2016 Volume 5 Issue 2 Pages 165-173
目的:福祉分野での経験が,行政保健師の役割認識にどのような深まりをもたらしたかを明らかにする.
方法:福祉分野に異動し,再度保健分野に戻った市町村等の行政保健師15名に対し,半構造化面接を行い,質的に分析し記述した.
結果:役割認識の深化には3段階のプロセス,【職業的アイデンティティの揺らぎ】,【保健師活動の本質の再発見】,【普遍的な役割の気づき】があった.このプロセスをとおして保健師は,住民の生活に深く関わる意識を強め,予防活動や社会資源を創設する役割などを再確認し,最終的にはどこの部署でも保健師の役割を発揮することは可能であると確信するようになった.
結論:今後,組織の中で保健師の役割を「開拓する」意識をもつことや,福祉分野の保健師の「揺らぎ」を成長につなげるためのサポートの必要性が示唆された.
少子・高齢化の進展や児童・高齢者虐待の増加といった社会情勢の変化に伴い,福祉分野に配属される保健師は年々増加している.「保健師活動領域調査」(厚生労働省,2014)によると,福祉分野に所属する市町村保健師数の全市町村保健師に占める割合は,2009年は1,227人,6.4%であったが,2014年には1,645人,8.2%に増加しており,配属先も多岐にわたっている.近年では児童相談所への配属(弘中,2009)や,生活保護相談員として福祉事務所へ配属(丸谷,2009)されるケースもみられ,保健師の配属場所は増々多様化,分散化している.
こうした中,福祉分野に所属する保健師を対象とした調査・研究がいくつか行われている.山崎ら(2001)は,福祉分野において保健師は相談業務,家庭訪問,会議,介護保険業務などを担い,その中で他職種との協働の仕方やその必要性を認識し,保健師の専門性や行政の仕組みの理解が深まったと報告している.また,岸ら(2005)は,保健分野以外(福祉分野,介護分野など)に配属された保健師の看護機能について,相談・支援機能や教育・普及啓発機能,調整・ネットワーク機能など保健分野と同様の機能を果たしていたと述べている.
一方,二階堂ら(2005)は,介護保険部門に配属された保健師が職務に満足していない理由として,介護支援専門員の業務だけ行っているため保健師としての役割が果たせないことや,業務に追われ健康づくりに取り組めないことなどを挙げている.また,山崎ら(2001)は,増員がないまま保健分野のベテランの保健師が福祉分野に異動した結果,保健分野の業務が多忙になっている点や,同じ保健師とはいえ保健と福祉で分かれて配属された場合,必ずしも部署をこえた相談や連絡が円滑にいくとは限らない点を指摘している.中板(2011)は,保健師の配置が保健分野以外に広がり,保健師活動が業務ごとに切り分けられている現状について,「地域社会を俯瞰的に眺め,医療,経済,教育,就労,安全など人が生きてゆくために必要な諸条件を総合的に判断するという,われわれ公衆衛生従事者が本来発揮すべき力を減弱させている」と指摘している.
今後,保健分野と福祉分野の人事異動は増々盛んになることが予測される.しかし,現状では,福祉分野での戸惑いや分散配置の問題が話題になることはあっても,福祉分野で成長した経験が保健師間で共有されることはほとんどない.また,福祉分野での経験がその後の保健師活動にどのように活かされているかについては,まだ十分明らかになっていない.
そこで本研究は,福祉分野での経験が,特に行政保健師としての役割認識にどのような深まりをもたらしたかを明らかにすることを目的とした.この研究により,保健師が福祉分野を経験する意義が明らかとなり,また,保健師の役割や専門性に対する理解が深まることから,人材育成に貢献するものと考える.また,保健と福祉がお互いの業務への理解を深めることで一体的な活動が可能となり,結果的に質の高い住民サービスに寄与すると考える.
質的記述的研究は,対象となる現象を記述することにより,その現象を理解することを第一の目的としている(グレッグ,2007).本研究では,福祉分野での経験の中身を詳細に聞き取ることにより,それらをとおして保健師の役割認識がどのように深まっていったかを明らかにすることを目的としていることから,質的記述的研究が妥当と考えた.
2. 用語の操作的定義本研究では,「役割」を,専門職,行政職として期待・遂行されるはたらきと定義した.また,社会福祉六法および介護保険法に基づくサービスを実施する行政部署を併せて「福祉分野」とし,地域保健法に基づいて公衆衛生施策を実施する保健所,市町村保健センターなどの部署を「保健分野」とした.
3. 研究協力者とデータ収集・分析方法研究協力者は,市町村,保健所設置市等に勤務する行政の常勤保健師で,保健分野を経験したのち福祉分野へ異動となり,再度保健分野に戻ってきた者15名とした.また,福祉分野での経験を鮮明に思いおこすことができる期間を考慮して,福祉分野から戻って原則1~3年程度の者とした.研究協力者の選定は,各自治体の管理的立場の保健師から対象要件に合致する保健師の紹介を受けた上で,研究者が直接文書と口頭で目的等を説明し,同意を得て行った.
調査は2012年8月から2013年2月に実施し,インタビューガイドを用いた半構造化面接により会話を録音してデータを収集した.インタビュー内容は「福祉分野で保健師として担っていた役割」「福祉分野での良かった経験・良くなかった経験」「福祉分野を経験したことで現在の活動にプラスになっていると感じること」などである.調査後,研究協力者ごとに逐語録を作成し,意味のまとまりのある文脈ごとに区切ってコード化した.コード化されたものの中から,福祉分野への異動後保健師の役割や専門性に対する考え方で変化した点,保健分野に戻ってから新たな事業に取り組もうとした認識の変化などテーマに関連すると思われる内容を抽出,分類し,抽象度を高めてカテゴリー,コアカテゴリーとした.分析の妥当性を確保するため,分析過程で福祉分野の経験のある保健師や質的研究の専門家からスーパーバイズを受けた.
4. 倫理的配慮研究協力者に対して,研究の主旨,研究参加の任意性,プライバシーの保護,予測される利益・不利益などを説明し,文書で同意を得た.東邦大学看護学部倫理審査委員会の承認(2012年6月4日)を受けたのち研究を実施した.
研究協力者15名は全員関東地方の自治体に勤務し,その内訳は市町村10名,政令市3名,特別区2名であった.研究協力者の保健師経験年数は平均20.4(標準偏差(以下SD)4.8)年で,そのうち福祉分野での平均経験年数は5.7(SD3.6)年,福祉分野に異動となった時点での保健分野の平均経験年数は11.5(SD7.4)年であった.配属先は,高齢者福祉分野が5名,障害者福祉分野が5名,介護保険分野が8名であった(複数の異動を含む)(表1).
ID | 自治体の 種類 |
保健師 経験年数 |
(経験年数再掲) | 福祉職 場での 保健師数 |
福祉分野での配属先/業務 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|
福祉分野に異動 した時点での保健 分野の経験年数 |
福祉分野の 経験年数 |
保健分野に 戻ってからの 経験年数 |
|||||
A | 政令市 | 21年4ヶ月 | 18年 | 1年 | 2年4ヶ月 | 1人 | 介護保険 |
B | 特別区 | 25年5ヶ月 | 2年 | 11年 | 3年5ヶ月 | 1人 | 高齢者福祉 障害者福祉 |
C | 特別区 | 22年4ヶ月 | 6年 | 11年 | 5年4ヶ月 | 1人 | 障害者福祉 |
D | 政令市 | 16年5ヶ月 | 5年 | 7年 | 3年5ヶ月 | 1人 | 介護保険 基幹型在宅介護支援センター |
E | 政令市 | 15年5ヶ月 | 1年11ヶ月 | 10年11ヶ月 | 2年5ヶ月 | 1人 | 介護保険 |
F | 市町村 | 16年8ヶ月 | 7年 | 8年 | 1年8ヶ月 | 1人 | 介護保険 |
G | 市町村 | 20年8ヶ月 | 9年 | 9年 | 2年8ヶ月 | 1人 | 高齢者福祉 介護保険 |
H | 市町村 | 27年8ヶ月 | 26年 | 1年 | 8ヶ月 | 1人 | 障害者福祉 |
I | 市町村 | 29年9ヶ月 | 24年 | 3年 | 2年9ヶ月 | 3人 | 地域包括支援センター |
J | 市町村 | 20年8ヶ月 | 14年3ヶ月 | 2年8ヶ月 | 2年9ヶ月 | 2人 | 介護保険 |
K | 市町村 | 16年8ヶ月 | 9年2ヶ月 | 5年 | 8ヶ月 | 1人 | 地域包括支援センター |
L | 市町村 | 24年10ヶ月 | 17年 | 6年 | 1年10ヶ月 | 1人 | 介護保険 |
M | 市町村 | 14年11ヶ月 | 7年9ヶ月 | 3年3ヶ月 | 3年11ヶ月 | 2人 | 障害者福祉 |
N | 市町村 | 14年9ヶ月 | 9年 | 4年 | 1年9ヶ月 | 4人 | 介護保険 |
O | 市町村 | 18年8ヶ月 | 15年 | 3年 | 8ヶ月 | 1人 | 障害者福祉 |
※ 保健分野,福祉分野以外の配属もあるため,再掲の合計は必ずしも「保健師経験年数」と一致しない.
複数の福祉分野を経験した者については,「福祉分野に異動した時点での保健分野の経験年数」は初回異動時とし,「保健分野に戻ってからの経験年数」は最終異動時とした.
福祉分野を経験した行政保健師における役割認識の深化に関して,3段階のプロセスからなるコアカテゴリーと7のカテゴリー,18のサブカテゴリーが抽出された(表2,図1).
【コアカテゴリー】 | 《カテゴリー》 | 〈サブカテゴリー〉 |
---|---|---|
職業的アイデンティティの揺らぎ | 保健師としての立ち位置の揺らぎ | 福祉分野で求められる役割の不明瞭さ |
専門性を発揮できないジレンマ | ||
福祉に配属されることへの疑問 | ||
保健師は何をする人かという自分自身への問い | ||
保健師活動の本質の再発見 | 生活に入り込む意識の強まり | 劣悪な環境に置かれている住民対応の経験 |
経済的不安定さに目を向ける姿勢 | ||
人生に丸ごと関わる仕事 | 生きることについて深く考えさせられた経験 | |
人生の歩みを尊重した支援の大切さ | ||
予防活動への強い自覚 | 予防できなかった現実の痛感 | |
要介護状態になってから介入する無力感 | ||
福祉を経験したからこそ光って見えた予防活動 | ||
社会資源をつくり育てる専門性の認知 | 福祉で求められたボランティア養成 | |
住民が集える場の掘り起し | ||
住民ニーズに応えて事業化する意識の目覚め | ||
住民にとって最後のよりどころとなる存在 | 制度の狭間にいる人を引き受けるという姿勢 | |
住民が必要とする時に側にいる存在 | ||
普遍的な役割の気づき | どこに行っても保健師は保健師 | どこの部署でも保健師の視点で活動する大切さ |
組織の中で役割を「開拓する」という発想 |
福祉分野を経験した行政保健師の役割認識の深化プロセス
以下に各カテゴリーを挙げ,特徴的なデータを示す.コアカテゴリーは【 】,カテゴリーは《 》,サブカテゴリーは〈 〉,研究協力者が語ったデータは「 」とし,斜体で表す.データ内の( )は筆者が補足した言葉である.
最初の【職業的アイデンティティの揺らぎ】では,保健師は,福祉分野で専門性が十分発揮できないことに葛藤を抱き,《保健師としての立ち位置の揺らぎ》を感じていた.【保健師活動の本質の再発見】では,福祉分野での濃厚な個別支援をとおして《生活に入り込む意識の強まり》を感じ,保健師は《人生に丸ごと関わる仕事》であるという認識を深めていった.また,要介護状態の住民との関わりをとおして《予防活動への強い自覚》や《社会資源をつくり育てる専門性の認知》を強め,さらに,《住民にとって最後のよりどころとなる存在》としての役割も自覚した.最後の【普遍的な役割の気づき】では,最終的には《どこに行っても保健師は保健師》であり,どこの部署でも保健師の視点をもって専門性を発揮することが重要であることを確信した.
1. 職業的アイデンティティの揺らぎ 1) 保健師としての立ち位置の揺らぎ初めて異動した福祉分野の職場には,保健師は自分一人もしくは少数しかおらず,同僚や上司のほとんどが事務職という環境であった.多くの職場では専門職として保健師が担うべき役割が明示されておらず,〈福祉分野で求められる役割の不明瞭さ〉と事務作業の多さから,〈専門性を発揮できないジレンマ〉が生じていった.
「(介護保険で)そういう風にやりながら,何か保健師としてできないかな,できないかなって考えながらいたんですけど,やっぱり早々できるものじゃないっていうか.やっぱり保険ですからね,保険.本当に熱い思いで,保健師,一保健師としてケースワークみたいな感じでは突き進めず…….」(Gさん)
保健師は次第に〈福祉に配属されることへの疑問〉を抱くようになり,福祉分野での役割の模索をとおして,そもそも〈保健師は何をする人かという自分自身への問い〉と向き合うことになった.
2. 保健師活動の本質の再発見 1) 生活に入り込む意識の強まり「(ケアマネージャーは介護保険サービスを入れることができるが)保健師の仕事は提供できるものがほとんどないし,血圧測ったりお話を聞くくらいですが,よく『何してくれるの』って言われますが,本当に何をするのかって感じなんですよね.」(Eさん)
保健分野ではあまり関わることのなかった高齢者や障害者など,いわゆる社会的弱者といわれる住民が福祉分野での支援対象となる.保健師は,ゴミ屋敷など〈劣悪な環境に置かれている住民対応の経験〉をとおして,保健師活動の大きな特徴である「生活に関わる」ことの大切さを身をもって再確認した.また,生活困窮者に関わったことで,〈経済的不安定さに目を向ける姿勢〉の重要性にも気づいていった.
2) 人生に丸ごと関わる仕事「生々しいですよね.これ,体はあったかいけど死んでるなとか,部屋の真ん中に穴が開いてる家って.『これなんで穴が開いてるの』って聞いたら,おじいちゃんをベッドの上で寝かせきりにしておいて,おしめも替える時間がないということで,マットレスがおしっこでびっちゃりなんですよ.で,それがずっと下に流れて床が抜けちゃって.(中略)本当にすさまじいところを見せつけられますよね.」(Kさん)
福祉分野の保健師は,高齢者や障害者との関わりの中で,〈生きることについて深く考えさせられた経験〉をし,〈人生の歩みを尊重した支援の大切さ〉を深く考えるようになった.
3) 予防活動への強い自覚「(介護保険の調査で高齢者と関わって)本当に人間って一体って思うようなところまで至りまして.その,病院で長らく拘束されていたりとか,薬漬けになっていたりとか,そういう高齢者をたくさん見たりしまして,考えさせられました.」(Gさん)
「その人が死ぬところまで関わると,それまでの生きてきた過程まで考えるようになったし,その人がどう生きていくかを考えるようになったんですね.こういう末路を迎えたのは,やっぱりこういう生き方をしてきたからなんだなとか.だからこっち(保健分野)に来て予測がつくようになりましたね.」(Kさん)
福祉分野の対象者の多くは,保健分野で実践してきた疾病予防が不十分だった結果,日常生活に支障をきたしたり要介護状態になった住民であった.保健師は,福祉分野で初めてその実態を思い知らされ,〈予防できなかった現実の痛感〉や,〈要介護状態になってから介入する無力感〉に直面した.このことが,保健分野での予防活動の重要性を改めて強く認識させた.まさに〈福祉を経験したからこそ光って見えた予防活動〉であった.
4) 社会資源をつくり育てる専門性の認知「(介護保険課に)行って自分が大変だったけど,自分がこの部署(保健分野)から離れてみたら,ここ(保健分野)のやっていること(予防活動)が光って見えたというか.すごく大雑把な言い方なんですけど,ここのやっていることはすごく大事というか.目にはなかなか見えないけど,その仕事を与えられているっていうことは,とても大事な位置にいさせてもらっているんだっていうことをしみじみ感じました.」(Jさん)
福祉分野では,対象者を支援するため積極的に社会資源の開発と活用が行われていた.〈福祉で求められたボランティア養成〉や〈住民が集える場の掘り起し〉の経験から,保健分野に戻った保健師は,地域に必要と感じた資源を新たに創設したり事業化する役割を意識するようになった.
5) 住民にとって最後のよりどころとなる存在「その,お父さんやお母さんたちのやり切れなさを見て,ここ(保健分野)に戻って来て,なんで(障害児の)療育がないのって思ったんですよね.福祉的な考え方ですよね.保健師がやることじゃないんですけど,なんとかしたくて.(中略)必死こいてやったのが今,形になってきた(療育の創設)ので.」(Kさん)
法律や制度に厳密に基づく福祉分野を経験したことで,保健師は,どこの相談機関の対象にもならない住民など〈制度の狭間にいる人を引き受けるという姿勢〉の大切さや,サービスを入れて終わる支援ではなく〈住民が必要とする時に側にいる存在〉としての役割も意識するようになった.
3. 普遍的な役割の気づき 1) どこに行っても保健師は保健師「どこにも引っかからない人たちは,健康課が引き受けなくてはいけないと思えるようになりました.地域とのつながりを作ってあげないとむずかしいお母さんたちとか.(中略)何でも屋さんの立ち位置というか,そういう意識が大切なんだと思います.」(Aさん)
「(保健師は)何の手札(使えるサービスなど)もないんですけど,本人がより良い生活に気持ちを向けられるようにとか,お子さんの発達を伸ばすような関わりをしようと思えるとか,親御さんが療育機関につなげようっていう気持ちになってくれるとか,そういうことに気持ちを向けながらじっくり関わっていきたいなと.」(Eさん)
福祉分野に異動した当初,保健師は専門性を発揮出来ないことに葛藤し,福祉分野に保健師は必要なのかという疑問を抱きながら業務を行っていた.しかし,福祉分野での業務を終え,再び保健分野に戻った保健師は,〈どこの部署でも保健師の視点で活動する大切さ〉を実感し,〈組織の中で役割を「開拓する」という発想〉をもつようになっていった.
「いろんな,その場その場いろんな所で専門性を発揮できるところはあるのかなって.なんていうんでしょう,開拓するっていうか,自分でそこで何か見つけて.ネットワークづくりとか.」(Gさん)
福祉分野を経験した行政保健師の役割認識が深化したプロセスと背景について,3段階のコアカテゴリーに沿って考察する.
1. 職業的アイデンティティの揺らぎグレッグ(2002)は,職業的アイデンティティを,看護師(職業)との自己一体意識(self-identification)と定義している.本研究では,福祉分野に配属された保健師の多くが,保健師としての自己認識が揺らぐ経験をしたことが明らかになった.
その背景をみると,まず,職場環境の変化により,「保健師の役割は何か」に直面する機会が増えたことが挙げられる.保健師はそれまで,保健師であることを当然のこととしてとらえ,その役割をあえて説明したり意識することなく業務を行ってきた.しかし,福祉分野では保健師は自分一人もしくは少数しかおらず,事務職,福祉職など様々な職種の中で,自ずと「保健師の役割」を問われる場面が増えていった.また,福祉分野での保健師の役割は明確にされておらず,多くの保健師が事務職と同様の事務作業を担っていたことから,保健師自身も次第に福祉分野で果たすべき役割について悩み模索するようになったと考える.また,そのような中で役割を見出そうとしたものの,結局専門性を発揮した業務ができなかったことから,山岸ら(2003)も報告をしているように,「福祉分野に保健師は必要なのか」という保健師の存在意義についても疑問を抱くようになったと思われる.
このように,自分たち保健師が福祉分野にいる意味が見出せず,組織への愛着が高まらないまま悶々と仕事をする中で,やがて「保健師としての自分」という職業的アイデンティティも揺さぶられていった.坪井ら(2013)は,福祉分野に配属された保健師は,保健師本来の仕事の認識と実際に行っている仕事の一致性が不十分となり,職業的アイデンティティが揺らいでいたと報告している.また,前田ら(2011)は,他科で経験を積んだ看護師が精神科に異動し職業的アイデンティティが揺らいだ点に触れ,経験者ならではの挫折感や自信喪失体験,さらに異文化体験をしていることを理解する必要があると述べている.これまで保健分野で自信をもって業務を行ってきただけに,その役割が十分発揮できない福祉分野の職場において《保健師としての立ち位置の揺らぎ》が生じ,職業的アイデンティティも強く揺さぶられたのではないかと考える.
尾崎(2000)は,システムも人も,「ゆらぎ」を経験して初めて,幅広い見方,多様な思考方法を獲得することができるとしている.保健師が揺らいだことは決して無駄ではなく,異動当初この揺らぎがあったからこそ,その後の福祉分野での様々な経験をとおして保健師の専門性や役割に対する深い認識が得られたと考える.
2. 保健師活動の本質の再発見保健師は,福祉分野ならではの経験をとおして保健師活動の本質的な役割を再発見し,行政保健師としての役割認識を深めていった.
再認識した点としてまず,《生活に入り込む意識の強まり》があるが,その背景には,保健分野と福祉分野の対象者のちがいが挙げられる.保健師はこれまでも乳幼児や生活習慣病患者など対象者の生活の場に赴き,その生活状況に沿って支援を行ってきたが,障害者などに介入する機会は福祉分野ほど多くなかったと考えられる.しかし,福祉分野の対象者は高齢者や障害者,生活困窮者など様々な困難を抱えながら生きている住民であり,生活に深く介入しなければ支えられない人々であった.小宮山(2011)も,福祉分野では,経済的な課題や親族の問題など,健康以外の課題を含むところでの支援の必要性と,非常に緊急性が高いことを肌で感じたと述べている.実際,福祉分野で保健師は,いわゆるゴミ屋敷など劣悪な環境に置かれている住民の家庭を訪問し,困難を感じながらもその生活に介入していった.福祉分野に配属されたことで住民の生々しい生活実態を目撃し,実際に困難ケースの支援を行ったことから,生活を見る視点の「質」が大きく変化したものと考えられる.
また,保健師は《人生に丸ごと関わる仕事》であるという認識を強めたが,これは,保健分野で関わることが少なくなった高齢者や障害者の生き方,価値観などを考慮しながら支援したことで深まった認識である.かつて,行政保健師の業務は,地区担当としてすべてのライフステージ,すべての健康レベルの住民を一人で受け持つ「地区担当制」が主流であった.しかし,様々な制度改正や地方分権の流れから,業務の効率化や専門分化が重視されるようになり,ある特定の分野だけ専門に行う業務が増えたため,「その人の人生」を意識しにくくなっている.本研究では,保健分野で対象としていた乳幼児から成人までの住民と,福祉分野の対象である高齢者や障害者などがひとつの線でつながり,人生への理解が深まったのではないかと考える.
さらに,保健師は《予防活動への強い自覚》を感じていた.保健師は,健康の維持・増進を積極的に図り,健康障害を未然に防ぐという予防的意義の高い活動を実践しており(宮崎ら,2013),予防活動は,公衆衛生看護の最も特徴的な役割のひとつといえる.福祉分野の対象者の中には,保健分野で疾病を予防できなかった結果として要介護状態になった住民が多く見られた.本研究では,ほとんどの保健師が,保健分野で予防活動に取り組んできたにもかかわらず十分でなかったことに気づき,保健分野での予防活動の重要性を改めて強く感じていた.同様の報告は,先行研究でも見うけられる(二階堂ら,2005;山崎ら,2001).福祉分野では,早期発見・早期治療の二次予防や,再発を防ぐ三次予防が中心となり,十分な予防効果は期待しにくい.そのため,病気の発生を防ぐ一次予防が可能な保健分野でこそ,予防活動を行うことが重要であると実感したと考える.
保健師には住民と医療機関,相談機関など様々な地域資源をつないで地域のケアシステムをつくる役割や,地域に必要な社会資源を創造する役割が求められている.「地域における保健師の保健活動に関する指針」(厚生労働省健康局長通知,2013)においても,市町村保健師は,ソーシャルキャピタルを活用した事業展開と人材育成,ボランティア組織および自助グループなどの育成・支援を行うことと記されている.本研究では,高齢者福祉に携わった保健師はボランティア養成や住民が集える場の掘り起しを行い,これらをとおして,《社会資源をつくり育てる専門性の認知》が深まったことが明らかになった.社会資源の創設を実践できた背景のひとつとして考えられるのが,介護保険の制度上の必然である.介護保険制度では,要介護状態になる前の虚弱高齢者を把握し,早期から介護予防を行うことが定められている.また,制度上の必要性に加え,地域包括支援センターや介護保険事業者など周囲からの要望や期待があったことも,実施できた要因のひとつと考えられる.保健分野に戻ってから障害児の療育の場を創設した経験が語られたが,住民ニーズをキャッチしつつ,これら福祉分野での経験を活かして取り組んだ成果と考える.
次に,《住民にとって最後のよりどころとなる存在》としての役割認識を深めた背景には,福祉分野のサービスの特徴が考えられる.福祉サービスは,本人の申請により法律や制度に厳密に基づいて支給されるため,原則として申請がなければ提供されない.一方,保健師は,「担当地区において国民の権利と国の義務を保障する活動に取り組み,人々の健康とそれを実現する地区をつくることに専門能力を発揮してきた」(佐々木,2010)職種である.申請によらず支援の必要な住民に働きかける,この「地区担当」としての経験があり,それに福祉分野での経験が加わったことで,どの制度にもあてはまらない住民は保健分野の保健師が引き受けるべきと深く感じることができたと思われる.永田ら(2003)も,制度の狭間で援助が必要なケースが洩れてしまうという問題には,保健師が積極的に関わるべきと述べている.
また,保健師は最後のよりどころとして,住民が必要とする時に側にいる存在であることを認識していた.平野(2007)がいうように,行政の保健部門は,申請に基づくサービスを行う部門と比べて行政権限が少ない.そのため,保健師よりも,サービスを導入してくれるケアマネージャーや福祉のケースワーカーの方が住民にとっては理解しやすく,ありがたみを感じる職種といえる.しかし,そのような中で保健師は,住民と信頼関係を築きながら側に寄り添い,住民の状況に応じて支援することこそ保健師にしかできない役割であることを再認識している.これは,法律に基づくサービスの導入が主となる福祉分野に身を置き,保健師が自らの専門性を問い続けたからこそ認識できたことといえる.
3. 普遍的な役割の気づき福祉分野への異動当初,保健師は専門性が十分発揮できず,「保健師である自分」を確信できなかったが,福祉分野での経験をとおして,最終的には《どこに行っても保健師は保健師》と思えるようになっていった.「どこに行っても保健師は保健師」の意味するところは,従来公衆衛生看護活動を実践してきた保健分野に限らず,福祉分野やその他の領域においても保健師の役割を発揮することは可能であるということである.武智(2011)は,所属する課のいかんに関わらず,予防活動の重視,生活をとらえる視点,個別の問題も社会や地域との関係の中でとらえる問題意識などは共通であるとしている.また,丸谷(2009)は,生活保護部門に配属された保健師も公衆衛生看護の機能を発揮していたと述べている.実際,本研究でも保健師たちは,福祉分野において生活をとらえる視点をもって個別支援を行っただけでなく,関係機関と協働しながら社会資源を創造するといった,地域を対象とした公衆衛生看護機能も十分果たしていた.
さらに,保健師は,新たな配属先で役割を与えられるのを待つのではなく,組織の中で役割を「開拓する」発想をもつことが重要であることを確信していた.この点について岡本(2010)は,保健師はどこに配属されても人々の健康をまもる使命をもつという原点に立ち,専門性を大胆かつ創造的に発揮することが求められると述べている.また,丸谷(2009)も,保健師活動の変革期にある中で保健師本来の役割を示しつつ,新たな活動方法を開拓する能力が求められていると述べており,本研究でも同様のことがいえる.
以上述べてきたように,保健師の役割認識の深化には3段階のプロセスがあった.第1段階の【職業的アイデンティティの揺らぎ】が多面的な見方や新たな発見を導く契機となり(尾崎,2000),第2段階の福祉分野ならではのインパクトのある経験が洞察や省察を促し(早川,2011)て【保健師活動の本質の再発見】を深め,その結果,第3段階で【普遍的な役割の気づき】にたどり着くことができた.【普遍的な役割の気づき】には,【職業的アイデンティティの揺らぎ】と【保健師活動の本質の再発見】のプロセスが重要であったといえる.
複雑化,多様化する社会状況を受け,保健師は今後も様々な部署に配置されることが予測される.保健師としての成長を促すためにも,保健分野以外の職場への計画的なジョブローテーションが重要である.また,「揺らぎ」は物事の本質を理解するきっかけとなり得るが,深刻化すると混乱を招くこともある(尾崎,2000)ため,今後,揺らぎを成長につなげるためのサポートについても検討する必要があると考える.
福祉分野に異動となった行政保健師は,福祉分野での経験をとおして保健師としての役割認識を深めていったことが明らかになった.役割認識の深化には,【職業的アイデンティティの揺らぎ】から始まり,【保健師活動の本質の再発見】,最終的には【普遍的な役割の気づき】に至る3段階のプロセスがあった.今後の保健師活動への示唆として,組織の中で保健師の役割を「開拓する」意識をもつことの重要性,計画的なジョブローテーションと福祉分野での「揺らぎ」を成長につなげるためのサポートの必要性が挙げられた.
本研究に協力してくださった各自治体の保健師の皆様,ご指導いただいた東邦大学看護学部の先生方,その他関係者の皆様に深く感謝いたします.
なお,本研究は東邦大学大学院看護学研究科修士論文の一部を加筆,修正したものである.