Journal of Intelligence Science in Local Research
Online ISSN : 2759-1158
「法の教育2.0」の思想と行動
久保山 力也
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2024 年 1 巻 1 号 p. 1-11

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【原著論文】

「法の教育2.0」の思想と行動

The theory and action of “Law-Related-Education 2.0”

久保山 力也

Rikiya Kuboyama

大阪大谷大学

Osaka Ohtani University

要旨

 「法の教育2.0」は、今後法整備支援における法の教育戦略にとって重要な視座を提供する。それは究極的には、「誰でも、いつでも、どこでも」法の保護が享受できる、法ユビキタス社会の実現をはかるものでもある。本稿では、司法制度改革を端緒として日本で展開されてきた法の教育、法整備支援の一環として支援対象国社会で提供されてきた法の教育、権威主義的システムとの相克のなかで「世界化」を誘発・推進する期待を担わせられた韓国の法の教育などを具体的に検討しつつ、「法の教育2.0」の思想と行動の青写真を描く。「法の教育2.0」の要諦は実現可能性、自律性、汎国家性であり最終的にはパラダイム・シフトを目指すものであるが、実践上支援対象国社会の学校教育体制や担い手問題にとらわれない、柔軟な教材開発とアプローチが必須である。今後法整備支援においては、つかずはなれず、しかし市民社会を下支えする方法の模索が求められる。

キーワード:法の教育、司法制度改革、法整備支援、法ユビキタス社会

1. 司法制度改革と法の教育

 本稿は、今後法制度整備支援(以下、法整備支援)における法の教育の在り方ないし戦略を検討するものである。まずは前提として、日本国内で展開されてきた法の教育を司法制度改革の面から概観し、そのきっかけをつかみたい。狭義の法の教育は概して、法専門家でない市民が、法あるいは司法制度の知識や価値を理解するとともに、法的なものの思考方式を得る教育のこととされている1)。その特徴は、非知識型・思考型・参加型である2)。日本に法の教育が紹介され一定の期間が経ったことから現在成果の蓄積が進んでいるが、これは当初政治的であったといえる。なぜなら第1に、目下の法の教育は、直接司法制度改革の一環としてはかられてきたからである。日本政府は1999年に司法制度改革審議会を設置し、同審議会は2001年6月12日に司法制度改革審議会意見書(以下、意見書)を発表した3)。ここでは、法の精神ないし法の支配の重要さが再確認されるとともに国民の司法への主体的な参加が強く強調され、司法制度の利便性・信頼性向上、法曹の質の向上・量の拡大、国民の訴訟参加の三本柱が明らかにされた。意見書のいう「統治者(お上)」に任せっきりの国民観や「行政の不透明な事前規制」という見立ては正しい。そしてこの後、法科大学院の設置(2004年)、法テラスの設置(2006年)、ADRの導入(2007年)、裁判員裁判制度の導入(2009年)などが具体化することになった4)

 第2に、そもそも法の教育は社会科教育のなかで従前提供されていたはずで、これを敢えて切り取り焦点化する必要がはたしてあったのか、という疑問があるからである。いうまでもなく、高等学校以下の学校教育は、学習指導要領によりコントロールされており、検定教科書には公正や正義、民主主義などの概念・価値から、日本国憲法など実体法の内容や解釈、具体的な争訟や判例、あるいは司法制度などが点在してきた。それら内容は足りないといえば足りないが、社会科教育が対象とする範囲は広く、法なり司法制度なりのみに注力するわけにはいかない5)。ここには、法曹界ないし政治圏の意向が感じられる。先の意見書は「司法教育の充実」と題し、学校教育等における司法学習機会の充実、教育関係者のみならず法曹関係者の積極的関与を求めていた6)。これを率直に解釈すれば、①従前の社会科教育における法の教育では司法制度改革が措定する市民像の達成におぼつかない、②法の教育の担い手として社会科教員は頼りない、ということになろう。特に国家的なプロジェクトである裁判員裁判制度導入という命題がある以上、当否はともかく、市民の機運を高めようということである7)。もっとも、法の教育が政治的であるということは必ずしも悪いことではない。法務省が教育に積極関与する姿勢を示すことは文部科学省が差配する教育行政に緊張感を生むし、専門家の活用は当然といえば当然で、社会科教員の新たな知見・スキルを創発し教育力向上の契機を提供するからである8)

しかし、法の教育と連動して進展するはずであった司法制度改革は、その「制度」の面からほころびを見せ始める。特定類型かつ刑事第1審のみで評議・評決に際し裁判官の役割比重が高い、といった中途半端な市民参加型裁判の高率な辞退率はつとに知られ、最盛期には74校を数えた法科大学院は弁護士界の強烈な反動的リアクションを招き、2023年度入学者選抜実施ベースで34校まで減少した。ワンストップサービスを提供できない法テラスや知名度がほぼないADRなども含め、一連の司法制度改革は早々に頓挫しているようにみえる9)。ここから得られる知見は、日本の法曹養成・司法制度にかかるさまざまなシステムの権威主義的な体制は、易々とは変化しないということである。結局先述した意見書のいう「統治者(お上)」に任せっきりの国民観や「行政の不透明な事前規制」を揺さぶることはなく、その変化の兆しすら感じることはできない。

そうした制度改革に組み込まれた法の教育は、とはいえ政治圏とは一線を画して一定の展開を示している10)。さまざまな視点による教育方法や教材開発などを誘発したことはその最大の成果であろう。うち最も顕著に成長した分野は模擬裁判教育である。これは司法制度改革の肝の1つが裁判員裁判の導入であったからであるが、諸学校ないし社会科教員のプライドを維持しつつ、ゲストティーチャーとして法曹三者の活用をはかりやすいという落とし所として適当であったからでもある。一方、課題も指摘されるところである11)。これらは3つに大別できる。第1に、「足りない」論である。ここでは知名度が足りない、教材・教育プログラムが足りない、担い手が足りない、教育する時間が足りないなどといった主張がなされる。第2に、「十分」論である。ここには、〇〇教育といった切り取りを問題視する、あるいは既存の教育で十分といった議論が含まれる。第3に、「構造」論である。そもそも政治圏主導による「上からの法の教育」の限界や、学習指導要領にがんじがらめの教育課程とのミスマッチ、何がどうなればその目的を達成したといえるのかといったゴールの不明確さ、国家が志向するあるべき形に対する批判的思考・視点の未熟さなどがその要諦である。

 以上、日本における法の教育のこれまでの経験は、学校教育や市民社会全般において、どのように法の教育を展開することができるか、あるいはそこでの問題点は何かといったことを考える上で示唆に富む。なかでも本稿の関心事にそえば、法の教育が政治圏ないし司法制度改革の文脈で扱われ、法の教育自体そうした環境下において鍛えられ具体化されてきたことが決定的に重要である。なぜなら、本稿が中心的課題にすえる「法の教育2.0」は実に政治的であり、むしろ積極的に政治的であろうとするからである。

2 法整備支援と法の教育

2.1 法整備支援の展開と課題

 法整備支援については明確な定義はないものの、一般的にはグッド・ガバナンスに基づく開発途上国の自助努力を支援するとともに、開発途上国が持続的成長を実現するために不可欠な基盤づくりを支援するものとされる12)。外務省(2013)によればその特長は、①現地に専門家を派遣し、相手国の文化・歴史・発展段階・オーナーシップなどを尊重し、そのニーズに見合った法制度整備であること、②法の起草・改正のみならず、その運用や執行を含む基盤整備、法曹人材養成や法学教育、実務面での能力強化、相手国自身による制度運用までを見込んだ支援であることに置かれる。ベトナム、カンボジア、ラオス、インドネシア、ウズベキスタン、モンゴル、東ティモール、ネパール、ミャンマー、バングラデシュ、スリランカなどがその対象国となる。これらに共通するのは、開発途上国ないし体制移行国であることと、アジア圏に属することである。法整備支援は戦略的な支援であり、長期にわたって評価されることが求められるが、同種の支援活動には競争相手が多い。そこで日本はその優位点を、欧米からの法制度の継受経験と同じアジア圏に属するがゆえの文化の類似性に求める。

 法整備支援の具体的活動はさまざまあるが、共通する課題として鮎京(2003:26)は、法整備支援における理念の問題を重視する。また落(2007:104-105)は、支援国・機関相互ならびに支援国内部の各支援主体の協力体制構築の重要さを指摘する。担い手人材の不足を問題視する指摘も多い13)。これは被支援国、支援国相互に存在し、前者でいえばベトナムやカンボジア、ラオスなどで支援の結果制定された民法を運用する現地法曹への教育の不足があり、後者でいえば継続して現地あるいは日本で整備支援を継続できる人材の確保がある。これについて、関係機関は被支援国の法曹に対する日本ないし現地における研修等の実施や専門家の派遣を行っている14)。体制整備ないし長期的な戦略の必要性は森嶌(2022:34-36)などにみられるように、同分野における継続的な課題となっている。さらに支援の評価も重要な課題であるが、近年研究の進展がみられる15)

2.2 CALEの経験

さて、法整備支援における法の教育を考える上で、名古屋大学法政国際教育協力センター(以下、CALE)の経験は注目に値する16)。CALEは、日本の法整備支援において、特に教育面で顕著な役割を果たしてきた。人材育成についてCALEは、法整備支援の重点対象国でもある、ウズベキスタン(タシケント法科大学、2005年設立)、モンゴル(モンゴル大学法学部、2006年設立)、ベトナム(ハノイ法科大学、2007年設立)、カンボジア(王立法経大学、2008年設立)に日本法教育センター(以下、センター)を設置している17)。その最大の特質は、現地大学生に対し、直接教育機会を提供している点にある。このスキームは、まずセンターが付置された各大学に入学してきた1年生に対し入学試験を課し、入学者を選定することから始まる。学生は現地大学の学生でもあるためダブルスクールの状況となるが、留学の機会に乏しいこともあって多くの入学希望者が門をたたく。入学者は20名から40名程度となる。1年次には日本語を解しない学生が大半のため、日本語教育に大半が費やされる。この過程で、日本語習得の難、日本語よりも英語等他言語の将来性をより評価する、あるいはダブルスクールの負担などを理由として多くの学生が脱落する。2年生では日本の中学ないし高校初級程度の日本史や公民科の内容が日本語により提供される。この時期になると、優秀な学生のなかには別プログラム(文部科学省)による日本語・日本文化研修留学生(日研生)として、1年間の留学の機会を得る者が出てくる。3年次にはCALEが作成する「日本の法システム」による日本法教育が本格化する。なおその段階でも、1年間の名古屋大学における長期研修や3週間のセミナーなどが設定され、来日の機会が設けられる。4年次にも継続して日本国憲法や日本民法が教授され、「推薦試験」に合格した一部の学生のうち、さらに一部は国費留学生として奨学金を得、一部は私費留学生として名古屋大学大学院に入学する。これとは別に、大使館や総領事館などが外務省を通じ文部科学省に推薦する「大使館推薦」試験をパスする者、各種留学プログラムを利用する者、自力で私費留学する者など、出口はさまざまである。

 このうち、法の教育の観点でいえば、特筆すべきはやはり日本語による日本法教育である。現地の立場からすると、近い将来法曹や法学者として国家を支える基幹大学の優秀な学生に対して言語はまだしも、特定の思想が含まれると考えられる外国法を直接教授され、そのまま外国に人材が流出してしまうということは穏やかな話ではない18)。一方、これはセンター活動の限界であり、兎にも角にも存続してきた理由でもあるが、このプログラムにより留学の機会を得る者は1年次入学者全体からみるとごくわずかで大勢に影響はない。最初の設置から20年近くが経過した現在、センターにおける教育、名古屋大学などにおける留学を経て当該国に帰国して、有力なポストに就いている者も少なくない状況にある。

 このほか、JICAも法整備支援において、法の教育を展開している。たとえば、ラオスにおいては法律人材育成強化プロジェクト、同フェーズ2を実施し、あるいはカンボジアにおける専門家の派遣や研修機会の提供、法運用のためのカリキュラム・教材開発、現地教育機関の質的向上をはかるなど、その内容は多岐にわたる19)。また、日弁連もこうしたCALEやJICAの活動にかかわり、弁護士が長期専門家などとして国際司法支援活動へ従事している20)

 ここで、これまでの法整備支援における法の教育の特長を総括しておく。その第1は、政治性である。法の教育は単独で存在するのではなく、決して慈善事業ではない法整備支援の一環として位置づけられる。CALEにおける教育活動も同様であり、直接当該国の法学教育や法曹養成にコミットしているわけではないものの、センターで学んだ者が現地大学の法学教員や裁判官・検察官・弁護士といった「法エリート」として稼働することにより、間接的な影響は十分ありうる。現地関連機関にとっても、センターのような活動は政治的にも利用しやすい。第2の特長は、法制度を教授し運用する高度人材開発に主眼が置かれているということである。これは、法整備支援が政治的であることと強く結びついている。すなわち、支援活動に際しては現地の要人とのつながりが決定的な意味をもち、そこではこうした活動にコミットすることでさまざま利益につながるという「旨味」が必要となる。日本での研修機会の提供や博士号取得支援、あるいは自身の地位向上や経済的メリットなど日本へのつながり自体が意味を成すものでなければ、積極的な関与を得ることが難しいという現状もある。

法の教育については、そのゴールをどこに設定するのかが難しい。CALEのセンターも、当初は現地化を念頭に置いていたものの、経済的にも人的にも、現地大学などによる運用は事実上困難であり、いまだ現地化に至っていない。今後とも果てしなくこうしたスキームによる法の教育を展開していくべきなのか、重要な検討課題である。

3. 「法の教育2.0」思想

3.1 パラダイム・シフトと「法の教育2.0」

 ここまで、日本における法の教育の展開ならびに法整備支援における法の教育を概観してきた。もっともこれらはその全体の一部でしかないし、そもそも旧来の法教育、法学教育、法曹教育といった分類に依拠するなら、位相の異なる議論をしてきたことになる。本稿はこうした経験を踏まえつつもパラダイム・シフトをはかるため、「法の教育2.0」を掲げる。「法の教育2.0」は、日本における政治主導でありながら「制度」改革の失敗から梯子を外され迷走を余儀なくされた「法の教育1.0」、法整備支援として海外にて展開しつつも結局現地「法エリート」の再生産に寄与し法の分野における開発独裁と社会内の実質的な階級固定化に資するものとなってはいないかという危惧が拭い去れない、いわば「法の教育1.5」への疑問をその根底に有する。ここでのキーワードは、法ユビキタス社会である。法ユビキタス社会は、「誰でも、いつでも、どこでも」法の保護が享受できる社会をあらわす概念である。

 このことを法整備支援が対象とするフィールドにそくして考えてみるとき、すなわち支援対象国の「なかに」入って教育支援を行う場合、次のような問題が指摘されうる。第1に、支援対象国の多くは「法エリート」の統治を当然視しており、法の教育が一般市民を対象にし、実質的な職業の固定化を含む社会内に張り巡らせられた格差の是正を究極的に目指すものであるとすれば、そこにコンフリクトが生じることになる。第2に、法の教育は政治体制に規定され、内国の教育官庁がその内容を設定することから、それが「内政干渉」とされ受け入れられない可能性がある。第3に、仮にそれが可能だとしても、ドナーの側にもノウハウがなく、またドナー国社会の価値観を押しつけ、あるいは逆にそれと相容れない価値観に基づく教育を行うことに一定のためらいが発生する21)。たとえば、女性の中等・高等教育を事実上排除する社会において、両性平等ベースの法の教育は容認されるものではないから、当該社会の実態にあわせようとすればドナー国として非難に耐えられないことになる。

このうち最も重要な視点は、やはり第1の点である。これまでの法整備支援にみられた支援対象国における法令の起草や制度設計、法曹養成教育支援などは十分評価に値する。そこに従事する専門家に、対象国の権威主義的体制を維持しようとする目的などあろうはずはない。他方、これまでの「法エリート」教育に、そうした危険性が伴うことは十分留意しなければならない22)。法整備支援において、国内外の関係機関相互の、あるいはさまざまなプロジェクト間相互の整合性をとる必要性を指摘する議論は多いが、こと法の教育についてこうした指摘はおよそみられない。

上記の第2あるいは第3の面も、具体的な展開に際しては十分留意しなければならない。法整備支援の対象国は開発途上国ないし体制移行国であり、権威主義的なシステムとの付き合い方が問題となる。この点、やはりCALEの経験が参考になる。すなわち、センターの教育の要諦は主として日本法であり、それは日本への留学ならびに日本での学修継続のために必要であるからという建付けである。またCALEはあくまで名古屋大学の一機関にすぎず、日本国を代表するものではない。こうした仕組みが一定の緊張緩和の役割を果たし、成果を蓄積してきたものと考えられる。しかし、「誰でも、いつでも、どこでも」法の保護が享受できる社会をはかる上で、やはり支援対象国の権威主義的システムを残置させたままこれが可能になるのか、疑問が残る。そこでこの問題をどう克服するか、次節で考えていく。

3.2 権威主義と韓国の経験

 司法制度改革が胚胎した「法の教育1.0」は、「統治者(お上)」に任せっきりの国民観や「行政の不透明な事前規制」を問題視し、その克服を目指すものであった。そこには必ずしも明示的ではないものの、全般的な法環境ないし司法制度の権威主義的システムの揚棄が課題として掲示されていたといえよう。このシステムを運用してきたのは、本稿のいう「法エリート」である。そこで「法の教育1.0」は児童・生徒・学生を含む市民のなかに入り込みその法リテラシーの底上げをはかりつつ、同時に「法エリート」の中心であるところの弁護士の大幅増員によりアクセス向上とともに結果としてその不合理な権威性を押し下げるはずであった。ところがすでにみてきたように、後者はまさにその「不透明な事前規制」により頓挫させられてしまう。とはいえ繰り返すように、文部科学省が一元管理する学校における教育とは別に、法の教育として切り取った形で一定の方法論が示されてきたことは成果である。

 こうした法の権威主義体制システムの克服に関しては、韓国の経験が興味深い。韓国では民主化以降、国家的威信ならびに経済力向上をはかるなかで、法の教育を国家的課題としてとらえてきた。これは、法曹教育の改革と法意識の向上に大別される。前者については1993年の司法制度発展委員会から継続して法学専門大学院制度の導入による法曹人の大幅増員が検討課題にあがり、紆余曲折を経て、2009年に同大学院が開学した23)。韓国では日本よりもクリアに「法エリート」による権威性の打破がターゲットにされたが、結局法学専門大学院の総入学定員が2,000名とされたことなどから、当初の目的を十分には達成できていないようにみえる24)。一方、後者はそれよりもはるかにラディカルな展開を遂げてきた。

韓国については日本同様、1990年代の司法改革以前において、特段分化した学校教育レベルでのあるいは市民向けの法の教育はみられなかった。ところ、司法改革は韓国社会に根強い「総体的腐敗」をターゲットに、国家主導で市民の意識改革をはかろうとした。韓国法制研究院は法意識の実態ならびにその変化の諸相を明らかにするため、1991年以降7回にわたって国民法意識実態調査を行ってきた25)。同調査は主として法意識の実態を明らかにするものであるが、近年その内容を広げている。なかでも法の教育についての項目を含む点は注目される26)。イ(2021:11-12)によれば、学校教育において法の教育を受けた経験がある者の割合は48.4%であり、そこでうけた法知識が日常生活上十分活用可能であるとした回答は経験者中28.5%に過ぎなかった。また、学校教育において実用的な法の教育が必要とした者は66.1%に上った。なお、この学校における有経験割合は2019年調査では49.7%、十分活用可能とした回答は同じく25.3%であり、近年大きく異なるところはない27)。もっとも、ここでいう法の教育が、通常社会科教育において提供されている法に関連した内容のことを指すか、何らか特別なプログラムの受講経験をも含むのかは定かではない。しかしこの結果を端的にとらえるなら、学校教育における従前の法の教育は、日常生活においてそれほど役に立つものではないということになる。こうした状況を踏まえ、韓国では体験ベースの法の教育が志向され、学生自治法廷やソロモンローパークの設置・運営などの展開がはかられてきた28)

 民主化以降30余年、韓国における法の教育は、遵法意識の向上が「世界化」を達成するということから、法を適切に運用することができる自律的な市民の育成という地点へシフトしてきた。そこには、日本帝国主義による支配とそれに続く長期軍事政権への強烈な抵抗が垣間みえる。市民の法への関心やその運用能力の向上、司法アクセス強化などは究極的には権威主義的な司法システムの揚棄を目的とする。「法意識」を単なる定点観測によらず、向上させるというベクトルを明確にする韓国の姿勢は、法整備支援における法の教育を考える上で実に示唆的である。

4. 「法の教育2.0」の行動

4.1 プログラムの方向性

 今後、法整備支援における法の教育はどうあるべきか。ここでは実現可能性、自律性、汎国家性がポイントになるように思われる。実現可能性については、法整備支援の経験がこれまで示してきたように、支援対象国社会において一定の理解が当然求められる。自律性については、ドナーによる経済的支援や政治圏の動きに左右されず、継続して支援対象国社会において実施・運用されることが求められる。汎国家性については、政治体制が異なることを前提とするときどうしても敏感にならざるを得ない。学問はときに非政治的であろうとするが、戦略的な枠組みである法整備支援においては、支援対象国の理解も得つつアプローチとしては政治的に展開することになる。どのような社会であれ、共通する基底的なリーガルマインドや一定のリーガルプロセスが存在する。これらを見出し、法に関する共通のプラットフォームを構築することがとみに大切である。

 こうした観点にそって、①教材ベースであること、②市民社会に直接提供されるものであること、③法の基底的な問題にフォーカスすること、④エンターテインメントコンテンツを活用すること、といった4点が方法を考える上で重要になる。①は、学校教育との連動をはかる上で必須の要件である。学校教育の全般的なプログラムは国家機関において決定され、概してタイトなスケジュールが組まれる。個々の学校ないし教員の自由度は決して高くない。そこで、教育内容とバッティングせずそれを発展・深化させる、使い勝手を考慮したトピック型教材として提供されることが望ましい。ここでは、同じような課題に直面してきた「法の教育1.0」の経験が参照できる。②は法の教育が社会全般にコミットしようとするものである以上当然の方向性であるが、韓国における調査でも明らかであったようにその機会は乏しい。特定の学修機会を設けることは難しいため、日常生活、ないし「遊び」のなかに法の教育を溶かし込んでいくような工夫が必要となる。③は特定のイデオロギーや政治体制によらず、汎社会的に必要とされる法的リテラシーを向上させることを意味する。それは現存する司法制度や実体法に関する知識の定着をはかるということばかりではなく、市民相互間あるいは市民―法専門家関係の在り様を問い直すマインド構築をはかりつつ、日常生活に密接に結びついた有用性あるものでなければならない。法はいうまでもなく「法エリート」の独占物ではないし、元来難解なものでもない。しばしば法は市民社会に対して抑圧的であり、理不尽な要求を強いる。法の教育にもこうした一端があることを常に自覚し、自省しなければならないであろう。④は、むしろ現実的な選択である。マンガ、アニメ、ドラマ、映画、音楽といったエンターテインメントコンテンツは、市民社会に対して強力な訴求力を有する29)。「法の教育2.0」のコンセプトは「誰でも、いつでも、どこでも」法の保護が享受できるということであって、それらとの親和性は高い。なかでもゲーミフィケーションを活用した法の教育コンテンツは、有力な選択肢である30)

4.2 担い手問題

 現実的に「法の教育2.0」を推進する場合、その担い手をどう見定め、育成するかが問題となる。ここでも「法の教育1.0」の経験が議論の出発点となろう。「法の教育1.0」はそれを第一義的には社会科教員とし、ゲストティーチャーとして弁護士等の活用をはかろうとしていたように思われる。一方、弁護士会や司法書士会など法専門家団体は、当初プロボノ(公益)活動の一環として活動を開始したものの現在独自のプログラムや教材を多く準備し、有力な担い手主体となっている31)。法専門家団体が法の教育に相乗り状態にあるのは、司法制度改革において法専門家の活用が求められたほか、新規顧客獲得という彼らの本業に直結するチャンスととらえられたからでもある。もっとも、個々の従事者は法の教育にまつわる理論的背景や業界の意思などとはある種隔絶したところで、社会貢献によるやりがいや学校に行くという面白さを単に享受していると思われる。このような活動は学校界全体からすると実にささやかなものであるが、法専門家が社会的存在であることを前提とする場合、法専門家自身の変容をはかる可能性があるという点において一定の肯定的評価がなされよう32)。一方近年、法の教育の担い手のすそ野は広がりをみせており、一般社団法人リーガルパークやNPO法人法教育団体LEXなどの活動は、法専門家団体のように「本業」をベースとしない事業としての成立をはかる取り組みとして注目される33)。たしかに従来に比べれば、法の教育に意識的な学校教員や法専門家は確実に増えている。しかし、大勢に影響を与えるとは思えない。そこには政治圏と隔絶した「下からの法教育」の限界がある。とはいえ、担い手問題のみ切り取って考えてみると、およそ担い手として想定されるプレイヤーは特定されたといえる。

 それでは法整備支援における「法の教育2.0」は、その担い手をどのようにとらえるか。第1に現地学校教員がありうる。しかし、先にみたように支援対象国の学校教育プログラムに直接介入することは技術的にも、政治的にも大きな問題を惹起することになる。また学校教員の自由度も高くないと考えられる。第2に法専門家が考えられる。だが、プロボノ(公益)活動にかかる法専門家文化が根づいていないところではその理解を求めることが困難であろうし、ドナー国の法専門家の介入可能性があるとしても一部の高等教育機関に限定され、初等・中等教育へのかかわりは難題である。他方「下からの法教育」から学ぶとすれば、意識的な団体や個人による自発的な活動に期待することになるかもしれないが、支援対象国社会のなかにそうした気づきや動きを求めることはかなり難しいといえる。

 突破口は敷衍すれば、①支援対象国の政治圏にアクセスし理解を得ながら進める、②支援対象国の政治圏の思想と直接衝突しないよう留意しつつ市民社会に直接提供する、の2択になると考えられる。このうち①は従来型法整備支援の手法そのままであり、具体例や問題点、限界についても上述してきた。よって実際問題としては②を選択することになるが、ここでも一定の担い手問題が生じる。すなわち、法の教育に関するマインドとスキルが共有されていない支援対象国社会において、その価値や方法の理解を求めることは相当に大変であろうし、継続してそれを支える担い手の育成に課題が大きい。そこで「法の教育2.0」は、その理論的根拠である法ユビキタス社会の理念にそい、担い手に重きを置かない、教材ベースの自律型プログラムを志向することになる。ここで担い手は、直接学校等へ赴き教育指導を行うものではなく、教材の開発を行うことに傾注する存在となる34)。無論、そうした意味での担い手育成は課題であるものの、法や教育に必ずしも精通していない者でも参入可能なプラットフォームが必要である。一方、その対象は市民社会全体であるが、主たるターゲットはやはり児童・生徒・学生になろう。そこで、訴求力の高い教材が求められることはいうまでもない。

 「法の教育2.0」は「外向き」の議論である。そこには微に入り細に入った分析より、法整備の原点に立ち返って鮎京(2003:26)が指摘するように理念を明確に、敢えて大雑把な議論をすることが求められるように思われる。本稿はそのため大風呂敷を広げてきたわけだが、重要なことは「法の教育2.0」が、教育機会の単なる創出ないし拡大にとどまるのではなく、「法エリート」による権威主義的な体制そのものを見直す、パラダイム・シフトを伴うものであるという点である。法整備支援という枠組みにおいて、支援対象国の主体性を揺さぶるような事態は避けられるかもしれないが、つかずはなれず、しかし市民社会を下支えする方法の模索は続けなければならない。翻って「法の教育2.0」の究極目標は、公平・公正な社会の実現にある。司法制度改革との相克のなかで一定の発展を遂げてきた法の教育の知見を活かし、政治的文脈に縛られつつも新たな道を模索し始めた法整備支援をいかに飛躍させるか。「法の教育2.0」への期待は大きい。

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―(2017a)法専門家による法教育は評価されているのか―「司法書士が関わる法教育全国調査」(学校調査)の二次分析、現代日本の法過程(上石圭一ら編著、宮澤節生先生古稀記念上巻)、信山社。

―(2017b)대화하는「법」과「교육」(邦訳 対話する法と教育)、法教育研究(12-2)、

韓国法教育学会。

―(2018a)ゲームで学ぶ法教育、裁判員時代の法リテラシー(土山希美枝編著、裁判員時代の法リテラシー)、日本評論社。

―(2018b)法的相談力はいかに養われるか―法専門家業界の現状と「相談のちから」から考える、大分工業高等専門学校紀要(55)、大分工業高等専門学校。

―(2019)法の教育による市民―法専門家関係の再構築―役割体験学習論と「提案のちからⅠ」から、大分工業高等専門学校紀要(56)、大分工業高等専門学校。

―(2021)紛争解決力を育むアクティブラーニングのあり方検討、大阪大谷大学教職教育センター紀要(12)、大阪大谷大学教職教育センター。

コリン・シール著、太田勝造監訳(2023)法教育の教え方と学び方―クリティカル・シンキングのすすめ、弘文堂。

坂本一也・上野友也(2023)教科「公共」における法教育について―高等学校学習指導要領の分析から―、岐阜大学教育学部研究報告(71-2)、岐阜大学教育学部。

櫻井光政(2017)司法改革がもたらしたもの、現代日本の法過程(上石圭一ら編、宮澤節生先生古稀記念上巻)、信山社。

司法制度改革審議会(2001)司法制度改革審議会意見書―21世紀の日本を支える司法制度―、司法制度改革審議会。

宿谷晃弘(2020)法教育の体系的構想に関する予備的考察 : 我が国の従来の議論の振り返りと近時の議論からの示唆、学校教育学研究論集(41)、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科。

須網隆夫(2019)日本型ロースクールは再生できるか―日本の法曹養成教育の最近の課題とその原因―、比較法学(52-3)、早稲田大学比較法研究所。

鈴木秀幸・武本夕香子・鈴木博之・打田正俊・松浦武(2012)司法改革の失敗―弁護士過剰の弊害と法科大学院の破綻、花伝社。

ソンヒョンソプ・イウソク・シムチェム・パクウンギョン・カンソクジョム(2021)미디어를 통해서 배우는 법학 기초(邦訳 メディアを通じて学ぶ法学基礎)、パクヨン社。

角田猛之(2018)裁判員裁判の現状の一端と問題点、關西大學法學論集(68-3)、關西大學法學会。

中平一義(2018)法教育研究の現代的到達点とその課題―「リーガル」と「法の役割・機能」の観点から―、上越教育大学研究紀要(38-1)、上越教育大学。

―(2020)法教育の理論と実践:自由で公正な社会の担い手のために、現代人文社。

―(2022)「公共」における法教育の展開、民主主義教育21(16)、全国民主主義教育研究会。

橋本康弘・佐伯昌彦・土井真一・吉村功太郎(2020)日本の高校生に対する法教育改革の方向性:日本の高校生2000人調査を踏まえて、風間書房。

法務省(2012)「小学校における法教育の実践状況に関する調査研究」報告書。

―(2013)「中学校における法教育の実践状況に関する調査研究」報告書。

―(2014)「高等学校等(普通科)における法教育の実践状況に関する調査研究」報告書。

―(2015)「専門学科及び総合学科高等学校における法教育の実践状況に関する調査研究」報告書。

―(2019)小学校における法教育の実践状況に関する調査 調査研究報告書。

―(2021)中学校における法教育の実践状況に関する調査 調査研究報告書。

―(2022)高等学校における法教育の実践状況に関する調査報告書。

松尾弘(2012)開発法学の基礎理論―良い統治のための法律学、勁草書房。

間山広朗(2022)法教育を活用したいじめ授業プログラムの試行、神奈川大学心理・教育研究論集(51)、神奈川大学教職課程研究室。

森嶌昭夫(2022)私はなぜ法整備支援を始めたか:日本のボワソナードと呼ばれて、CALE BOOKLET(6)、名古屋大学法政国際教育協力研究センター。

森永太郎(2022)法務省による法整備支援、CALE BOOKLET(6)、名古屋大学法政国際教育協力研究センター。

文部科学省(2017a)小学校学習指導要領(平成29年告示)、文部科学省。

文部科学省(2017b)中学校学習指導要領(平成29年告示)、文部科学省。

文部科学省(2018)高等学校学習指導要領(平成30年告示)、文部科学省。

吉田昌幸(2020)経済・法教育のためのゲーミング研究部会活動紹介、シミュレーション&ゲーミング(29-2)、日本シミュレーション&ゲーミング学会。

和田徹也(2019)新設科目「公共」と法教育 :「公共」教材研究の資料として、福岡大学研究部論集B社会科学編(10)、福岡大学研究推進部。

Footnotes

注) この意味での「法の教育」は、一般的には「法教育」といわれることが多い。なお以下では、主として市民や高等学校以下の児童・生徒を対象とする意味で「法の教育」と称する。司法制度改革における法曹養成教育とはその趣旨や目的が異なるため、留意する必要がある。

注) アメリカ法教育法Law-Related Education Act 1978参照。日本ではこれが法の教育の起源とされることが多い。

注) 司法制度改革審議会(2001)参照。なお司法改革全般については、櫻井(2017)参照。

注) 併せて、刑事裁判への被害者参加制度(2008)や地裁の支部管轄に弁護士が1名ないし全くいない地域を無くそうとするいわゆるゼロワン問題への対応などは、司法と市民をつなぐ取り組みとして評価に値しよう。

注) とはいえ、法の教育が高等学校以下の学校教育に刺激を与え、法専門家の介入もあいまって情報化社会に対応するための諸活動が常態化していることはこの成果であろう。本稿における「法の教育2.0」のプログラムならびに教材開発にあたってもとみに重要である。

注) ほか、司法制度改革推進計画(2002年3月19日閣議決定)、中央教育審議会答申(2003年3月20日)などにも同様の見解が示された。

注) これに関したとえば木村(2010:552-557)は、アメリカの年次改革要望書や最高裁、日弁連の対応に依拠しつつ、その導入を不可解であると評価している。

注) 学校教育における裁判員裁判について、文部科学省(2017a:60)は、国会などの議会政治や選挙の意味、国会と内閣と裁判所の三権相互の関連、 裁判員制度や租税の役割などについて扱うこと(下線部筆者)、文部科学省(2017b:62)は、「法に基づく公正な裁判の保障」に関連させて、 裁判員制度についても触れること(下線部筆者)、文部科学省(2018:83)は、「司法参加の意義」については、 裁判員制度についても扱うこと(下線部筆者)、などとし教育課程全体で制度の周知徹底をはかろうとしている。

注) 鈴木ほか(2012)、須網(2019)など、司法制度改革を失敗とする見解は枚挙にいとまがない。たとえば後者はその原因を、弁護士会が強力に反対した結果司法試験の合格率が低く抑えられたこと、弁護士会による弁護士増員反対キャンペーンが弁護士に対する否定的なイメージを醸成したこと、審議会意見書が法科大学院の導入に反対ないしその賛成に躊躇する弁護士・研究者を宥めるために生み出した妥協的要素たる予備試験に求めている。また裁判員裁判制度の問題については、角田(2018)を参照。ここでは、裁判員に対する守秘義務や罰則、審理の長期化、高率な辞退率などが指摘される。

注) 草創期からの法の教育の展開については江澤(2014)に、近年の事情は江口(2020)に詳しい。また現在は、理論化を目指すもの(「役割体験学習」から法の教育の理論構築をはかった井門(2011)、法教育の学習理論を体系的にまとめた中平(2020)など)、法の教育研究自体を分析するもの(「リーガリズム」と「リーガルマインド」に着目しつつ法の教育についての研究を分析した中平(2018)、法の教育理論自体を整理・分析する宿谷(2020)など)、新教科「公共」から法の教育をとらえるもの(和田(2019)、中平(2022)、坂本ほか(2023)など)、いじめなど社会問題とリンクさせるもの(間山(2022)など)、法の教育の担い手を対象とするもの(コリン(2023)など)、法の教育に関する実態調査(法務省(2012、2013、2014、2015、2019、2021、2022)、久保山(2017a、2017b)、橋本ほか(2020)、三谷晋代表・科研費基盤研究(C)・ヒアリングを通じた法教育の実態調査と市民の積極的関与型法形成教育の可能性・2022-2025、など)さまざまな広がりをみせている。

注) たとえば、久保山(2021:27-29)は、紛争解決教育ないし役割体験学習の観点から現行の模擬裁判教育を批判している。

注) 外務省(2013)参照。また、グッド・ガバナンスについては、松尾(2012)参照。

注) これに関して、森永(2022:18-21)は、法整備支援の対象となるアジアの法曹のレベルや法専門書の不足の問題を指摘している。

注) 法務省法務総合研究所国際協力部(ICD)などの活動がある。

注) たとえば、松浦好治代表・特定領域研究・法整備支援の手法と評価に関する理論研究・2001-2005、金子由芳代表・科研費基盤研究(B)・法整備支援の影響評価と日本の役割・2008-2010、砂原美佳代表・科研費研究活動スタート支援・法整備支援を対象としたアジャイル型行政評価手法の開発に向けた研究・2021-2024などがある。

注) 以下、名古屋大学法政国際教育協力研究センターホームページhttps://cale.law.nagoya-u.ac.jp/about_cale/whats_cale(2024.1.9 14:33アクセス)ほか参照。

注) ウズベキスタンならびにモンゴルセンターは、文部科学省科学研究費補助金特定領域研究「アジア法整備支援―体制移行国に対する法整備支援のパラダイム構築」(2001-2006)の成果である。なおモンゴルは大学が5年課程であるので、プログラムはやや異なる。

注) この点、現地との人的ネットワークは実質的に極めて重要な意味をもつ。CALEはウズベキスタンなど現存4センターのほか、ベトナム(ホーチミン)、ミャンマー、ラオス、インドネシアにも同センターを展開していたが、現在閉鎖している。

注) JICA(2013)ラオス国「法律人材育成強化プロジェクト」中間レビュー調査報告書、JICA(2018)Lao People’s Democratic Republic The Project for Human Resource Development in the Legal Sector (Phase 2) Project Completion Report、JICA(2022)事業事前評価表https://www2.jica.go.jp/ja/evaluation/pdf/2022_2006017_1_s.pdf(2024.1.6 15:26アクセス)などを参照。

注) 日弁連ホームページhttps://www.nichibenren.or.jp/activity/international/shien.html(2024.1.11 17:04アクセス)参照。

注) ここでは、生ける法ないしソフトローの感覚がとみに重要であるように思う。前者は、ある社会において必ずしも明確あるいは自覚的でないとしても一般的に人々の行動を規定する行動規範のことであり、後者は人々が国家法によらず自主的に自らの行動を律するために設定される規範のことであると考えられる。「法の教育2.0」は国家の枠組みを超え市民社会にダイレクトにアプローチするものであるから、当該社会における現象をつぶさに分析し、それを教材化して提供するものでなければならない。

注) 同様の視点に立つ研究として、松尾弘代表・科研費基盤研究(C)・法整備支援のパラドクスの発生原因と解消方策に関する開発法学的研究・2020-2025がある。ここでは、法整備支援の結果が、かえって法の支配を停滞または後退させてしまう現象を法整備支援のパラドクスとし、その克服を目指しているとみられる。

注) 韓国法学専門大学院の設立経緯ならびに問題点については、金(2007)参照。

注) これに関し久保山(2012:211)は、変化を阻む韓国弁護士文化の壁の存在を指摘している。

注) 1991年、1994年、2008年、2015年、2018年、2021年、2023年の7回である。同調査は現在2年間隔で、全国19歳以上の男女を対象とし、標本数は3,400とされている。なおこれとは別に、2001年には「法律文化ならびに法律用語に関する国民世論調査」を実施している。

注) イ(2021:246)によると、法の教育に関する調査内容は、学校(小・中・高)ならびに社会生活における法の教育の経験有無とその実効性、日常生活における法知識教育の必要性などである。

注) カンほか(2019:248)参照。

注) 学生自治法廷は、学生自ら学生生活にまつわる問題につき裁判システムを通じて解決するもので、韓国の諸学校で一部運用されている。イほか(2015:72)によると、適法手続による人権保障の理解およびその内面化に主眼が置かれている。また、ソロモンローパークは体験を通じて法や司法手続などを学習する施設であり、大田、釜山、光州の3か所に設置されている。

注) 古くはフィクションを現行法で解釈する「空想法律読本」(メディアファクトリー)や映画で法学習をはかる「シネマで法学」(有斐閣)などがある。また、「法律の抜け穴」や「ミナミの帝王」などのマンガを法の教育につなげるというアプローチもみられた。近年では制作段階から法の教育が意識され、たとえば映像化した昔話で裁判学習をする「昔話法廷」(NHK)や日本の司法制度の問題点を描いた映画「それでもボクはやっていない」(東宝)がある。韓国でもソンほか(2021)など、エンターテインメントと法の教育をつなげる動きがある。

注) たとえば吉田(2020:103)は、ゲーミング手法を活かした法の教育の有益性を指摘している。一方久保山(2018a:218-219)は、ゲーミング手法を用いた法の教育実践に際して、①指導者の支持が得にくい、②取り上げる内容面での倫理的な問題の存在、③ゲーム自体に対する全般的なネガティヴな見方といった課題があることを指摘する。

注) たとえば日本弁護士連合会・市民のための法教育委員会は模擬裁判選手権や各種教材開発を行っており、単位会レベルでもジュニア・ロースクールを実施している。また、日本司法書士会連合会は「解釈のちから」「相談のちから」「提案のちからⅠ」「提案のちからⅡ」などの教材開発のほか高等学校を中心に講師派遣を行っている(久保山(2018b)(2019)参照)。単位会レベルでも、親子法律教室を運営している。このほか行政書士界においても、一部の単位会で同種の活動がみられる。関東弁護士連合会や全国青年司法書士協議会、司法書士法教育ネットワークなど単位会を超えて法教育に注力する組織もあり、法専門家団体による機会提供はかなり充実しているとみられる。

注) これについて、久保山(2010:104-105)は、リーガルプロフェッションの法の教育への介入を本質的には謙虚であるべきとしながらも、対市民関係におけるマインドの変容をうながす契機となるということからその活動を積極的にとらえようとしている。

注) 一般社団法人リーガルパークhttps://legalpark.jp/(2024.3.27 22:17アクセス)、NPO法人法教育団体LEX https://www.npohoukyouikulex.com/(2024.3.27 23:10アクセス)参照。このほか、法の教育の充実化を目指す団体、個人は多岐にわたる。

注) しかし、具体的な教材開発にあたって、支援対象国社会で用いられている学校教科書は重要な調査対象となる。たとえばウズベキスタンでは8年生において「国家と法の基礎」「国家独立の理念の精神性の基礎」、9年生において「憲法の基礎」「国家独立の理念の精神性の基礎」、10年生において「国家と法の基礎」「精神性の基礎」、11年生において「国家と法の基礎」といった科目、教科書が提供されている。これらの分析は重要であるが、今後の課題としたい。

References
 
© 下関市立大学
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