経営哲学
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投稿論文
堀場製作所三代目の経営理念浸透プロセスの分析 ― 「正統的周辺参加」理論アプローチ ―
田中 雅子
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2022 年 18 巻 2 号 p. 19-36

詳細
【要 旨】

経営理念と経営者の関係は論じられて久しい。その大半は経営者が哲学を持ち、それを表明することの意義や、浸透に果たす役割について考察されている。反面、経営者が理念を自分のものにするプロセスを検討したものは皆無に近く、数少ない研究も回顧的である。この問題意識を背景に、経営者として「プロセス真っただ中」にいるオーナー企業の後継者である三代目を対象に、彼の現在進行形で進んでいる理念を理解するプロセスを検討したいと考えた。

理論的基礎に据えたのは、Lave and Wenger(1991)の「正統的周辺参加」である。この理論は5つの伝統的徒弟制にヒントを得た学習理論であり、周辺から十全へと移行する際にアイデンティティの増大が不可欠であるとされている。そこでその形成がより詳細に説明されている「断酒中のアルコール依存症者の徒弟制」の事例に重きをおいた。そしてこれらに基づき分析を行うことで、三代目の理念の理解を明らかにすると同時に、当該理論に新解釈を提供することを目的とした。

結果、理論枠と同様に、組織における人・人工物といった「構造化された実践共同体」の存在や「アイデンティティ」が、三代目の理念の理解にとり重要であることが明らかになったが、追加点も導出できた。それはアイデンティティを増幅させるものは、行動以上に状況であることや、仕事や業務につく以前から周辺参加は始まっているという点であり、これらは本稿の新解釈でもある。

また、理念浸透のレベルが異なる発言が出たことは、大変興味深い発見事実であった。本稿はそれを、経営者としての意識の高さと経験の間に乖離があるためと捉え、三代目の理念の理解は道半ばであると結論づけた。今後も継続して調査を実施し、レベルの差異が何に起因し、どのようなプロセスを経て十全の域に達するのかを明らかにすることが求められる。

1.はじめに

経営理念(以下、理念)と経営者の関係は論じられて久しい。それは3つに分類できる。1つ目は経営者が哲学を持ち、それを何らかの形で表明することの意義(中川1972北野1972伊丹1986奥村1994)。2つ目は経営者が理念浸透のために果たす役割や方法について(金井1986田中20062016瀬戸2009)。3つ目は理念の制定者ではない後継者(経営者)が理念を自分のものにしていくプロセス1)田中2014b2016)である。

これらのなかで1つ目と2つ目が大半を占めている。1つ目は創業者を前提に論じられている向きがあるし、2つ目は経営者が理念を所与のものとして受け止めているがゆえに、組織への浸透にも積極的に関与できるという予定調和的な感がある。

しかし、経営者も人の子。刻々と移り変わる時代や経済状況とマネジメントとの狭間に立ち、葛藤を繰り返しているはずである。その視点で先行研究を見たとき、生身の人である経営者と理念との関係が必ずしも捉えられているとは言い難く、ある種、聖人君子的に理念を我が物にしているという理想的かつ静的な立ち位置から論じられている感は否めない。

そのなかにあって、定性的調査をもとにした3つ目のプロセスの検討は、数少ない研究の1つである。ただ、当研究の問題は、経営者になってから、つまり組織の階段を上り詰めた以降の、理念の理解と行動に焦点が当たっており、そこに到達するまでのプロセスは回顧的に触れられている点である。

回顧が意味づけにおいて重要であることはWeick(1995)に詳しい。もちろん経営者にとっても、来し方を振り返ることは理念を自身のなかに落とし込むうえで肝要である。しかし回顧は後づけの解釈とも言える。「今にして思えば」というのは「今」の自分に焦点があたっているため、今が変われば過去の解釈も変わってしまう危険性をはらんでいる2)

『身体の構築学―社会的学習過程としての身体技法』(1995)等の著書がある、文化人類学者の福島(1993)3)が、組織におけるインタビューについて「実践について、あとから再構成された発話ではなく、むしろ具体的な実践活動のプロセスのなかに埋め込まれた(沈黙を含んだ)発話の諸機能をこそ分析すべきなのである」(p.161)と言うように、目に見えない理念を我が物にしていくプロセスは、進行形の現在に焦点を当てなければ、そのダイナミズムは本当のところは見えてこない。その視点で経営者と理念との関係を扱った研究を見たとき、それに該当する研究は皆無と言ってもいいだろう。

このような問題意識のもとに、本稿は最終的には本社の経営者になる予定であるが、必ずしもそれが確定しているわけではない「プロセス真っただ中」の、オーナー企業の後継者である三代目にインタビューを実施し、彼の現在進行形で進んでいる理念を理解するプロセスを検討したいと考えた。この目的を達成するために本稿では、

(1)まず、分析のための理論的基礎としてLave and Wenger(1991)の「正統的周辺参加」理論とその適用事例として「断酒中のアルコール依存症者の徒弟制」を紹介する。

(2)次に、この理論と事例に基づいて、堀場製作所の三代目がどのようにして理念を理解していくのか、そのインタビューの内容を紹介し再構成する。

(3)最後に、本稿のインプリケーションと限界について説明する。

2.議論のフレームワーク

なぜ三代目を対象としたかであるが、三代目は、最も理念が体現化されていると考えられる創業者の背中を見ることはできても、その関係が二代目と比べると間接的であったり、希薄である場合が多い。さらに「三代続けば末代続く」という言葉があるように、創業者のときと比べ時代も価値観も移ろいで行くなかで、事業や理念を引き継いでいくことはたやすいことではない。そのようななかにあって、三代目が理念を理解するプロセスを検討することは、理念研究だけに留まらず、事業承継のヒントや、優良企業を見分ける一つの視点を提供することにもつながるだろう4)

詳細は後述しているが、三代目が仕事を進める際に日常的に相談をしているのは、取締役クラスの人々であることから、彼の仕事は創業家出身者に頼らず組織的に進んでいることが明らかになっている5)

そこで、フレームワークとしてLave and Wenger(1991)の「正統的周辺参加」理論が適用できると考えた。この理論は新参者が経験を積むことで集団に受け入れられ、最終的には熟練者になるプロセスの初期段階を検討するものである。

これまでの理念浸透研究、とりわけ個人の理念浸透に焦点をあてた研究が理論枠としてきたものは、観察学習やセンスメーキング(金井・松岡・藤本1997)、アイデンティティ理論(高尾・王2012)、意味論(北居1999、田中2014a)というように、社会心理学や社会学に軸足を置いたものが目立つ。それは、個人の変化していく状態を検討するには、経営学よりそれらの領域が符号しやすいという側面がある(田中2014a)からであろう。

今回、本稿が参考にする「正統的周辺参加」理論も、Lave and Wengerが5つの伝統的徒弟制(ユカタンの産婆、ヴァイ族とゴラ族の仕立屋、海軍の操舵手、肉加工職人、断酒中のアルコール依存症者の徒弟制)にヒントを得た学習理論の1つである。とはいえ「熟練が生成する社会学的文脈を組織的に呈示した作品」(福島1993、p.155)であり、組織論としての意味合いも多分に持っている。

本稿はこの理論の大枠を踏まえつつ、5つの事例のなかの「断酒中のアルコール依存症者の徒弟制」に重きを置いた。それに意味を見出した理由は後述するとして、まずはLave and Wenger(1991)『状況に埋め込まれた学習―正統的周辺参加』理論を概観することにしたい。

3.「正統的周辺参加」理論概観

正統的周辺参加理論の特徴は、組織を「実践共同体」、新参者がそこに参加するプロセスを「社会的実践」、また「学習」を「状況に埋め込まれた活動」と捉えている点にある。

「実践共同体」は前もって「構造化」されている。それは2つの側面がある。1つは組織内の他者との関係である。徒弟制において新参者に学習の機会を組織化しているのは、親方と徒弟の強い非対称的な関係によるよりも、むしろ他の徒弟や他の親方との関係であり、仕事の実践によってその構造が与えられる(Lave and Wenger, 1991, p.74)。つまり、学習は本質的には状況に埋め込まれているため、社会的な関係から分離できるものではない。新参者が目指す熟練が親方のなかにあるわけではなく、親方がその一部になっている実践共同体のなかにそれはある(Lave and Wenger, 1991, p.73)。

もう1つは、人工物(道具、文字、記号など人為的に作り出され、人々によって利用されているもの)にコード化された情報である(Lave and Wenger, 1991, p.112)。新参者は、毎日の実践のなかで、そのつど人工物を採用し、そのテクノロジーと取り組む。十全的参加者になるためにテクノロジーと取り組むことが意味を持つのは、利用される人工物が、その実践の遺産をかなりの部分で引き継いでいるからである。たとえば道具の使い方を学習することは方法論だけでなく、その道具が具体化している実践の歴史をも学ぶことにつながる。このように、実践共同体内の知識と特徴的なやり方は、多かれ少なかれ人工物の中にコード化されている(Lave and Wenger, 1991, pp.84-85)。

新参者は、社会的実践を行うことで理解と知性的技能を発達させていくが、それは単なる観察と模倣ではない。最初は広く周辺的な見方から始め、熟練者や完成した製品、一歩先んじている徒弟を手本に、変化していく分業の内容、公式・非公式、かつ多層的な共同体への参加、変化していく社会的関係等をとおして、共同体の実践を構成しているものが何かについての一般的な全体像をつくりあげる。そしてこのようなプロセスを経るなかで、「実践の文化」(たとえば、熟練者はどんなふうに話し、どんなふうに仕事をこなしているのか、古参者は何を大切にして何に感嘆するのか、十全的になるために何を学べばよいのか等)を学んでいく(Lave and Wenger, 1991, pp.76-77)。

社会的実践は緩やかに変化する環境のなかでの継続的な学習である。親方に相当するような存在がいて、その人を取り巻くように熟練の諸レベルの階層的もしくは同心円的な構造が存在する。この周辺から中心への緩やかな移動をとおして新参者は、親方のもつ言動や考え方を身につけるだけでなく、十全的参加者へと移動していく。周辺から十全への移動、それが「正統」である。また、移動のなかで最も重要なことは、熟練した実践者としてのアイデンティティの実感が増大していくことである(Lave and Wenger, 1991, p.98)。なぜなら学習とアイデンティティ感覚は同一の現象の異なる側面といえる(Lave and Wenger, 1991, p.102)からである6)

このように当該理論は、学習を実践共同体への参加の度合いの増加と見ているため、人物や人工物、実践の文化からの学習が進化し、絶えず更新されることに意義を見出している。そしてその際、力説されるのがアイデンティティの重要性である。そこで次に十全的へ移行するプロセスをとおして、組織に沿ったアイデンティティがいかに形成されていくのかが、より詳細に説明されている「断酒中のアルコール依存症者の徒弟制」の事例を解説する。

4.「断酒中のアルコール依存症者の徒弟制」の事例

アルコール依存症の新参者は、週に何回か、団体(Alcoholics Anonymous:AA)の集会に参加することで、AAが目指している目的を知り、包括的な見通しがもてるようになる。目標は12のステップで示されており、それは周辺的参加から十全的参加へと導いてくれる。

AAの主な働きは、新参者が個人のパーソナル・ストーリーを作り上げていくプロセスをとおして、アイデンティティを再構築し、そのストーリーに伴って本人の過去と未来の行為の意味を再構築させることにある。

ストーリーが語れるようになるには、お手本に接することが第一である。お手本からの学習に加えて、相互のかかわりから、さらなる学習が生まれるからである。同時に新参者は人々のなかにコード化されたアルコール依存症に関する文化モデル(AAの主張、証拠として使える適切なエピソード、出来事の適切な解釈等)を学習し、それを自らの人生に適用し、行為として示すことが求められる。つまり成功(回復)には自分自身と自分の問題を、団体の見方で見ることを学ばなければならない。

ストーリーを語ることは、他の飲酒者にモデルを提供するだけでなく、彼らの断酒を達成する手助けになり、ひいては語る人の断酒を維持するのにも大いに役立つ。また、語ることは会員であることの証にもなる。なぜならメッセージを伝えるほど、十分に団体に所属していると感じることができるからだ。

会員であり続けるために、アルコール依存症者のアイデンティティには、重要な2つの側面がある。1つは依存症者としての資格と、飲酒をしないという持続した努力である。それは当初、会員になる資格となっていた行動の否定であり、この両側面を確立する必要がある。

人々はなぜ変わるのか。それは行動が変わるだけではなく、彼らのアイデンティティが変容するからである。つまり、自身が依存症であることを認め、アルコール依存症者ではない飲酒者から断酒中の依存症者になることにより、ものごとの見方、振る舞いが変容していく。

このように、新参者は会員としてのアイデンティティをもつことから始め、自身のストーリーを、AAのアイデンティティと重ね合わせて理解するための道具として用い、やがて自分を断酒中のアルコール依存症者とみなし、人生を「証」として再解釈するようになる(以上、Lave and Wenger, 1991, pp.60-66)。

この事例が本調査の分析にとり有効であると考える理由は2つある。まず1つは、以下のように、ミクロレベルの理念浸透研究が議論してきた内容と重なり合うからである。

個人における理念浸透とは能動的な解釈のプロセスである(北居1999)。理念は包括的で多様な解釈の余地を残しているため(加護野1983)、一人ひとりのなかで理念の理解・解釈が更新されることが不可欠となる(北居1999、住原・三井・渡邊2009)。その際、本人が理念的と捉えているお手本となる人物の言動がモデルとなったり(金井1986田中2014a)、管理者クラス以上になれば蓄積された経験に基づき語るという行為(金井1997)が、自身の理念の理解を深めることにもつながっていく。部下対応も同様に効果がある。それは指導をとおして理念を再確認することができるからだ(田中20122016)。とりわけ重要なのが経験である。特に転機となる経験は、それに立ち向かい乗り越えることで気づきや意味づけがもたらされ、理念が身に沁みてわかるようになる(田中20122014b2016)。そして最終的には組織と個人のアイデンティティが融合すること、これが個人の理念浸透である(高尾・王2012)。このように両者の主張には共通点が多く見られ、理論的に親和性があると言える。

2点目はこの事例が「特殊」だからである。依存症者は最終ゴールを達成するために、日々断酒をし続ける。三代目も形は違えども同様であろう。後継者として、早い段階からそれなりの地位につき、企業存続のため理念浸透と利益達成に向かって立ち向かう。このように両者ともに、逃げれば終わりという環境下で、日々努力をしながら、組織が求めるアイデンティティを自身のなかに構築していくことは共通点であるし、それは特殊でもある。

ただし、本稿の対象は御曹司である。そのため事例とは異なる展開が想定できるため、新たな発見事実を導出し、当該理論に新解釈を提供すると同時に、三代目の理念の理解を明らかにすることを目的に分析を行う。

5.分析のための問いかけ

◆大枠の「正統的周辺参加」理論をもとにした問いかけ

【問いかけ1】理念の理解を推し進めるのは誰か

構造化された実践共同体において、学習の機会を組織化するのは組織内の他者であるとされる。組織化されていくなかで理念の理解も進むと考えられるが、この理論に依拠するならば、三代目の理念の理解を推し進めるのは、創業者や二代目よりも組織内の人々ということになる。はたしてそうなのか。またそれはどのような状況で引き起こされるのか。

【問いかけ2】理念の理解を推し進める人工物は何か

実践共同体内の知識や操作法、特徴的なやり方は人工物の中にコード化されており、新参者はそこから実践の歴史や文化を学んでいく。とするならば三代目が理念を理解していくプロセスにおいても、組織内に理念や文化を感じさせるコード化された何かがあるはずである。それはどのような人工物か。

◆「断酒中のアルコール依存症者の徒弟制」の事例をもとにした問いかけ

【問いかけ3】理念を組織的な視点から理解しているか。周囲に対して理念を語っているか

「言葉は参加の正統性にかかわる」とされているが、三代目が理念について語るとき、そこに組織的な視点は持ち込まれているか。また、部下等の周囲に対して、理念に関してどのような語りを行っているか。

【問いかけ4】アイデンティティはどのように深まっていくのか。それは理念の理解にどのように影響しているのか

アイデンティティが増大していくことは学習の成果であり、「一人前」になるうえで重要な要素である。三代目がより経営者らしくなっていくうえでも、アイデンティティの存在は欠かせないが、どのような経験をとおしてアイデンティティを深めていくのか。またそれは理念の理解にどのような影響を及ぼすのか。

6.事例研究

6.1 定性的調査の意義と調査対象者の選択

本稿は研究方法として個別事例研究を用いる。事例研究は通常、質的なデータを重視し、単一ないし少数の事例の深く多面的な分析を行うものである(沼上1995、p.55)。その学問的意義と有用性については多数の議論があるが、本稿が援用するのは、あるテーマやトピックに関する研究の初期段階や、当該領域に新たな視点を持ち込むような場合、特に有効なアプローチである(桑嶋2005、p.39)という考え方である。本稿と類似した研究はなく、参考にできるほどの蓄積されたデータもないため、この特性を活かすことができると考えた。

また、今回の調査は三代目が理念を理解するプロセスを検討することが目的である。彼が周辺から十全へと移動していく変容のプロセスを見るためには、人間行動のダイナミズムや機微に触れる必要があり、そこに接近できるのは定性的調査の強みと言えるだろう。

筆者は2004年~2013年までの10年間、継続して理念浸透に関するインタビューを実施してきた7)。企業選定の際は一定の基準を設け、6社の経営者を対象にスタートした。その後は管理者→若手→役員というようにインタビューを進め、浸透していると分析できなくなった企業は調査から省くという手順を踏んだ8)。その結果、10年間継続して各層に理念が浸透し続けていると分析できる企業が1社だけ残った。それが(株)堀場製作所である。

その後も、海外現地法人の社長やスタッフ、本社の会長等へのインタビューを継続して行っており、そこでも理念が浸透していることが分析できる結果となっているため、当該企業の三代目を調査対象とすることは妥当と考えた。

当該企業の理念は「おもしろおかしく」。規模はグループ従業員数8288名(2019年12月、調査実施当時)。創業者である堀場雅夫氏はすでに亡くなっており、二代目が本社取締役会長兼CEO、三代目はグループ会社の代表取締役社長である。

(株)堀場製作所の三代目である堀場弾氏は1980年生まれ。2004年に堀場製作所入社。2008年にアメリカ法人、ホリバ・インスツルメンツ社に出向。2012年にアーバインオフィスに異動、社長補佐。2014年、同社社長。帰国後、2018年より(株)堀場アドバンスドテクノ代表取締役社長に就任している。

6.2 分析方法

インタビューは2019年12月に半構造化面接法を用いて実施した。分析は、Glaser and Strauss(1967)によるグラウンデット・セオリー・アプローチ(以下、GTA)を参考にしている。GTAはデータに基づいた分析から概念を抽出し、概念同士の関係づけによって独自の理論を生み出す質的研究法である。

提唱したGlaserとStraussは、その後、2人の立場や考え方の違いから方法は二分化した。Glaserは分析の始めに行うデータの切片化は細かく行い、緻密に分析するように言うが、Strauss派(Strauss and Corbin派)は、その大きさをデータのリッチさによって変化させることを提唱した9)。理念に関する研究は、一連の流れや関係性を把握することが肝要なため、厳密にいうとStrauss派の方法に従って分析を行っている。

7.結果と分析

まずインタビューで語られた三代目の置かれた状況と、それに対する本人の意識を把握することから始めたい。

創業者である祖父からも、二代目である父からも、「会社を継げ」と言われたことはないが、幼い頃から継いだほうがいいのではないかという気持ちがあった。また、祖父を社会的に知名度の高い創業者として客観的に見ていた。会社のイベントや、自宅に社員を招いてのパーティに顔を出すたびに、創業家出身であることも感じていた。そのとき一緒に遊んでもらった社員のなかには、現在の取締役クラスの人々もいる。

大学卒業後は二代目と同様にアメリカの大学院に留学をし、その後、アメリカのグループ会社に従業員として入社。6年目に社長となる。その際、社長をすべきか悩むが、社内に指導をしてくれる人がいてくれたことも手伝い決断。帰国後、グループ会社の社長に就任した。

二代目は自身の年齢の頃、本社の社長をしながら、早めに退任した創業者と週に一度は話し合いの場をもっていた。しかし、自分が初めて社長を任されたのは海外のグループ会社で、そのときの相談相手は社内の上位者であったし、日本に戻ってきてからも、日常的な業務に関して相談をするのは取締役クラスの人々である。組織の規模が拡大してきたので、コマンドラインを守ることは秩序を保つうえでも、また客観的に自分を見てもらううえでも妥当だと思っている。二代目である父親には重要な案件でない限り相談はしないが、概念的な考え方の部分は共有するようにしている。

三代目にとり当該企業とは、働く環境が整備され、生活面や成長面でチャンスをもらえる感謝すべき存在である。一方で社長という立場にプレッシャーを感じ、ときにネガティブになることもあるが、会社に対する想いは強い。現在の心境は後継者としてトレーニングをしているという感覚で、先のことは現在の成果の有無に関わっていると考えている、と言う。

①理念の理解を推し進めるのは誰か

「正統的周辺参加」では、熟練へと導くのは周囲の人々との関係であることが主張されていたが、三代目の理念の理解においてもそれが確認できる結果となった。

AとかBとかCとかですね(いずれも取締役の名前)、あのぐらいの世代の人間のほうが私よりも創業者と過ごした時間は長くて、仕事として創業者の理念とか陶酔を受けてきたんじゃないかというのを最近よく言うんですよね。実際に今の役員クラスの方々がどういう判断をされるか、どういう発言をされるか、どういうところを気にされるかというところを聞きながら、会社の理念と堀場家のこの流れと、合わせているようなところが実はあって、そこはひょっとすると他の社員さんと変わらないところなのかもしれないですけど。

このように三代目は、仕事を進める判断基準として取締役クラスの言動を意識することで、創業者の考えを推し量りながら、組織文化(Lave and Wengerが言うところの「実践の文化」)や理念を学んでいることがわかった。それは「間接的にしか見れないんですよ。もう会えないので」という言葉からもうかがいしれる。本人も語っているように、周囲を観察しながら理念の意味を学ぶことは一般従業員も同様である。しかし、決定的に異なるのは、それ以外の要素もあるということである。

当然堀場家としての理念というか10)、もともと創業者がどういう人物像であったかというのと、今会長がどういう人物像なのかというのと、今自分がどういう人物だろうというところがあって。で、堀場製作所という会社に対するロイヤルティの高さというのは、やっぱりすごく高いと思うんですね。それは他の社員さんとはまた違うところなんだろうなというふうには思いますし。

本稿がこの言葉のなかで特に重要と捉えたのは、創業者と二代目の人物像を、自身に照らし合わせているという部分である。三代にわたる人物を統合していこうとする気持ちが垣間見えるこの言葉は、理念を受け継いでいく姿勢にもつながるであろうし、後で詳細に検討するアイデンティティとも関連しているものと言える。

②理念の理解を推し進める人工物は何か

当該企業の理念は「おもしろおかしく」であるが、下位概念として「チャレンジ&エキサイティング」というキーワードが存在し、それが組織文化となっていることが、今まで各層のインタビューから明らかになっている11)。それに関する話が三代目からも出た。

基本的にはプラスの評価しかしないということですね。それが人事に反映されたりというのは、みんな見ていると思うので。難しいことをやってはるな、失敗しはったな、もうどこかに飛ばされはるかなと思ったら昇進しはるとかね。そういうのをもう見てきてるので。成功を続けることよりも難しいことを提案して挑戦していく人を、後押ししてくれはるような、そういう考え方があるんじゃないかなとは思いますけどね。

人事に関する判断基準は、Schein(1985)が理念浸透の一次的メカニズムとして、組織の価値を伝えるうえで重要視したものであるし、今後、三代目が意思決定を下すときにも参考にすると思われるが、チャレンジした人が評価される文化や制度を目の当たりにすることで、理念に内包された意味を感じ取っていることがわかる。

また、当該企業では海外のグループ会社を対象に、本社の人事部と現地の責任者とが連携しあって、現地スタッフに理念を学習させる取り組みがグローバルに実施されている。

(本社には)定年を迎える人たちが結構いてて、そういう人たちは長年の積み重ねでホリバの文化というのを、もう身に沁みて感じてはるんですね。だからといってフィロソフィーというこのパッケージをそのまま伝えれるというわけではなくて、体現はできるんですけど、どういう考え方で、どういう理念で、こういう価値観を皆で共有してるんですよ、こういう歴史があったんですよというところまでは、やっぱりなかなか広められないので、もう一度あらためて人事部が中心になって(海外の)全社員に感じてもらおうと。

自分よりも年配の従業員のほうがホリバの文化には精通しており、彼らに対して一目置いていることがわかる語りである。各人に蓄積された文化を、海外のスタッフに対しても伝えようとする取り組みが行われていることは、三代目に当該企業の理念性の高さを認識させ、理念の理解を促す要因になっていると考えられる。

③理念を組織的な視点から理解しているか。周囲に対して理念を語っているか

いい会社だねと思ってもらえるようになるのが一番なのかなと。それは社外の方もそうですし、働いてる人もそうですし、何か楽しい、おもしろおかしく仕事ができるよねという。そのためにやらないといけないことはたくさんあるんですけど、きっちり業績を伸ばして利益も出してという部分がないと、そういうシビアさがないといい会社にはならないので、まず全体的なバランスを含めてできたらいいなというのが一番。それが「おもしろおかしく」じゃないですかね(A)。

「おもしろおかしく」も、結局、自分のやりがいというか、やりたいことを全力でできるかどうかだと思うんですよね。おもしろく仕事ができれば全力でできますし、そもそも、これが好きじゃないと思うほど仕事をしたのかというところも、ね、『イヤならやめろ!』というところがあるみたいに、結局それだけ思い切りやってみたのかというところも最高顧問(創業者)は問うてたので、そういう意味では、ね、おもしろくなるほど全力でやって、自分のベストを尽くせることがすごく「おもしろおかしく」につながっていてという、そういう好循環を生めるような環境になれば、会社としても一番生産性が上がるし、個人としての満足度も上がるということだと思うんですよね(B)。

Aは理念を前提にマネジメントを行っており、十全に近いレベルで理解が深まっていると言える語りである。Bは創業者の代表的著書である『イヤならやめろ!』のタイトルと内容を引き合いに出し、創業者が理念に見出していた意味を理解したうえで、自分なりの「ベストを尽くす」という意味づけが行われており、AとBいずれも理念を組織的に理解していると分析ができる。

しかし、この2つの語りが同一人物から出たとは思えない違和感がある。それは2つの語りのレベルが違うからである。

田中(2016、p.117)によれば、個人の理念の浸透レベルは第6レベルまであるという。それは「図表1」に示すとおりであるが、これに照らし合わせると、Aは第5レベルであるのに対して、Bは第3レベルである。筆者が今まで行ってきたインタビューで、同一人物から異なるレベルの発言が出るということはなかった。これは一体何に起因しているのか。

図表1 経営理念の浸透レベルのモデル
レベル内容
1
理念を認識している
理念の文言を知っている
理念の文言を覚えている
2
理念を主観的に解釈できる
理念を象徴するような具体例やモデルを知っている
理念を自分なりに解釈できる
理念に基づく行動とはどのようなものかを考えることができる
3
理念を客観的に理解できる
理念を感じる経験をしたことがある
理念を組織に沿った視点で理解できる
理念を行動に反映させることができる
4
理念が納得できる
転機となる経験をしたことがある
理念が腑に落ちる
理念の意味を自分の言葉で説明できる
5
理念が前提になる
理念が行動の前提となる
理念にこだわる
6
理念が信念になる
理念を信じて疑わない

*「解釈」は頭でわかること、「理解」は頭でわかるだけでなく、実際にそれが行動に反映できること、また「腑に落ちる」は納得することの意味で用いている。

出所:田中(2016、p.117)より引用

Bの語りには続きがあり、三代目は幼い頃から二代目である父親にベストを尽くすように言われてきたことを引き合いに出している。しかし、自身の価値観を理念のなかに見るのは、若手のインタビューで確認できた事柄である(田中2014a)。三代目と同年代の管理者のインタビューでは、転機となる修羅場的な経験が出され、その後、理念の意味が腑に落ちたことが語られている(田中20122016)。次は管理者の語りである。

だから結局「おもしろおかしく」というのは、最初からおもしろおかしい仕事なんてないわけで、いろいろ苦労して乗り越えて、うまくいって初めておもしろおかしくなる。そういう意味がやっぱりフランスに行ってわかった。会社に入った瞬間に、何か楽しい仕事をさせてもらえるのかなと思いますけど、そうじゃなくて、舞台を与えられて、自分がいろいろチャレンジして、自分なりに乗り越えて、何かうまいこといった。その喜びがやっぱり「おもしろおかしく」じゃないかなと思います(管理者)。田中2016、pp.114-115)

こう語った後、管理者は「おもしろおかしくとはチャレンジだ」と意味づけた。修羅場は「状況に埋め込まれた」なかで出現する避けがたいものである。そのため、それに取り組んだ結果、自信が生まれ、理念の理解が深まっていくのだが、三代目の話に修羅場は登場しない。

三代目は「ホリバはいい会社だと思ってもらいたいというのが、一番のモチベーション」「ホリバでなかったら、ここまで仕事をしていない」と語っており、当該企業へのロイヤルティは高く努力も惜しんでいない。しかし、そこに大きな気づきをもたらす経験が追いついていない可能性がある。つまり「経営者としての意識の高さ」と「経験」の間に乖離があるため、「おもしろおかしく」の意味を語るとき、組織的ではあるものの、概念的にならざるを得ないのではないか。すなわち図表1の「レベル4」が弱いのである。

また、理念について部下に語るという話は出なかった。これは三代目に限ったことではなく、今まで先代や役員、管理者にインタビューを行ったときも、「語らない」ことが語られている。「おもしろおかしく」は第三者が語ることではなく、本人が経験して感じるものというのが組織的な意見であった。もしかすると文化が継承されているのかもしれない。

④アイデンティティはどのように深まっていくのか。それは理念の理解にどのように影響しているのか

三代目のアイデンティティは、経営者としての活動以上に、創業家に生まれた生い立ちと、経営者になってからもそのことを再認識させられる経験が相まって、増大していくことが浮かび上がった。とりわけ創業者にかかわる事柄が、それに影響を与えていると思われる。

三代目は幼い頃を振り返り、母方の実家には気楽に行けたが、堀場家にいくときは、「ほわっとご飯が食べられなかった」「見られている気がした」と言っている。

やっぱりおじいちゃんという位置づけよりも、堀場製作所の操業を社会的にすごくこう、何ていうんでしょう。だからちょっと客観的に見てるところはあったと思うんですよね。何かちょっと、そういう意味での距離感はあったのかもしれないですけどね。

祖父に距離を感じていたものの、創業家に生まれた環境は心地よいものでもあった。

幼い頃、会社のイベントに連れて行かれたときに、あ、やっぱりそういう立場なんだなとか、そういう家系なんだなというのは感じていましたね。対応がやっぱり違うじゃないですか。それ自体が私の小さいころのモチベーションにつながってた部分もありますし。

このような幼い頃の経験はアイデンティティの素地になっている可能性がある。そしてそれが本格的に動き出すのは、経営に関わるようになってからである。時系列で紹介しよう。

【アメリカで社長をしていたときの創業者との思い出】

一時帰国すると(創業者に)毎回時間をとってもらってたんですけど、2時間ぐらい。で、いろんな話を少しする。それまでは立場が違い過ぎて、多分話が合わへんかったのかもしれないですよね。それが責任を持つようになったので、大分こう近づいたのかなと。ちょっと目線が近くなったところで話ができるようになったので、顧問も私と大分話をしてくれはるんじゃないかなということですけど。

【日本でのグループ会社着任後】

社外のいろんな方とお会いする機会があるんですけど、もういろんなところで、「顧問(創業者)には大変お世話になりまして」と言われるんですよね。退任してからは社外的な活動を積極的にやっていたので、そのときの縁で何がしかの縁を感じていただいていて、そういう意味では、ちょっと距離が近づけるのはラッキーだなというのは思いますけど。

Lave and Wengerは仕事を介して正統性を獲得することが、十全的参加者へと移動するうえで重要であると言った。そのなかには熟練者と交流をしたり、認められたりするという要素があるが、これら2つの語りはそれに相当する。創業者との目線のあった会話や、創業者と接触の多かった外部の人々から親しく感謝を述べられることは、経営者としての正統性を感じさせる出来事である。

注目すべきは、どちらの語りにも「近づく」という言葉が登場することである。これは十全である創業者の方向に向かって自身が移動していることが実感できているキーワードであるし、それに伴いアイデンティティも高まっているはずである。

【現在】

年齢を重ねるごとに(創業者の)すごさというのを感じるなというのがあって。当然、ゼロイチから事業をつくってこのサイズまで。事業に乗せていくだけでも、かなり大変な時期だったと思うんですよね。それは私が仕事をするようになってもそうですし、責任が上がって判断しないといけない場面とか、組織が同じ方向に向いてほしいと思うこととか、いろんなことに直面するなかで。いろんな判断があるなかで、それを成功に導いてきたということだと思うので、そこの難しさというのを、年を重ねて役職が上がっていくなかで、余計にそのすごさを感じるという部分ですかね。

そしてこのような尊敬心が「7-①理念の理解を推し進めるのは誰か」で紹介した「堀場家としての理念というか、もともと創業者がどういう人物像であったかというのと、今会長がどういう人物像なのかというのと、今自分がどういう人物だろうというところがあって」という言葉につながっているとすれば、理念的と評された創業者と自分を重ね合わせて見るようになってきており、経営者としてのアイデンティティが時間の経過と共に深まってきているだけでなく、理念の理解も進んでいるとみることができる。

8.発見事実の要約

ここからは分析で得られた共通点と追加点を提示した後、それを踏まえつつ、三代目の理念の理解についてまとめたい。

①理論枠をもとにした共通点と追加点

◆共通点「構造化された実践共同体」

本調査からも、「構造化された実践共同体」の存在が、三代目の理念の理解にとり重要であることが明らかになった。つまり組織そのものの影響力である。創業者の思考や理念を十分に理解している取締役クラスの人々の言動(人物)はその最たるものであるが、それだけではなく、チャレンジした人が評価されるという組織文化にもなっている制度や、理念浸透のために海外法人と共同で行っている活動(人工物)というように、「実践共同体」に理念性の高さを具現化した要因が内在化しているからこそ、三代目の「社会的実践」は功を奏す。学習が「状況に埋め込まれている」以上、これらは直接的に三代目の理念の理解に影響を及ぼすと同時に、強い効果を上げるものと言えるだろう。

◆追加点「アイデンティティ」

それに対して、個人の内面にかかわるアイデンティティは、三代目の理念の理解を側面から支える役割を果たすと考えられ、それが増大するプロセスで理解が進むことがうかがえる結果となったが、2点の追加点がある。

まず1点目は、アルコール依存症者の事例では、ストーリーを語り断酒するという「行為」を続けることが、自身の再解釈を促し、アイデンティティが深まるとされていた。それに対して三代目は、創業者に近づいていると感じられる「状況」が軸となり、正統性を獲得することでアイデンティティが高まっていた。幼い頃、感じていた特別感が、同じ立場になったとき、創業者への敬意や血縁関係者としての誇らしさと相まって、アイデンティティへと変容していくのである。

先行研究では、状況を作り出す相互作用の有益さについて触れられてはいるが、学習をもたらすものは、あくまで本人の「社会的実践」(行為)に依るという立ち位置であり、「状況」がアイデンティティを深めることについては言及されなかった。

2点目に、彼らの理論は、「仕事につく以前」のことは視野の外に置かれている。しかし、後継者を対象に検討してみて、それ以前から心の準備はある程度できており、周辺参加は始まっていることがうかがえた。それは助走期間のような「プレ周辺参加」と呼べるものである。そういう視点で彼らがヒントとした5つの事例を見ると、産婆の徒弟制にもこの「生まれたときから周辺的環境に身を置いている」という考えは適用できるように思えるが、生育環境は説明されてはいるものの、そこから徐々にアイデンティティが萌芽していくプロセスは論じられていない。

以上2点は当該理論に、アイデンティティを増大させる「要因の多様性」と、正統的周辺参加の始まりをどこからと見るのかという「時間軸を拡大することの必要性」を投げかけるものであり、本調査の新解釈でもある(図表2図表3参照)。

図表2 理論枠をもとにした共通点と追加点(新解釈)
共通点
構造化された
人物・人工物
社会的実践(行動、観察、相互作用等)をとおして、これらから学習(理念を理解)する
追加点(新解釈)
アイデンティティ
1)状況がアイデンティティを増大させる(要因の多様性)
2)仕事や業務につく以前から周辺参加は始まっており、それがアイデンティティの素地となっている可能性がある(時間軸拡大の必要性)

出所:筆者作成

図表3 正統的周辺参加をもとにした三代目の経営理念の理解および本調査の発見事実

*網掛け部分が理論枠に追加される新解釈。

出所:筆者作成

②三代目の理念の理解

三代目の理念の理解は、道半ばである。理由として、理念の説明が概念的であることと、経験の不十分さを挙げることができる。

三代目がアメリカで社長をしていたときのエピソードとして、創業者から連綿と続いてきた誕生会やブラックジャック12)を踏襲したことが語られたことは、組織文化を受け継ぎながらマネジメントを行っていると確認できるし、理念を念頭に置きながらマネジメントを行おうとする姿勢や、創業者の本を引き合いに出して理念の意味が語られたことも、組織に沿った理解がされていると判断できる。

しかし、アルコール依存症者の事例で当該本人は、最終目標に向かって、自身のストーリーを語り、断酒をするという、壮絶な努力を日々実践している。筆者が調査をした管理者も、全員が逃げ出したいような修羅場―たとえば片道切符で出向する、フランス支社の副社長になったものの、フランス人の社長から「英語ではなくフランス語を話せ」と言われ、仕事以前の問題でつまずく等を経験し、それを乗り越えた後に、理念が腑に落ちたと語っていた。それらと比べたとき、彼の話すエピソードは日常的である。

三代目には、生育環境や職場環境、創業者の人脈等、所与のものが多い。それらはつかみ取ったものではなく、あらかじめ用意されたものである。だからこそ、その分、理念が自分のものになるためには、「環境に埋め込まれた」なかで、もうダメかもしれないと思えるできごとを乗り越える経験が不可欠となる。

アルコール依存症者も三代目も強い残像があるように思う。前者はアルコールに溺れた過去であり、後者は大きな創業者の存在である。依存症者が当初、会員になる資格となっていた行動を否定すること(断酒)で十全に近づくように、三代目も創業者が振り切れるほどの経験をすることが、逆説的ではあるが十全への近道になるように思える。そのような経験が語られなかったことは、理念の理解は道半ばと判断できる(図表3参照)。

9.インプリケーション

以上をもとに、本稿の学術的インプリケーションを述べる。今まで学習が個人のなかで起こっている認識論として捉えられがちだったものを、Lave and Wengerは「実践共同体」で行う「社会的実践」と不可分であるとした。この主張は示唆深く、今後の理念研究を考える際のインプリケーションをもたらしてくれる。

今回の調査で、構造化された組織的な要因が理念の理解を直接的に進めることが明らかとなり、「理念浸透とは組織の問題である」ことを再認識させられた。昨今の理念浸透研究は、個人の視点から検討することで研究を前進させてきたが13)、その立ち位置はやや認識論的である。学習が状況に埋め込まれたなかで進んでいく以上、実践共同体が提供する場は生命線となる。はたして理念研究はそれに十分に対応してきただろうか。

たとえば、日本企業の理念は「組織における個人の生き方や他の組織メンバーとの相互作用のあり方に関する原則を多く含んでいる」14)という指摘がある。とするならば、理念浸透を個人の問題としてのみ捉えるのではなく、たとえば組織メンバーとの相互作用の視点から検討することで、新たな浸透の実態が見えてくるはずである。つまり、「実践共同体」と「社会的実践」、それぞれの要因を抱き合わせて検討することが求められるのではないか。

10.本稿の貢献と残された課題

本稿は「正統的周辺参加」を理論枠に三代目の理念の理解を検討した。本稿の貢献は2点ある。まず1点目であるが、経営者の理念浸透のプロセスに焦点をあてた研究は皆無に近いが、そこに光を当てただけでなく、経営者真っただ中の人物を対象に、彼の「現在」の理念の理解を探ったことである。これにより「ダイナミズムとは現在進行形である」という新しい切り口を提示することができたと考えている。

2点目に、理論枠では「行動」することでアイデンティティが増大していくことが主張されたのに対して、本調査からは「状況」が軸となり、それが増幅していくことと15)、仕事や業務につく以前から周辺参加は始まっていることを抽出することができた。これらにより当該理論の縦軸(アイデンティティ増大要因)と横軸(時間軸)を広げることの必要性を示唆することができた。この発見事実は医学部や教育学部といった専門職を目指す学生にも適用できるように思うし、対象を拡大することで、今後新たな議論へと発展していく可能性を含んでいるように思う。

しかし、課題も残された。それは、たった1社のたった1人を調査対象としたため、個別事例の域を出ないという点である。「学習を始める前段階」がその後のアイデンティティや、ひいては理念の理解に好影響を及ぼしたのは、社会的に知名度が高く財務状況も健全な企業の御曹司だからかもしれない。これが借金の返済さえままならない零細企業の三代目であれば、生育環境がむしろ負の感情をもたらし、結果は違ったものになる可能性は否めない。

今後求められるのは、難しいことではあるが分母の数を増やすことであろう。企業を選定する際には規模や歴史、取締役の人員配置等を視野に入れ調査を行い、比較検討をすることである。ただ、後継者の調査は本人の気質や経歴、親兄弟との関係、そこから生まれる感情、土地柄等、インタビューでは浮かび上がりにくい複雑な要素が絡むため、定性的調査から一般化を図ることができるのかという疑問も残る。

もう1つの課題は、今回の調査から理念浸透のレベルが異なる発言が出たことである。これは大変興味深く、若手経営者に焦点を当てたからこそ得られた発見と言える。「周辺的参加では変わり続ける参加の位置と見方こそが、行為者の学習の軌跡であり、発達するアイデンティティであり、また、成員性の形態でもある」(Lave and Wenger, 1991, pp.11-12)と言われるように、今後はレベルの差異が何に起因し、どのようなプロセスを経て十全の域に達するのか、それを明らかにするなかで、Lave and Wenger理論の再検討を行い、タイムリーかつ長期にわたる理念浸透の精緻な議論を展開することが必要であろう。

著名企業の経営者のインタビューには制約が課せられており、三代目も語りたくとも立場上、語れなかったこともあるかもしれないし、言葉を分析する手法は、あたりまえのことではあるが、語られたことしか分析できないという限界もある。しかし、理念浸透のダイナミズムを解明するためにも継続して調査を行い、人間関係を作り、心の機微に接近できればと願う。そして、より生身の人間の変容プロセスと理念の理解を解明したい。

謝辞

本稿の査読において、2名のレフェリーの先生から有益なコメントを賜った。コメントには研究の基本的な考え方や今後の課題となるようなヒント等、含蓄あるご教示が多々含まれており、深謝申し上げる。

また、インタビューをお受けくださった堀場弾氏にあらためて感謝を申し上げます。誠実にご対応いただき、まことにありがとうございました。

本稿は、帝塚山学園学術・教育研究助成基金特別研究費(2019-2020)の助成を受けたものである。

1)  「理念を自分のものにする」の意味であるが、田中(2016、p.117)は、個人の理念浸透レベルは第1~第6レベルまであるとしている。詳細は本文の「7-③」で論じているので、そちらを参照いただきたいが、経営者が「理念を自分のものにする」というのは、第6レベルの「理念が信念になる」状態を指している。ただし本稿では、便宜上、「理念の理解」という表現をとるものとする。

2)  このことに関してはWeick(1995)も「後知恵のバイアス」と表現して、それを認めつつも「価値が明確になると、過ぎ去った経験のなかで何が重要かが明確になり、ひいては過ぎ去った経験の意味するものについて何らかのセンスが得られる」(訳書、p.37)と反論している。そして、回顧する際に付随する内省的行為や、今まで歩んできた歴史と切り離さないことの必要性を示唆している。この考え方は、仕事において成熟度の高い人物を対象とする場合は適用度が高いだろう。

3)  福島の研究は、身体に関わる技能の習得が社会的構築のなかで行われることを、経験的視座から検討しているものが多く、本稿のように質的研究をもとに「組織行動論」の視点から理念浸透を検討する際に、参考となる主張が多々ある。

4)  理念が直接働きかけるのは「人」である。そこにまず経営者という「人」に焦点を当てることの意味が生まれる。経営者が理念を信念とし、それが組織に浸透すれば、経営目標や戦略・制度等に落とし込まれたり、健全な企業体質や他社の追随を許さない独特の組織文化を創造したりする。それがひいては財務的業績に結びつくこともあり得るだろう。このように、経営者の理念の理解は、単に個人にとどまらず、組織の価値体系を築き、経営活動に影響を及ぼすものであるところに、経営学としての意義がある。

5)  それに対して二代目は、二度インタビューを実施したが、ビジネスの展開や理念の理解、生き方に対しても、創業者の影響が色濃く現れている。論文としては未発表であるが、たとえば次のような語りは、それは物語る。

かなわないなって。意外とそれ、怒られるかもしれませんけど、人物として圧倒的に大きかったですから、かなうとかかなわないという範疇に入れてなかったですね。(中略)「頑張ったね」というのは言ってもらったことはないですけども。「ありがとう」と言ってくれましたね。亡くなる間際に。その言葉に全てが。

6)  当該理論では、周辺から中心へ移動していく際に生じる、新旧世代の潜在的対立や隠ぺい、ある共同体と他の共同体との「間-共同体」関係の問題等も簡単に論じられているが、本稿の目的には直接関連性がないとみなし割愛した。

7)  研究の詳細は田中(20062014b2016)。

8)  浸透の判断基準は「企業内統合の原理」と「社会的適応の原理」の両者が機能しているかである。

9)  以上、参考・引用したものは、Glaser and Strauss(1967)Strauss and Corbin(1990)Glaser(1992)木下(2003)戈木(2006)

10)  「基本的に堀場家の考え方と会社の考え方がほとんど一緒なので」という言葉も出ており、理念的に整合性がとりやすい環境があるようだ。

11)  管理者がチャレンジをした結果、報われたエピソードの詳細は田中(2016、pp.66-71)。

12)  「誕生会」は経営者が毎月、その月に生まれた一般従業員だけを招待して行うイベントであり、ブラックジャックは業務効率の改善やコスト削減、人財育成や組織力の強化等をテーマに、従業員自らが組織改革に取り組む活動でである。

13)  最近のキーワードとなっているものは、コミットメント、アイデンティティ、仕事観、メカニズム、ウェルビーイング等である(田中2019、p.26)。

15)  彼らの理論は「含みの多い文体」(福島1995、p.30の表現)のため、読み込んでいくと、「状況」を意図しているのではないかと思わせる箇所もあるが主張はされていない。

参考文献
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