2021 Volume 54 Issue 12 Pages 839-845
目的:Human immunodeficiency virus(以下,HIVと略記)陽性患者の外科手術の際には,術前CD4陽性Tリンパ球数(以下,CD4値と略記)により免疫状態を把握することが手術後の経過において重要とされている.我々は,鼠径ヘルニア根治術を施行したHIV陽性の症例を陰性の症例と比較して,術後合併症の頻度について検討した.また,鼠径ヘルニア根治術のHIV感染症への影響を検討した.方法:2008年1月から2012年12月に当院で鼠径ヘルニア根治術を施行した316例を対象とし,HIV陽性は9例であった.HIV陽性群と陰性群で術後の創部感染,出血,血腫,水腫,再発,慢性疼痛,術後入院日数について比較して検討した.また,HIV陽性症例における術前後のウイルス量,CD4値の変化を検討した.結果:創部感染,出血,血腫,水腫,再発,慢性疼痛,術後入院日数は両群で有意差を認めなかった.HIV陽性症例で,術前ウイルス量の中央値は40 copy数/ml,術前CD4値の中央値は378 cells/mm3であった.術前後のウイルス量,CD4値の変化は有意差を認めず,周術期に日和見感染症を発症した症例はなかった.結語:鼠径ヘルニア根治術においては今回検討したCD4値200 cells/mm3の症例では,HIV陽性であってもHIV陰性症例と同様に手術適応を決めることができると考えられた.
Purpose: Preoperative CD4 count is an indicator of outcome in human immunodeficiency virus (HIV)-positive patients who undergo surgery. The aim of this study was to compare the rate of postoperative complications in HIV-positive and HIV-negative patients. We also studied the effect of inguinal hernioplasty on HIV infection status. Materials and Methods: A retrospective study was performed in 316 patients who underwent inguinal hernioplasty from January 2008 and December 2012. Of these patients, 9 were HIV-positive. The rates of surgical site infection (SSI), bleeding, hematoma, seroma, recurrence, chronic pain, and period of hospitalization were compared in the HIV-positive and HIV-negative cases. Data were also collected for perioperative changes in HIV viral titers and CD4 counts in the HIV-positive group. Results: There were no significant differences in the rates of SSI, bleeding, hematoma, seroma, recurrence, chronic pain, and period of hospitalization between the two groups. The median preoperative viral titer and CD4 count were 40 copy/ml and 378 cells/mm3, respectively, and neither of these values changed significantly postoperatively. No patients developed opportunistic infections in the perioperative period. Conclusion: HIV-positive patients with a CD4 count >200 cells/mm3 can safely undergo inguinal hernioplasty, similarly to HIV-negative patients.
厚生労働省の報告では,2019年末時点での我が国におけるhuman immunodeficiency virus(以下,HIVと略記)感染患者の累計報告件数は21,739件であり,増加している1).また,Center for Disease Control and Preventionは,アメリカ合衆国で2018年に37,968人がHIV陽性と新たに診断され,120万人がHIV陽性であると報告している2).抗HIV治療により,HIV感染者が長期生存を得られるようになり,今後はHIV陽性患者に対する外科手術が増加してくることが予想される.
HIV感染により宿主のCD4陽性Tリンパ球数(以下,CD4値と略記)が低下し,細胞性免疫が低下する.CD4値が低い症例では腹部手術の術後合併症が増加するといわれている3).しかし,鼠径ヘルニア根治術での検討の報告はなく,術前CD4値と鼠径ヘルニア根治術における術後合併症との関連については,いまだ明らかになっていない.待機手術の可能な鼠径ヘルニアの場合,我々は原則CD4値200 cells/mm3以上を手術適応と考えている.一方で,すでに抗HIV療法(antiretroviral therapy;以下,ARTと略記)が導入されている症例では,周術期の絶食期間に抗HIV薬を休薬することが必要となる場合は,手術がHIV感染症に影響を与えることが懸念される.
今回,我々は当院におけるHIV陽性の鼠径ヘルニア根治術を施行した症例をHIV陰性の症例と比較して,術後の合併症について検討した.また,HIV陽性の症例について,術前後のウイルス量とCD4値を比較検討したので報告する.
2008年1月から2012年12月に国立病院機構大阪医療センターで鼠径ヘルニア根治術を施行した316例を対象とした.HIV陽性症例は9例であった.感染症内科の方針に従い,原則としてCD4値 200 cells/mm3以上の症例を対象に待機的に手術を行った.
術式は各症例の術者が決定し,HIV陽性群がKugel法8例,transabdominal preperitoneal approach(以下,TAPPと略記)1例,HIV陰性群がKugel法285例,メッシュプラグ法14例,Potts法2例,TAPP 5例,内鼠径輪縫縮術1例であった.HIV陽性群と陰性群の背景因子を,年齢,性別,患側,抗凝固薬の使用の有無,基礎疾患(心疾患,呼吸器疾患,肝硬変,透析,糖尿病)の有無,手術時間,出血量として比較検討した.
HIV陽性群(n=9例)とHIV陰性群(n=307例)で術後の創部感染,出血,血腫,水腫,再発,慢性疼痛,術後入院日数,観察期間について比較して検討した.術後3か月の時点で疼痛がある症例を慢性疼痛ありと定義した.
また,HIV陽性症例における術前と術後のウイルス量,CD4値の変化を検討した.ウイルス量,CD4値は,1か月毎あるいは3か月毎の感染症内科外来受診時に測定した.
統計はχ2検定,student t-test,Wilcoxon signed rank testにより検討し,P<0.05をもって有意差ありと判断した.
HIV陽性の症例の年齢は58~74(中央値62)歳,性別は全例が男性,患側は片側が8例(89%),両側が1例(11%)であった.周術期に抗凝固薬の使用があった症例は1例(11%)であった.基礎疾患は両群で有意差を認めなかった(Table 1).
HIV positive n=9 |
HIV negative n=307 |
P-value | |
---|---|---|---|
Age* (years) | 62 (58–74) | 71 (0–95) | 0.12 |
Gender Male:Female† | 9:0 | 270:37 | 0.56 |
Affected side unilateral:bilateral† | 8:1 | 290:17 | >0.99 |
Obstruction yes:no† | 0:9 | 7:300 | 0.65 |
Anticoagulation therapy yes:no† | 1:8 | 59:248 | 0.86 |
Cardiac disease yes:no† | 0:9 | 68:239 | 0.11 |
Pulmonary disease yes:no† | 1:8 | 14:293 | 0.36 |
Liver disease yes:no† | 0:9 | 14:293 | 0.51 |
Dialysis yes:no† | 0:9 | 3:304 | 0.76 |
Diabetes yes:no† | 0:9 | 27:280 | 0.35 |
Operation time* (min) | 73 (44–180) | 75 (25–476) | 0.89 |
Blood loss* (ml) | 10 (0–60) | 10 (0–290) | 0.45 |
*Data are median (range), †Data are number of patients
HIV陽性群の9例のうち,症例6は再手術を施行しており重複するため,HIV陽性の8例についてTable 2に示す.
Hernia classification | ART initiation | ART interruption (days) | Pre-operative HIV RNA (copy/ml) | Post-operative HIV RNA (copy/ml) | Pre-operative CD4 count (cells/mm3) | Post-operative CD4 count (cells/mm3) | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
Case 1 | Indirect | Yes | 0 | <40 | <40 | 342 | 365 |
Case 2 | Indirect | No | — | 899 | 852 | 563 | 339 |
Case 3 | Indirect | Yes | 0 | 765 | 227 | 226 | 260 |
Case 4 | Indirect | Yes | 0 | <20 | <20 | 245 | 192 |
Case 5 | Indirect | No | — | 5,050 | 5,450 | 378 | 360 |
Case 6 | Direct and Indirect | Yes | 0 | <40 | <20 | 643 | 780 |
Case 7 | Direct | Yes | 0 | <20 | NA | 413 | NA |
Case 8 | Direct | Yes | 0 | <20 | 31 | 542 | 806 |
Yang13) (n=20)* | — | Yes | NA | 177±469 | 216±588 | 418±226 | 385±246 |
ART: antiretroviral therapy, NA: not available, *Data are Mean±SD
術前ウイルス量は20~5,050 copy数/ml(中央値40 copy数/ml)であった.術前CD4値は226~643 cells/mm3(中央値378 cells/mm3)であった.CD4値が200 cells/mm3未満の症例はなかった.術前ARTを導入している症例は7例(78%)であった.
3. 術後合併症HIV陽性の症例で,術後に水腫を認めた症例を1例(11%),入院中の再発を1例(11%)認めた.再発の原因はHIV陽性との関連はなく,外鼠径ヘルニアと内鼠径ヘルニアを合併した症例であった.初回手術時に内鼠径ヘルニアを確認できず,外鼠径ヘルニアのみが修復された.術翌日に再手術を行い,Kugel法で内鼠径ヘルニアも修復した.創部感染,出血,血腫,水腫,再発,慢性疼痛,術後入院日数,Clavien-Dindo分類Grade III以上の症例数はHIV陰性と比較して有意差を認めなかった .フォローアップ期間の中央値はHIV陽性群が39か月,HIV陰性群が23か月であった(Table 3).
HIV positive n=9 |
HIV negative n=307 |
P-value | |
---|---|---|---|
Surgical sight infecion* | 0 | 4 (1.3) | >0.99 |
Bleeding* | 0 | 4 (1.3) | >0.99 |
Hematoma* | 0 | 18 (5.9) | >0.99 |
Seroma* | 1 (11) | 23 (7.5) | 0.51 |
Recurrence* | 1 (11) | 12 (3.9) | 0.32 |
Chronic pain* | 0 | 7 (2.3) | >0.99 |
CD grade ≥III* | 1 (11) | 10 (33) | 0.21 |
Postoperative hospital stay† (days) | 4 (2–7) | 4 (1–73) | 0.72 |
Follow-up period† (months) | 39 (1–59) | 23 (0–71) | 0.18 |
*Data are no. (%) of patients, †Data are median (range)
CD: Clavien-Dindo classification
術前,術後のウイルス量はWilcoxon signed rank testで比較し統計学的に有意差を認めなかった(P=0.5002)(Fig. 1).CD4値はt検定で術前,術後を比較し,有意差を認めなかった(P=0.7004)(Fig. 2).
Changes of viral titers from pre- to postoperatively.
Changes of CD4+ cell counts from pre- to postoperatively.
Center for Disease ControlはCD4値をもとにHIV感染症のStage分類を報告している4).この分類をもとに,HIV陽性患者の待機手術の適応が検討されている5).井上ら5)の報告ではCD4値が200~500 cells/mm3で後天性免疫不全症候群(acquired immunodeficiency syndrome;以下,AIDSと略記)を発症していなければ縮小手術,AIDSを発症している症例およびCD4値が200 cells/mm3以下のときは致命的な術後合併症が発生する可能性が大きいため相対的禁忌,CD4値が50cells/mm3未満のときは絶対的禁忌とされている.CD4値200 cells/mm3未満と200 cells/mm3以上に関して,術後合併症が増加するという報告と6)~8),術後合併症の増加はないという報告9)10)がある.我々は,待機手術の可能な鼠径ヘルニアの場合,感染症内科の方針に従い,原則CD4値200 cells/mm3以上が手術適応と考えている.
Okumuら11)は消化器外科の緊急手術においてHIV陽性群,HIV陰性群ともに周術期のCD4値の低下は認められず,HIV陽性症例において緊急手術を中止や延期すべきでないと報告している.また,術前にARTが導入されている症例では,耐性ウイルスを誘導しないように,内服の中断期間は可能なかぎり短期間とし,全ての薬剤を同時に中止し,同時に再開することが重要であると報告されている12).ART休薬により血中濃度が下がることでウイルスの再増殖が懸念されるが,5日以下の休薬であればウイルス量に与える影響は小さいと報告されている13).自験例では全例ART内服を継続したまま手術が可能であった.
Yangら13)は,前向きに術前,術後7日目,術後30日目にCD4値,ウイルス量を測定し,ウイルス量の変動は有意差がなく,CD4値は術前から術後7日目で低下,術後7日目から術後30日目で増加したと報告している.今回の検討でHIV陽性症例において,術前,術後のウイルス量,CD4値は統計学的に有意な変化を認めなかった.自験例は後ろ向き研究のため,術後1~3か月後の測定であり,術前と同程度までCD4値は回復していたと考えられた.また,周術期に日和見感染症を発症した症例はなかった.
以上より,待機手術の鼠径ヘルニア根治術においては,当院で採用したCD4値200 cells/mm3以上という基準に従えば,HIV陽性症例でも安全に手術が遂行できると考えられた.
自験例および文献を参考に,HIV陽性の鼠径ヘルニア手術の治療方針をFig. 3に示す.鼠径ヘルニアの待機手術に関しては,AIDSを発症している症例では,AIDSの治療を優先させて鼠径ヘルニアは経過観察がよいと思われる.CD4値200未満の症例であってもウイルス量が抑えられていれば,症例によっては待機手術が可能と考えられる.ただし,敗血症などの合併症が多いと報告されているため,鼠径ヘルニアの症状とHIV感染症の治療経過をあわせて症例ごとに手術適応を検討することが必要である14).ウイルス量が高値の症例に関しては,ARTを導入してウイルス学的抑制が得られてからの手術が望ましいと考えられる13)15).
Flowchart of the indication for surgery for HIV-positive patients with inguinal hernia.
一方でCD4値にかかわらず,嵌頓症例では十分な術前説明,同意のもとで緊急手術を行うべきと考えている.また,本邦では承認されていないが,HIV治療薬albuvirtideは注射剤で,腹部手術症例に対して術直前,術後に投与することによりウイルス量を低下させ,合併症を減らすことができたと報告されており,今後期待される治療戦略と考えられる13).
医療者の職業上暴露によるHIVの感染が成立するリスクは,経皮的暴露で約0.3%16),粘膜暴露で約0.09%17)と報告されている.患者のウイルス量が高値の場合,感染成立のリスクが高まると考えられている18).我々は,手袋を2重にして,フェイスシールドを装着し,手術器具を直接ではなくトレーを介して渡すことで,職業上暴露を予防している.
利益相反:なし