2019 Volume 40 Issue 2 Pages 28-31
この度,慶應義塾大学医学部眼科学教室教授の根岸一乃先生にお話をお伺いする機会を頂戴致しました。根岸先生の幼少期のお話から眼科医になるまで,そして眼科医になってからご経験された大変な症例のお話や,眼光学の分野を若手臨床医が勉強しやすくなるようなお話,そして現在の大学病院のお話から将来につながるお話と,非常に幅広くとてもためになるお話をお聞きすることができ,あっという間に時間が過ぎてしまいました。是非皆様と共有できればと思います。
鳥居: 根岸先生の幼少期ですが,どのようなお子様だったのでしょうか?
根岸: 私は3,4歳ごろから埼玉県大宮市で育ちました。当時から東京のベッドタウンではありましたが,そのころはまだ緑が多く,通学路には田んぼや畑,雑木林などがあって,10分も歩けば,雑魚なら釣れる小川もあったので,とにかく外で文字通り“野山をかけまわって”,友達と元気に遊んでいました。とくに木登りが得意でした。当時の地元では,高校までは受験も一般的ではなかったので,小,中学校は地元の公立に通いました。また,時代背景として,女性は大学への進学率は低く,やっと10%を超えたくらいだったと思います。私は2人兄妹の下で後継ぎでもなかったので,ただただ,のびのびと可愛がられて育ちました。小さいころから現在に至るまで,親から勉強しろといわれたことはただの一度もありません。逆に,やりたいことは,頼めばほぼなんでもやらせてくれました。学校は毎日とても楽しかったです。小中学校のときは,宿題をまったくやっていかず,どうしても提出しないとまずいとわかったときだけ,提出時にその場でやっていました。まあ,それで済む程度の内容だったということですが。また,遠足の日以外は前日に学校の準備をしないので,週3回くらい忘れ物をしていました。体操着とか提出物とか。根気がなく,授業中もすぐに飽きるので,横や後ろの人としゃべっていて,(私の声が通るために)いつも私だけが先生に怒られて,よく廊下にたたされたりしていました。まあ,それでも“本当に悪いこと”はしないし,成績はよかったので,先生からは真の意味では問題視されていなかったように思います。……と,自分では思っています(笑)。
また,小さいころから,なんでも自分できめる性格だったように思います。高校受験のときは,普通,担任や両親と相談して志望校をきめると思いますが,私は,まったく担任に相談することなく,受験案内本から自分にあいそうな通学圏の国立と私立を選んで,親にたのんで学校見学につれていってもらい,学校の雰囲気や校風がとても気に入った1校とその前座の練習と思っていた高校を受験するときめ,担任教師に伝えました。担任は,過去に同中学から一人も行った人がいない学校だったので,わからないからお好きに,という感じでした。担任を無視した手前,第一志望に合格してよかったです(笑)。
鳥居: 根岸先生が医師,そして眼科医を志すきっかけと時期について教えて下さい。
根岸: もともと,医師になる気はありませんでした。数学と理科(物理・化学)が好きで,生物は大嫌いでしたので,工学部志望でしたが,工学部進学もきまった後の高3のお正月にmalignancyで身内がなくなったことをきっかけに,医学部志望に変更しました。でも,そのことによって,エスカレーター式に大学にいけるところ,急に受験することになってしまいました。高校は,受験校ではありませんので授業内容が普通の高校とまったくちがいましたし,なにより,高校のときは部活しかしていなかったので,大学受験は一大決心でした。高校卒業時に,次年度の受験をめざし,高1の教科書から全部購入して読むことから始め,両親に1年だけやらせてくれと頼んで,夏前には予備校に入学しました。人生で唯一この時だけは,短期間ですが真面目に勉強しました。3年分でしたから,とても大変でした。しかし,私は小さいころから根気がなく飽きっぽい性格で,コツコツと地道に何かするのは本当に苦手なのですが,そのときの急な受験のように,目標に対して短期間でイチかバチか勝負する,というのは結構得意で,この過程は私の性格にあっていたように思います。
入学したときは,外科志望でした。手術でmalignancyの人を救えるのではないか,という素人らしい発想です。当時の情勢(私と同学年が男女雇用機会均等法の最初の世代,もちろんハラスメントの概念もない)では何科にはいっても女性というだけで色眼鏡でみられるのが当たり前の時代で,“教育は同じにしておいて,社会に出た途端,女性だというだけでこのように扱われるのか”と,とても驚いたことを覚えています。あからさまに女性を毛嫌いする科は複数科ありました。余計なハンディキャップは背負いたくないという気持ちから,そのような科は除外しました。除外後,ポリクリでみた中では,産婦人科,眼科,小児科が印象に残りましたが,白内障の手術があまりにもきれいだったこと(当時は水晶体嚢外摘出術の時代で,眼内レンズもごく限られた症例だけに挿入されていました),手術翌日の患者さんが涙を流して担当医に感謝している姿をみて,眼科に決めました。
鳥居: これまでに根岸先生がされた手術で,記憶に残る大変だった手術はどのような症例でしたでしょうか?
根岸: そうですね。どんなに大変でも喉元過ぎるとすべて忘れてしまう性格なので,よく覚えていないのです(笑)。最近の手術では,僚眼は失明されている40代のピーター奇形を合併する白内障で,小児期の自己角膜回転移植および緑内障手術後,すでに軽度水疱性角膜症を伴っていた方がいらっしゃいまして,それは結構大変でした。先に角膜移植するか,角膜移植と白内障の同時手術をしてもらおうと角膜班に一度回したのですが,現時点で移植しても若年のため,移植の予後が悪いということで断られ,白内障手術だけ先にすることになりました。まず角膜実質混濁と内皮障害で眼内がよく見えませんので,虹彩リトラクターで虹彩を広げて前嚢染色して前房からシャンデリア照明つけて,上皮は剥いて,ぎりぎり前嚢切開が見える程度で,前嚢切開はなんとかできた,よかった,という感じでした。超音波で行いましたが,いわゆるブラック白内障で,超音波のパワーを最大にしても結構削りにくく,本当に周辺まで全部核でしたので,チン小帯断裂を起こさないように気を付けながら,時間をかけて削りました。とにかく中が見づらかったのですが,術中なんとか最後まで角膜がもってくれてよかったと思います。もともと弱視ですので,術後視力は0.05程度でしたが,本人は色もわかるし,文字もみえるようになり,自分で動けるようになったと大喜びでした。喜んでもらえると,こちらもうれしくなります。眼科医にとって白内障手術は喜びの源,仕事を続けるための原動力の一つだと思います。
鳥居: 慶應義塾大学病院は最後の砦的な観点から,相当な難症例も含めほぼ全て引き受けてこれまで手術をされてきたと思います。相当なストレスもあったと思われますが,根岸先生の息抜き方法やご趣味,モチベーション維持の方法を是非お聞かせ頂けましたらと思います。
根岸: 幸いなことに,私は過ぎ去った過去はすぐに忘れてしまう性質なので,ストレスは感じたとしてもあまりたまることはありません。過去は戻らないので,そこを考えるよりは,未来を考えたほうがよいというのが,私の持論です。まあ,息抜きは,時間がないときは,家でテレビをみるくらいで十分です。時間があれば,やってみたいことは無限にありますが,現実にしているのは,クラシックのコンサートにいったりすることでしょうか。あとは,近所の散歩はよくします。買いはしませんが,家電製品や雑貨店などをうろついて,便利そうなものをみるのは好きです。
モチベーションは,健康であればとくに気を付けなくても保たれます。診療でも,研究でも,教育でも,まだまだ改善したい点はたくさんありますので,つねにやるべきことが山積みのように思います。ただ,体調不良になると,すべてやめたくなるので,若いころと違って健康が一番大切だなと実感します。
鳥居: 眼光学の分野はとても難解で,私が研修医の頃,講義を何回聴いてもわからない分野だと感じていました。その後専門医試験の際に再勉強し,ようやく自分が理解していない部分が何だったのかがわかった,という具合でした。若い先生も同じ思いをもっていると思いますので,これから若手医師がこの眼光学の分野に入って勉強をしたい,という流れにするために,根岸先生でしたらどのように勧誘され,そして学会等のプログラムをどのように変えていかれますでしょうか?
根岸: そうですよね。私もいまでも眼光学の教科書をみると,すぐに閉じたくなります(笑)。眼光学に興味があり,かつ,高校までは数学好きだった私でさえ嫌なのですから,もともとあまり好きでない人は当然ですよね。これは,多くの教科書が作図とか数式から解説していて,それが実際の生活のどこに結びつくのか,何の役にたつのかわからないから,入口で興味を失ってしまう,ということだと思います。私も以前は,そのような感じでしたが,元々自分が興味をもっていた視機能と眼光学が非常に密接に関連するということを,知ってからは本当に楽しくなりました。それは,波面光学が眼科分野に応用されたことが大きいとおもいますが,2000年ごろに千葉大の大沼先生や帝京大(当時トプコン)の小林先生をご紹介いただき,これらの先生方が,まったく素人であった私に,point spread function(PSF)や波面収差の概念を,大変わかりやすく解説してくださったことが非常に大きいと思います。そのときの説明にはまったく数式はでてきません。先生方には今でも大変感謝しています。すなわち,かならずしも眼科医が必要とする眼光学は,計算がわかる必要はないわけです。たとえば,フーリエ解析やゼルニケ多項式といえば,複雑なものを,成分に分解してわかりやすくしてくれるもの,という程度のおおまかな概念がわかればいいわけです。その知識だけで臨床の幅がぐっと広がりますし,前眼部を中心とする疾患の数だけ,研究するテーマがあると思います。将来は,そういう眼光学の臨床的意義や重要性,楽しさが伝えられるような臨床医向けの教科書がふえればいいなと思います。機会があれば,そういうものに自分もかかわりたいと思います。
鳥居: 臨床研究法改正に伴い,特定臨床研究に該当するような臨床研究がとても実施しづらくなりました。また未承認機器等も使いづらく,むしろ大学外の方がその点使用しやすくなるというおかしな環境になってきてしまっており,大学にとってはまさに受難の時代といえると思います。これから日本の大学病院が世界と戦っていくにはどのようにしたら良いのか,アドバイスを頂けたらと存じます。
根岸: 難しい質問ですね。多くの大学病院が抱えている問題かと思います。現状ではルールを遵守していくしかありませんが,臨床や教育をしながら,すべてをクリアしていくことは本当に大変です。大学側もそれを理解していて,臨床研究をサポートする専門部門を拡充しつつあるところだと思います。一部の国立大はさておいて,そのための補助金などの多くは,競争的資金になっていると思いますので,現状にめげることなく,よい研究をして,実績をつくることも必要ではないかと思います。
鳥居: 今働き方改革を含め激動の時代に教授職をされ,下の私からみていても本当に大変だと思いますが,若手に夢を与えて頂けるような,教授になってよかったことを教えて頂けましたらと存じます。
根岸: 私の場合,教授になっても生活はかわりませんので,とくにいいことも悪いこともありません(笑)。とはいえ,つい最近,海外の学会で,久しぶりにお会いしたスペインの先生に,“おめでとうございます。教授になりましたね。”といわれました。ポジションのことは自分ではとくに誰にも連絡していませんでしたが,意外と皆みているんだなと思いました。国内外で一定の立場として認識されるには重要なことかと思いました。あとは,私は若い先生方がまわりで元気に活動し,成長してくれるのをみることが好きなので,人よりも長く大学にいられたことはとてもよかったなと思っています。
鳥居: 働き方改革は,仕事も研究も教育もする大学教員としては本当に大変だと思いますが,欧米のようにそれぞれに専門特化した人材を作り,無理なく業務時間内にそれぞれの業務にうちこめるように人材を確保していくチャンスでもあると思います。最近若手が開業する流れが主流になりつつありますが,大学病院ならではの良さもあると思います。是非これからの時代に入局する研修医や若手医師に向け,教授職からみました今後の大学病院医師のメリットをメッセージとしてお聞かせ頂けたらと存じます。
根岸: 大学病院は,クリニックや一般病院では見られないような症例も含め,非常に症例が豊富ですし,各専門分野のスペシャリストもいるので,研修するにはうってつけだと思います。自分自身が手術の執刀をすることは,一般病院の方が機会は多いと思いますが,臨床医として生活していくうえで,いろいろな症例を担当することは何ものにも代えがたい経験です。研修医時代にはなかなかそれが見えずに,貴重な症例をやり過ごしてしまっている人がいるのは,大変もったいないことだと思います。研修医以降の人が,大学病院に魅力を感じるかどうかは,人それぞれだと思います。医師になる人の全員が大学病院志向である必要もないわけです。しかしながら,志のある能力の高い人,最先端の臨床がしたい,研究がしたい,後進を育てたい,という人はぜひなんらかの形で大学にかかわって自分の可能性を伸ばしていただきたいと思います。そういう志が今後の眼科全体の発展につながると思います。
鳥居: 最後になりますが,根岸先生の今後の夢・したいことをお聞かせ頂けましたらと存じます。
根岸: まずは,一つ目として,現実的なところでは,現教室が若手からベテランまで楽しく働けてかつ対外的に存在感のある教室となってくれることが夢であり,目標です。教室主任である坪田教授がすでに実現されているのだとは思いますが,私は私で,よいと思うことをしていきたいと思います。大学にいる間はそれに注力します。
個人的には,人生100年時代ですから,なにかもう一つできないかなと思っています。本当は,これまで眼科の仕事はよくやったと自分で満足できていれば,ただ引退してゆっくりするという形でもいいのかもしれませんが,これまではなかなかうまくはいきませんでしたので,自分としては,何か一山あててやろう的な感情が多くのこっています。大学をやめたら,今よりも時間的に余裕ができると思いますので,年齢なりの体力の中で,自分にあった生き方は何かをゆっくり考え,また新たに進んでいきたいと思います。
鳥居: 本日はご多忙の中,幅広くとても勉強になるお話をお伺いすることができました。誠にありがとうございました。