2016 Volume 5 Issue 2 Pages 144-153
目的:本研究は,市町村保健師が精神保健分野の個別対応で抱える困難を表す内容を明らかにし,実践への示唆を得る事を目的とする.
方法:市町村に勤務する保健師を対象に,半構造化面接法を用いてデータ収集を行い,質的記述的に分析した.
結果:8名の市町村保健師の協力が得られ,市町村保健師が精神保健分野の個別対応で抱える困難は,476のコード,45の小カテゴリー,11の中カテゴリー,4つの大カテゴリーが抽出された.市町村保健師は【当事者・家族への対応の難しさ】を感じ,社会資源の少なさや支援拒否,支援効果のわかりづらさから【当事者がもつ生活しづらさの改善の難しさ】があり,【市町村という立場での連携・組織体制構築の不足】や【支援の際に起こる保健師の感情コントロールの難しさ】でも困難を感じていた.
考察:市町村保健師自身は,精神保健分野の対応技術の獲得,否定的感情のコントロール,当事者理解を進めていく必要がある.
精神疾患患者はこの10年で約1.5倍の320万人と急増し(伊藤ら,2013),その支援体制は入院医療から地域ケアへと変化してきている.しかし,いまだ多数の長期入院患者が存在しており(厚生労働省,2014),地域での支援体制は更なる充実が求められている(西尾,2004;青木,2011).我が国の精神保健活動は,保健所に配置される保健師を中心に行われてきた.しかし2002年には住民に身近な市町村へ福祉サービス等業務の一部移譲が行われ,これに伴い2003年度以降,市町村での精神保健相談の機会が増え,精神保健相談件数は保健所を上回っている(政府統計の総合窓口,2013).
市町村での精神保健相談では,全ての住民が対象であり健康に関する相談としてストレスや不安の相談から精神疾患や受診に関すること,また精神障害者や家族からの相談まで幅が広い.精神障害者の相談では,疾患に伴う生活障害が併存しており,保健医療,生活,福祉と幅広い支援が求められる.更に緊急・困難事例に対する的確な支援が求められ(橋本,2008;平野ら,2007),担当者の負担が大きいといわれる(横野ら,2010).これまで,保健所保健師は経験の蓄積から先の見通しをつけ困難事例にも柔軟に支援していた(徳永,2003;吉岡ら,2010)が,経験のある保健師でもアセスメント技術の不十分さ(上田ら,2007)や中堅期の自信のなさ(平野ら,2007)に関する報告がみられる.市町村保健師の精神保健分野の個別対応では,精神障害者支援の技術についての報告(兼平ら,2010;嶋澤,2009)がある.その中で兼平ら(2010)は,精神障害者への家庭訪問時における市町村保健師の支援技術への不安を報告している.しかし,市町村保健師の精神保健分野の個別対応での困難は,家庭訪問時の不安以外は明確に示されていない.市町村保健師はこれまでの活動経験の蓄積の少なさより,対応の難しさに直面しやすいと考えられ,精神保健分野の個別対応で感じる困難について,明らかにする必要がある.
そこで,本研究では市町村保健師が精神保健分野での個別対応で抱える困難を表す内容を抽出し明らかにする事で,実践への示唆を得る事を目的とした.これにより今後,市町村保健師の精神保健分野の個別対応の充実を図る基礎資料となると考える.
困難:主観的な戸惑い,苦しみ,悩み,迷い,不安,葛藤等の「思い,気持ち,感情」(永谷,2009)やそうした「思いを抱く事象」(山路ら,2013)の総称とする.
2. 研究参加者研究参加者はA県内で市町村の保健部門に配属されている正職員の保健師で,市町村保健師の経験が5年以上,かつ地域精神保健活動経験が3年以上の者で,研究協力に承諾した者とした.A県では精神科病院の平均在院日数が全国よりも多く,山川(2009)によると,精神保健福祉の対策として精神科救急体制の充実が図られると共に,公的交通機関が少ない事から,地域生活支援としてセルフケアの支援の充実が推進されているところである.
3. データ収集方法A県内44市町村のうち都市部や農村部に偏らないように配慮し任意に選択した25市町村に対して保健センターの精神保健業務担当保健師宛てに研究協力依頼書を送付し,研究協力を承諾すると返信のあった保健師を対象とした.データの収集は半構造化面接法とした.面接の場所は,対象者の職場の施設内の個室とし,一人につき1時間程度の面接を実施した.質問は,対応困難だった事例への支援プロセス,事例以外で日常での精神保健分野の個別対応で困難と感じた事,困難と感じた事への解決策,解決が難しかった事,である.インタビューの内容は対象者の許可を得て録音した.対象者の属性は,事前に質問紙を送付し面接当日に回収した.事例の概要はインタビューで語られた内容を要約し表1に示す.データ収集期間は2010年9月~10月であった.
4. 分析方法録音の音声データと面接時の言動の記録より得られたデータをもとに作成した逐語録から,質的記述的研究法(グレッグら,2007)を参考に質的記述的に分析した.研究対象者毎の逐語録から,困難を表している内容で,意味のあるまとまりを基本的な単位として取出し,研究対象者の言葉を用い簡潔に書き表し一次コードとした.次に意味内容の抽象度を高めて一次コードと同数の二次コードを作成した.更に意味内容の類似性に従い,小カテゴリー,中カテゴリー,大カテゴリーを抽出した.
分析結果は,研究参加者全員に結果を送付して確認を行ってもらい,メンバーチェッキングを行った.データの分析に関しては,地域看護学領域にて精神保健活動の経験がある研究者2名と精神看護学領域の質的研究者1名の3名の助言を得ながら実施した.
5. 倫理的配慮所属長への許諾は,対象者が事前に口頭で所属長に許諾を得た上で,要望がある場合,所属長に研究協力依頼書を送付し,研究の同意を得た.
倫理的配慮は依頼文書の研究の主旨に併記した.更に面接前にも対象者に研究協力依頼文書に沿って研究の主旨を口頭にて伝え,研究協力は対象者の自由意志である事,辞退することで不利益を受けない事,匿名性の保持,研究以外の目的でデータを使用しない事を説明し,研究承諾書への署名をもって研究の同意とした.なお,本研究は茨城県立医療大学倫理委員会の承認を得た上で実施した(2010年6月14日,承認受付番号390).
研究協力依頼書を送付した25市町村のうち,5市町村7施設の市町村保健師8名が研究参加者となった(表1).年齢は30代から50代であった.市町村保健師経験年数は9年から29年,地域精神保健活動経験は3年から24年であった.そのうち保健所での精神保健活動経験が含まれる者が2名いた.関連保有資格は精神保健福祉士を持つ者が1名であった.
対象者 | 年代 | 性別 | 関連保有資格 | 市町村保健師活動(年) | 市町村外の保健師活動(年) | 地域精神保健活動(年) | 精神保健活動機関 | 所属市町村人口規模 | 障害福祉担当保健師の有無 | 事例概要 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
A | 30代 | 女 | 14 | 0 | 14 | 市町村 | 約20万人 | なし | 30代,出産で転入した女性.受診はしているが疾患名不詳. | |
B | 40代 | 女 | 24 | 0 | 3 | 市町村 | 約20万人 | なし | 男性.疾患名年齢不詳.通院,施設通所中. | |
C | 40代 | 女 | 精神保健福祉士 | 9 | 15 | 24 | 保健所,市町村 | 約4万人 | あり | 7.8年の関わり経過あり.障害年金受給. |
D | 40代 | 女 | 20 | 0 | 15 | 市町村 | 約5万人 | あり | 育児不安が強い女性.未受診. | |
E | 40代 | 女 | 17 | 0 | 5 | 市町村 | 約5万人 | あり | 20代,統合失調症,男性.就労支援,デイケア通所. | |
F | 40代 | 女 | 22 | 0 | 22 | 市町村 | 約6万人 | なし | 60代女性,独居.未治療.妄想と思われる言動.近隣との関係が悪い.内科受診も行わない. | |
G | 40代 | 女 | 10 | 7 | 15 | 保健所,市町村 | 約7万人 | なし | 80代,独居.未治療.近隣との関係が悪い.介護が必要だが介護認定未. | |
H | 50代 | 女 | 29 | 0 | 7 | 市町村 | 約5万人 | あり | 40代統合失調症男性.入退院を繰り返す.退院すると治療中断. |
※事例概要は,インタビューの中で語られた内容から要約
分析の結果,困難な「思い,気持ち,感情」やそうした思いを抱く事象について,476の二次コード,45の小カテゴリー,11の中カテゴリー,4の大カテゴリーを抽出した.以下,大カテゴリーは【 】,中カテゴリーを《 》,小カテゴリーを〈 〉で示した.また,カテゴリー説明のためコードの一部を「 」で示した.更に意味が分かりにくい個所は必要に応じ研究者が( )で言葉を補った.対象者の語りは『 』内にゴシック体で記し,末尾に対象者を示した.4つの大カテゴリーは,【当事者・家族への対応の難しさ】【当事者がもつ生活しづらさの改善の難しさ】【市町村という立場での連携・組織体制構築の不足】【支援の際に起こる保健師の感情コントロールの難しさ】を抽出した(表2).
大カテゴリー | 中カテゴリー | 小カテゴリー |
---|---|---|
当事者・家族への対応の難しさ | 当事者・家族の個別性に合わせた対応の難しさ | 当事者の状態のアセスメント |
当事者・家族の病気の理解に合わせた対応 | ||
家族の個別性に合わせた支援でのやりとり | ||
当事者・家族との考えのくい違いの調整 | ||
支援効果のわかりづらさ | ||
当事者がもつ生活しづらさの改善の難しさ | 当事者周囲の支援者の不足 | 当事者と家族の関係の悪さ |
キーパーソンが不明確 | ||
自立に向けたキーパーソンへの支援 | ||
住民の精神障害者への理解不足 | ||
住民苦情対応 | ||
自立支援・調整の難しさ | 社会資源やサービスが少ない中での支援・調整 | |
経済的問題がある際の支援 | ||
個別性に合わせた就労支援 | ||
支援拒否がある場合の関わり | 家族,親類の協力の得にくさ | |
長期未治療者への支援 | ||
医療拒否のある人への支援 | ||
支援希望がない人への関わり | ||
本人の同意の得にくさ | ||
当事者の状況のつかみにくさ | 急な依頼への対応 | |
症状や経過のつかみにくさ | ||
市町村という立場での連携・組織体制構築の不足 | 市町村組織全体の体制整備不足 | 組織内の相談窓口体制の整備の不十分さ |
組織内の連携体制の不十分さ | ||
福祉との役割調整の不足 | ||
分散配置とマンパワー不足の影響 | ||
予算がつかない事 | ||
統廃合での事業縮小 | ||
事業実施の強制力のなさ | ||
保健センター内体制の整備不足 | 職場内の精神保健優先順位の低さ | |
精神保健を好まない保健師の存在 | ||
要支援者把握体制の整備不足 | ||
同僚のサポート不足 | ||
記録の書き方や管理の不十分さ | ||
外部組織との連携の取りづらさ | 関係者,関係機関との連携の取りづらさ | |
外部への情報開示の具体策のわかりづらさ | ||
保健所との役割・機能調整のあいまいさ | ||
地区組織支援体制のあいまいさ | ||
支援の際に起こる保健師の感情コントロールの難しさ | 対応技術への不安・迷い | 対応やアセスメントへの不安・迷い |
相談技術への不安・迷い | ||
支援がうまくいかない悩み | ||
対応判断への不安 | ||
対応を避けたい気持ち | 精神保健事例対応を避けたい気持ち | |
精神障害者への特別視 | ||
当事者に気を使う | ||
立場がはっきりとしないもどかしさ | 思うように活動できないもどかしさ | |
予算がつかず意欲低下 |
市町村保健師は,急な相談で「要医療」か等,緊急対応の判断が迫られる事や安定しても先の心配があり介入終了の判断がしにくく〈当事者の状態のアセスメント〉の難しさを感じていた.病識がない人への受診勧奨の難しさや相談時の聞き取り方や態度に悩み〈当事者・家族の病気の理解に合わせた対応〉の難しさを感じていた.親が行政の支援を拒否する事もあり〈家族の個別性に合わせた支援でのやりとり〉で悩む事もあった.更に家族が支援者任せの場合や家族間や支援者との意見の相違もあり〈当事者・家族との考えのくい違いの調整〉に苦慮していた.また相談は長期的で,酒害相談等支援しても相談を繰り返し〈支援効果のわかりづらさ〉を感じていた.
『いろんな所に連絡を取り合って保健師としてやれる事はやったと思うんですけど.民生委員さんまで巻き込んでいたんですけど.本人の意思で飲んでどうしようもなかったんです.入院とかもさせられたりして.』(A)
2) 当事者がもつ生活しづらさの改善の難しさ (1) 当事者周囲の支援者の不足市町村保健師は,〈当事者と家族の関係の悪さ〉や,支援をする上で〈キーパーソンが不明確〉な事,〈自立に向けたキーパーソンへの支援〉に苦慮していた.更に地域では「偏見が根強い」等〈住民の精神障害者への理解不足〉があり,偏見による〈住民苦情対応〉の大変さを体験した事から,市町村保健師は,当事者が地域で見守られながら生活する事の困難さ,当事者周囲の支援者の不足を感じていた.
『そういう事で治療が継続されないケースですかね.やはり家族の思いが,父親…,最初誰がキーパーソンなのかはっきりしなかったところが一番難しかったかなと思いますよね』(H)
(2) 自立支援・調整の難しさ市町村保健師は,「近くに精神科がなく受診が大変」と〈社会資源やサービスが少ない中での支援・調整〉に苦慮していた.〈経済的問題がある際の支援〉では経済状態がよくないと利用料が支払えずサービスが利用しにくい状況がみられた.関係機関と連携しても,当事者・家族の希望や得意な事を伸ばす事の限界,資源不足により〈個別性に合わせた就労支援〉の難しさもあった.
『やっぱりお金が絡んだりすると.生活面だとか.だいたい精神の方って年金もらえる方はいいですけど.でも年金だけでもやっぱり足りなかったりとか.親御さんたちの生活もやっぱりあったりする中で.その年金をあてにされちゃったりしている方も中にはあったりとか.生活がすごく絡んでいるような』(E)
(3) 支援拒否がある場合の関わり市町村保健師は,支援の際「親戚と関係が悪化し協力が得られない」事や音信不通の事があり〈家族,親類の協力の得にくさ〉や,受診予約しても結局行かず治療しない,といった〈長期未治療者への支援〉を困難としていた.また,強制入院の経験やおそれから「精神科のみでなく他科の受診拒否もあり健康管理が難しい」という経験をし〈医療拒否のある人への支援〉を挙げた.市町村保健師は〈支援希望がない人への関わり〉も実施しており,「病識がなく支援に理解が得にくい」という〈本人の同意の得にくさ〉に苦慮していた.
『家の中も結局犬もいて不衛生なんですね.ゴミもたまっているし.犬の糞もそのままだし.そこら辺,解消できるように例えばごみを搬送してもらえるように業者を頼めるような働きかけを甥っ子さんに相談しようと思ったんですけど.一向に連絡が取れないという事があったんですね.』(F)
(4) 当事者の状況のつかみにくさ市町村保健師は,自分の都合で頻回に相談に来る場合や問題発生で〈急な依頼への対応〉に苦慮していた.また「本人・家族の言う病名は違うと思うが医療機関に診断名を教えてもらえない」事があり,経過が長く支援が思うように行かず〈症状や経過のつかみにくさ〉が対応を難しくしていると感じていた.
『ヘルパーさんがおばあちゃんの為におにぎりをにぎっていったのにそのアルコール(依存)の息子が食べてしまう.で,おばあちゃんは何日間も食べないでヘルパーさんが来た時に,あれって気がついた.保健センターに連絡が来て今から来てくださいって言われて行った事があったんです.』(A)
3) 市町村という立場での連携・組織体制構築の不足 (1) 市町村組織全体の体制整備不足精神保健相談は,保健や福祉部門それぞれの対応をしており〈組織内の相談窓口体制の整備の不十分さ〉を市町村保健師は感じていた.「関係各課の役割分担がはっきりしない」と感じ〈組織内の連携体制の不十分さ〉があった.訪問や情報交換時に障害福祉担当課の職員に協力してもらえず「保健センターは精神保健が中途半端な立場」な状況がみられ〈福祉との役割調整の不足〉を感じていた.また,〈分散配置とマンパワー不足の影響〉に苦慮し,頑張って説明しても「市町村に精神保健の理解がないし,法律に明記されておらず予算が取れない」と〈予算がつかない事〉や合併による統廃合で各地区での事業は縮小され〈統廃合での事業縮小〉を体制不足として捉えていた.精神保健活動実施の際には,法的な事業責務の明記がないため「緊急時の市の役割は法的根拠がない」と〈事業実施の強制力のなさ〉という制度上の課題が挙げられていた.
『市の立場だとなんというか強制力がないというか強さがない.それは思っちゃいけないんですけど,なんとなくそういうのが自分の中であって.(中略)(警察では)やっぱり市町村からの連絡だとそこは保健センターの仕事だからみたいな感じもあるのかなっていうのがあるんですよね.』(G)
(2) 保健センター内体制の整備不足市町村内では,「優先順位が他分野より低く,精神保健をどう遂行するか保健師業務の明確化が必要」と〈職場内の精神保健優先順位の低さ〉や〈精神保健を好まない保健師の存在〉により,保健師業務管理上の悩みがあった.また,市町村保健師は相談対応に追われているが,把握していない人はたくさんいると感じ〈要支援者把握体制の整備不足〉があった.統括保健師の配置がなく各保健師が悩みや疑問を抱えたままの事もあり,保健師が皆多忙で余裕がなく〈同僚のサポート不足〉を感じていた.長期的に関わる支援があり〈記録の書き方や管理の不十分さ〉を困難として取り上げていた.
(3) 外部組織との連携体制の取りづらさ市町村保健師は,「個人情報保護の関係で医療機関との連携が難しい」事や関係機関連携の不足や他市町村の精神保健相談の対応について情報交換する機会が少なく,〈関係者,関係機関との連携の取りづらさ〉や〈外部への情報開示の具体策のわかりづらさ〉に悩んでいた.また緊急対応について市町村と保健所に認識の相違があり,市町村に緊急対応の相談が入った際,保健所の支援が得られないといった相談支援での〈保健所との役割・機能調整のあいまいさ〉が課題として挙がっていた.更に家族会や作業所などの支援が保健所から移行されない〈地区組織支援体制のあいまいさ〉を感じていた.
4) 支援の際に起こる保健師の感情コントロールの難しさ (1) 対応技術への不安・迷い市町村保健師は,保健所や市町村での様々な対人保健活動経験があっても,「自分の判断に自信がない」と〈対応やアセスメントへの不安・迷い〉や〈相談技術への不安・迷い〉を感じ,活動していた.関わりが不十分だった事や訪問拒否により〈支援がうまくいかない悩み〉や医療機関と連携すべきか等と〈対応判断への不安〉を抱え内省しながら活動していた.
『自分の中では例えば聞き方とか.どこを中心に.質問の仕方とか話のもっていき方とか.本人あるいは家族からの相談を受けた時にあるいは連絡がきた時に聞き取り方というか態度というか,そういう所ですかね.迷いというか不安に思う所というか.これでいいのかなというような.』(G)
(2) 対応を避けたい気持ち市町村保健師は,精神保健相談は「大変そうなので対応を避けたくなる」事があり,警察が関わる時は緊急のため対応が大変,時間がかかる,相手がよくわからない,と〈精神保健事例対応を避けたい気持ち〉を困難として挙げていた.また,市町村保健師自身が,対象者の気持ちが分からないと悩み,精神保健は特殊でより専門性が強いと〈精神障害者への特別視〉を自覚していた.保健師の言動を当事者に誤解された経験から,気を使い,気力を要し〈当事者に気を使う〉という認識を持ち業務に従事していた.
(3) 立場がはっきりとしないもどかしさ市町村という立場では,保健所のように法的な強制力や関係機関等の連携体制が出来ておらず,警察や医療機関との連絡も円滑にはいかず〈思うように活動できないもどかしさ〉があった.また精神保健業務に関する予算を長期にわたり要求しても財政担当者に理解されず〈予算がつかず意欲低下〉を感じていた.
市町村保健師が精神保健分野の個別対応で抱える困難は,【当事者・家族への対応の難しさ】,【当事者がもつ生活しづらさの改善の難しさ】,【市町村という立場での連携組織体制構築の不足】,【支援の際に起こる保健師の感情コントロールの難しさ】の4つの大カテゴリーで構成されていた.
本結果の【当事者・家族への対応の難しさ】では,精神保健対応の機会が増加し,精神保健特有の支援技術の難しさに,困難を感じている事が分かった.市町村での精神保健相談は,住民がどこに相談したらよいかわからず迷いながら,あるいは他の手続きの際に併せて相談する場合も多々ある.そのため,当事者や家族の主訴が整理されていない事もあり,市町村保健師はアセスメントの難しさを感じていた.支援拒否や否認,病識がない場合があり,当事者や家族との考えのくい違いがあり対応の難しさがあった.こうした事から,まず支援開始前の関係構築プロセスにも十分な時間や技術を要する事となる(廣川ら,2013).市町村保健師の活動の特徴の一つに,全ての住民を対象とし予防的に支援する役割があるため,相手から求めがなくとも関わる事がある.対応の際,相手の受け入れが得られないと技術的に一層難しくなると考えられた.しかしながら,こうした対応技術の習得が容易ではなく,市町村保健師は当事者・家族への対応を困難と感じていたと考える.技術の習得については,自信を持って実践するには書籍や研修のみでは不十分であり,対応経験を積み,振り返りをしながら技術として獲得していく必要があると考える.
【当事者がもつ生活しづらさの改善の難しさ】は,市町村保健師の支援技術の向上のみでは改善しきれない,周囲からの偏見の影響が挙げられていた.統合失調症者は生活のしづらさの一つに,地域生活に適応する事の難しさがある(山本ら,2014).キーパーソンとなる身近な支援者や社会資源が不足し,当事者の自立支援を阻む等,当事者周辺の生活環境や社会資源の不足による対応の難しさを市町村保健師は困難としていた.〈関係者,関係機関との連携の取りづらさ〉や,当事者が改善・悪化を繰り返す事は支援効果のわかりづらさにつながり,困難として認識されたと考えられる.
【市町村という立場での連携・組織体制構築の不足】では,活動根拠となる関連法規や制度が地域保健や障害福祉とそれぞれいわゆる“縦割り”の行政制度での活動が一因と考える.これは,行政は住民の福利のために各部署が協働する必要があるが業務の範囲が事務分掌によって明確に分かれている(麻原,2013)事から起こり得ると考えられた.住民は様々なきっかけで行政に相談をもちかけるため,市町村保健師は相談内容を見極め,適切な支援として関係部署および関係機関と連携する事が必要である.また,保健所保健師や市町村の福祉部門と保健部門の役割のあいまいさによって生じる困難があった.保健師間,他職種との連携が不十分な中で支援方針の判断を任され,不安や迷いが生じたと考える.更に,同僚や関係者からの異なる意見に対して十分な話し合いが行えず,納得がいかないまま疑問を抱えて活動を実施していた事がうかがえる.
【支援の際に起こる保健師の感情コントロールの難しさ】では,個別支援での感情の整理の難しさに困難を感じていた.このような不安の感情は,市町村保健師の家庭訪問での接し方への不安(兼平ら,2010)や保健所中堅保健師の支援での不安の報告(平野ら,2007)と同様の結果であった.家庭訪問では,訪問の基準が感覚的であり,訪問や対応の判断が個人に任される事への不安がある(近藤ら,2007).市町村保健師は専門職として自律を求められ,中堅期以降は個別の対象者に関する支援を市町村保健師一人で任される事が多い.本結果での不安は,市町村保健師自身による感覚的な判断による支援と,関係者間で共有が不足している事が一因にあると考える.
本結果での困難に挙げた感情の内容の一つは,《対応を避けたい気持ち》という否定的感情であった.福祉部門配属保健師の精神障害者支援に関するジレンマの報告(坪井ら,2013)では,“本当は疲れ切ってうんざりしている”と否定的な感情が保健師にあるという結果が述べられていた.否定的な感情や不安は,対象者への関心が妨げられ,否定的に捉えたりわからないと捉えたりする事に影響し(松岡,1998)対象者理解のしづらさにつながる.看護師が抱く陰性感情の軽減について,松井(2009)は,対人認知が否定的感情優位の時期を経て肯定的感情優位へと移行する事がより深く多面的な患者理解となり,患者と信頼関係を深める事が陰性感情を軽減する鍵であると述べている.この事から対応を避けたい気持ちは,当事者理解を進めるためのプロセスの一つといえる.この気持ちは保健師自身で認識し,内省する必要がある.精神保健分野特有の対応の難しさを認識し,不安や避けたいという否定的な気持ちを抱えたままにせず,少しずつでも信頼関係をつくり当事者理解を深める姿勢を持つ事が必要である.
《立場がはっきりしないもどかしさ》は市町村保健師の地域精神保健での役割のあいまいさと関係者との連携の難しさによる活動でのもどかしさが考えられた.精神保健相談は保健所でも市町村の福祉部門でも行われている.そのため関係者間でも役割の認識があいまいで連携が難しく,活動でのもどかしさとなったと推察された.結果では,急性期の緊急相談への対応等,互いの役割の理解不足から保健所や警察,医療機関,内部の福祉関係課と主要な関係機関と円滑な連携が図られていない状況について複数の市町村保健師がとりあげており,保健師活動指針が示すように(厚生労働省健康局長,2013;地域における保健師の保健活動に関する検討会,2013),連携ネットワーク形成の充実が今後必要である.
2. 市町村保健師の精神保健分野での個別相談における実践への示唆市町村の保健師活動では徐々に地区担当制が進んできている(社会保険実務研究所,2015).それに伴い,今後ますます,精神保健相談を受ける機会が増加していく事が考えられる.今回明らかになった4つの困難から考えられる解決すべき課題は,組織体制の改善や関係機関とのネットワーク体制づくり,精神障害者が暮らしやすい地域づくりと,容易に解決できない事も含まれている.そのため,まずはそれぞれの市町村の組織の実情や地域の特性を踏まえて保健師個人ができる事,所属の職場内で行える事の実践が解決の第一歩となると考える.本結果からは,市町村保健師は精神保健分野の対応は難しいという先入観を持っている傾向があると考える.これには,当事者の疾患や障害,生活環境を含めた特性を理解し的確なアセスメントにつなげ,支援技術を高める必要がある.否定的感情のコントロールについては,自分自身の感情を自覚し,自分自身でのストレスマネジメントも必要となる.こうした市町村保健師個人の努力には,職場の同僚との情報共有,計画的な研修参加の機会,実践でのスーパーバイズを受ける事や,事例検討を行い内省し学びを深めていく機会を設ける,といった職場のサポートが重要である.これにより個人の学びに留めず,職場の保健師全体でも力量をつけていけると考える.保健師活動指針(厚生労働省健康局長,2013)では職場内のみならず,「部署横断的な保健活動の連携及び協働」の必要性も示す.更に基本的な保健師活動として個別課題から地域課題へと活動展開する方策や地域のケアシステムの構築,各種保健医療福祉計画の策定や実施,地域特性に応じた健康なまちづくりも示している.これらから,本結果の困難を個人の課題に留めず,解決策を話し合う体制として保健師間の部署横断的な連絡会を設け,地域全体の課題として検討していく重要性が示唆された.
3. 本研究の限界と今後の課題本研究は8名の対象者のインタビューから分析した結果であり一般化には限界がある.また,研究対象者に保健所での精神保健業務を経験した者が含まれており,市町村のみの経験者との困難に差異があると考えられる点は本研究の限界である.今回の研究結果をベースに,市町村保健師の精神保健分野の個別対応でのアセスメント力の向上の必要性から,アセスメント力向上のための支援策を検討する必要がある.
本研究を進めるにあたりご理解,ご協力いただきました保健師の皆様,ご指導いただいた諸先生方に感謝いたします.
なお,本研究は平成24年度茨城県立医療大学保健医療科学研究科博士前期課程に提出した修士論文の一部を加筆・修正したものであり,第18回日本健康福祉政策学会で発表しました.