経営哲学
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投稿論文
オルドヌンク倫理学と企業倫理実践 ― 企業のルール形成・ルール啓蒙活動に焦点を当てて ―
柴田 明
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2020 年 17 巻 2 号 p. 42-59

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【要 旨】

本稿は、ドイツの経済倫理・企業倫理において展開されている「オルドヌンク倫理学」の理論的観点から、企業倫理の実践活動、特にルール形成・ルール啓蒙活動を検討するものである。まずホーマンやピーズらの見解を中心にオルドヌンク倫理学の理論的主張を簡潔に再構成し、彼らの主張が、「ジレンマ構造」を核として、3つのレベルから企業の責任のあり方を議論していることを確認する。続いて、彼らの理論的主張から見て重要な、企業のルール形成活動やルール啓蒙活動について、ロビイングやルール・メイキング活動、パブリック・アフェアーズ活動の実態を取り上げる。そしてそれらの活動がオルドヌンク倫理学の観点から見てどう解釈できるのかについて検討を行い、最後にまとめる。

1.はじめに

本稿の目的は、ドイツの経済倫理・企業倫理(Wirtschafts- und Unternehmensethik)において、ホーマン(K. Homann)とその協働者たちからなる「ホーマン学派」によって強力に展開されている「オルドヌンク倫理学(Ordnungsethik)(オーダー・エシックス(Order Ethics))1) 」の、企業実践における理論的意義を、ロビイング活動や「ルール・メイキング活動」、「パブリック・アフェアーズ」など、「企業のルール形成・ルール啓蒙活動」という観点から検討することである。

われわれはこれまで、ホーマン学派のオルドヌンク倫理学に基づく企業倫理の学説展開について、様々な観点から検討してきた(例えば柴田 2012; 柴田 2017; 柴田 2019)。オルドヌンク倫理学は、経済学的な発想に基づき、制度やルールなどの“Ordnung”を倫理実現の場として捉え、倫理的行為への個々人のインセンティブを喚起し、かつ社会全体の利益にもつながる政策の導入を目指している。

経済や企業の倫理を考える上で、個々人の意識や良心にその拠り所を求めるのではなく、人間を取り巻く「オルドヌンク」に求めるこのようなアプローチは「制度倫理」とも呼ばれる。彼らの議論は、制度倫理の中でも経済学的な発想に依拠する点に独自性があるが、この点から見れば、オルドヌンク倫理学の企業倫理における実践的な意義もまた、制度やルールなどに求められることになるだろう。

従来、企業の社会的責任(CSR)や企業倫理においては、もっぱら企業の個別行為としてのCSR活動や企業倫理活動が議論されてきた。しかし、われわれの見解では、企業は個別行為のみでなく、それを制御するルールや、さらにそれを規定する意味のレベルにも関与することでもその責任を果たすことができる。もちろんこれまでも、主に実践的な観点から、CSRや企業倫理を方向づける制度やルールについて議論がなされてきた。しかし、それを理論的に根拠づける議論はほとんどなかった。オルドヌンク倫理学は、ドイツ経済倫理・企業倫理の伝統を受け継ぎ、強固な理論的基礎づけのもとに実践的な提言がなされており、そのような状況において注目するに値する理論である。

よって本稿では、まず2節でオーダー・エシックスの主張を再構成し、特に企業倫理論としての彼らの主張を、特に方法論的、理論的な側面から明らかにし、その問題点を批判的に検討する。続く3節では、企業のルール形成・ルール啓蒙活動の実態に焦点を当て、現代の企業経営においてルール形成活動やルール啓蒙活動がどのように行われているのかを紹介する。4節では、オルドヌンク倫理学の観点から、これらの活動を理論的に解釈し、企業のルール形成・ルール啓蒙活動に関して理論的な提言を行うとともに、批判的な観点から、その問題点を指摘する。

2.オルドヌンク倫理学の基本的発想―企業倫理との関連―

2.1 基本発想

オルドヌンク倫理学は、先に述べたとおり、ホーマンを嚆矢として1970年代以降ドイツにおいて強力に展開されている経済倫理・企業倫理のアプローチである。彼らは、ゲーム理論の「囚人のジレンマ」に代表されるような、個々の合理的な行為が社会にとって反倫理的な行為となってしまう状況を「ジレンマ構造(Dilenmmastruktur)」と呼び、彼らの経済倫理・企業倫理の出発点とする(Vgl. Homann 2002; Homann 2003; Homann 2014; Homann 2015; Homann / Blome-Dress 1992; Homann / Lütge 2013)。

この「ジレンマ構造」においては、経済主体はそれぞれ自らの利益になるよう合理的に振る舞う。そのため、自らがいくら崇高な倫理規範を持っていたとしても、他の経済主体との関係の中で、例えば相手に搾取されるなど、自らの不利益になるような行動を相手が行う可能性がある場合には、自らの意図や倫理規範にかかわらず、自己防衛のために時に倫理に反するような行為をする。「ジレンマ構造」を出発点とすれば、倫理的行為の原因を各人の「規範」や「良心」に求めることはできないし、反倫理的行為の原因も「悪い意図」や「モラルのなさ」に求めることはできない。この考え方に基づけば、企業不祥事の原因は企業自身の良心や意図に起因するものではないので、ナイーブに企業行為を非難しても意味はない。

ここからオルドヌンク倫理学は、経済や企業における倫理問題の考察次元を、個々の行為ではなく、これら行為を制御するルールや制度などの“Ordnung”のレベルで考える。これがOrdnungsethikあるいはOrder Ethicsと名乗る所以である。ジレンマ構造から生じる倫理問題は、反倫理的行為を抑制するルールや制度、さらには意味や文化など、様々なレベルでのOrdnungによって解決すべきと言うのが、オルドヌンク倫理学の要点である。

とりわけ企業倫理という観点から見れば、オルドヌンク倫理学の特質は、「利益追求」のような企業の利己的な行為を否定することなく企業倫理を議論できる点にある。彼らの議論は「経済学的方法」に基づく倫理学(Vgl. Homann / Suchanek 2005; Suchanek 2007)であり、行為者に倫理的行為をさせるよう、経済主体の「インセンティブ」に作用するOrdnungの整備が焦点となる。よって、例えば企業倫理の文脈で問題となる「企業の利益追求行為」については、特に制限的な想定を置かない。「過度な利益追求」に倫理問題の根源を見る企業倫理から見れば特異な想定に見えるオルドヌンク倫理学だが、日々競争の中で戦っている企業にとっては、オルドヌンク倫理学の想定は傾聴に値するものだろう。

2.2 方法論的特質

このようなオルドヌンク倫理学は、方法論的には以下のような特質を持っている。まず、上で述べた通り、オルドヌンク倫理学は「経済学的方法」に依拠しているが、なかでも新古典派経済学の前提となる「ホモ・エコノミクス」を出発点としている。オルドヌンク倫理学において、人間は効用最大化を追求するとされ、そのことから、他のプレイヤーの搾取ならびにそれを防ぐためのルールや制度の必要性が議論されるのである。よってオルドヌンク倫理学においては、新古典派経済学と同様、人間は複雑な側面を持つ存在として捉えられているわけではなく、問題解決のための「虚構モデル」として捉えられている(Vgl. Homann / Suchanek 2005)。一般に、経済学は人間の「インセンティブ」に焦点を当てた「経験科学」と捉えられているが、倫理規範を目指す倫理学として、オルドヌンク倫理学は「経験科学」に基づいた「倫理学」、あるいは「経済学と倫理学の原理的同一性」(守 2005, 50ページ以下)という指摘に現れているように、パレート最適を「理想的状態」として捉えることで(cf. Luetge 2016)、「経験科学に基づく(規範理論としての)倫理学」を構築しようとしていると言える。

倫理学の潮流には、大きく分けて義務論的潮流と帰結主義的潮流の2つがあることはよく知られているが、オルドヌンク倫理学は、経済学志向であることからも分かるとおり、帰結主義的な立場にあることは明らかである。上で見たとおり、オルドヌンク倫理学は個人倫理的なアプローチに対する厳しい批判から出発している。義務論的潮流の代表であるカント(I.Kant)は、人間が従うべき倫理原則としての「定言命法」を個々人に提示することで、個人倫理の代表的アプローチと見なされる。ここでは個々人の倫理規範や良心、価値観などに焦点が当てられ、反倫理的行為の原因は、個々人の側にあるとされる。それゆえ、個々人が従うべき倫理原則を追求するのである。

オルドヌンク倫理学は、このような個人倫理的アプローチが、とりわけ経済や企業の文脈では問題の解決に役に立たない、と批判していることは先に説明したとおりである。その際、彼らが自身の発想のベースに置くのが、ブキャナン(J.M.Buchanan)の経済学である(cf. Buchanan / Tullock 1962; Brennan / Buchanan 1985)。ブキャナンは公共選択論や財政学の分野で活躍し、1986年にノーベル経済学賞を受賞しているが、経済学の立場から倫理的問題を扱う著作を出版するなど、多方面に影響を与えた論者である。オルドヌンク倫理学が依拠したのは、彼の「ゲームの進行」と「ゲームのルール」の区別である。ブキャナンは、彼の経済学における基本的発想として、人間や組織などが個々に行う行為などの「ゲームの進行」と、それを制御するルールや制度などの「ゲームのルール」を区別し、後者の「ゲームのルール」のレベルで経済学を考えるべきだとした。

ブキャナンの経済学やゲーム理論をベースとすることからも、彼らの発想がきわめて経済学的、それも新古典派経済学的な発想に近いことが分かる。そして、新古典派経済学が目指す「パレート最適」を倫理的目標とすることで、「倫理学の経済学化」を試みようとしているとも言える2)

他方で、近年オルドヌンク倫理学の理論的整備とその発展に精力的に取り組むリュトゥゲ(C.Lütge)は、オルドヌンク倫理学の基礎づけにあたり、ヒューム(D.Hume)やゴティエ(D.Gauthier)、ビンモア(K.Binmore)のような哲学者・倫理学者・ゲーム理論家を挙げ、彼らが倫理を語るにあたり、とりわけ個人の行為へのインセンティブを重視した倫理や道徳を語っていることを指摘している(Vgl. Lütge 2012)。「経済学的方法による倫理学」と言うとき、実際の経済学的なモデルに基づく分析というよりは、個人の「インセンティブ」に焦点を当てた倫理学であると言える。

2.3 オルドヌンク倫理学の発展―オルドノミック・アプローチと企業倫理―

オルドヌンク倫理学の嚆矢であるホーマンは、特に経済倫理に関して自らの理論構想を基礎づけ、それをもとに、ブローメ・ドレース(F.Blome-Dress)との共著『経済倫理・企業倫理(Wirtschafts- und Unternehmensethik)』(Homann / Blome-Dress 1992)において、企業倫理の議論を展開している。そこでは、企業はOrdnungのレベルに作用することにより、戦略的に企業倫理を実現し、さらに自らの利益も実現するというあり方が提示されている。

しかしホーマン自身は、企業倫理についてまとまった考察を行っていない。他方、彼の弟子たちはオルドヌンク倫理学を発展させるとともに、企業倫理に関する集中的な考察を提示している。

例えばホーマンの高弟、ハレ=ヴィッテンベルク大学のピーズ(I.Pies)とその協働者たちは、オルドヌンク倫理学の基本的な考え方をベースに、独自の「オルドノミック・アプローチ(Ordonomik; Ordonomic Approach)」を展開し、その中で「企業の責任」に関する「3レベル・モデル」を提示している(以下の記述についてはPies 2013; Pies et al. 2009; Pies et al. 2010; Pies / Beckmann / Hielscher 2011a; Pies et al. 2011b; Pies / Beckmann / Hielscher 2012; Pies et al. 2014; Beckmann / Pies 2016; Brinkmann / Pies 2005=2009を参照してまとめている)。

彼らによれば、図1に表されているように、まず企業行為は「(基本)ゲーム」のレベルで行われる。ここでは、生産や販売、CSR活動など、個別企業のあらゆる活動が行われる。この企業行為を上位から規定しているのが「メタゲーム」のレベルである。具体的には、例えば企業の生産や販売、CSR活動を方向づける、ルールや制度のレベルである。企業はルールなしには活動できないだろう。

図1 3レベル・モデル

ここまでは、ホーマンがブキャナンに依拠して議論した「ゲームの進行」と「ゲームのルール」に合致した議論である。しかしピーズらは、この「メタゲーム」をさらに上位から規定する、「メタ・メタゲーム」のレベルを新たに想定する。

これは、ルールを有効なものとするための共有された認識や意味、文化、規範、文脈のレベルである。ジレンマ解決のためのルールや制度は真空の中で作られるのではなく、われわれの意味や文脈によって影響を受けて作られる。よって、それらが異なる場所では、機能する制度やルールも異なることになるのである。

「ゲーム」「メタゲーム」「メタ・メタゲーム」の区別は、それぞれ人間の行為、ルールや制度、意味や文脈という、存在論的な区別であり、すべてが同じ人間像の下に議論されている。またそれぞれが別個に存在しているというわけではなく、つねに相互依存的に存在している。

ピーズらによれば、ゲームのレベルでも、そしてメタゲームのレベルでも「ジレンマ」が生じる。この3レベル・モデルは、ジレンマが当該レベルで解決不可能な場合に、一段上のレベルでの解決を目指す、というものである。

彼らによれば、ジレンマには、以下の図2のように、一方のプレイヤーのみが搾取される「一方向的なジレンマ」と、図3のように、双方が対称的に搾取される「多面的なジレンマ」がある(Vgl. Beckmann / Pies 2007=2009)。

図2 一方向的なジレンマ

出所:Pies et al. 2009, p.383

図3 多面的なジレンマ

出所:Pies et al. 2009, p.384

例えば一方向的なジレンマでは、搾取する側があえて自らを縛り、搾取される側を搾取しないとシグナルする「個別的なセルフ・コミットメント」によってジレンマを解決することが可能である。しかし、後者ではお互いに搾取し合う可能性があるので、個々のプレイヤーが自発的にセルフ・コミットメントを行うインセンティブがない。よってここでは、双方のプレイヤーを縛る「集合的なセルフ・コミットメント」を行うことによってジレンマを解決できる。前者は、例えば企業が倫理綱領やその他の政策によって自らの行動を縛ることでジレンマを解決することであり、後者は、例えば業界規範などの形で、複数の企業を集合的に縛ることでジレンマを解決することである。

オルドノミック・アプローチの3レベル・モデルにおいては、「ゲーム」のレベルでのジレンマは、「メタゲーム」におけるルールや制度によって解決される。例えば「ゲーム」における囚人のジレンマ状況は、「メタゲーム」におけるセルフ・コミットメントという「ルール」によって解決される。それは、一方向的なジレンマであれば、個々のアクターが自発的に自らを縛るという「ルール」、多面的なジレンマであれば、アクター全体を縛るという「ルール」によって解決できる。

しかし、そのようなルールはつねに問題を解決できるわけではない。とりわけ、ルールは関係者全員が理解し、全員がフリーライダーとなることなく、ルールを遵守する意思を持たなければならない。そのためには、ルールが全員にとって必要であり、機能させる必要がある、ということを関係者に了解させなければならない。このような「メタゲーム」におけるジレンマを解決するのが、意味や理解、文脈のレベルである「メタ・メタゲーム」である。ここでは、ルールに関するディスコース、すなわちルールが重要であり、全員にメリットがあるということを了解させるプロセスが展開される。

このモデルに基づいて、以下の図4のように、ピーズらは企業の「責任」を3つのレベルから議論する(Vgl. Beckmann/Pies 2016)。

図4 異なる社会状態における責任を解釈するためのコンセプト・フレームワーク

出所:Beckmann/Pies 2016, p. 237

まずここでは、責任が個々の行為に還元できる状況(行為ベースの状況)と、相互作用の経過の中で還元できない状況(インタラクション・ベースの状況)とが区別されている。その上で図4を見れば、まず(基本)ゲームのレベルでは、企業の「行為」に関する責任が問題となる。CSR活動などをはじめとする個々の企業行為の責任が対象となるが、個々の行為の帰結が個々のプレイヤーに割り当てられない状態がジレンマ状況としてとらえられるものである。

ゲームのレベルでのジレンマを解決するのが、メタゲームのレベルである。メタゲームのレベルでは、企業がルールや制度の形成に積極的に関わるという「ガバナンス責任」が問われる。ここでは一方向的なジレンマと多面的なジレンマが区別され、それぞれが個別的セルフ・コミットメントと集合的セルフ・コミットメントによって解決される。

そして、メタゲームのレベルにおいて、集合的セルフ・コミットメントによっても解決されないジレンマが、メタ・メタゲームのレベルで解決される。それが「ディスコース責任」と呼ばれるものである。ここでは、制度やルールの形成・遂行が円滑にできるよう、「意味」や「文脈」への働きかけを行うことが問題となる。例えば企業が積極的に世論を喚起する・啓蒙することで意識づけを行うといった方法が考えられる。

以上のオルドヌンク倫理学の考え方に従えば、企業の責任とは、行為、ガバナンス、ディスコースの3つの責任を果たすことと言える。とりわけオルドヌンク倫理学は、行為のレベルでのジレンマ構造を出発点として、その上位の「ガバナンス」と「ディスコース」の責任を重要視し、2つを合わせて「オルド責任(ordo-responsibility)」と呼んでいる(Pies et al 2009, p. 386)。従来、CSRや企業倫理の議論はもっぱら「行為」レベルの責任を問うものが多かったが、それらは、オルドヌンク倫理学の考えに従えば、各企業が自らの倫理規範に基づいて自発的に行えるものではない。いくら各企業が個別に崇高な倫理規範を制定していたとしても、他企業やその他の経済主体の出方、あるいは状況次第で、倫理規範に反した行動を取ってしまうのである。そのような反倫理的な行為を抑止するのが、「メタゲーム」におけるルールや制度であり、それをさらに上位から規定する、「メタ・メタゲーム」としての意味や文脈である。

オルドヌンク倫理学の企業倫理としての独自性は、企業行為のレベルのみでなく、ルールや意味のレベルにも企業が積極的に関与し、社会全体の利益を実現しようとすることに企業の責任があるとした点にある。その際企業は、どのレベルにおいてもジレンマが発生することを意識し、ジレンマの解決のためにルールや意味に関与すること、そしてそれは、社会全体の利益を実現すると同時に、自らの利益をも実現するものでなければならないということを意識する必要がある。

このような3レベル・モデルによる考察は、これまでのCSRや企業倫理においてはあまり重視されなかった、ルールや意味レベルでの責任の重要性を指摘するものであり、さらにそれを理論的に基礎づけたという点で、注目すべき主張であると考えられる。

2.4 オルドヌンク倫理学の批判的検討

以上、オルドヌンク倫理学の基本的な発想を概略的に見てきた。ここで彼らのアプローチの特質を批判的に検討したい。

1)まずオルドヌンク倫理学は、「ゲーム」という言葉を使って理論体系を構築し、さらに「囚人のジレンマ」に着想を得た「ジレンマ構造」を理論的出発点とするため、ゲーム理論的な分析であるように思われるが、しかしながら決して詳細なゲーム理論的な分析を行っているわけではない。それは、ある意味オルドヌンク倫理学のスタンスとして一貫しているが、しかしゲーム理論の観点から見れば、その理論展開がどの程度理論的根拠があるのかという批判があるだろう。

この点、例えばオルドヌンク倫理学では、「ジレンマ構造」について、彼らは「囚人のジレンマ」に関する説明を多用するが、リュトゥゲによれば、必ずしも「囚人のジレンマ」に限られるものではなく、チキンゲームやタカハトゲームなど、様々な状況を含むという(Lütge 2012, S. 99, Fußnote 17)。「ジレンマ構造」の核心は、アトムな個人の行為のみを考えるのではなく、相手の行為をふまえて自らの行為を決定するという、人間社会の「相互作用」性にある。人間社会が相互作用的であるからこそ、「ジレンマ」、すなわち個々人が合理的と考える状態と、集合的に合理的となる状態が一致しないという状況が生まれるのである。

彼らが言う「ジレンマ」が、ゲーム理論で言われる様々な状況を限定するものではなく、きわめて包括的かつ総体的な概念だとすると、彼らの理論は様々な解釈が可能となり、多分に曖昧な議論となるという問題点がある。

例えば、オルドノミック・アプローチにおける「基本ゲーム」で説明されている状況は、やはり基本的には「囚人のジレンマ」モデルであり、非協力ゲームである。そこではまさにルールの設定によって利得が変化し、協力できる状態が実現する。一方、「メタゲーム」は、そのようなルールの設定に関してジレンマが生じるということだが、具体的にどのような種類のゲームなのか、あるいはどのような主体間でジレンマが生じるのかは明らかにされていない。企業同士なのか、あるいは企業と他の主体との間なのか。また彼らのいう「一方向的ジレンマ」と「多面的ジレンマ」の区別も、プレイヤーの立場やパワーの違いに起因するものであり、厳密なゲーム理論の分析ではない。それは「メタ・メタゲーム」に関しても同様である。

このように理論の解釈に曖昧な部分があるとするならば、あらゆる企業のCSR活動や企業倫理活動を、オルドヌンク倫理学の観点から肯定的に解釈できることとなり、結局実り豊かな議論にならないという結果になる。

2)またそれと関連して、オルドヌンク倫理学、とりわけオルドノミック・アプローチのモデルは、企業倫理を議論するものであるが、ルール形成やルール啓蒙は、当然ながら、国や地方自治体など、企業の上位にあるルール形成者との関係を抜きにして議論することは難しいだろう。彼らが単に企業倫理だけでなく、「経済倫理・企業倫理」の立場から見ているのであれば、ルール形成の効率性という観点から、国がやるべきか、あるいは企業が自発的にやるべきかという議論が必要になるだろう。ゲームの状況は、他企業のみでなく、国との関係でのジレンマが生じるかもしれない。企業のみの視点で、合理的なルール形成やルール啓蒙を語ることは難しいだろう。よって彼らのモデルは、上位のルール形成主体との相互作用を想定してはじめて、経済倫理・企業倫理の分析となりえるのではないだろうか。

3)さらにまた、彼らのアプローチは、企業が社会の動きを方向づけるという、エリート主義的な、あるいはテクノクラート的な傾向さえ持っていると言える。もちろん彼らは、ディスコースを直接方向づけるとは言っておらず、注意深く用語を選択し、そのような印象を持たせないような配慮をしている。しかしながら、決定論的な前提に立つ以上、彼らのアプローチは、エリートとしての企業経営者が、社会を「良き」方向に方向づけるという、典型的なテクノクラート的アプローチとなってしまう。ホモ・エコノミクス的な合理的な経済人を前提とした彼らのアプローチは、社会を方向づけるというきわめてセンシティブな問題を正面から議論するものであり、厳しい批判も想定されるだろう。

4)最後に、企業あるいは企業経営者にこのようなルール形成やルール啓蒙の役割を担わせるということは、オルドヌンク倫理学の本来の特質である、制度倫理的な性質を変容させ、個人倫理的な方向へ重点を移動させているようにも思われる。とりわけ、組織倫理的な考察を経ないままで企業倫理を考察する場合、企業は経営者の意思決定によりダイレクトに動く存在と見なされることになる。その場合、企業にとっては経営者の個人的な倫理意識などが決定的な要素となり得る。このような個人倫理的傾向と、先に挙げたテクノクラート的世界観が結びつけば、オルドヌンク倫理学は当初の問題設定とは異なるアプローチとなってしまうだろう。

以上、ここではオルドヌンク倫理学の基本的な議論と企業倫理の主張、そしてその批判的検討を行ってきた。次に、彼らの理論的主張を検討するために、企業のルール形成・ルール啓蒙活動の現状を見ていくことにしよう。

3.企業のルール形成・ルール啓蒙活動の現状

オルドヌンク倫理学の考え方に従えば、企業は企業行動を制御するルールの形成や、さらにそれを規定する意味のレベルに作用すべく、ルール啓蒙に向けた活動に関わらなければならない。これらを具体化するものとして、例えば「ロビイング活動」や「ルール・メイキング」活動、「パブリック・アフェアーズ」活動などが挙げられる(例えば西谷 2011; 藤井 2012; 國分ほか 2016; 株式会社ベクトル パブリックアフェアーズ事業部ほか 2016など)。

これらはいずれも、企業が政府などに働きかけることで、社会課題に関わるルール形成に関与する活動である。とりわけロビイング活動に典型的なように、従来は企業自身の利害を主張する手法、あるいは広報活動やPR活動に近いものと見なされてきた。しかし近年では、自社の利害を主張するのみでなく、NPOやNGOなどの、政府や地方公共団体以外のステイクホルダーとの対話を通して、社会課題への取り組みやルール制定への啓蒙を図ろうとする動きもある。

「ロビイング活動」は「ロビー活動」とも言われるが、上に挙げた3つのうち、もっとも世間的に浸透している活動である。ロビイングとは、「大辞泉」によれば、「政党と院外利益団体を結ぶ役割を演ずること。議案通過運動」である。建物のロビーで陳情活動が行われたことに端を発する名称であるが、「院外利益団体」が自らの利害を追求するために、正当に働きかけて自らに有利なルールの導入などを働きかけることである。この院外利益団体として大きな存在となっているのが民間企業である。

ロビイング活動は、日本では「自社の利益追求のみを考えた行動」などという形で悪いイメージを持たれているが、欧米ではとりわけ大企業がロビー担当の部署や専門職員を配置し、積極的なロビー活動を行っている。例えばGoogleの親会社であるアルファベットの2017年のロビー活動費は、2017年8月時点で945万ドル(約10億円)である3)

日本企業でも、ロビイング活動によって成果を収めている例もある。例えばエアコン大手のダイキン工業では、欧州を中心に、主要拠点の現地社員約10名がロビイング活動に従事している。ダイキン工業は、世界最大の空調機市場である中国で、2008年に提携した中国空調大手の珠海格力電器(グリー・エレクトリック社)と組み、エアコンの省エネルギー基準の見直しを当局などに働きかけた。その成果もあり、10年6月に中国は省エネ規制を強化し、両社で共同開発してきたインバータールームエアコンの販売増につながった。中国で省エネ規制の強化に持ち込んだことで、ダイキンの中国での家庭用エアコンの売上高は急増した。ルール形成がない場合に比べ、10年から14年までの5年間で増収効果は1,900億円を超えるという。しかし、この間中国での家庭用エアコンの需要が大きく増えたわけではない。ルール形成がなければダイキンの中国でのエアコン売上高も市場と同程度で推移していたと見られる4)

「ルール・メイキング」とは、その名の通り、企業が様々なルール制定に積極的に関わることを意味するものである(藤井 2012; 國分ほか 2016)。日本企業はこれまで、自社を規制するルールの制定や改定に積極的に関与することはなかった。というのも、規制は「政府が作るもの」と言う意識が強く、政策提言は経団連や同友会に任せ、その規制にいかに対応するかに注力してきたからである(國分ほか 2016, 194-195ページ)。しかし、例えばFAXを電話回線につなぐことを最初に許可した国は日本であり、そのことが、日本製ファクスが世界を席巻した背景としてあったこと(國分ほか 2016, 44ページ)、逆に、日本でiPodができなかったのは、楽曲の知的財産権ルールと大きく衝突する危険性があったこと(藤井 2012, 49ページ)を考えれば、企業活動を遂行にルールが大きく影響を与えることは明らかである。

「パブリック・アフェアーズ」はさらに多義的な概念であるが、例えば「自社に好都合なルールを獲得すべく、公正、透明な方法で交渉し、合意を形成すること」(西谷 2011, 20ページ)と定義されている5) 。これは、多様なステイクホルダーに対して、多様なコミュニケーション方法で、公正・透明に意思疎通・交渉を図る活動であり、公益性や社会性をより重視するものである。その手段としては、例えばステイクホルダー・ダイアログ、フォーラム、公聴会、公開イベント、マスメディア、インターネットなどがある。

このような特徴を持つパブリック・アフェアーズは、特定のステイクホルダーに対する密室型のロビイングとは対称的である。また、パブリック・アフェアーズには、ルール・メイキング活動のようなルールの形成のみでなく、ルール形成に対する世論の喚起などの活動も含まれる。だからこそ、より社会性や公益性が重視されるのである6)

ルール・メイキング活動やパブリック・アフェアーズ活動の事例について見れば、例えばフォルクスワーゲンは、ステイクホルダーとの対話を通じて得た問題意識から、メキシコのプエブラ市の工場から50キロ離れた水源の保全に取り組みはじめた。その背景には、水不足が深刻化する地域で水を大量に使用して生産された製品に流通規制を適用し、生産拠点の他地域へのシフトを促そうとする動きや、工場周辺の水源保全の義務づけなどの可能性が高まったことがある(國分ほか 2016, 117-118ページ)7) 。これは直接ルール形成に関わるものではないが、むしろ水資源の利用に対する規制に先んじて、企業が自制的な行動を取った例としてあげられるし、この先に、ルール形成への関与も期待される事例である。

ウォルマートは、CEO直属で「コーポレート・アフェアーズ」という組織を設けている(國分ほか 2016, 229ページ以下)。この中に、ルール・メイキング戦略機能を担う部門として、政府折衝、国際機関対応などを行う「ガバメント・リレーション」「通商政策担当」などのチームに加え、社会・環境に関する諸課題について、自社主導で様々なルールや活動目標を策定し、サプライヤーなども巻き込んだ具体的なプログラムに落とし込む「サスティナビリティ」の専門部隊を擁している。この中には政策アナリスト、ロビイスト、議員秘書、弁護士、シンクタンク研究員、官僚、NGO職員などの経歴を有する職員が配置され、それぞれの専門知識を生かした活動が行われている。さらにウォルマートは、「コーポレート・アフェアーズ」の中に、「ルール・メイキング戦略機能」に加えて、「対外広報」と「社内コミュニケーション」の機能を加えている。これは、最適なチャネルから的確なメッセージを発信して合意形成を促し、自社の立場や主張を効果的に打ち出すための仕掛けであり、単なるルール形成のみでなく、それを有効なものにするための施策、つまりルール啓蒙が意識されている。

例えば2008年に提示された「責任ある商品調達方針」は、北京で中国政府の指導部を巻き込み、「サスティナビリティ・サミット」を開催する中で実施されたものであり、2010年の「持続的な農業」プログラムは、同年のCOP10に合わせたタイミングで提示され、WWFなどの世界的な自然保護団体の協力を得て策定されたものである。また2011年「女性の経済的自立支援」プログラムは、APEC初の「女性と経済サミット」会期中に発表されたものである。このように、ウォルマートは単に自社の社会的活動を単体で提示するのではなく、世論に効果的に伝わるような方法を意識しているのである。

資生堂は、動物実験に反対するNGOを自社に招いて意見交換をし、その結果を公開した(藤井 2012, 150ページ以下)8) 。従来、化粧品開発における動物実験は社会的な課題と捉えられておらず、したがって企業としても対応が迫られるものではなかったが、近年では動物も人間と共生すべきという新しい社会的価値観、あるいは企業でも「生物多様性」への取り組みが定着し始めており、この意見交換をもとに、資生堂は最終的に動物実験の廃止を決定した。

Googleやメルカリ、LINEなどのIT企業は、近年「公共政策部門」を立ち上げ、政策交渉や世論形成などに取り組んでいる(広報会議 2014)。例えばGoogleの公共政策部のミッションは、「新しい技術を社会がスムーズに受容するための社会的・政策的環境を整備するための普及啓発・理解増進活動をすること。新しい技術と、それに関わる社会や政策の接点の間に横たわる諸問題について、調査研究し、シンポジウムなどのイベントを開いたり、政策提言活動をする」(広報会議 2014)ことであり、様々なステイクホルダーとのコミュニケーションを通して、企業の社会的課題への関わりを伝えている。

またGoogleの日本法人は、Amazon、DeNA、GREEらIT系企業と合同でAICJ(Asia Internet Coalition Japan:アジアインターネット日本連盟)を設立し、「インターネットにおける自由で公正な情報の流通」を目指し、そのような環境の発展を促すための政策提言を行っている9)

以上の事例から分かる通り、3つの活動は重なり合う部分も多く、厳密な区別は難しい。いずれも、ルール制定に影響を与えることで、自社の活動を有利に進めることに関連しているが、しかしながらそこに社会性や公益性を関与させることで、企業はルール制定を企業倫理活動としてもとらえることができるのである。

4.オルドヌンク倫理学からみた企業のルール形成・ルール啓蒙活動―批判的検討―

以上、3節では「ロビイング活動」「ルール・メイキング活動」「パブリック・アフェアーズ活動」を中心に、企業の実際のルール形成・ルール啓蒙活動を見てきた。4節では、オルドヌンク倫理学の理論的観点からこれらの活動を検討してみよう。特に、2節で検討したオルドヌンク倫理学の問題点を踏まえて、本節の最後で批判的な検討を加えたい。

まず、オルドヌンク倫理学によれば、このような企業のルール形成・ルール啓蒙活動は「オルド責任」の枠組みで議論されるべきである。「オルド責任」は「ガバナンス責任」と「ディスコース責任」からなるが、例えばルール形成活動は「ガバナンス責任」に該当し、ルール形成への啓蒙活動は「ディスコース責任」に該当する。

この「オルド責任」は、企業がルール形成やルール啓蒙活動に積極的に関与することで、社会全体の利益を実現するとともに、企業自らの利益も実現することを目指すものであり、まさに「オルド」によって社会と企業自身の利益を調和させ、Win-Winをもたらすのである。

ここで重要なことは、これらの活動が「ジレンマ」の解決を目指したものだ、ということである。特にオルドヌンク倫理学によれば、ジレンマには「一方向的なジレンマ」と「多面的なジレンマ」があり、それぞれに対応が異なる。経営者に求められることとして、ピーズらの見解に沿えば(Vgl. Pies / Beckmann /Hielscher 2011a, S. 25)、まず経営者は、自社が直面しているコンフリクトがどのようなジレンマなのかを考慮する必要がある。例えば、市場競争は確かにプレイヤー間のコンフリクトを引き起こすが、それは品質向上や価格の低下など様々なメリットをもたらす点で、決して解消しなければならないコンフリクトではない。他方、メーカーによるサプライヤーの搾取のようなコンフリクトは、非倫理的であり、解消すべきジレンマである。よって経営者は、まず直面するコンフリクトが解消すべきか否かを判断する必要がある。その上で、そのコンフリクトを解消すべきと判断した場合、次にそれが一方向的なジレンマなのか、多面的なジレンマなのかを判断し、それに応じた、個別的セルフ・コミットメントあるいは集合的セルフ・コミットメントを駆使して、ルールの形成に関与する必要がある。

例えば電気機器メーカーやファストファッション企業は、製造委託先企業やサプライヤーとの関係について企業倫理問題を抱える可能性がある。交渉上メーカーは、サプライヤーに対して強い立場にあり、場合によっては、メーカーはサプライヤーを一方的に搾取できる立場にある。この状況はまさに「ホールドアップ問題」であり、サプライヤーはそもそもメーカーと契約を結ぶことをやめるかもしれない。これは社会全体にとってもデメリットである。

そこで、企業があえて「個別的セルフ・コミットメント」としての企業倫理を発動し、ホールドアップ状況を解消し、契約を遂行することで、サプライヤーも通常の契約からの利益が得られ、メーカーも評判などにより長期的には利益が得られる。さらに、契約が成立し、製品が発売されることは、消費者や社会全体にもメリットがあるだろう。

実際、例えばAppleやユニクロを運営するファーストリテイリングなどの製造企業は、誠実なサプライヤー対応についての取り組みを表明しており、これは個別的セルフ・コミットメントの一例であると考えられる10)

この例は、全体を縛るルールよりも、個別の経済主体による個別的な企業倫理の方が効率的に倫理問題を解決できることを示している。

一方、3節で説明したAICJの例は、IT企業各社とも政府によるインターネット規制の当事者であり、各社が自らの利害をめぐって多面的なジレンマ状況に陥る可能性があるため、各社の経営者が共同で集合的なセルフ・コミットメントを発動したと解釈できる。各社が共同で課題を共有し、政策提言や普及啓発活動で連携できれば、社会にとってのみでなく、各企業にとってもメリットのあるルール形成の機運をつくることができるだろう。これは集合的なセルフ・コミットメントによってルール形成・啓蒙活動に従事している例と考えることができる。

例えばAppleのCEOティム・クック氏が同社の個人情報管理について積極的に発言しているように11) 、とりわけ大企業の経営者には、その発言力や影響力の大きさから、ルール形成のみでなく、ルール形成への働きかけや機運を作るという「ディスコース責任」を果たす余地が大きくなっているように思われる。大企業の経営者の発言は、メディアを通して大々的に報じられ、世論に訴えかける力を持っている。経営者の発言により、ルール形成への気運が高まるケースはあり得ると考えられる。

それは、望ましくない社会的ジレンマの解決へと世間の関心を向けるということであり、まさに「オルド責任」を果たすということである。

以上、オルドヌンク倫理学の考え方にもとづいて、実際の企業のルール形成活動・ルール啓蒙活動を見てきた。オルドヌンク倫理学の枠組みは、確かに現状の企業倫理活動を理論的に解釈できる可能性を持っている。しかし、それは完全ではない。最後に、2節で行ったオルドヌンク倫理学の批判的検討の観点から、企業のルール形成活動・ルール啓蒙活動における問題点を検討しよう。

2節で検討したオルドヌンク倫理学の問題点は、1)理論的に曖昧な解釈が可能となること、2)国などのルール形成主体を考慮しない、3)テクノクラート的性質、4)個人倫理的傾向、であった。

3節で挙げた事例については、確かにオルドヌンク倫理学の観点から肯定的な解釈が可能である一方、理論の説明能力という観点から見れば、むしろオルドヌンク倫理学によって説明できない事象を明らかにする必要があるだろう。

また、ロビイング活動、ルール・メイキング活動、パブリック・アフェアーズ活動はいずれも、基本的には企業自身の利害を追及するためになされる活動であるため、それが果たして本当に倫理的な活動なのかを根拠付ける必要がある。そのためには、2)で指摘したように、国家などのルール形成主体との関連で議論されるべきであろう。例えば上で、メーカーのサプライヤー対応の例を挙げたが、これに関しても、メーカーとサプライヤー以外の第三者にとってこの対応が利益をもたらさない、つまり非倫理的となる可能性があるのであり、そのためには国のような全体的ルールを形成できる視点からの考察が必要となる。特に企業は、これら社会活動を自社の宣伝やアピールとして利用することもありえるだろう。その場合、当然それらが社会全体としても合理的となればよいが、他方で、例えば株主やその他ステイクホルダーの費用によって無駄な活動を行っているという可能性もある。経済倫理・企業倫理はまさにこのような非合理性を指摘することに課題があるだろう。

3)のテクノクラート的性質については、とりわけ社会への影響力が大きい大企業がこのようなルール形成やルール啓蒙に関わる場合、社会全体を大企業が方向づけるという印象を与えることとなり、反感を持たれる可能性もある。また4)の個人倫理的傾向という問題と併せて考えれば、きわめてエリート主義的な社会観、国家観が導き出される。上では経営者による個人情報保護への発言を取り上げたが、現状、例えばアメリカでも、SNSでの投稿をめぐるプライバシーの問題が指摘されているところであり、このような状況の中で、経営者がどのような発言を行うのかは、非常にセンシティブな問題でもある。またそのような社会観が、ディスコースのレベルで、あるいは社会の合意として、彼らの言う契約論的な発想に適合するものなのか、検討する必要があるだろう。

オルドヌンク倫理学の問題は、方法論的に見れば、決定論的な観点と、ディスコース責任のレベルでの全体論的な観点を強引に接合しようとしている点にあると思われる。この点について、近年、ゲーム理論の分野において、進化ゲーム理論などの発展により、ルールや制度がどのように発展するのかについて、様々な観点から研究がなされている12) 。それらは、当初のゲーム理論で展開された完全合理性など新古典派経済学に近い前提で進められているわけではなく、限定合理性や不完備契約など、緩められた仮定の下に、進化論的な観点を取り入れることで、非決定論的な形でルールや制度の発生・発展を説明しようとしている。

オルドヌンク倫理学は進化論的な観点をとっていない。しかし、このような進化論的な観点を取ることなく、ルールや制度、そして意味の問題を決定論的に議論するということは、われわれの意味や文化がわれわれの行為に還元できるというだけでなく、望む方向へと向けることさえできてしまうのである。

当初のオルドヌンク倫理学が、ホモ・エコノミクスの人間像を出発点として議論したのは、行為とルールのレベルにとどまっていたからである。しかしながら、その分析レベルをディスのコースにまで拡張するならば、従来の決定論的なホモ・エコノミクスの想定によって分析を継続させることには無理が生じるのではないだろうか。

実際、彼らのアプローチは、合理的選択のアプローチと同時に、「社会理論の基礎付け」としてルーマンの社会システム理論を持ち出している(Vgl. Beckmann 2010)。前者が決定論的アプローチであるのに対し、後者は非決定論的アプローチであり、これをどう接合するのかについて、例えばベックマンの研究でも、詳細については触れられていない。たしかにルーマンの議論は、オルドノミック・アプローチが重視する意味論的分析を行っている点で重要なアプローチだと考えられるが、方法論的な観点から見れば、その理論的基礎とはなりえないし、単に意味レベルを存在として指摘するのであれば、何もルーマンを持ち出す必要はないだろう。オルドヌンク倫理学のアプローチは、決定論的な立場を固持するのか、あるいは従来の立場を修正するのかを迫られているように思われる。

5.まとめ

以上、本稿では以下のことを議論した。

(1) CSRや企業倫理活動はこれまで企業の個別行為の観点から議論されることが多かったが、それらを制御するルールや意味のレベルにも企業は関与できる。しかし、このような側面についてこれまで理論的な観点から議論されることが少なかったという問題意識から、これらを理論的に基礎づけている、ドイツの経済倫理・企業倫理において展開されている「オルドヌンク倫理学」を取り上げ、この理論的観点から企業のルール形成・ルール形成・ルール啓蒙活動を検討することとした。

(2) まずオルドヌンク倫理学の理論的な主張を再構成した。オルドヌンク倫理学は、「囚人のジレンマ」に代表されるような、各人の意図や倫理規範とは無関係に、相手の出方に対応するために社会全体にとって反倫理的な行為を引き起こしてしまうという状況を「ジレンマ構造」と呼び、彼らの倫理学の出発点としていた。彼らによれば、ジレンマ構造の解決は個別行為レベルでは不可能であり、ルールや制度などによる解決が求められる。またジレンマには「一方向的なジレンマ」と「多面的なジレンマ」があり、前者の解決には「個別的セルフ・コミットメント」、後者の解決には「集合的セルフ・コミットメント」が必要となる。さらに彼らによれば、ジレンマの解決は、ルールや制度のレベルのみでなく、それをさらに上位から規定する、意味や文脈のレベルでも解決できる。彼らは、この2つのレベルでのジレンマの解決も企業の責任と捉え、ルールや制度のレベルでの責任を「ガバナンス責任」、意味や文脈のレベルでの責任を「ディスコース責任」と呼び、この2つの責任をあわせて「オルド責任」として、それも企業の責任であるとしている。しかし、オルドヌンク倫理学にはいくつかの問題点があることも指摘した。

(3) 続いて、企業のルール形成・ルール啓蒙活動の現状を、実際の企業の事例を用いて確認した。ここではその例として、ロビイング活動、ルール・メイキング活動、パブリック・アフェアーズ活動を取り上げた。それらは対象領域が重なり合う活動だが、ロビイングに比べ、ルール・メイキング活動やパブリック・アフェアーズについては、より社会性や公益性が重視され、ルール形成のみでなく、ルール啓蒙にも重点が置かれていた。

(4) 最後に、上で見た企業のルール形成・ルール啓蒙活動を、オルドヌンク倫理学の観点から分析した。オルドヌンク倫理学の出発点は「ジレンマ構造」であり、企業がルールに関わるのは、この「ジレンマ」を解決するため、ということになる。よって、経営者はやみくもにルールに関わるべきではなく、自社がどのようなジレンマに直面しているのかに応じて対応も考える必要がある。しかし、2節で挙げたオルドヌンク倫理学の問題点から見れば、ルール形成やルール啓蒙の事例は必ずしもすべて肯定的にとらえることはできず、その意味でオルドヌンク倫理学は理論的にさらに洗練される必要があることを指摘した。

現状、CSRや企業倫理との関連でルール形成活動やルール啓蒙活動が議論されることは少ない。ましてや、しっかりとした理論的観点からこれらを基礎づけようとするアプローチはほとんどないといってよい。オルドヌンク倫理学は、そのような理論的基盤を提供できるのみでなく、ルールに関する経営者の意思決定に資するものとも考えられる。日本における企業倫理研究は主に企業倫理の実践的活動に注目が向けられてきたと言えるが、しっかりとした理論的根拠によって現象を基礎づけることも学問にとって必ず必要である。今後さらに彼らの議論を注視していく必要があるだろう。

1)  筆者はこれまで、原語のOrdnungsethikを「秩序倫理」、あるいはリュトゥゲらによって称されている、英語表記のOrder Ethicsにならって「オーダー・エシックス」と呼んできた。しかし、彼ら自身がどう呼称するかは別として、ドイツ語のOrdnungという言葉は、英語のOrderという言葉に完全に訳し尽くせるものではないと思われる。例えばドイツ人が日常的によく使う”Alles in Ordnung”という慣用句に典型なように、Ordnungという言葉には、秩序という意味から派生して、「うまくいっている」、「問題ない」、「整然としている」といった意味合いがある。ドイツにおいてOrdnungという言葉は重要な言葉であり、日本語で「秩序」と表現することや、安易に英語で表現することは、ホーマン学派の主張を言い尽くせないと思われる。よって本稿では、Ordnungsethikの呼称として、とりわけOrdnungに関してはドイツ語の表現をそのまま使い、Ethikに関しては「倫理学」という定訳を用いて、「オルドヌンク倫理学」と呼ぶこととする。

2)  とはいえ、例えば新制度派経済学や不完備契約論などのアプローチに対しても柔軟な姿勢を見せている。その点、議論の一貫性という点で問題があるかもしれない。

3)  『日本経済新聞』2017年8月25日付朝刊1面。また「責任ある政治センター(Center for Responsive Politics)」のサイトによると、2017年度全体で1814万ドル(約19億7000万円)となり、民間企業としては当該年度で1位であった。同ウェブサイトhttps://www.opensecrets.org/federal-lobbying/top-spenders?cycle=2017(2020年9月15日閲覧)を参照。

4)  『日本経済新聞』2017年10月16日付朝刊13面。

5)  パブリック・アフェアーズに関する萌芽的な研究として、壱岐 (1995); 田島 (1991); 高橋 (1991)がある。また近年の論考として、『経済広報』2018年2月号やLibrary Resource Guide 2019年冬号、第26号などがある。

6)  欧米企業では、法務部や広報部とは独立した専門部署を置き、政府の元通称ネゴシエーターやベテランの渉外弁護士など、専門知識を持った担当者を配置している(西谷 2011, 90ページ)が、日本企業ではこれらの活動に関する専門部署を置いているケースは少なく、法務部や広報部などが対応している。

8)  以下については資生堂のウェブサイトも参照。https://www.shiseidogroup.jp/sustainability/consumer/experiment/(2020年9月15日閲覧)

9)  以下のウェブサイトを参照。http://aicj.jp/(2020年9月15日閲覧)

10)  以下のウェブサイトを参照。Apple「サプライヤー責任」https://www.apple.com/jp/supplier-responsibility/(2020年9月15日閲覧)ファーストリテイリング「取引先工場リスト」https://www.fastretailing.com/jp/sustainability/labor/list.html(2020年9月15日閲覧)

11)  例えば以下の日本経済新聞社の単独インタビューを参照。https://www.nikkei.com/article/DGXMZO53200870Q9A211C1MM8000/(2020年9月15日閲覧)

12)  これについては例えば渡部(2000)を参照。

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