1992 年 56 巻 5 号 p. 31-36
本論は, 明治6年の太政官布告による公園設置を地租改正による東京の都市オープンスペースの変化の中に位置づけて考察することを目的とする。江戸の往還, 広小路, 河岸, 寺社境内などは賤視された人々の居住地でもあったが, 地租改正事業によりその多くから排除される。しかし公園とされた社寺境内からの排除はみられず, 明治7年の地所名称区分による官有地第3種の規定により借地料を収める公園出稼人として扱われることになる。一方で道路からは居住者の断固たる排除がみられる。本論における考察の結果, 明治初期にみられる都市オープンスペースからの居住者排除に関する扱いの相違から, 公園と道路が明治初期に果たした役割が明らかにされた。