周知のように日本近代社会における最初の民衆運動は大正デモクラシー期 (1905-1925) にあらわれた。それは1905年9月5日の日露講和条約反対の日比谷焼討事件にはじまる。官庁街の顔として1903年6月に開園した日比谷公園が民衆の政治運動の発露の場として機能したわけである。それ以後, 地方においても護憲運動・米騒動・普選運動等の民衆運動は各地の公園をその舞台として示威運動を展開する。公園という民衆に開かれた空間が運動の拠点となる。1920年5月2日, 上野公園で開催されたわが国最初のメーデーは民衆運動にとって象徴的事件といえる。本論では民衆運動の中で公園が社会的に認知される経緯を明らかにする。