捉えた。その後,抽出した語りからカテゴリーを生成し,類似するカテゴリーを統合し概念化するテーマを導出した。最後に,テーマに対応する典型的な 2 事例を記述し,これまでの筆者の研究や抽出事例以外の振り返りや省察のデータも踏まえながら総合的に解釈的分析と考察を行った。考察にあたっては,「対話的自己」(Herman & Kempen, 1993)の視点から,事例として取り上げる省察に表れる①「ALT の発音との向き合い方」と②「学習者としての自己」を反映した「教師としての自己」の多元性と変容について論じた。

最後に,本研究および研究協力校における筆者の位置づけを述べる。実地調査に先立ち,1)研究の目的,方法,実地調査期間,2)データの匿名化と適切な管理,3)各種データや研究成果の共有,4)自由意思に基づく研究協力,などの点について確認し,校長に書面で同意を得た。その後,授業者からも口頭で同意を得たうえで,参与観察の日程や省察の回数と方法について授業者と調整した。また,各学級では,参与観察の初回となる授業において,筆者の自己紹介を行うとともに,上記 1)および 2)について児童に口頭で説明した。実地調査時は,研究協力校の教職員との信頼関係を構築するため,授業進行やその意思決定に直接関与しない限りにおいて,デモンストレーションや児童のコミュニケーション活動への参加と,個別の児童の支援を行った。加えて,筆者が気づいた児童の様子は,授業者,ALT,各学級担任と積極的に共有した。これらの点で,筆者はフィールドの参加者としての一面を持つ観察者であると位置づけられる。なお,筆者は授業者との省察において小学校英語教育や音声指導に関する筆者自身の信念には言及しないようにしていたが,授業者から質問を受けた場合に,英語の音声の特徴について説明することがあった。このような「教える側一教えらえる側」という関係では,意図せずとも「教える側」に権威が生じ得る。また,授業者が「音声指導に関心を持つ小学校英語教育の研究者」である筆者と関わる時点で,授業者が筆者の影響を一切受けないことは不可能である。省察という語りは授業者と筆者が互いに影響を与え合いながら構築されるものであることも考慮し,筆者自身が授業者の変容に影響を与えうる一要素であるという視点を持ちながら,授業者の省察の事例を解釈的に分析する。

  1. 4.   解釈的分析と考察
    1.    事例 1:2021 年度の省察
      1.    事例の記述

一つ目の事例として,2022 年 3 月 19 日に行った年度末の省察の中の語りを取り上げる。この語り

は,3 月 7 日に行われた第 1 学年 2 学級での英語活動に関するものである。3 月 7 日の授業では,前時までに学習した動物の名前を確認し,ミッシングゲームが行われた。単語の確認もミッシングゲームも,まずは児童が英語で答え,次に ALT(以下,発話記録中,A 先生)に続いて全員で発音すると

いう展開であった。そして ALT に続いて発音した後に,授業者が“wolf”の発音に対して「『オ』と『ウ』のような発音」(1 組)「『オ』と『ウ』の間みたいな音」(2 組)という言葉をかけた。3 月 19 日の省察では,このほかにも/r/と/l/,/th/,/d/と/b/,/v/に関する語りがあったが,これらはいずれも過去の授業実践や省察で授業者が複数回言及したことがある音素であり,“wolf”に含まれる音素やその組み合わせについて授業者が指摘したのはこの授業と省察が初めてのことであった。このエピソードに関する筆者と授業者とのやりとりと,授業者の語りに付与したコードを表 1 にて示す。

表 1 2021 年度の年度末省察における発話と対応するコード

発話者 発話(動作,文脈を補う情報の加筆) 対応するコード
筆者

先生がずっと「オとウのような発音」っておっしゃってて,あれちょっと聞きたかったんですよ。先生,すごく強調しておっしゃってたように聞こえたから。

あれなんかねえ。え,A 先生何て言ったっけ。

/ouf/みたいな感じですかね。ああ,そうかそうか。

「ウルフ」とはおっしゃらなかった。

なんとなく,日本語で言ったらよく「ウルフ」って言いますやん。カタカナで言うとき。で,そうそう,「ウオ」を強めはったね。「オ」の方を。

「オーウ」みたいな感じでしたね。発音記号どっちなんやろ。

えっと,w の音が入るので,/w/。

あ,やっぱり。やっぱりそうなんのかあ。で私がなんとなく,そうかあ,なんか「ウルフ」みたいな感じがあるから。やっぱり/w/か。合っててんね。でもなんとなく私の中で,

「オ」と「ウ」の間のような感じがしたから。

いや,むしろ私,/w/の音があんまり聞こえなかったんですよ。

「ウオ」よりも「オ」の方が強く感じた私も。(中略)「そんなに「オ」を強くする?」と思ってしまったんですよ,私はね,A 先生の(発音)を聞いて,それで「え?」って思いましたわ。「え,ちょっと違うかな?」って。ええ,どない言う?

/wulf/

あ,そっか,w が入ってるからね。

口をすぼめる音。すごく先生がどちらのクラスでも何回か

「オとウのような」っておっしゃってたから,何か引っかか

授業者筆者 授業者筆者授業者

・ ALT の発音の確認

・ 受容の相槌

・ カタカナ発音への依拠

・ ALT の発音の想起

筆者 授業者筆者授業者

・ 規範の確認の要求

・ 受容の相槌

・ カタカナ発音への依拠

・ 違和感の要因の探求

筆者
授業者 ・ 違和感の要因の探求
・ 規範の確認の要求
筆者 授業者筆者 ・ 音声の特徴への気づき

授業者

ったのかな,と思って。

(オンライン辞書で発音を再生する)

ううん,なんか,「ウルフ」じゃなくて,「ウウ」「オウ」,ちっちゃく入ってるような気がする。

「ウオ」みたいな感じですか?

そうそう,私には(A 先生の発音が)そんな感じで聞こえてたから,「合うてんの?」って思っちゃったけど,失礼やね,というか「え?」と思ってしまったんですよ,ちょっとね。

(オンライン辞書で発音を再生する)

伸ばしてるね。でも A 先生のは「ウ」がちっちゃく入ってないような気がしたんですよ。でも確かに日本語で「ウルフ」って言うてるから,「え?」って思ったんでしょうね。そっちも大きかったのかもしれない。

あ,そうか。「ウルフ」って思ってるのに「オ」の音が強いから「え?」って。

そうそうそう。ちっちゃい「ウ」があって,「ウオ」になるような感じなのに,「強すぎるんちゃう?」って思ってしまったのが。

(中略)

A 先生が英語の音として苦手なものもあるじゃないですか,母語にない音で。

カナダ英語アメリカ英語でもないしね。A 先生も,だからそこは違うなって思いますね。

B 先生(中学校の ALT)の英語とも違いますもんね。 B 先生の方が聞き取りにくい,私。

ほんとですか?慣れてるからじゃなくって?A 先生の英語に。

でもあんなにばーっと(速く)しゃべりはったからかもしれないけど。1 時半やねって言われた時の。やっぱり th の発音が私の中では。

出た。

聞き取れてなかったんですよ。5 時間目来てくださいねって言ったら,相手は 1 時半やねって簡単に聞き返してるのに。

(中略)やっぱりその,日本語にない微妙な発音が聞き取れ

ないんやなって思いますわ。

・ 音声の特徴への気づき
筆者 授業者 ・ 違和感の要因の探求
筆者 授業者

・ 音声の特徴への気づき

・ 違和感の容認の探求

・ 非母語話者英語の発音

・ カタカナ発音への依拠

筆者
授業者

・ 違和感の要因の探求

・ 非母語話者英語の発音

筆者
授業者 ・ 非母語話者英語の発音
筆者 授業者筆者 ・ 聞き取り困難の表明
授業者 ・ 困難の要因の探求
筆者 授業者 ・ 困難の要因の探求

表 1 の冒頭で,筆者の問いかけに対して授業者は「ALT はどのような発音をしていたか」を筆者に確認し,その発音を想起したうえで当時の自らの思考や情動の過程を思い起こそうとしている。そし

て,ALT の発音を模倣した筆者の発音を聞き,カタタカナ英語の「ウルフ」と比較して語頭の「ウォ」あるいは「オ」が強く聞こえたと語っている。ここで,ALT の発音の特徴を今一度確認する筆者に対して授業者は,発音記号による確認を求めている。ここまでの授業者の語りが主に母音の聞こえ方に言及していると考えた筆者が子音の/w/があることに触れると,授業者は ALT の発音が英語の特徴を捉えたものであることに納得しようとするように「やっぱり」という言葉を繰り返す一方で,授業の中で ALT の発音に違和感を覚えた要因を,カタカナ英語との違いに見出そうとしている。ここまでを

【やり取り 1】とする。

ここで,さらに授業者の考えや思いを引き出すために筆者が自らの聞こえ方を提示したところ,「私も」という同意を示しながら,ALT の発音に違和感を覚えざるを得なかったと述べている。そして再度,発音の確認を要求する。そして筆者の発音とオンライン辞書で母語話者の発音を聞き,/w/の音の特徴と聞こえ方に関する気づきを述べ,ALT の発音が正しいのかと疑問を持ってしまったがそれは失礼であったと振り返っている。ただしもう一度母語話者の発音を確認した後に,自らがカタカナ英語の影響を受けていることを大きな要因としつつも,母語話者の発音と ALT の発音との違いも違和感の一因としてあるのではないかと考えていると読み取ることができる発話が見られる。ここまでを【やり取り 2】とする。

このように,母語話者英語と非母語話者英語の発音の違いへの言及があったことから,筆者はその点に焦点化した問いかけを行った。すると授業者は英語が公用語の一つである国の出身である中学校の ALT の発話の方が聞き取りはより難しいとし,従来から授業者が自らの聞き取りや発音の課題として何度も取り上げてきた/th/の発音が一因となったことに具体的に言及している。ここまでを【やり取り 3】とする。

解釈的分析と考察

【やり取り 1】では,授業者は「ALT はどのような発音をしていたか」を筆者に確認し,カタカナ英語の「ウルフ」と筆者の発音から想起した ALT の発音を比較することで両者の違いから自らが ALTの発音に違和感を覚えたのではないかと考えていることが発話から読み取れる。また,発音記号で ‘wolf’の発音を確かめようとする発話には,音声ではなく視覚的な情報を拠りどころとしようとする授業者の姿勢がうかがえる。そして,/w/があるとの筆者の指摘を受けたことで,ALT の発音が英語らしさを含んだものであると受け止めながら,“wolf”の ALT の発音が「ウルフ」ではなく「ウ」と「オ」の間の音のように聞こえたために,授業内で児童に言葉をかけたとしている。

【やり取り 2】では,「そんなに「オ」を強くする?」と思ってしまったんですよ」「『え,ちょっと違うかな?』って」「『強すぎるんちゃう?』」って思ってしまった」などの語りに表れるように,ALTの発音を聞いた授業者が,ALT の発音は誤っているのではないかという疑いの念を抱かざるを得なかったことが分かる。一方で,このような戸惑いを感じながらも,実際の授業では自らの聞こえ方と ALTの発音の特徴の双方を取り入れた形として「『オ』と『ウ』の間みたいな音」と説明する即興性や柔軟性を見せているといえる。また【やり取り 2】の中では,自らが抱いた違和感や戸惑いの要因を探る過程において,母語話者のモデル発音を聞き,「『ウゥ』『オゥ』,ちっちゃく入ってるような気がする」

「伸ばしてるね」など,気づいた特徴を言語化しようとする語りが見られる。/w/は後続母音より舌が後ろ寄りで高い位置にあり,唇が強く丸まる母音である。日本語の母音の中で円唇となる母音は「オ」

のみであることや,/w/に弱い円唇を伴う/u/と「暗い L([l])」が後続するなどの理由で,‘wolf’が授業者には「ウゥ」「オゥ」,もしくは母音を伸ばしたような音に聞こえたと考えられる。この気づきの語りは,日本語と似つつも異なる英語の子音や母音の連続がどのように聞こえるのかについて,授業者なりに説明しようとしたものである。音声学的には正確とはいえないまでも,発音に苦手意識がある授業者が,できる限り英語としての特徴を捉えながら,自らが持ち得る表現で気づきを言語化しようと試みていることがうかがえる。

【やり取り 3】では,実際に授業者が違和感を覚えたような ALT の発音に関する認識を問おうとす る筆者に対し,これまでに研究協力校のある自治体で受け入れてきた ALT の出身地域であり,授業者自身にとっても聞きなじみのある北米系の発音と ALT の発音が異なるという言及にとどめている。そして,中学校の ALT との意思疎通がうまくいかなかったエピソードを例示し,日本語にない音の聞き取りが苦手であることがこのようなコミュニケーション上のつまずきの要因になっているとしている。このことに関連し,筆者は ALT の発音への慣れの度合いが影響しているのではないかと指摘したが,これに関して授業者は明確な回答を避け,中学校の ALT の発話の速さによるのではないかと述べている。【やり取り 1】や【やり取り 2】では,ALT の発音への戸惑いについて語っていることからも,多少の慣れがあったとしても,違和感が払拭されるには至っていないことがうかがえる。

なお,児童が英語で答える場面では,いずれの学級においても「ウルフ」とカタカナで発音する児童が複数いた。さらに 1 組では,一度 ALT の発音を復唱した後のミッシングゲームの活動でも同様に

「ウルフ」と発音する児童が観察された。このような児童の姿について,3 月 13 日の省察でも「何回も(児童が)ドッグ,ドッグって言うから,ちゃんとA 先生の(発音を)聞いてよって思って」と語っていたことから,授業者は低学年児童の実態として「知ってる,覚えているって思うと(ALT の発音を)聞かないで言ってしまう」(和田, 2022b, p.10)という認識を引き続き有していると考えらえる。しかし,授業においては児童の「ウルフ」という発音に対する否定的な発言は一切せず,授業者は ALTの発音の特徴を簡潔に説明していた。このような授業者の姿には,発音の誤りを指摘することで児童に発話への抵抗感を抱かせることは避けたい,そして児童が間違いを恐れず英語を話せるようになってほしいという,「オープン•マインド」を重視する姿勢がうかがえる。加えて,ALT の発音に解説を加えることについて,1 月 5 日の振り返りでは「(聞いて真似するだけでは)分からない子にとっては分からない。そういう子に(発音の)違いの説明がちょっとあったら、舌がとか」との語りがあったことを踏まえると,発音の特徴や違いを授業者が日本語で言語化することが発音でつまずく児童への足場かけになるという意味で,特に「分からない児童が分かるようになる」ことも同様に重視していることが分かる。

一方で,ミッシングゲームで児童が“wolf”を答えられたのは両クラスとも活動の最後の方だったことから,児童にとって比較的定着に時間がかかる単語でもあったようである。しかし 1 組の授業では,答えた児童が/wulf/に近い音で発音し,授業者は「おお,ナイス,発音も」と,英語で答えられたことに加えて英語らしく発音できたことを評価すると思われる言葉をかけていた。一方 2 組では児童は「オオカミ」と日本語で答え,授業者が「ウルフ」と復唱していた。これらのことからも,授業者が単独で発音する際に「ウルフ」となること,しかしより英語らしいと授業者自身が考える発音は,授業者の言葉を借りれば「『オ』と『ウ』の間みたいな音」かつ「母音がやや長い」という特徴を持つものであると考えられる。

ここで,和田(2020)や和田(2022b)での授業者の姿と,本事例で見られる授業者の姿を比較することで,授業者の変容を捉えたい。和田(2020)と和田(2022b)は,英語圏出身の前任 ALT もしくは現任 ALT と初めてティーム•ティーチングを行った年度の実地調査に基づく研究である。これらの省察のいずれにおいても授業者は,自らにとって聞きなじみのない発音と出会った際の戸惑いを口にしていた。例えば和田(2020)では,冠詞 a の強形の発音を他の言語の影響を受けた訛りなのではないかと筆者に尋ね,母語話者の発話では自然な発音であるとの説明を受けてもなお,この違和感が解消されなかったことが報告されている。この段階では,自らの認識が音声学的には誤りであることが示されても,冠詞 a の強形の発音を理解し受容しきれていないと考えられる。他方,和田(2022b)では,個々の発音の聞き取りやすさに関しては英語母語話者の方がよいとしつつも,英語の発音は多様であり,各 ALT の発音を尊重したいという姿勢と,ALT 自身もデジタル教科書と自分の発音が異なることがあることを気にする様子があり,そのことを気遣う姿勢が,省察の語りに表れていた。このような過程を経て,事例 1 の語りからは,違和感を覚える発音に対する捉え方として,これまでの「ALTの訛り」に起因しているという視点ではなく,「カタカナ英語の影響を受けている」「日本語にない発音を聞き取れない」など,過去の省察からは明確にうかがえなかった自らに対する批判的なまなざしにより授業内のエピソードを意味づけようとしている段階への変容が見られると解釈できる。さらに,和田(2002b)では,授業者がこれまで扱ってこなかった分節音の発音を ALT が丁寧に行っていることへの言及があり,授業者自身もこれまで気にならなかった児童の分節音の発音が気になるようになったと語っていた。このことを踏まえると,ALT とのティーム•ティーチングの経験を積み重ねる中で,授業者が授業の中で特徴や違いに気づくことができる音がさらに多様になったとの見方ができよう。

  1. 2.   事例 2:2022 年度の省察
    1.    事例の記述

二つ目の事例として,2023 年 3 月 13 日に行った年度末の省察の中の語りを記述する。2023 年度は授業者が研究協力校で英語専科を担当する最終年度であり,この省察はこれまでの言語教師としての実践経験を総括する語りであるともいえる。表 2 は,この省察における授業者と筆者の一連の語りと,授業者の語りに対応するコードを示したものである。

表 2 2022 年度の年度末省察における発話と対応するコード

発話者 発話(動作,文脈を補う情報の加筆) 対応するコード
授業者

でもやっぱり私は,(音声について)基本を習ってないのがずっと痛い。ほら,英会話教室も何回も行ってるけれど,私らなまじっか中途半端に喋るから,ゼロから教えてくれる人ってなかなか,いないですよね。だから,それとやっぱり苦手意識があるから,そこをやらないと,中国語もそうだけど,日本語も,私今日本語教師の(勉強)をしだしたのも,改め

てじゃあ日本語も,鼻濁音とかなんて,あんまりよく分から

・ 苦手意識の要因の探求

・ 外国語習得における音声指導の重要性

・ コミュニケーションにおける音声の重要性

筆者 授業者

ずに喋ってるわと思ったりして。だからほんと言語の,基本なんだなって,思いますよ。

音声。

うん。だからほんとは国語だって,1 年生の 50 音を一文字一文字やってる時に,口の形から入っていきますやん。

そうですよね。

あそこでしっかり出してないと,結局長い文章読みだしても,聞き取れなかったり,(中略)日本語もきちっと発音伝わらなかったり。アナウンサーみたいに意識して(とまでは言わないが),そういう仕事についたらあれかもしれないけど,もっときちんと話せる子になってほしいなって思いますよね。

コミュニケーションとるっていうとこにもそれが基本になる?

基本としてあった方がより相手には伝わりやすい,っていうのはありますよね。やっぱりそこに立ち返ってしまうけれど。そこのところ,私はほんとに(音声への)苦手意識があれで

(あって),英語も中国語も結局習ってても四声のね,上がり下がりのね,ほんと。で,リスニングする時間というか,リスニングって意識してこうやって(音声について)学ぶ場がないと,何回か意識して聞き取りなさいっていうけれど,意識して聞き取らなかったら(理解できない)。

そっか,聞くこともですね。伝わることもだし。自分が聞くことも。

それと,基本は一緒だけど,オープン•マインドというか,心を開放されないとっていうのは基本土壌としてあるんだけれど。ただ楽しいのは,私もレッスン受けてて思うんだけれど,誰かとこうやって話するっていうのは,ほんとに文化とかその人たちの背景が分かるから楽しいですよね,そこは。それと,先生(筆者)が研究してはるようなことをほんとはどっかで,語学やるときに学ぶ場があって,フオニックスなんかをきちんと踏まえて,やってたらいいんだろうなって思うんですけどね。学習の中に,「そんなこと」って言わずに,一回アルファベットのところからやったらいいんだと思う。あ,先生(授業者)が?

私もだし,教員が。

・ 国語科での発音の扱い
筆者 授業者 ・ 音声指導の重要性
筆者
授業者

・ コミュニケーションにおける音声の重要性

・ 外国語習得における音声指導の重要性

・ 聞き取りにおける音声の重要性

筆者
授業者

・ オープン•マインドの重視

・ コミュニケーションの楽しさ

・ 外国語習得における音声指導の重要性

・ 教師が音声を学ぶ重要性

筆者 授業者 ・ 教師が音声を学ぶ重要性

事例 2 の省察において授業者は,学校英語教育の中で音声の基本を学んでこなかったことが長らく負の影響を及ぼしていると語っている。また英会話教室でも,やり取りをすることに重きが置かれる

ため,音声に関する基礎基本の指導が受けられていないと述べている。このような学習者としての経験と自らの苦手意識があるがゆえに,音声について勉強しなければならないと指摘したうえで,中国語や日本語教師の資格取得に関する学習の経験についても触れ,音声の学びが言語習得の基本であるとの考えを提示している。そして小学校の国語科においても,低学年において 50 音の発音指導を行う点を指摘し,母語の場合も含めて児童には明瞭な発音で話してほしいと話している。ここまでを【やり取り 4】とする。

ここで,コミュニケーションにおいても音声が基本となるか,つまり伝える内容だけでなくより正確に伝えるための発音が重要か,という趣旨で筆者が質問したところ,授業者はもう一度英会話教室や中国語教室での自らの経験を振り返り,学習対象言語によらず,音声に対する苦手意識があることに触れたうえで,聞くことについても音声は基本となると指摘している。ここまでを【やり取り 5】とする。

このように音声指導の重要性について語ったうえで,授業者は教室の英語コミュニケーションにおいて「オープン•マインド」が大切であると改めて確認するとともに,語学教室の経験に照らして,自分のことを伝え,相手のことを理解することが言語学習の楽しさであることを筆者に伝えている。加えて,音声学や音韻論の知識や技能のうち基本的な事柄については,自分自身はもちろんのこと,小学校教師は軽視せずに学ぶべきだと主張している。ここまでを【やり取り 6】とする。

4.1.2 解釈的分析と考察

【やり取り 4】では,学校や英会話教室などでの学習者としての自己を顧みながら,いずれにおいても音声に関して学ぶ機会が得られなかったことを授業者が否定的に捉えていることがうかがえる。しかし,英語をはじめ中国語や日本語などを学ぶ過程で,音声に対する苦手意識があるからこそその学びの重要性を認識しつつ,実際に話す際には十分にそれぞれの言語の音声的特徴を理解しないまま話しているとしている。ここでは学習者としての自己に加えて,コミュニケーションにおける話し手としての自己が語りに反映されているといえよう。加えてここで特筆すべき点は,これまでの授業者の省察の中でも,日本語教師の資格に取得にかかる学習の経験が語られたことはあったものの,この場面ではじめて,国語科における日本語の発音指導に授業者が明確に言及したことである。2017 年改訂の小学校学習指導要領国語編では,「各学年の目標及び内容」のうち,第 1 学年及び第 2 学年の「内容」において,「知識及び技能)イ」として「音節と文字との関係,アクセントによる語の意味の違いなどに気づくとともに,姿勢や口形,発声や発音に注意して話すこと」と位置づけられている。この理由について「小学校学習指導要領解説国語編」(文部科学省, 2017)では,「姿勢や口形,発声や発音は,主に相手に内容を正確に伝えるために重要である」(p.43)と述べられ,幼児音の残る児童には「母音の口形及び発音,発声について適切に指導するとともに,一音一音を識別させ,安定した発声や明瞭な発音へと導いていくようにすることが必要となる」(p.44)としている。篠村•大谷(2022)は,言葉の教育というつながりから,外国語活動•外国語科を担当する教師が国語科の指導内容を可能な限り把握し,国語科での学習と意図的に関連づけた授業実践を行うことを推奨している。授業者の場合,このような国語科での指導内容に言及する視点を有しているのは,日本語教師に関する学習が契機となっている可能性はあるものの,授業者が学級担任や少人数指導の加配教員として低学年の英語活動以外の教科指導に携わった経験があることによるとも考えられる。つまりこの指摘に,小学校教

師としての自己と英語専科教師としての自己の統合を見て取ることができるといえる。

他方,【やり取り 5】では,聞き手としての自己が語りに表れているといえる。「話す」という言語コミュニケーションの中でもとりわけ「やり取り」は,相対する他者と即時的に話し手と聞き手の立場を入れ替えながら発話を連鎖させていく営みである。【やり取り1】から【やり取り 4】の話題として取り上げられていたのは,ALT や児童の発音にせよ,授業者自らの発音にせよ,話し手の立場に関わるものであったが,【やり取り 5】においてはじめて,聞き手の立場にも言及されている。ただし,

【やり取り 5】はあくまで学習者としての自己が強く反映された語りであり,この語りそのものからは児童の聞き取りに関する授業者の認識をうかがい知ることはできない。しかしここでも学習者としての苦手意識やつまずきの経験に言及していることで,授業者が聞き取りにおける音声習得の重要性とともにその難しさについても認識していると推察される。

最後に,【やり取り 6】において,省察の総括として「オープン•マインド」が学習風土の基本としてあることに言及している。和田(2019;2020;2022a; 2022b)でも明らかになったこととして,授業者は自治体が掲げる「オープン•マインド」の英語教育に賛同し,省察において繰り返しその重要性を語ってきた。そして,【やり取り 6】から,「オープン•マインド」が依然として小学校英語教育に関する授業者の信念の基盤をなしていることが分かる。換言すると,音声の指導や学習の重要性は認めつつ,さらに上位の概念として「オープン•マインド」の風土の醸成と維持,それによってもたらされるコミュニケーションの楽しさの実感が,学習者としての実感を伴うことにより,授業者にとってより重視されているということである。このような前提があることを確認したうえで,授業者は音声学音韻論の基礎的基本的な知識や技能について学ぶ機会の必要性を訴えている。「『そんなこと』って言わずに」という言葉からは,英語で意思疎通できることやそこでやり取りされる内容が重視される中で,音声の重要性や難易度が「そんなこと」と扱われる程度であるとみなされている場合があることを含意していると考えられる。しかし授業者はそのような見解には異を唱え,「アルファベット」や

「フォニックス」などを一度学ぶべきであると語っている。これは,授業者自身にとって必要なことであるのか,と筆者が問うたところ,「私もだし教員が」と答えたことから,英語の音声について学ぶことは,授業者個人にとってだけでなく,授業者の次に英語活動を受け持ったり校務分掌で英語を担当したりする可能性がある教師をはじめとする小学校教師全体にとって必要であると,そのまなざしを広げていることが分かる。すなわち,学習者としての経験や実践者としての経験を踏まえながら,後進の教師に進むべき方向性を示そうとする先輩教師としての自己が,最後の省察に表れていると捉えることができる。

おわりに

本研究では,小学校での教職歴が熟達段階にあり,英語の聞き取りや発音が苦手だと自認する授業者を事例として,授業者の音声指導に関する省察の経年的な変容について検討した。その結果,これまでの研究の傾向と同様,本研究でも「オープン•マインドな授業空間」を音声指導の上位概念として重視する語りがあり,これが授業者の小学校英語教育観の根幹をなしていることが再確認された。また,①自らの誤概念を認識してもこの誤った知識に基づく教師の信念を保持しようとするのか,②経年的なティーム•ティーチングによる慣れが ALT の発音に対する授業者

の違和感の軽減や解消を導くのか,③小学校教師としての経験が言語教師としての授業者の語りにいかに表出されるかに着目し,解釈的分析と考察を行った。①に関わって,ALT の発音に違和感を覚える要因について,ALT の母語訛りではなく,自らがカタカナ英語の発音に影響を受けていることや,日本語にない音素の聞き取りが苦手であることなどに言及するという変容が見られた。加えて,一連の省察の中で,ALT の発音への違和感は保持しているものの,ALT の発音が誤りではないかという捉え方は,授業者の自らへの批判的なまなざしが加わったことにより修正されたといえる。一方,違和感そのものは払拭されなったことから,②の ALT の発音への慣れによる変化は本研究からは確認されなかった。③について授業者は,母語であれ外国語であれ,言語習得の基礎となるのが音声の学びであるという点に言及したが,その根拠として,これまでにもたびたび触れていた英語,中国語,韓国語などの外国語の学習経験に加えて,小学校教師としての経験的知識が反映されたと考えられる,「国語科における発音指導との関連」が新たなテーマとして導出された。

さらに,自らが覚えた発音への違和感の妥当性への判断については筆者の説明や母語話者の発音など,他者に依存するものの,実際の指導の中では,T1 教師の役割として,児童が「分かったつもり•できているつもり」になっている,あるいは「分からない•できない」と不安を感じている可能性にまなざしを向け,即興的思考により音声の特徴に関する児童の気づきを促す足場かけとなる働きかけを行っていた。そして ALT の発音を聞いて抱いた違和感の要因を探る過程では,英語の音声を何度も聞き,その特徴を捉えようとすることで,授業者自身の音声に関する気づきが広がっていった。本研究で授業者は,/r/と/l/の違いや/th/など,これまでの研究でも授業者が取り上げてきたものだけでなく,過去の授業実践や省察で触れてこなかった新たな子音や母音について授業内で言及し,その聞こえ方の特徴を授業者なりの表現を用いて言語化しようとしていた。ここから,これまでに気づかなかった英語の音の特徴への気づきの広がりという点で,実践的知識の変容が見られる。また,単語の発音を確認しながら授業内での発話の意図を振り返り,自らの観察により英語らしい音の特徴を再確認しながら,専門的用語を用いた説明や筆者あるいは ALT からの受け売りの説明ではない,児童にとってもより理解や納得がしやすいと考えられる,自らの気づきを反映した「自分のことば」を獲得したといえる。

このような一連の省察の語りにおいて,授業者は自らの学習者としての体験を児童の学びの姿

に重ね合わせることにより,音声指導の重要性を導いている。そして学習者としての視点をもとに,カタカナ英語への無意識的な依拠に気づき,話すためのみならず聞いて理解するためにも音声指導が重要であると,その概念を拡張させるなどの変容が見られた。

以上から,「学習者としての経験」と「小学校教師としての経験」から実践と省察を行い,この営みによってこれらの自己が言語教師としての自己と関連づきながら,授業者の統合的な成長に結びついていると考えられる。

しかしながら本研究では,授業者の指導担当が低学年のみとなったことで,参与観察ができる授業時間が限られていた。また,授業者の本務への影響をできるだけ小さくとどめて省察を行うために,省察の機会と方法もこれまでとは大きく異なっていた。そのため,本稿では授業者の経年的な変容について総合的に理解を深めるには至らなかった。さらに,授業者の変容が顕著にみられる省察の事例を詳細に解釈した一方で,各授業の中で授業者が実際に行った音声指導と省察の内容を具体的に関連

づけて分析と考察を行うことができたのは 1 例のみにとどまった。これらに関しては,今後各年度の中で同質のデータを選定することにより,稿を改めて検討したい。加えて,「語る」という内省を言語化し表出する営みによって,「語ること」「取捨選択の結果語らないこと」「意図せず語らないこと」「言語化できないこと」などが,語りの主体自身にも明らかになっていく。つまり,語ることを通して語り手である教師にも,自らが教室の事実の何をどのように意味づけているかはもちろん,自らの視点のみでは気づくことができないことや,気づいてはいるが言語化できるほど考えや思いが整理されていないことが顕在化される。このことから,このような語りの営みそのものが教師の成長に与える影響についても,新たに検討の対象としたい。

付記

本研究に多大な協力を賜った授業者をはじめ,研究協力校の教職員の皆様ならびに児童の皆様に,厚く御礼申し上げる。また,本研究は JSPS 科研費 GA20K13134 の助成を受けている。ここに感謝の 意を表する。なお,本論文に関して,開示すべき利益相反関連事項はない。

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