2020 Volume 53 Issue 2 Pages 125-130
目的:抗血栓薬内服下での手術は,周術期の出血の危険性が高くなる一方で,中止することにより,血栓や塞栓の発症の危険がある.循環器疾患における抗凝固・抗血小板療法に関するガイドラインでは,「術後出血への対応が容易な場合のワルファリンや抗血小板薬内服継続下での体表の小手術」はクラスIIa'で推奨している.当院では前方到達法の鼠径部ヘルニアに対して原則抗血栓薬内服下での手術を行ってきた.この手術の安全性について検討する.方法:2014年4月から2017年3月までに当院で鼠径部へルニアに対して前方到達法の予定手術を行った242例を対象とした.両側,小児,腹腔鏡下手術,再発症例,嵌頓症例は除外とした.抗血栓薬投与中の群(投与群)と,投与のない群(非投与群)に分け,患者背景,手術成績を比較検討した.結果:投与群は66症例,非投与群は176症例であった.患者背景因子において,投与群では非投与群と比較して年齢は有意に高く,併存疾患合併,ASA III以上,PT-INR高値の症例も有意に多かった.手術成績においては,出血量は投与群で12 g(0~114 g),非投与群で10 g(0~125 g)とやや投与群で多い傾向を示したが差は認めなかった(P=0.06).術後出血は投与群で3例(4.5%),非投与群で5例(2.8%),と差は認めなかった(P=0.68).結語:抗血栓薬内服継続下での鼠径部ヘルニアに対する前方到達法は出血量が多い傾向になるものの,出血イベントを含めた術後合併症を増やすことはなく,安全に施行可能であると考えられる.
Purpose: While the discontinuation of antithrombotic medications decreases bleeding during operations and postoperatively, it nevertheless carries a substantial risk for thromboembolic events. According to the guidelines for management of anticoagulant and antiplatelet therapy in cardiovascular disease, a “small operation of body surface with continued treatment with warfarin and antiplatelet therapy when it is easy to respond to postoperative bleeding” is recommended in class IIa'. In our hospital, we have performed inguinal hernia repair by anterior approach method in patients undergoing continued antithrombotic therapy. We examined the safety of this operation. Materials and Methods: A total of 242 patients who underwent anterior approach method for inguinal hernia between April 2014 and March 2017 were included in the analysis. We excluded bilateral, children, laparoscopic surgery, recurrent cases, and incarcerated cases. We divided patients into the group undergoing antithrombotic therapy, and the group without antithrombotic agent administration, and compared patient characteristics and surgical outcomes. Result: Of the 242 patients, 66 patients were receiving antithrombotic therapy (antithrombotic group), and 176 patients were not receiving antithrombotic therapy (control group). The antithrombotic group had a greater mean age and had higher ASA scores, PT-INR scores. Furthermore, a greater number of patients from this group had comorbidity. There were no significant differences in intra and postoperative bleeding between the two groups. Conclusion: Inguinal hernia repair by anterior approach method can be safely performed in patients who continue to receive antithrombotic agents.
厚生労働省が実施している「患者調査」の平成26年調査によると,循環器・脳血管疾患の患者数は入院で240万人,外来で933万人と増加の一途を辿っている.循環器・脳血管領域において,抗血栓薬は治療のうえで使用頻度が極めて高い薬剤であり,高齢化社会を迎えてその頻度はますます増加している.手術を行う我々外科医にとって,抗血栓薬投与中の患者に出くわすことは,もっと多くなるであろうと予測される.
抗血栓薬内服下での手術は,周術期の出血の危険性が高くなる一方で,中止することにより,血栓や塞栓の発症の危険がある1)2).「循環器疾患における抗凝固・抗血小板療法に関するガイドライン」3)では,抗血栓薬投与中の症例の手術時の対応として,「術後出血への対応が容易な場合のワルファリンや抗血小板薬内服継続下での体表の小手術」はクラスIIa'で推奨されている.
しかし,前方到達法による鼠径部へルニア手術が上記記載の体表の小手術に含まれるかどうかの明確な記載はなく,抗血栓薬服用中の症例に対して,投与継続下もしくはヘパリンへの変更を行うかなどについては施設ごとの判断に委ねられている.当院では前方到達法による鼠径ヘルニアに対して原則抗血栓療法継続下での手術を行ってきた.
抗血栓療法継続下での前方到達法による鼠径部へルニア手術の安全性について検討する.
2014年4月から2017年3月までに当院で鼠径部へルニアに対して前方到達法の予定手術を行った242例を対象とした.両側,小児,腹腔鏡下手術,再発症例,嵌頓症例は除外とした.
当院における鼠径部へルニアに対する術式は,患者希望により腹腔鏡手術または前方到達法を選択している.抗血栓薬を服用している場合には,抗血栓薬中断に伴う血栓症などの危険性,抗血栓薬継続下での手術に伴う出血などの危険性の各々を説明し,同意が得られたうえで,原則抗血栓薬継続下での前方到達法を選択している.手術は原則全身麻酔とし,術後は2日間の創部圧迫を行い,術後2日目に圧迫を解除して問題なければ退院としている.退院後は,有事再診の体制をとっている.
検討項目は,患者背景として年齢,性別,BMI,併存疾患,ASA,術前の止血機能(PT-INR),手術成績として,手術時間,出血量,術後在院日数,術式,術後合併症(SSI,出血,漿液腫,再発)とした.術後合併症に関しては,Clavien-Dindo分類でGrade評価を行った.術後出血の定義は,臨床学的に血腫を疑い,画像検査(CT,超音波検査)で血腫を確認した症例とした.
統計解析にはIBM®SPSS® Statistics version 24を用い,数値は中央値で示した.χ2検定およびMann-Whitney U検定を行い,P値0.05未満を有意差とした.
本研究は,ヘルシンキ宣言を遵守し,横浜市立みなと赤十字病院の倫理委員会の承認を得て行った.
抗血栓薬の内訳をTable 1に示す.抗凝固薬の中ではワルファリンカリウムが12例と最も多く,抗血小板薬ではアスピリンが35例と最も多かった.また,抗血栓薬を重複で服用しているのは14例であった.
| Number | ||
|---|---|---|
| Anticoagulant | Warfarin | 12 |
| Dabigatran | 7 | |
| Rivaroxaban | 2 | |
| Apixaban | 3 | |
| Antiplatelet agent | Aspirin | 35 |
| Clopidogrel | 5 | |
| Cilostazol | 6 | |
| Ethyl icosapentate | 3 | |
| Sarpogrelate hydrochloride | 1 | |
| Prasugrel hydrochloride | 2 | |
| Limaprost alfadex | 1 | |
| Dipyridamole | 1 |
overlapped
服用の理由として,虚血性心疾患が30例と約4割を占め,続いて不整脈が19例,脳梗塞が12例であった(Table 2).
| Comorbidity | Number |
|---|---|
| Ischemic heart disease | 30 |
| Arrhythmia | 19 |
| Valvular heart disease | 3 |
| Cerebral infarction | 12 |
| Others | 9 |
overlapped
抗血栓薬投与群と非投与群の患者背景をTable 3に示す.年齢については,投与群で中央値が78歳,非投与群で70歳と投与群で有意に高かったが(P<0.01),男女比,BMIは両群間で有意差は認めなかった.その他では,脳・心疾患などの併存疾患を有するもの,ASAスコアがIII以上,PT-INRの高値が投与群で有意に多かった.
| Antithrombotic (n=66) | Control (n=176) | P | |
|---|---|---|---|
| Age | 78 (57–95) | 70 (19–94) | <0.01 |
| Gender M/F | 59/7 | 162/14 | 0.61 |
| BMI (kg/m2) | 22.7 (13.6–31.9) | 22.1 (15.7–31.4) | 0.1 |
| Comorbidity | |||
| Hypertension | 48 (73%) | 51 (29%) | <0.01 |
| Ischemic heart disease | 30 (45%) | 2 (1.1%) | <0.01 |
| Cerebral infarction | 14 (21%) | 2 (1.1%) | <0.01 |
| DM | 20 (30%) | 22 (13%) | <0.01 |
| Arrhythmia | 30 (45%) | 5 (2.8%) | <0.01 |
| ASA (I or II/III) | 43/23 | 168/8 | <0.01 |
| PT-INR | 1.06 (0.93–2.71) | 1.02 (0.89–1.24) | <0.01 |
| JHS classification I/II/III/IV | 52/7/4/3 | 140/23/5/8 | N.S. |
手術成績については,手術時間,術後在院日数で有意差は認めず,出血量は投与群で多いものの,有意差は認めなかった(Table 4).
| Antithrombotic (n=66) | Control (n=176) | P | |
|---|---|---|---|
| Operation time (min) | 82 (43–163) | 79 (41–150) | 0.55 |
| Blood loss (ml) | 12 (0–114) | 10 (0–125) | 0.06 |
| Length of stay (days) | 2 (1–17) | 2 (1–18) | 0.5 |
| Technique | N.S. | ||
| Direct Kugel or UHS | 58 | 137 | |
| Mesh Plug | 8 | 35 | |
| Others | 0 | 4 | |
| Complication | |||
| Postoperative hemorrhage | 3 (4.5%) | 5 (2.8%) | 0.68 |
| Seroma | 1 (1.5%) | 3 (1.7%) | N.S. |
| SSI | 0 (0%) | 1 (0.6%) | N.S. |
| Recurrence | 1 (1.5%) | 2 (1.1%) | N.S. |
| Rupture of varix | 0 (0%) | 1 (0.6%) | N.S. |
術後合併症のうち,血腫は投与群で3例(4.5%),非投与群で5例(2.8%)と差を認めなかった.他の合併症も差はなく,合併症は全てGrade Iであった.
術後血腫を来した全8例を一覧にした(Table 5).症例3は癒着が強固であり,術中の剥離操作に難渋し,手術時間,出血量ともにかさんだが,他の症例では,出血量,手術時間,ヘルニア門の大きさ,止血機能(PT-INR)において特別に逸脱した結果はなかった.また,投与群3例全て抗血栓薬単剤のみの服用であった.
| Case | Medication | INR | Blood loss (ml) | Hernia laterality | JHS classification | Technique | Operation time (min) | Grade |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | Limaprost alfadex | 1.14 | 15 | L | II-2 | Direct Kugel | 65 | I |
| 2 | Warfarin | 1.14 | 10 | R | I-3 | Direct Kugel | 85 | I |
| 3 | Apixaban | 1.9 | 114 | L | IV | Direct Kugel | 163 | I |
| 4 | None | 1.02 | 3 | R | III | Direct Kugel | 49 | I |
| 5 | None | 0.97 | 10 | R | I-2 | UHS | 65 | I |
| 6 | None | 1.07 | 10 | R | I-1 | Mesh Plug | 89 | I |
| 7 | None | 1.03 | 10 | L | II-1 | Direct Kugel | 83 | I |
| 8 | None | 0.98 | 10 | L | I-3 | Direct Kugel | 74 | I |
投与群の3例中2例で,抗栓薬中止に伴う血栓発症リスクを説明したうえで抗血栓薬を中止とし,圧迫のみの対応とした.約1週間後に再診とし,血腫の増大がないことを確認,抗血栓薬を再開した.約1か月後の外来で経過は問題なく終診とした.中止をしなかった1例は別の疾患で当科外来に定期通院中であったため,圧迫のみで血腫の経過観察を同時に行っていたが,増悪はなかった.非投与群の5例中2例で穿刺吸引を行い,2例は圧迫のみの対応とした.約1週間後に再診とし,4例とも増悪がないことを確認した.残りの1例は術後約半年経過してから来院し,精査の結果,器質化した血腫が判明した症例であったため,処置は行わず経過観察とした.
今回,我々は抗血栓療法継続下での前方到達法による鼠径部へルニア手術の安全性について検討した.投与群では非投与群と比較して年齢は有意に高く,併存疾患合併,ASA III以上の症例も有意に多かったが,手術成績では手術時間,出血量,術後在院日数,術後合併症で有意差は認めなかった.PT-INRにおいて,投与群が非投与群と比較して有意に高いとの結果が得られたが,投与群においても中央値が1.06と低値の症例が多いという結果であった.これについては,ワルファリンを服用していた12例のみでのPT-INRの中央値は1.83(1.08~2.71)と高値であったことを考慮すると,アスピリンをはじめとする抗血小板薬服用者が抗凝固薬と比較して多かったため,PT-INRの値に影響しなかったのではないかと考えられる.
術後出血については0.3~5%との報告がされている4)~6).当院は3.3%と過去の文献と比較して遜色ない結果であった.抗血栓薬投与群に限ると4.5%とやや高い傾向にあった.しかし,過去の報告では術後出血の明確な定義がされていないこと,抗血栓療法中の患者のみでの結果でないこと,術後出血の程度が全てGrade Iであることを考慮すると,抗血栓薬内服下での前方到達法による鼠径部へルニア手術は比較的安全に施行できると考えられた.「鼠径部へルニア診療ガイドライン2015」7)においても,ワルファリン服用中患者では血腫は来しやすいが,ワルファリン中止群と比較して有意差はなかったと記載されている.
前方到達法の中でも,underlay patch repairであるDirect Kugel法やUHS法は,onlay patch repairであるMesh Plug法よりも剥離面積が大きいため,出血リスクの高い症例にはMesh Plug法が好まれるように思われるが,手技が習熟していれば,Kugel法がMesh Plug法と比較して術後血腫の割合を増加させないとの報告もある8).
次に,抗血栓薬休薬に伴う血栓塞栓症発症のリスクについて言及する.抗血小板薬の中断は主要心血管イベント発生の危険因子であり,中断により虚血性脳血管障害の発症リスクは約3倍程度上昇し9),またワルファリンカリウムを中断した場合でも,重篤な塞栓性合併症が約1%の頻度で起こる10)との報告がある.別の報告では,虚血性脳血管障害患者連続例を対象に,発症前の抗血栓薬内服状況を後ろ向きに検討した結果,脳梗塞初発時点で17.6%の患者がすでに何らかの抗血栓薬を内服していた一方で,2回目再発時に40.3%の患者が抗血栓薬を内服していなかったとされている11).また,休薬期間の長さと血栓塞栓症の発症リスクの関係については,1週間以内の抗血栓薬休薬による血栓塞栓症の頻度は1%前後であると述べられている12)が,一旦発症すると死に至る症例や重篤な合併症を生じる症例が多い.これらに加えて,術前にワルファリンカリウムをヘパリン置換した症例と,しなかった症例を比較して,血栓塞栓症イベントに差を認めず,ヘパリン置換が無効であるとの報告13)もある.さらに,ヘパリン置換により入院期間は延長するものの,診療報酬改定で鼠径ヘルニア手術は「短期滞在手術等基本料3」に設定されている.
以上から,血栓塞栓症イベントのリスクと出血性イベントのリスクを考慮すると,鼠径部へルニアは抗血栓薬内服下で行うことが望ましいと考えている.
本検討の限界としては,単施設での検討であり,少数例であること,後ろ向き研究であること,抗凝固薬・抗血小板薬を抗血栓薬として一つにまとめていることなどが挙げられる.また,当科の治療方針として術後2日目に創部の圧迫を解除,問題がなければ即日退院とし,有事再診としているため,退院後の出血性合併症については患者判断によるところが大きい.さらに,抗血栓薬投与群は,非投与群と比較して安全性を考慮し,初期研修医ではなく,消化器外科医が執刀する割合が多い.上記2点について,本研究における大きなバイアスとなっている可能性がある.術式の違いも術後合併症の発生頻度に影響している可能性もある.抗血栓療法継続下での鼠径部へルニア手術についてNational Clinical Databaseなどを活用した本邦からの大規模な研究を元にして治療指針の作成が必要と考える.
利益相反:なし