抄録
1.JOHAの始まり
シンポジウムで話すタイトルに「JOHAの始まり―忘れられた『JOHA準備会』」という名前を付けましたけれども、最初にJOHA準備会というのがありました。1982年に私は英国のウォリック大学でオーラル・ヒストリーの方法論を知りました。経済学の中の一つの方法として、女工さんたちの話を聞くということをしている奥田伸子さん(名古屋市立大学)という方がいらっしゃって、その人の話を聞いて「(語る言葉も)資料になるんだ」みたいな感じで、私自身はその方法をその場で採ったわけではありません。1996年に「海外の日本イメージ」という研究で、今やっている連合軍元捕虜の聴き取りをすることを決意いたしまして、日本のイメージが日本軍の元捕虜扱いのことで随分悪いものですから、エセックス大学のポール・トンプソン教授(Voice of the Pastの著者:酒井順子訳『記憶から歴史へ―オーラル・ヒストリーの世界』)のもとで、(一方でポストコロニアル・スタディーズを勉強しながら)オーラル・ヒストリーを学びながら元捕虜のインタビューを始めました。
1981年頃にサンケイスカラシップの先輩の山本恵里子さんが、アメリカでオーラル・ヒストリーを学んで日系人のインタビューをしていらっしゃいました。皆さん、ご存じかどうか、2000年にオランダの「戦争の記憶展」という催しが来日しました。戦争の記憶を日本、オランダ、インドネシアを一緒に比較するというものだったのですが、その展示物の一つ一つにライフストーリーが付いていました。それに対して、日本側の保守というか右翼の方がとても疑念を持たれて、「作り話ではないか」みたいなことをおっしゃって、私は「これはいけない。オーラル・ヒストリーはちゃんとしたものだということを日本に伝えなければいけない」ということで、JOHA(日本オーラル・ヒストリー・アソシエーション)をつくってみたいと思いました。
当時、私がホームページにオーラル・ヒストリーと書いていたものですから、IOHA(International Oral History Association・アイオハ・国際オーラルヒストリー学会)用のエッセイを1999年に書いていた山本恵里子さん(当時椙山女学園大学・UCLAフルブライト客員研究員)から中尾のホームページにコンタクトがあって「日本のオーラル・ヒストリー状況を知りたい」ということでした。そこで青木書店から出ている歴史学の方々の過去のお仕事をお伝えしたり、民俗学の話をしたりしました。2000年に英国のリバプールでライフストーリーをしている人々の集まりに参加した時に「Japan Oral History Associationをつくれないか」というアイデアが天啓のように下りてきました。そこで酒井順子さん(エセックス大学・社会学・オーラルヒストリーでPhD取得・The Clash of Economic Cultures: Japanese Bankers in City of Londonの著者・現早稲田大学ジェンダー研究所研究員)とポール・トンプソンにも伝えました。
残っているメールによると、2001年8月4日に私が「Japan Oral History Associationというのは日本にあるか。なかったらつくりたいんだけど、どうですか」というメールを山本さんに送ると、すぐに山本さんからもメールが返ってきて「Japan Oral History Association Charters Clubというのを今、考えていたところだ。ぜひ一緒にやりましょう」ということでした。
というわけで2001年に 「JOHA準備会」という組織を二人でをつくってみまして、「岡山の記憶」という雑誌と岡山大学ホームページに案内を掲載しました。Associationは「協会」あるいは「研究会」と翻訳しました。JOHA準備会の発起人は山本恵里子、中尾知代(岡山大学・Essex大学博士課程)の二人でした。