2025 Volume 89 Issue 1 Pages 42-56
This article reviews the microstructural evolution in ultrafine-grained and nanotwinned austenitic stainless steels that have been subjected to hydrogen embrittlement (HE) and fatigue cracking. It provides guidelines for the development of high-strength austenitic steels without sacrificing HE and fatigue performance. The author focuses on the hydrogen-induced ductility loss and short fatigue crack growth associated with deformation-induced martensitic transformation, using micro-tension and micro-fatigue testing technologies. In type 304 metastable austenitic stainless steel, the microstructure produced by high-pressure torsion depends strongly on the processing temperature. Nanocrystalline austenite with enhanced strength and moderate ductility can be obtained at a processing temperature of ~423–573 K, whereas dual-phase microstructures comprising austenite and martensite are formed by processing at room temperature. Introducing ultrafine grains and nanotwin bundles mitigates the hydrogen-induced ductility loss in metastable austenitic steel by controlling the dynamic martensitic transformation. The microstructure refinement also contributes to enhanced resistance to short fatigue crack growth by changing the route of the damage accumulation process via phase transformation and detwinning.
Mater. Trans. 64(2023)1474-1488に掲載.Fig.2のCaptionを修正.
環境汚染の深刻化ならびにエネルギー資源の枯渇により,自動車などの構造物の軽量化が喫緊の課題となっており,構造材料においては高強度化が求められている.オーステナイト系ステンレス鋼は,化学,医療,自動車,エネルギー産業分野において腐食環境で広く使用されているが,オーステナイト系ステンレス鋼の主な欠点は降伏応力が低いことである[1].残念なことに,分散析出や結晶粒微細化によるオーステナイト鋼の高強度化は,延性を低下させるだけでなく,水素脆化感受性を高める[2-4].一方,面心立方構造を有する高エントロピー合金では,結晶粒超微細化およびナノ双晶導入によって強度が向上し,水素脆化感受性が低下している[5-7].オーステナイト系ステンレス鋼では,微細粒と粗大粒領域からなる二峰性組織が,強度と延性のバランスを改善している[8, 9].さらに,Mineらは,オーステナイト粒とマルテンサイト粒が混在する超微細粒304型ステンレス鋼が,水素による延性低下を軽減し,高強度と適度な延性を示すことを報告している[10, 11].このように,異種形態の組織の混合は,相反する機械的特性を同時に改善する有望な戦略である.
構造材料の社会実装では疲労性能が極めて重要であるが,マイクロスケールでの損傷蓄積プロセスによって支配される.そのため,二峰性組織では,各微小構成要素ごとでの疲労き裂先端における組織発達を理解することが重要である.同様に,水素環境下での負荷中の局所的な組織発達は,水素脆化にとって極めて重要な要素である[12, 13].特にオーステナイト系ステンレス鋼の場合,水素脆化感受性はオーステナイト安定度に大きく依存するため[14],マイクロスケールで形成される変形誘起マルテンサイトを制御することが,水素脆化を軽減する解決策を見出す鍵となる.近年のマイクロ力学試験技術の発展により,いくつかの負荷様式における変形と組織発達の素過程をマイクロスケールで調べることができるようになった[15-17].著者と共同研究者らは,マイクロ引張試験[18-20]とマイクロ疲労試験[21, 22]のほか,マイクロ圧縮試験[23],マイクロカンチレバー曲げ試験[24],マイクロせん断試験[20, 25]などの押込み試験を確立している.
著者は,オーステナイト鋼の1次変形機構が積層欠陥エネルギー(SFE)によって異なり,発達組織も大きく異なることに注目した[26].そこで,304型準安定オーステナイト系ステンレス鋼において,温間での高圧ねじり(HPT)と圧延加工によりそれぞれ超微細オーステナイト粒とナノ双晶束を導入した.HPT加工では,極めて高いひずみを定量的に制御しながら付与することが可能である[27].本稿では,マイクロ引張試験およびマイクロ疲労試験の解析に基づき,水素脆化および短い疲労き裂の伝播に対する耐性の高い高強度オーステナイト鋼の開発に関して新規な洞察を与える.
Misraらによるナノインデンテーションに基づく研究[26]により,SFE値の異なるオーステナイト鋼では異なる変形機構が発現することが明らかになった.低SFE(約15 mJ m-2)を示す301LN型鋼ではひずみ誘起α′マルテンサイト変態が支配的であるのに対して,SFEが中程度であるTWIP鋼(約40 mJ m-2)では,変形双晶が優勢である.高SFE(約60 mJ m-2)の316L型鋼では,変形双晶に加えて, 転位すべりが増加する.
Fig.1は,室温でHPT加工した304型鋼,316L型鋼および310S型鋼の組織の電子線後方散乱回折(EBSD)マップを示す[28, 29].Schrammの式[30]によると,SFE値は,304型で14.1 mJ m-2,316L型で63.3 mJ m-2,そして310S型で91.4 mJ m-2と見積もられる.304型鋼ではα′マルテンサイトの割合が高く,結晶粒の微細化が達成されていない(Fig.1(a)).一方,316L型鋼では,α′マルテンサイトが局所的に観察され,オーステナイト結晶粒の微細化が達成された(Fig.1(b)).さらに,310S型鋼では,平均粒径が約0.09 µmのナノ結晶オーステナイト組織が得られた(Fig.1(c)).ここで,粒径が約0.1 µm以下のものをナノ結晶,約1 µm以下のものを超微細粒と定義する[31].したがって,Misraらが指摘するように[26],SFEに依存する変形過程が,オーステナイト鋼のHPT加工後に形成される組織を決定づける.ここで,注目すべきは,SFEは鋼の化学成分だけでなく,変形過程の温度にも依存することである[32, 33].
Scheriauら[34] は, 77-993 Kの温度範囲でHPT加工した316L型ステンレス鋼の組織とビッカース硬さの関係を調査している.比較的高いSFEをもつ鋼では,室温では転位すべりと変形双晶により結晶粒の微細化が促進された.加工温度が上昇すると,双晶の密度が低下し,結晶粒径が増大した.この鋼を極低温で加工すると,α′マルテンサイトの代わりにεマルテンサイトを有するナノ結晶オーステナイト組織が形成された.
Fig.2は,303-573 Kの温度範囲でHPT加工を行った304型準安定オーステナイト系ステンレス鋼の代表的なEBSDマップと透過型電子顕微鏡(TEM)像である[35].この鋼のSFEは,Schrammの式[30]を用いて15.2 mJ m-2と算出される.303 KでのHPT加工によりα′マルテンサイトが誘起されたが(Fig.2(a)),その割合は,前出のSFEが14.1 mJ m-2の304型鋼で得られたもの(Fig.1(a))に比べてやや低かった.これは,変形誘起マルテンサイト変態温度の違いに起因する.α′マルテンサイト分率は,加工温度の上昇とともに減少した(Fig.2(a)-Fig.2(c)).この鋼を373 Kで加工した場合,α′マルテンサイトはほとんど見られず,歪んだオーステナイト粒内にラメラ組織が形成された(Fig.2(c)).(111)極点図(Fig.2(d))では,重なっている(111)極点がラメラ面に垂直な方向に対応しており,変形双晶の形成を示している.変形双晶は,室温で塑性変形を受ける準安定オーステナイト系ステンレス鋼におけるα′マルテンサイト形成の前駆体となり得る[36, 37].α′マルテンサイト相は,323 Kで加工した鋼ではオーステナイト粒内のナノ双晶とともに存在していたが,373 KでのHPT加工後にはほとんど消失した.
423-573 Kの温度範囲でHPT加工を行った場合,ナノ結晶組織が得られた(Fig.2(e)-Fig.2(g)).制限視野電子回折(SAED)パターンは,α′マルテンサイト相の割合が非常に低い,微細なオーステナイト粒であることを示している.オーステナイト粒はHPTディスクの円周方向に細長く,アスペクト比は約2.1-2.3であった.平均粒径は,423 Kで約0.12 µm,473 Kで約0.09 µm,573 Kで約0.07 µmと測定された.詳細に観察すると,いくつかの微細粒にナノ双晶の束が見られた(Fig.2(h)).同様の組織は,多軸鍛造を施したCu-30% Zn合金および316L型ステンレス鋼でも観察されている[38, 39].高ひずみ速度と低温での加工は,SFEを低下させた合金に変形双晶を誘起し,異なる双晶バリアントの交差により結晶粒の微細化を促進すると結論づけられた[38, 39].316L型鋼に比べてSFEが低い304型鋼の場合,α′マルテンサイト変態を抑制し,変形双晶を活動させるには,室温より高い適度な温度での変形過程が必要である.
Fig.3は,様々な温度でHPT加工した304型鋼および310S型鋼のビッカース硬さの加工温度依存性と公称応力-公称ひずみ応答を示している[35].ビッカース硬さは,303 Kで加工した両鋼材で約480-490と測定され,溶体化処理鋼材の約3倍であった(Fig.3(a)).304型鋼では,加工温度の上昇に伴い,α′マルテンサイト分率の低下のため,ビッカース硬さが低下したが,373 K以上では増加に転じた.573 Kで加工した鋼で最高のビッカース硬さ(約540)に到達した.加工温度上昇に伴うビッカース硬さの増加は,310S型鋼と同様に,結晶粒微細化と関連 していた.303-573 Kで加工した304型鋼の公称応力-公称ひずみ曲線は,加工温度の上昇に伴う引張強さの上昇を示したが,破断伸びには大きな変化は見られなかった(Fig.3(b)).応力-ひずみ挙動は,ビッカース硬さ挙動とは異なる加工温度依存性を示した.これは,ビッカース硬さが初期組織の変形抵抗を強く反映するためである.573 Kで加工された304型鋼は,強度(σB ~ 1.7 GPa)と延性(εf ~ 25%)の優れたバランスを示した.
Fig.3(c)は,303 Kおよび473 KでHPT加工した310S型安定オーステナイト系ステンレス鋼の公称応力-公称ひずみ曲線を示す.それぞれ平均粒径約0.09 µmおよび0.06 µmのナノ結晶組織を有している[40].473 Kで加工した試験片(Fig.3(b)とFig.3(c))を比較すると,降伏応力と引張強さは310S型鋼の方が304型鋼よりも高かった.両鋼とも公称ひずみが約 3%で最大引張応力に達しており,一様伸び値の低下がナノ結晶組織に起因することを示している.304型鋼では,公称応力-公称ひずみ曲線に初期応力降下後の応力持続領域があり,310S型鋼に比べて破断伸びが向上している.この顕著な特徴は,同じ鋼材の473 Kでの引張試験で得られた応力-ひずみ曲線には現れなかった(図示していない).したがって,304型鋼に特有の応力-ひずみ応答は,超微細粒組織における変形誘起α′マルテンサイト変態に関連していると推定される.この点について次に考察する.
Fig.4は,473 KでHPT加工したナノ結晶組織をもつ304型ステンレス鋼の引張試験の中断実験から得られた,真応力-真ひずみ曲線と対応するくびれ部位の厚さ中間部でのEBSD相マップを示している[40].真応力は,その瞬間のくびれ部位の最も狭い幅を用いて決定した.真応力-真ひずみ曲線における真ひずみ約0.08のプラトー領域は,公称応力-公称ひずみ曲線における初期応力降下に対応する(Fig. 4(a)).くびれの開始直後にはα′マルテンサイトはほとんど見られなかったが(Fig. 4(b)),プラトー領域が終了した真ひずみ約0.12において(Fig. 4(a)),α′マルテンサイト分率は約82%まで増加した(Fig. 4(c)).ひずみ硬化領域では,α′マルテンサイトの(110)繊維組織が発達した(Fig. 4(d)).これらの結果は,ナノ結晶304型準安定オーステナイト鋼では,変形誘起マルテンサイト変態が真応力-真ひずみ曲線のプラトー領域で起こり,その後,形成されたマルテンサイトがくびれ領域で変形することによってひずみ硬化が起こることを示唆している.これが,ナノ結晶304型鋼の破断伸びを向上させる原因であった.
Fig.5は,303-573 Kの温度範囲で加工した304型鋼と,303 Kおよび473 Kで加工した310S型鋼の引張強さに対する絞りをプロットしたものである[35, 40].比較のため,溶体化処理鋼の結果も図に含めてある.ナノ結晶304型鋼では約55%の高い絞りを維持している.結晶粒微細化による延性低下は,304型鋼の方が310S型鋼よりも小さい.したがって,304型鋼では,引張荷重中の動的マルテンサイト変態の働きが,結晶粒微細化を通じて強度と延性のバランス改善に寄与すると結論できる.
通常の粒径をもつ安定なオーステナイト鋼では,水素による延性低下は,局所的な水素濃化による強化と平面すべりの生じやすさの増加の組み合わせによって決まると考えられる[41].対照的に,301型鋼および304型鋼のような準安定オーステナイト系ステンレス鋼では,水素による機械的性質の著しい劣化が見られる[14, 42].これらは,多様な試験条件にもかかわらず,変形誘起マルテンサイト変態に起因している[43-47].水素脆化に及ぼす結晶粒微細化の影響に関して,Macadreらは,オーステナイトが比較的安定なFe-16Cr-10Ni(mass%)ステンレス鋼の平均粒径が1 µm程度の微細粒オーステナイト組織において,水素による延性低下が緩和さ れることを報告している[48].著者と共同研究者によるマイクロ引張試験による研究[49]では,超微細粒組織の水素脆化におけるマルテンサイト変態の役割を解明するために,HPT後焼鈍によって製造された304型準安定オーステナイト系ステンレス鋼を使用した.HPT後焼鈍によって調整された超微細粒組織は,結晶粒径の分布が広いが,マイクロ引張試験は,試験片の代表寸法が20 µmと小さいため,結晶粒径の不均一性の影響を低減させて評価することができる[50].
Fig. 6は,473 Kで HPT加工後に,873-973 Kの温度範囲で焼鈍した超微細粒 304型 オーステナイト鋼試験片を用いて,未チャージ状態でのマイクロ引張試験から得られた公称応力-公 称ひずみ曲線を示している[49].引張強さは粒径が小さくなるにつれて増大し,平均粒径 0.14 µmで約1.6 GPaに達した.873-943 Kの温度範囲で焼鈍した試験片では,降伏開始直後にくびれが発生し,その後,一定の流動応力で局所的な変形が維持され,その結果,破断伸びは約35%と中程度であった.これとは対照的に,平均粒径0.46 µmの973 K焼鈍材は,770 MPaでの降伏開始後,大きな均一伸びを示した.Considère基準によって決定づけられる同様の遷移挙動は,様々な合金で約1 µmの粒径で観察されている[51-53].粒径がかなり小さくなると,粒界が転位の蓄積に対する効果的な障害として機能しなくなり,ひずみ硬化率が低下する[54].943 Kより高い温度で焼鈍した試験片には,双晶境界とσ-FeCr析出物が多く含まれていた[49].超微細粒組織への双晶境界と第二相析出物の導入は,ひずみ硬化能の向上に有効に作用する[55,56].そのため,双晶境界とσ-FeCr析出物の存在は,引張挙動の遷移のための結晶粒径を約0.4 µmまで低下させることができる.
Fig.7は,平均粒径約0.5 µmの973 K焼材の公称応力-公称ひずみ応答と破壊形態に及ぼす水素の影響を示している[49].水素チャージ材は,マイクロ引張試験の前に硫酸水溶液中で陰極水素チャージを施している.水素チャージにより,降伏応力は約770 MPaから約920 MPaに増加し,破断伸びは約60%から約40%に減少した(Fig.7(a)).未チャージ材と水素チャージ材の両方が約16-17%の同程度の均一伸びを示したのに対して,水素は局所伸びを半減させた.粗大粒304型鋼では,ひずみ硬化能が早期に枯渇するため,均一伸びと局部伸びが著しく低下することが報告されている[57,58].このように,平均粒径約0.5 µmの973 K焼鈍304型鋼では,水素による均一伸びの低下が抑制された.水素チャージ材の絞りは約57%であり,未チャージ材の絞り(約89%)よりも低かった.これは,破断伸びに及ぼす水素の影響とよく一致している.未チャージ材では,等軸ディンプルおよび伸長ディンプルが観察されたが(Fig.7(b)),水素チャージ材の破面は,平均粒径に近い大きさの微細なディンプルと平坦なファセットで覆われていた(Fig.7(c)).平坦なファセットは,通常の粒径をもつ準安定オーステナイト系ステンレス鋼の双晶境界分離から生じることが報告されている[59-62].943 K焼鈍鋼の水素チャージ材では,双晶境界の割合が高いため,平坦ファセットが優勢であったと推定される.
Fig. 8は,平均粒径 約0.3 µmの943 K焼鈍材の公称応力-公称ひずみ応答と破面形態に及ぼす水素の影響を示している.この粒径は引張挙動の遷移の見られる粒径よりも小さい[49].このような超微細粒材では,引張変形の初期段階で塑性不安定条件が早期に満たされるため,水素チャージの有無に依存せず,均一伸びは数%に制限された(Fig.8(a)).一方,水素チャージによって局所伸びは30%から24%に減少した.遷移粒径より大きい範囲にある試験片とは異なり,粒径の小さい試験片ではくびれ部にα′マルテンサイトが局所的に形成された.未チャージ材では,破面の外周部にスラント破壊領域が広がっていたが,繊維領域では,介在物と粒界からそれぞれ生じたマイクロメートルおよび粒径寸法のディンプルが観察された(Fig.8(b)).水素チャージ材の破面では,著しく粗い繊維状の領域が優勢であった(Fig.8(c)).水素がマルテンサイト形成に影響するのか,あるいはボイドの核生成と成長に影響するのかを明らかにするため,著者らは水素をプリチャージした状態でくびれ部にα′マルテンサイトを形成させた後,水素を除去した試験片の破壊過程を調査した(図示していない)[44].その結果,水素は初期段階でマルテンサイト変態に寄与するというよりも,むしろボイドの核生成と成長過程を促進することが示唆された.
Fig.9は,平均粒径の異なる304型オーステナイト系ステンレス鋼の機械的性質に及ぼす水素の影響を示している.0.2%耐力と粒径の間には,未チャージ状態および水素プリチャージ状態において,ホールペッチ の関係が成り立っている(Fig.9(a)).304型鋼未チャージ材の摩擦応力(σ0 )および ホールペッチ係数 (ky )は,それぞれ176 MPa µm1/2および450 MPa µm1/2と決定された.水素は摩擦応力を40%増加させ,245 MPaとしたが,ホールペッチ係数はほとんど変化しなかった.このことは,水素は固溶硬化によって基地を強化するが,結晶粒の微細化強化には大きな影響を与えないことを意味している.未チャージ状態での絞りと引張強さの関係から,絞りは遷移粒径より大きい範囲,すなわち約0.4 µmでは引張強さの増加とともに減少したが,粒径の小さい鋼では不変であった(Fig.9(b)).水素による絞りの損失は,超微細粒材では著しく減少した.言い換えれば,結晶粒の微細化は,強度と延 性のバランスを高めるだけでなく,準安定オーステ ナイト系ステンレス鋼の水素脆化を緩和する.特に,遷移粒径より小さい範囲では,引張強さが1-1.5 GPaでありながら,水素チャージ材の絞りは約60%に維持された.
動的なα′マルテンサイト形成が,準安定オーステナイト系ステンレス鋼の水素脆化感受性を決定する重要な因子であることが議論されている[63-65].マルテンサイトの飽和水素含有量はオーステナイトより1桁低い[66].水素を含むオーステナイトがα′マルテンサイトに変態すると,二相間の飽和水素含有量の差に相当する余剰水素が発生することが考えられる.マルテンサイト中の水素拡散速度がオーステナイト中よりも極めて高いため,余剰水素はα′マルテンサイト相から周囲のオーステナイト相に拡散する.Wangらによる有限要素法による計算では,形成されたマルテンサイトバリアントに隣接するオーステナイト相で割れが発生するという考えが支持された[67].したがって,余剰水素が異相境界に蓄積し,き裂を生じやすくなることが合理的に考えられる.通常の粒径のオーステナイトでは,複数のα′マルテンサイトバリアントが選択されたが,超微細粒オーステナイトでは,粒ごとに単一のバリアントに変態した[68].超微細粒オーステナイトでは,引張負荷中にα′マルテンサイトバリアントが個別に形成された.その結果,余剰水素が分散し,局所的な水素濃度が低下し,水素による延性低下が緩和された.
3.2. ナノ双晶鋼における水素脆化感受性の双晶方位依存性双晶境界は,機械的性質を支配する転位運動において2つの役割を担っていることから,大きな注目を集めている.双晶境界は,転位の運動を妨げることによって強化に寄与するだけでなく,双晶面に平行に転位がすべることによってひずみを緩和することにも寄与する[69-71].面心立方晶金属では,ナノメートルオーダの平均間隔をもつ双晶を導入することで,適度な延性を維持しながら強度を向上させることが,複数の研究者によって報告されている[72-76] .Luらは,316L型安定オーステナイト系ステンレス鋼にナノ双晶束と再結晶粒を導入することにより,降伏応力と延性のバランス改善に成功した[73,74].同様の二峰性組織をもつ304型準安定オーステ ナイト系ステンレス鋼は,ひずみの局在化を抑制する ことにより,水素脆化に対する優れた耐性を示すことが 報告されている[75,76].したがって,準安定オーステナイト鋼にナノ双晶束を導入することは,水素脆化感受性を低下させ,同時に強化するための有望な戦略である.
Fig. 10は,673 Kで予加熱した304型鋼板を板厚40%まで圧延したときのEBSDマップとTEM像である[77].α′マルテンサイト相のない変形双晶が観察された(Fig.10(a)).TEM暗視野像とSAEDパターンから,ナノ双晶と高密度の転位が確認された(Fig.10(b)).ナノ双晶の平均ラメラ間隔は約0.06 µmであった.Fig.11は,304型準安定オーステナイト系ステンレス鋼の単結晶試験片,双晶試験片,ナノ双晶試験片(以後,それぞれSC,BC,NTと呼称する)を用いたマイクロ引張試験で得られた真応力-真ひずみ応答に及ぼす双晶面方位と水素の影響を示している[62,64,77].双晶面が荷重軸に垂直なものをN方位,平行なものをP方位とする.I方位では,双晶面は負荷軸に対して約45°傾いている.接尾辞UおよびHは,それぞれ未チャージ材および水素チャージ材を表す.真応力(σT )と真ひずみ(εT )は,公称応力(σ)と公称ひずみ(ε)から,σT = σ (1 + ε)とεT = ln (1 + ε)を用いて計算した.ただし,これらの式は,くびれ発生後には適用できない.未チャージ状態での降伏応力は,NTPで約760 MPa,NTNで約650 MPa,NTIで約540 MPaであった.NT試験片の降伏応力はSC試験片およびBC試験片の2.3-3.7倍であった.
[123]荷重軸をもつSC試験片と同様に,NTI-U試験片は3段階のひずみ硬化を示した(Fig.11(a)).NTI-H試験片では,降伏開始後に1次すべりおよび双晶面に平行な変形双晶の両方あるいはいずれかが活動し,結晶回転を介して中程度の均一伸びを生じた.Fig.12はSC試験片,BC試験片,NT試験片の水素チャージ材の破面を示している[62,64,77].未チャージ材はすべてチゼルエッジ型破壊を示した(図示していない)[64,77].SC-H試験片の破面は擬へき開で覆われていたが(Fig.12(a)),NTI-H試験片は擬へき開に加えてせん断破面を示した(Fig.12(b)).絞りはNTI-Hで約70%,SC-Hで約45%であり,NTI試験片では水素による延性低下が適度に緩和されていることがわかる.Fig.13は,NTI試験片未チャージ材およびNTI試験片水素チャージ材の破壊後に得られたEBSDマップである.NTI-U試験片では,α′マルテンサイトが変形領域全体に均一に形成されていた(Fig.13(a))のに対し,NTI-H試験片では破面近傍に局在していた(Fig.13(b)).さらに,双晶配向領域はNTI-Hの変形部全体に広がっており,変形双晶がナノ双晶ラメラに平行に生じていることが示された(Fig.13(c)).ナノスケールラメラ組織をもつFe−19Cr−16Niオーステナイト合金[78]とTiAl基合金[79]でも,未チャージ状態で同様の変形双晶挙動が観察されている.したがって,粗大粒組織[28]と同様に,水素は,転位がナノ双晶ラメラ面に平行に活動することができるソフト方位でのα′マルテンサイト変態を抑制し,変形双晶を促進する.さらに,最終破壊では,α′マルテンサイトが局所的に形成され,擬へき開が生じる.それにもかかわらず,NTI試験片では,α′マルテンサイトの形成と擬へき開が抑制されるため,水素による延性の低下が緩和される.
BCP 試験片は3段階のひずみ硬化を示したが,水素は破断伸びを減少させた(Fig. 11(b)).1次すべり系の活動は,母結晶と双晶の両方で支配的であり,活動したすべり面に平行な晶へき面をもつα′マルテンサイト変態を誘起し,最終的に擬へき開をもたらした(Fig.12(c)).NTP-Uの降伏応力はBCP-Uの3.7倍であった(Fig.11(b)).NTP試験片では,応力-ひずみ曲線においてプラトー領域が消失した.NTP-H試験片では,水素によって誘起された双晶境界分離に起因する縦割れによって,絞りが増大した(Fig.12(d)).
BCNとNTNの両試験片において,水素は流動応力を増加させたが,破断伸びを減少させた(Fig.11(c)).BCN-H試験片では,水素に起因する双晶境界分離(Fig.12(e))が発生し,BCN-U試験片(Fig.11(c))に比べて強度と延性が著しく低下した.NTN-H試験片では,延性は低下したものの,水素が引張強さを上昇させた.N方位では双晶面は負荷軸に垂直な方向に向いているため,外応力による双晶面に作用する分解せん断応力は,無視できるはずである.Uekiらは,降伏の開始時にナノ双晶ラメラ面に平行な変形ステップが現れると報告している[77].Rèmyは,双晶面に平行なせん断変形は,転位と双晶境界との相互作用によって生じると説明している[80].BCN-Hの破断面には,交差角60°で3方向の直線的な段差をもつ平坦な面状の特徴が観察された(Fig.12(e)).NTN-Hでは,一方向の段差をもつ階段状ファセットが形成され,これは双晶面と母結晶および双晶の主すべり面の交線に対応した(Fig.12(f)).したがって,ナノ双晶境界の導入により,水素誘起双晶境界分離に関与するすべり系の数が限定される.さらに,Fe-18Mn-1.5Al-0.6Cオーステナイト鋼の昇温水素脱離分析研究[81]により,転位および変形双晶境界からの水素脱離の活性化エネルギーは,それぞれ約35 kJ mol-1および62 kJ mol-1と見積もられた.このことは,双晶境界が水素の効果的なトラップサイトになることを示唆している.したがって,ナノ双晶境界の存在は,動的α′マルテンサイト変態による局所的な水素濃度を分散させることができる.Fig.9(b)に示すように,絞りと引張強さの関係から,ナノ双晶組織および超微細粒組織は,準安定オーステナイト系ステンレス鋼の水素による延性低下を緩和しながら, 強化に寄与できることが明らかになった.
304型鋼のような準安定オーステナイト系ステンレス鋼では,変態誘起塑性によるき裂閉口効果が,疲労き裂進展に対する外生的抵抗を高め,それによって長いき裂の進展速度を低下させる[82].疲労性能の高い高強度鋼の開発には,短いき裂の進展に対する内生的抵抗を理解することが重要であるが,未だ明らかにされていない.前述のように,準安定オーステナイトはき裂先端の前方で局所的にマルテンサイトに変態する[83,84].さらに,古金と鳥塚は,変形誘起マルテンサイト変態に対するオーステナイトの安定性は,結晶粒の微細化によって向上すると結論している[85].そのため,相変態は,疲労き裂進展機構を支配する損傷蓄積過程の経路を変化させると予想される.したがって,準安定オーステナイト系ステンレス鋼では,結晶粒微細化が,組織依存型の短いき裂[86,87]の進展速度に大きく影響する可能性がある.
著者と共同研究者らは,組織依存型のき裂伝播の素過程を詳細に調べるために設計された小型コンパクトテンション(CT)試験片を用いたマイクロ疲労試験技術を確立した[21,22,88].Fig.14は,マイクロ疲労試験装置の外観と,従来のCT試験片の1/50に縮小された代表的な寸法(厚さ0.05 mm,幅1 mm)の小型CT試験片を示している.小型CT試験片のき裂は,き裂閉口効果が低下した機械的に短いき裂[89]であると推定される.
Fig.15は,HPT後焼鈍を施した310S型ステンレス鋼および304型ステンレス鋼の超微細粒組織のEBSDマップである[90].Fig.15(a)-Fig.15(c)に示すように,超微細粒オーステナイトの平均粒径は,310S型鋼では0.25 µmおよび0.58 µm(それぞれ310AUS25および310AUS58と表記),304型鋼では0.81 µm(304AUS81と表記)と測定された.比較のため,304型鋼では,2段階の HPT加工により平均粒径0.25 µmの超微細粒マルテンサイト組織(304MAR25 と表記)を得た(Fig. 15(d)).まず,573 KでHPT加工を行い,超微細粒オーステナイト組織を得た.その後,923 Kで焼鈍を行い,さらに室温でHPT加工を行うことにより,分率92.4%の超微細粒マルテンサイト組織を得た(Fig.15(e)).Fig.16は,超微細粒材の疲労き裂進展速度(da/dN)と応力拡大係数範囲(ΔK)の関係を示している[90].全体的に,超微細粒材の疲労き裂進展速度は,粗大粒材のものよりも低かった(図示していない)[90].310AUS25および310AUS58では,き裂進展速度は低ΔK領域で変動し,ΔKが増加するにつれて,互いに一致するようになり,安定したき裂進展を示した.304AUS81は,粒径は異なるものの,310AUS25および310AUS58に比べ,高い疲労き裂進展抵抗を示した.304AUS81の短いき裂の進展速度は,304AUS51の長いき裂のプロットの外挿値よりわずかに高かった.長いき裂のデータは厚さ0.4 mm,幅 10 mmのCT試験片を用いて得られた.
Fig. 17は,310AUS58 のき裂経路周辺の変形組織のEBSD grain reference orientation deviation(GROD)マップと走査型電子顕微鏡後方散乱電子(SEM BSE)像である.粗大粒材では,ひずみの分布はき裂面から離れるにつれて連続的に減少した(データは示していない).310AUS58 の場合,変形粒は離散的に分布しているが(Fig. 17(a)),いくつかの未変形粒はき裂経路に隣接している(Fig. 17(b)).このことは,超微細粒材では,外応力によって転位すべりに有利な方向と不利な方向の結晶粒がき裂経路の周囲に混在していることを示している.同様の組織変化は,繰返し重ね接合圧延によって加工された超微細粒IF鋼で進展する短い疲労き裂の周辺でも観察されている[91].き裂先端の弾性応力場は,き裂先端から転位を射出するだけでなく,粒界で転位を増殖させる[92].さらに,超微細粒材のき裂進展経路では,き裂の分岐が頻繁に観察された(Fig.17(b)).このことは,転位すべりに不利な結晶粒が連続き裂進展を抑制し,有利な配向の結晶粒へのひずみの局在化を促進することで,超微細粒組織における疲労き裂進展でき裂分岐とその結果としての塑性散逸が生じることを示している.
Fig. 18は,304AUS81 試験片のき裂経路周辺の組織のEBSD相マップ,GRODマップ,およびSEM BSE像を示している.α′マルテンサイトはき裂経路に隣接する狭い領域に形成されていたが,いくつかのバリアントはき裂経路から離れた場所に孤立していた(Fig.18(a)の矢印で示す).さらに,ひずみの蓄積と塑性変形の程度は,結晶粒ごとに異なっていた(Fig.18(b)とFig.18(c)).き裂経路に隣接するほとんどのα′マルテンサイト粒は,き裂の両側で同じ結晶方位を示した(Fig.18(a)).これは,き裂がき裂先端の前方に形成されたα′マルテンサイトバリアントの内部を進展したことを示している.粗大粒304型鋼の場合,外応力の分解せん断応力がα′マルテンサイトのバリアント選択を決定するため,き裂はほぼ同じ方位をもつ大きなα′マルテンサイトバリアント内を進展する.一方,超微細粒304型鋼では,き裂前縁の前方のオーステナイト粒ごとに単一のα′マルテンサイトバリアントに変態し,その結果,結晶方位の異なるα′マルテンサイト粒内でき裂が進展した.ほぼα′マルテンサイト粒で構成された304MAR25のき裂進展速度は310AUS25のそれと同様であったことから(Fig.16),結晶粒の微細化は単一バリアントマルテンサイト変態を介して損傷蓄積過程の経路を変化させることにより,短い疲労き裂の進展抵抗の向上に寄与していると結論づけることができる.
Fig.19は,304型鋼の粗大粒およびナノ双晶材の疲労き裂進展抵抗曲線を示す[93].全体として,(111)切欠きを有する粗大粒材の疲労き裂進展速度よりも,双晶面に平行な切欠きを有するNTP試験片および垂直な切欠きを有するNTN試験片の疲労き裂進展速度の方が低かった.疲労き裂進展速度は,低ΔK領域で変動しながらも,双晶面の方位には依存しなかった.Fig. 20にTEM明視野像とNTNのき裂先端領域から抽出した変形組織の模式図を示す.き裂はナノ双晶束中を伝播し,α′マルテンサイトバリアントがき裂先端の前方に形成された.母結晶方位をもつオーステナイト領域は,形成されたマルテンサイト領域に隣接して広がっており,部分的に分解したナノ双晶ラメラと高密度の転位を含んでいた.異なる回折ベクトルを用いた解析により,($ 11\bar{1} $)面上の(a/6)[$ \bar{1}21 $]のバーガースベクトルをもつ部分転位が認められた[93].部分転位が双晶境界に向かってすべるとき,(111)双晶面上をすべることができる(a/6)[$ \bar{2}11 $]部分転位に分解し,($ 11\bar{1} $)と(111)面の交差部に(a/6)[110]ステアロッド不動転位を生成する.
$$ \frac{a}{6}[\bar{1}21]\rightarrow\frac{a}{6}[\bar{2}11]+\frac{a}{6}[110] $$ | (1) |
Zhuらによって提案されているように[94],ステアロッド転位が,(111)双晶面上を反対方向に活動することができる部分転位と,($ 11\bar{1} $)すべり面上の最初の部分転位に再び分解すると, 双晶の境界が双晶の方へ移動することによって双晶回復が引き起こされる可能性がある.
$$ \frac{a}{6}[110]\rightarrow\frac{a}{6}[2\bar{1}\bar{1}]+\frac{a}{6}[\bar{1}21] $$ | (2) |
さらに,EBSD分析[93]により,α′マルテンサイトバリアントは,その晶へき面が双晶面に平行に形成されることが明らかになった.(111)P/T //(011)M および [$ 0\bar{1}1 $]P/T //[$ \bar{1}1\bar{1} $]Mここで,添え字のP,T,Mは,それぞれオーステナイト母晶,双晶,マルテンサイトを表す.相変態のための二重せん断機構[95] を考慮すると,α′マルテンサイトバリアントは(111)双晶面上の[$ \bar{1}\bar{1}2 $]の最初のせん断によって誘起される.Chenら[96]は,TEM環境セル内でナノ双晶304型鋼の引張試験を行い,双晶回復に続いてマルテンサイトバリアントの核生成と成長が起こることを報告している.したがって,転位が元の双晶境界に残された不動転位に蓄積し,双晶面に平行な晶へき面をもつα′マルテンサイトバリアントを誘起すると推論される.疲労き裂は,転位と双晶境界との相互作用によって,き裂先端の前方に形成されたα′マルテンサイト中を伝播する.このように,き裂先端前方の組織発達による損傷蓄積の遅延は,304型準安定オーステナイト系ステンレス鋼の疲労き裂進展抵抗を向上させる.
本論文では,準安定オーステナイト系ステンレス鋼のマイクロ力学試験と金属組織学的解析を組み合わせて,変形誘起マルテンサイト変態が水素脆化および疲労性能に及ぼす影響に注目した.結論は以下のように要約できる:
これらの知見は,超微細結晶粒とナノ双晶束を導入することが,動的マルテンサイト変態を制御することにより,水素による延性低下を緩和し,短い疲労き裂進展に対する耐性を強化するのに有効であることを示唆している.準安定オーステナイト鋼を制御された中間温度域で塑性加工することは,持続可能な材料を得るための有望な戦略となり得る.
マイクロ引張試験およびマイクロ疲労試験の実施に貴重な助力をいただいた大浦隆司氏,松下 彩氏,藤浦雅子氏(熊本大学),植木翔平博士(九州大学),および有益な議論をいただいた堀田善治教授(九州大学),高島和希教授(熊本大学)に感謝する.本研究の一部は,日本学術振興会科学研究費補助金(B)JP19H02464および(A)JP20H00311の助成を受けた.