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本邦産シラコバトに就いて
宇田川 龍男
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1949 年 12 巻 59 号 p. 267-268

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抄録

シラコバトは,かつて朝鮮と關東平野の一部にのみ分布して居たが,朝鮮を失つた現在では後者のみとなつてしまつた。その關東平野の分布も,埼玉縣越ケ谷にある宮内廰鴨場を中心とした半徑2キロの小圓周内に殘存するのみとなつてしまつた。併し,古く徳川時代には關東平野の全域に分布して居た事が古文献により推測される。明治に入つて,狩獵に關する規則が不備なる間に著しく亂獲されてしまつた。その間,明治20年に至り舊宮内省が埼玉,千葉兩縣下に亙る廣大なる御獵場を設定するに及んで,その地域内にのみ生存する事が許された。併し,その御獵場も年々縮少されるに伴い次第に減少して行つた。それでも,昭和10年頃には前記の鴨場を中心にして,半徑10キロの圓周内に可成りの密度を以て生存して居た。この頃のBird-Censusの結果では,1,000平方米に10-15羽を數へる事の出来る地域すちあつた。終戰前後に於ける人心の動搖と,食料の缺乏は,この鳥を著しく減少させ,前記半徑2キロの小圓周内に壓縮するに至つた。筆者は1948年2月末に,この圓周内に1,000平方米の調査地を5ケ所とり,その棲息密度より此の圓周内に殘存する總數を算定した所,60羽内外と云ふ數字が出た。勿論,この數字が絶對のものであるとは信じないが,略々實數に近いものであると考へられる。この數が,日本に於けるシラコバト總數である事はこの鳥の將來のため悲しむべき事である。若し,このまゝ放置するならば,10年を出ないで我が版圖よりその可憐な姿を没するに至る事は想像に難くない。幸ひ終戰後,狩獵法施行規則の改正により狩獵鳥より除かれたが,更に積極的な保護施策を講ずる必要がある。こめ意味に於て,かつて黒田長禮博士(本誌7卷32號187頁参照)が本種を天然紀念物に指定して,保護する事を強調して居られるが,現況に於ては更にその必要性を倍加して居る。

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