2013 Volume 56 Issue 7 Pages 448-458
日本版NIHや製薬企業における,政策決定・戦略立案に資するエビデンス提供のため,新しい指標に基づいた医薬品産業の現状俯瞰・将来予測を試みた。第1回目は,製薬企業等が有する研究開発パイプラインに着目した。パイプラインを研究開発段階ごとに整理し,すでに上市された医薬品数との比較などにより,各国の現在及び将来における研究開発能力が把握できることを示した。その結果,研究開発における米国の優位性,日本の特異性などが浮き彫りとなった。
過去,化学合成に強みをもつ日米欧の大手製薬メーカーは,多くのブロックバスター(世界売上高10億ドルを超える医薬品の通称)を産出し,売上高を伸長させた経緯をもつ。代表的薬剤として,高脂血症治療薬のリピトール,抗血小板薬のプラビックス,糖尿病薬のアクトスなどがあり,その売上をさらなる研究開発に投入し,新たなるブロックバスターを開発することが,医薬品企業におけるビジネスモデルの成功例であった。
しかしながら,近年,研究開発費は増加の一途をたどり(図1),研究資金を投入しても投資に見合うだけの新薬候補の創出は困難であり,大型新薬を狙ったブロックバスターモデルはほころび始めている。
急速な少子高齢化が進む日本が,長期にわたって持続的な経済成長を実現するためには,知識集約型・高付加価値経済への転換が必要である。医薬品産業は,知識集約型・高付加価値産業の代表格であり(図2),本来日本が強みをもつべき分野である。しかしながら,現状をみると,日本発の新薬創出は少なく,大幅な輸入超過となっている(図3)。今後もこの傾向は続き,例えば抗がん剤について,2000年以降日本発のがん分子標的治療薬はなく,国内がん治療薬市場は輸入品が急速に増加している(図4)。また,2012年12月における再生医療製品の承認状況をみると,米国9品目,韓国14品目に対して,日本は2品目にとどまっている1)。
こうした現状を打開すべく,国家の課題としての,疾病克服のための研究を俯瞰する司令塔機能(いわゆる「日本版NIH」)の創設を含む「日本再興戦略」が2013年6月に閣議決定された2)。
日本再興戦略によると,日本版NIHの主な機能としては,「医療分野の研究開発に関する総合戦略の策定」,「重点化すべき研究分野とその目標の決定」,「各省に計上されている医療分野の研究開発関連予算の一元化,予算の戦略的・重点的な配分」である。また,一元的な研究管理の実務を担う独立行政法人を創設し,総合戦略に基づいた個別の研究テーマ選定,進捗管理,事後評価など,研究開発の基礎段階から実用化まで一気通貫した管理を行うこととされている。
日本版NIHが実施する項目には,研究分野・研究テーマの取捨選択が含まれており,適切な取捨選択には,確固たるエビデンスに基づいた検討が必須といえる。現在までに,各国の医薬品産業の現状について,上記のように売上や研究開発費に基づいた分析からさまざまな問題点があげられている。例えば,OECDでは,研究開発費,貿易収支,当局が審査に要する期間などの指標により各国の医薬品産業を俯瞰した報告書が2008年9月に公表された3)。また,調査会社による医薬品の売上上位品目の報告や注1),各製薬企業による自社製品情報の発表があり,これらを収集することにより,医薬品売上の上位品目の開発国を調べた資料も公表されている(図5)。しかしながら,これらの指標からは,現在及び過去の研究開発能力や産業競争力が把握できるものの,今後の動向の把握は困難であった。
本稿では,論文・特許データ,医薬品候補データ,及び各種企業データなどを有機的に連結した,医薬品産業の将来予測を可能にする新しい指標の開発を目的とする。新しい指標により医薬品産業の将来図を俯瞰することで,日本版NIHや製薬企業における,政策決定・戦略立案に資するエビデンス提供を行うことを目指す。
なお本稿は,著者の私見であり,著者が所属する機関の意見・見解を表明するものではない点にご留意願いたい。
医薬品開発は新規候補物質の探索などの「基礎研究」からはじまり,「非臨床試験」→「治験」→「申請・承認」→「市販」というプロセスを経る(他社技術を導入することで途中段階から開始されることもある)。「非臨床試験」とは,動物や培養細胞を用いた有効性及び安全性等の試験であり,また,「治験」とは薬事法上の承認を得るために行われる臨床試験である。
「治験」は,フェーズ1(健常成人を対象とした,薬物の安全性について確認するための試験),フェーズ2(少数例の患者を対象とした,有効で安全な投薬量や投薬方法などを確認するための試験),フェーズ3(多数の患者を対象とした,有効性と安全性について既存薬などとの比較を行うための試験)から構成される注2)。新たな医薬品の製造には,有効性や安全性等の確認のため複数の段階を経る必要があり,すべての段階を経て薬事法で定められた製造販売承認までたどり着くためには,数万個の候補物質から適切な物質を選択し,十数年の年月が必要となる。また,開発段階が進むにつれて莫大な費用が必要となる(図6)。
われわれは,製薬企業等が有する研究開発パイプライン(研究開発段階にある医薬品候補物質のこと。以下,「パイプライン」という)に着目し,分析を行った。
研究開発の途中で開発中止となるものがあるとはいえ,パイプラインは一定の確率で各段階を通過するため,各段階のパイプライン数を分析することにより,各国または各製薬会社が有する将来の医薬品の相対数を推定することができる。さらに,フェーズ2・フェーズ3など開発の進んだ段階におけるパイプライン数に着目すれば推定の確度はより高くなると考えられる。
なお,分析にあたっては,Evaluate社のデータベースEvaluatePharmaを用いた。EvaluatePharmaは,全世界の製薬・バイオテクノロジー業界(約7,560社)の研究開発パイプラインデータ(約45,000製品),ライセンシングデータ,M&Aデータ等が収録されているデータベースである。
まずは,低分子化合物医薬品(以下,「低分子医薬品」という)について検討を行った。低分子医薬品とは,「血液脳関門注3)を含む細胞膜を容易に透過でき,経口投与が可能であるほどに低分子量の医薬品」と本稿では定義する注4)。消炎鎮痛剤のアスピリンなどがその代表例である。
図7は,1986年から2012年までに開発された低分子医薬品(または開発中の医薬品候補物質)が,現在注5),どの国の製薬企業・研究機関等が所有し,研究開発のどの段階に位置するかを収集・整理したものである。
概して,研究開発の次の段階に移行するにつれ数が減少していることがわかる。これは各段階で開発中止となるものがあり,段階が進むにつれパイプライン数が減少するためである。また,各国ともに「市販」が最も多いのは,「市販」は開発段階の最後であり,1986年から2012年までに上市された医薬品の蓄積を示すためである。
なお,「市販」以前の段階は,現時点でのスナップショットであり,個々のパイプラインの移行を表すものではない点に留意する必要がある。さらに,図7のデータは,必ずしもその国由来の医薬品・パイプラインを反映するわけではない。例えば,日本の研究機関で生み出された創薬シーズを米国の製薬企業が買い,現時点で「市販」またはパイプラインとして有する場合,それは米国にカウントされる。
図7をみると,米国の「市販」数が圧倒的に多く,日本が2位,次いで韓国,スイス,ドイツ,フランス,英国などが続いており,これは先ほどの図5(2008年度世界売上上位100品目の開発国)の結果と酷似している。図5においては英国が,図7においては日本が世界第2位という結果になっている。また,図7においては韓国が他のヨーロッパ諸国と互角の「市販」数となっている。この違いは,図5が単年の売上であるのに対して,図7は1986年から2012年の「市販」数の合計であること,及び図5が売上上位100品目の合計であるのに対し,図7は低分子医薬品の「市販」数の合計であることに起因すると考えられる。
さらに,図5(2008年度世界売上上位100品目の開発国)は,2008年における医薬品産業の競争力を示すのに対し,図7(各国の医薬品数・パイプライン数)の「市販」数は,現在までに新薬をどの程度生み出したかの指標,すなわち各国の新薬創出力を示すといえる。
次に「市販」以外の点に着目してみる。
図7の「市販」を除いた「非臨床試験」から「承認」までをみると,米国はどの段階においても他国に比して圧倒的にパイプライン数が多い。パイプラインが豊富なことから,将来においても新薬を創出し続ける可能性が高い。一方,日本は現在までに,米国には及ばないものの他の先進国をしのぐ数の新薬を創出してきたところである。次に日本の将来性について,より詳細に検討する。
図8をみると,日本は特徴的なパターンを示していることがわかる。すなわち,他国(図7の米国も参照)は,研究開発の初期段階である「非臨床試験」のパイプライン数が最も多く,開発段階が進むにつれてパイプライン数が減少する,というパターンを示しているのに対し,日本において最もパイプライン数が多い段階は「フェーズ2」である。
研究開発の途中で開発中断となるものがあるため,初期段階のパイプライン数が最も多く,開発段階が進むにつれてパイプライン数が減少することは,容易に想像できる。しかし,日本はこの傾向を示しておらず,日本の示すパターンから以下の2つの可能性が推測できる。
両者いずれの可能性であれ,日本の医薬品産業の将来は危うい。なぜなら,可能性1の場合,日本が現在有する治験段階のパイプライン(の一部)が承認されたのちは,日本発の新薬は期待できない。また,図8において,「非臨床試験」では日本は英国の後塵を拝し,韓国にも追い付かれていることから,米国に次ぐ第2位の地位は維持できなくなると予想される。
また,可能性2の場合であっても,日本の製薬企業は,新薬開発の根源を他国の製薬企業・研究機関等に依存していることになり,これでは製薬企業というより,「治験・市販代行業」や「医薬品候補物質輸入業」のような業態といえるのではないか。他国も同様にして外部のパイプラインを積極的に導入した場合,パイプラインの奪い合いとなり(自国の企業に優先的に導入する研究機関もあるかもしれない),このビジネスモデルの長期的成立は困難である。したがって,危険回避のためにも日本国内で,初期段階のパイプラインを生み続けることは必要である。
また,上記検討から,日本版NIHがサポートすべき点がみえてくる。すなわち,将来枯渇する可能性のある日本発のパイプライン(特に初期段階のパイプライン)を確保すること注7),及び日本発のパイプラインを積極的に日本の製薬企業に導入することが,日本版NIHが担う課題の1つといえる。
次に,バイオ医薬品について検討を行った。バイオ医薬品とは,DNA組み換え技術,細胞大量培養法などのバイオテクノロジーを用いることで製造される医薬品のことである。ワクチン,抗体医薬,遺伝子治療,細胞治療などがバイオ医薬品に含まれ,低分子医薬品に比して,分子量が大きくかつ複雑な構造を有するのが特徴である。また,従来の医薬品では満足できる治療効果の得られない疾患に対する創薬が期待でき,米国市場などをはじめ各国市場において,バイオ医薬品の売上比率は今後大きく拡大することが期待されている。
また,低分子医薬品は,製造が比較的簡単であることから,途上国等の参入が容易であるのに対し,バイオ医薬品は構造が複雑なことや,製造にあたり細胞大量培養技術や精製技術などのさまざまな技術・ノウハウが必要なために,途上国の参入障壁が比較的高い。他国との差別化を図るためにも,次世代医薬品たるバイオ医薬品の新薬開発は,先進国にとって重要な課題といえる。
図9は,バイオ医薬品の医薬品数及びパイプライン数を収集・整理したものである。
まず,「市販」をみると,各国とも低分子医薬品に比して「市販」数が少ないことがわかる。このことからも,バイオ医薬品はこれからの分野であることがわかる。その中でも,低分子医薬品の場合と同様に,米国の「市販」数は他国を圧倒している。一方,低分子医薬品の「市販」数では第2位であった日本は,バイオ医薬品では米国を除く他国と同程度の「市販」数となっている。
また,米国はパイプラインの数も多く,将来においても新薬を創出し続ける可能性が極めて高い。さらに,米国は他の段階に比べて「非臨床試験」の数が多いのが特徴的である。これは低分子医薬品の場合でも同様であった(図7)。膨大な研究開発費を背景に研究開発の初期段階のパイプラインを大量に確保していることが,米国の強みといえる。
バイオ医薬品の検討の最後に,各国における低分子医薬品からバイオ医薬品への推移を考えてみる。前述したとおり,他国との差別化を図るためにも,バイオ医薬品開発の重点化は,先進国にとって重要な課題といえる。
バイオ医薬品は,バイオテクノロジーが発展してきた1980年代に実現が可能となった医薬品分野であり,米国のEli Lilly and Companyが大腸菌や酵母に「ヒトのInsulin(インスリン)遺伝子」を導入することでヒト型のInsulinを大量生産することに成功し,1982年に「世界初のバイオ医薬品」としてInsulin製剤の販売を開始した注8)。1990年代に入ると,Insulinと同様の手法により,他のバイオ医薬品も次第に上市されていった。2000年を迎えるころには,第2世代のバイオ医薬品として,「抗体医薬品」が登場した。現在は,第3世代のバイオ医薬品開発も進んでおり,「2010年代末までに,世界の新薬の30~50%が,バイオ医薬品で占められる」との予測がなされている4)。
以上のことから,1980年代は各国ともバイオ医薬品はほぼ皆無で,低分子医薬品の研究開発が大部分を占めていたといえる(漢方薬など,低分子医薬品にもバイオ医薬品にも属さないものがあるが,それはごく一部であったと考えられる)。したがって,現在のバイオ医薬品と低分子医薬品の構成比をみれば,各国のバイオ医薬品への推移が推測できると考えられる。
図10に,フェーズ2・フェーズ3の合計におけるバイオ医薬品と低分子医薬品の構成比を各国別に示した。図10をみると,日本及び韓国は低分子医薬品の割合が高いのに対し,欧州諸国はバイオ医薬品の割合が比較的高い。このことから,日本及び韓国は現時点においても低分子医薬品に重点を置いているのに対し,欧州諸国での研究開発は,比較的バイオ医薬品へシフトしているといえる。米国も,欧州諸国ほどではないが,バイオ医薬品へシフトする傾向がみられる。
日本版NIHには,総合戦略に基づいた個別の研究テーマ選定,進捗管理,事後評価など,研究開発の基礎段階から実用化まで一気通貫した管理の実施が期待される。この項では,われわれの有するデータを基に,創薬プロセスにおけるボトルネックの可視化を図り,日本版NIHがサポートすべき研究開発段階を検討したい。
まず表1に,PhRMA(米国研究製薬工業協会)会員企業の2011年における開発段階ごとの研究開発費を示す5)。研究開発費の観点では,「非臨床試験」(Prehuman/Preclinical)と「フェーズ3」(Phase3)が,重要な研究開発段階といえる。そこで,われわれの有するパイプラインのデータについて,これらの段階に焦点を当てた分析を行った。
開発段階 | 金額(百万ドル) | 割合(%) |
---|---|---|
非臨床試験 | 10,466.30 | 21.50% |
フェーズ1 | 4,211.00 | 8.70% |
フェーズ2 | 6,096.40 | 12.50% |
フェーズ3 | 17,392.90 | 35.80% |
承認 | 4,033.40 | 8.30% |
フェーズ4 | 4,760.90 | 9.80% |
その他 | 1,684.00 | 35.00% |
合計R&D | 48,645.00 | 100.00% |
出典:PhRMA Profile 2013
http://phrma.org/sites/default/files/pdf/PhRMA%20Profile%202013.pdf
図11は,日本と米国における研究開発の各段階のパイプライン数の割合を示したものである。今までの分析から低分子医薬品・バイオ医薬品の両者において米国の優位性が確認されたことから,図11では米国との比較を行った。
図11から,米国では,低分子医薬品及びバイオ医薬品の両者において,実に全体の50%以上のパイプラインが「非臨床試験」に存在することがわかる。一方,日本では,低分子医薬品については,研究開発の初期段階にあるパイプラインの割合が全体の25%と極端に低い注9)。また,バイオ医薬品についても,日本では全体の50%以下(具体的には44%)が非臨床試験にあり米国との違いが表れている。
次に,治験段階について分析する。図12は,低分子医薬品及びバイオ医薬品のパイプラインのうち,治験段階を抜き出したものである。
図12をみると,各国ともフェーズ2のパイプライン数が最も多いことがわかる。次のフェーズに移行する際にパイプライン数が減少することを鑑みるに,フェーズ2からフェーズ3への移行が最も停滞する段階であるといえる注10)。
フェーズ2は,少数例の患者を対象とするものの,安全性に加えて(フェーズ1では対象外である)有効性についての要件も満たす必要がある(「2. 創薬プロセスについて」参照)。したがって,ヒトでの有効性を確認する初めての段階がボトルネックになるものと推測される。
最後に,フェーズ2の全体数に対するフェーズ3の全体数の割合を国別に示す(図13)。この割合は,フェーズ2から3への移行率を直接には示すものではない点に留意が必要であるが注10),移行率を検討する上で参考になり得る。
図13をみると,各国とも低分子医薬品に比べてバイオ医薬品における比率が低いことがわかる。このことから,バイオ医薬品の治験は,低分子医薬品よりハードルが高いと推測される。一方,バイオ医薬品においては,(韓国を除き)値に差が少ない。したがって,バイオ医薬品の治験の困難さは各国とも同程度であると推測される。
以上のことから,創薬プロセスにおいて重要な点は,研究開発の初期段階注6)における投資(パイプライン数の確保)及びフェーズ2からフェーズ3への移行時のサポートであることがわかる。特に,フェーズ2からフェーズ3への移行においては,資金面のサポートに限らず,有効性の担保という面からのサポートも必要といえる注11)。また,次世代医薬品であるバイオ医薬品は,治験がさらに困難であると推測される。
各国の医薬品産業の現状俯瞰・将来予測のため,各製薬企業が有するパイプラインに着目し,分析を行った。その結果は以下のとおりである。
次回(12月号予定)は,テクノロジー別にみた医薬品開発の現状と将来予測について報告する。
なお,本研究の一部は独立行政法人科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業(社会技術研究開発)「科学技術イノベーション政策のための科学」(プログラム総括:森田朗 学習院大学法学部教授)における研究課題「未来産業創造に向かうイノベーション戦略の研究」(山口栄一:同志社大学大学院総合政策科学研究科教授 研究期間:平成23年度~平成26年度)の支援を受けて行われたものである。