2014 Volume 57 Issue 5 Pages 315-322
ISO 30300は記録のマネジメントシステム(MSR)の国際標準である。われわれは小規模な勉強会を通じてISO 30300の理解と分析を試みた。すでに記録管理の国際標準として浸透しているISO 15489を参照しながら,両者の違い―実務レベルから戦略レベルへ―が具体的にどのように盛り込まれているのかを検証した。ISO 30300ではMSRの原理原則とともに,ますます複雑化する記録管理を効果的・効率的に実践するために,トップマネジメントが率先してMSRを実行することの重要性が述べられている。日本のビジネス界では,いまだに体系的な記録管理に対する理解が深まらない状況にあり,ISO 30300の公式な邦訳版も存在しない。われわれの勉強会では結果的にISO 30300の全文邦訳も完了することができた。今後JIS化を含め,ISO 30300シリーズの普及にかかわりをもっていきたい。
本稿は, 国際標準化機構 ISO(International Organization for Standardization)の“ISO 30300:2011(Information and documentation-Management systems for records-Fundamentals and vocabulary)1)”の理解を目的とした有志勉強会「レコードマネジメント塾」の取り組み成果の報告である。日本語による勉強会であったことから,結果的にISO 30300の全文邦訳を同時進行で進めることにもなった。
「レコードマネジメント塾」は,2013年9月,小谷允志(塾長)と渡邊健(副塾長)が開設した。開設目的については,小谷が初回勉強会で提示した開設趣意書の一節を紹介することで説明に代えたい。
「グローバル・スタンダードのレコードマネジメント(記録管理)のコンセプト及び手法を研究し,日本の文書管理のレベル向上に貢献することを目的に,本レコードマネジメント塾を開設するに至りました。併せて次世代の日本の文書管理,情報管理を担うべき専門人材,すなわちグローバル・スタンダードのレコードマネジメント(記録管理)を真に理解し,組織内外で実践・展開できる若手人材の育成を目的としています」
勉強会のメンバーは,記録管理やアーカイブズに関するサービスを展開している企業に勤務する中堅・若手ビジネスパーソンである。海外で学位を取得した者,国内外のアーキビスト資格保有者等,多才なメンバーが集まった。
後述するとおり,ISO 30300は記録管理の国際標準として重要な意義をもち,日本における当該標準の研究が期待される。しかしながら,現在のところJIS化されることもなく,公式な日本語訳,日本語の解説書も見当たらない。われわれは「レコードマネジメント塾」の最初の研究対象としてISO 15489と比較しつつ,ISO 30300を取り上げることで,わが国ではほとんどその研究成果が紹介されていない領域に踏み込むことにした。
ISO 30300は,2011年11月15日に発行された記録のマネジメントシステム(Management system for records:以下,MSR)の国際標準である。ISO 30300の作成を担当した委員会はISO/TC46/SC11注1)であり,委員長はオーストラリアの記録情報管理のコンサルタントであるジュディス・エリス(Judith Ellis)氏が務めた。
ISO 30300は,後続のISO 30301からISO 30304までのシリーズの最初に発行されたものであり,同シリーズは2014年4月末現在,ISO 30301まで発行されている。
記録管理(Records management)の国際標準としては2001年9月に発行された“ISO 15489(Information and documentation-Records management)”が広く知られている。50以上の国において15以上の言語に翻訳されており,日本でも第1部が2005年にJIS化(JIS X 0902-1 情報及びドキュメンテーション-記録管理-第1部:総説)されている。
ISO 30300はISO 15489との関係抜きには語ることができない。エリス氏によれば,ISO 30300作成の背景にはISO 15489の2つの側面が関係している。すなわち,(1)ISO 15489が数ある国際標準の中でも特に世界的な普及に成功を収めたこと,(2)他方,それは実務レベルの標準を示すにとどまっており,より戦略レベルの標準が必要とされるようになったこと,である2)。(1)についてはすでに触れたが,(2)についてはもう少し説明を要するだろう。
ISO 15489の中核は,記録システム(records system)の設計と実施である。記録システムとは組織内で管理すべき記録の取り込み,維持,アクセスを提供する情報システムのことであり,実務レベルの記録管理に焦点を合わせたものである。しかしながら,ISO 15489が発行されてからの10年間で記録管理を取り巻く環境は大きく変化してきた。特に組織運営上,挙証説明責任を果たす際のよりどころとなる証跡として,あるいは暗黙知を含む知的資源の形式知化の結果としての記録の役割に期待が増す中,電子化の進展と相まって,記録管理の複雑性は極まるばかりである。換言すれば,記録管理に関して,実務レベルで解決できる課題よりも,戦略レベル,トップマネジメントレベルで解決しなければならない課題が相対的に増大してきたといえる。それに応えるために作成されたのがISO 30300なのである。
ISO 30300の構成は以下のとおりである(本稿におけるISO 30300の日本語訳は脚注も含め「レコードマネジメント塾」の試訳である)。
はじめに(Foreword)
序文(Introduction)
1 適用範囲(Scope)
2 MSRが成立するための基礎的条件(Fundamentals of a MSR)
2.1 MSR及びマネジメントシステムの関係(Relationship between the MSR and the management system)
2.2 組織のコンテクスト(Context of the organization)
2.3 MSRに求められるもの(Need for a MSR)
2.4 MSRの原理原則(Principles of a MSR)
2.5 MSRに対するプロセスアプローチ(Process approach to a MSR)
2.6 トップマネジメントの役割(Role of top management)
2.7 他のマネジメントシステムとの関係(Relationship with other management systems)
3 用語及び定義(Terms and definitions)
3.1 記録に関する用語(Terms relating to records)
3.2 マネジメントに関する用語(Terms relating to management)
3.3 記録管理プロセスに関する用語(Terms relating to records management processes)
3.4 MSRに関する用語(Terms relating to MSR)
付属A 用語開発に用いられた方法論(Methodology used in the development of the vocabulary)
参考文献(Bibliography)
索引(Alphabetical Index)
まず「序文(Introduction)」において,ISO 30300 が「全ての形態及び規模の組織,又は事業活動を共有している組織グループが,M S Rを実施し,運用し,改善できるように支援すること」を企図したものであり,MSRが良質な記録(good records)を生み出すためのポリシーと目標を設定し,それらを達成するためには,a)定義された役割と責任,b)系統的なプロセス,c)測定及び評価,d)見直しと改善,が必要であること,が述べられている。
「1 適用範囲(Scope)」では,ISO 30300が,「MSRの利用目的の設定,原理原則の提供,そして,トップマネジメントの役割や組織運営の方法(プロセスアプローチ)を記述する」ものであるとしている。また,ISO 30300はそれが適用される組織にMSRに関する認証を与える際のよりどころとなりうることも示している。これは,今後発行予定のISO 30303が「監査と認証実施の要求事項(Requirements for bodies providing audit and certification)」となっており,将来のMSR認証制度の導入を見越したものと思われる。
「2 MSRが成立するための基礎的条件(Fundamentals of a MSR)」では,すべてのマネジメントシステムが記録を生み出すものであり,逆に生み出された記録がマネジメントシステムの結果の証拠としてどのように関連しているのかを明らかにするものとしてMSRが位置づけられること(2.1),対象となる組織のコンテクスト(組織の複雑さ,業務リスクのレベル等)に応じて,MSR標準のすべてもしくは一部が適用されること(2.2)が最初に示されている。
そして,MSRを実行する目的を「事業活動に関する情報を記録として体系的に管理するためである」とし,「そのような記録は,現経営の意思決定,及びその後の活動を支援し,現在そして今後のステークホルダーへの説明責任を保証する」と規定している(2.3.1)。
では,「そのような記録」とはどのような要件を満たす記録であろうか。ここで要件として提示されているのはISO 15489で普及した4つの要件(ただし,細かい表記内容,表記方法はISO 30300とISO 15489では異なる),すなわち,信頼性(Reliable)注2),真正性(Authentic)注3),完全性(Integrity)注4),利用性(Useable)注5)である(2.3.2)。
さらに,記録システム(records system)の確立についても述べられている。具体的には,信頼性(Reliable)注6),安全性(Secure)注7),コンプライアンス(Compliant)注8),包括的(Comprehensive)注9),体系的(Systematic)注10)の5つが提示されている(2.3.3)。既述のとおり,記録システム(records system)は,ISO 15489の主題の1つであった。安全性(Secure)はISO 15489では完全性(Integrity)注11)となっていた。両者ともに,権限のない行為を防ぐための適切な統制手段を有する,という内容だが,ISO 30300で採用された安全性(Secure)には,「安全な記録システムは組織の説明責任とリスクマネジメントを支援する」という観点が追加されており,戦略レベル,トップマネジメントレベルの必要事項が意識されたものとなった。
ISO 30300の特徴は「2.4 MSRの原理原則(Principles of a MSR)」以降にもっともよく表れている。繰り返しになるが,MSRは戦略レベル,トップマネジメントレベルを対象にしたシステムである。かかる観点からMSRの実行が成功するためには,「顧客及びその他ステークホルダーへの焦点(Customer and other stakeholder focus)」「リーダーシップと説明責任(Leadership and accountability)」「証拠に基づく意思決定(Evidence-based decision making)」「人々の関与(Involvement of people)」「プロセスアプローチ(Process approach)」「経営管理へのシステムアプローチ(Systems approach to management)」「継続的な改善(Continual improvement)」が必要であるとされている。
特にプロセスアプローチは,「記録作成と事業活動が統合されるプロセスとしての組織活動と組織計画の管理は,記録と事業活動の双方に対して効率性をもたらす」とされ,ポイントとして以下の4つをあげている。a)ステークホルダーのニーズや期待を含む,組織記録の要求事項を明確にし,記録のポリシーや目的を確立する,b)業務全体のリスクのコンテクストにおいて,記録に関連する組織のリスクを管理するための統制を実行,運用する,c)MSRの運用実績と効果をチェックし,評価する,d)目標の測定に基づいた継続的改善,である(2.5)。これらは「序文(Introduction)」で触れられていた,MSRが「良質な記録(good records)」を生み出すために必要な事項をより丁寧に表現したものである。
「2.4 MSRの原理原則(Principles of a MSR)」と「2.5 M S Rに対するプロセスアプローチ(Process approach to a MSR)」を図示したのが「MSRの構造(Structure of a MSR)」と題した図1である。

さらに,ISO 30300によれば,トップマネジメントは記録管理に関してポリシーを定めなければならないが,それはa)組織全体にわたって一貫性のある業務遂行し達成するため,b)従業員にMSRの要求事項を採用する権限を与えるため,c)透明性が保たれ,理解が容易なビジネスプロセスを確実にするため,d)株主,取締役会,規制当局,監査人及びその他のステークホルダーに記録が管理されていることを保証するため,であるとされ,挙証説明責任を果たすためのMSRが意識されている(2.6)。
「3 用語及び定義(Terms and definitions)」はISO 30300と後続のシリーズのみならず,記録管理を理解するうえでも必要不可欠な用語の解説となっている。ほとんどが基本的な用語であるため,ここで詳述することは避け,勉強会で議論があったものについて次章の4.で述べたいと思う。また,付属Aは「3 用語及び定義(Terms and definitions)」で定義された用語の関係性を図示したものである注12)。
ISO 30300自体が基本的な内容であることから,全体的な組み立て,論理構成についての疑問,議論はあまりなかった。しかしながら,英語と日本語とのニュアンスの違い等も含め,個別にはいくつか議論になった部分があり,主なものをここで紹介したい。
4.1 ISO 30300のタイトルにある“documentation”について“Information and documentation” は従来,たとえばISO 15489においても「情報及びドキュメンテーション」と訳されてきたが,勉強会では「情報及び文書群」が適当ではないか,ということになった注13)。
辞書的解釈に戻れば,“documentation”には大きく分けて,「文書化(する)」「文書群(文書の集まり)」という意味があろう。ISO 30300の「3 用語及び定義(Terms and definitions)」の3.1.4が“documentation”の定義となっており,「所定の機能,過程,または処理に関する運用や命令,決定,手順,及び業務ルールを記述した文書の集まり(collection of documents)」とされている。
さらに言えば,“Information and documentation”はともに捕捉された段階で記録(record(s))となる対象を指す。これは奇しくもISO 30300の作成を主導したエリスの母国オーストラリアで提唱されてきたレコードコンティニュアム論におけるディメンション1からディメンション2の関係と重なる3)。
4.2 “top management”の位置づけについてISO 30300とISO 15489の大きな違いは,戦略レベルと実務レベルとの違いである。そういった意味で,ISO 30300における“top management”の位置づけは非常に重い。
日本で“top management”と言えば「経営者」「社長」を思い浮かべる人もいるに違いない。しかしながら欧米文化がベースとなっているISO 30300ではやや事情が異なると思われる。“top management”は執行レベルの経営陣とイメージされているのではないだろうか。これは執行役と取締役が明確に分かれている欧米と取締役が執行レベルの最高権力者として君臨している日本との違いである。
そこで,“top management”は,単数の「経営者」「社長」と複数の「経営陣(しかも執行レベルの)」を同時に想起させる言葉として,そのまま「トップマネジメント」とした。
4.3 “over time”という時間概念についてISO 30300の「保存(preservation)」と「記録システム(records system)」の定義で,それぞれの効力が“over time”で維持・運用されるという表現がある。ISO 15489では“through time”と表記されていたものが“over time”に変更された注14)。これは何を意味するのか。
“through time”はISO 15489をJIS化した際,「長期にわたり(JIS X 0902-1の3.14)」「長期間(JIS X 0902-1の3.17)」と訳されている。これは本来なら「ある期間にわたって」といった訳が適当ではないか,と議論になったが,それはさておき,“over time”は「時間を超えて」とした。
“through time”がどちらかといえば「過去から現在までの」時間軸のイメージをもっているのに対して,“over time”は「将来も含めた」時間軸のイメージをもっているのではないかと解釈した。それはすなわち,MSRが現用記録の管理のみならず,非現用記録,アーカイブズのマネジメントまで視野に入れたものであることを示唆している,と解釈したことにほかならない。現にISO 15489は,その「適用範囲(Scope)」で明示しているとおり,アーカイブズにおける記録の管理を対象としていない。
ISO 15489と比較することによって,ISO 30300の特徴がよく理解できた。実務レベルから戦略レベルへ。ISO 30300のような国際標準が発行された意義は大きい。また,今後ISO 30303が発行される際には,MSRの認証制度に結びつくことで,さらに認知されることが期待される。そして,現用記録の管理にとどまらない,非現用記録,アーカイブズの管理のあり方,さらには「組織のコンテクスト(Context of the organization)」が記録の作成や保存にしかるべき関係性をもっているのか,といった事項をどのように評価するのか。興味は尽きない。しかしながら,日本においては組織経営者に体系的な記録管理の有用性についての認識が希薄なこともあり,記録管理が注目されることも少なく,なかなか同分野の専門職育成や組織教育が普及しない状況にある。
冒頭で述べたとおり,本稿のもととなった勉強会では結果的にISO 30300の全文邦訳が参加者の手元に残ることとなった。残念ながら,翻訳権の許諾の関係からその成果を広く共有することができない。今後,ISO/TC46の国内審議団体等でJIS化の検討機会などがあれば形はどうであれ,ぜひ関与したいというのが勉強会メンバーの一致した希望である。同時に,ISO関連団体のみならず,学会等(記録管理学会,日本アーカイブズ学会,ARMA International東京支部等)においてもISO 30300の理解と普及に向けた研究活動が活発に行われることを期待したい。
本稿は渡邊が執筆した。したがって論旨に至らない点がある場合の文責は基本的には渡邊にある。しかしながら,勉強会での議論と成果は等しく参加者全員の貢献によってもたらされたものであり,本稿の確認作業も全員で実施した。今後もすでに発行されているISO 30301をはじめ,ISO 30300シリーズの理解を深めるべく活動を継続し,わが国の同業界の底上げにつなげていきたい。