Equilibrium Research
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第83回学術講演会シンポジウム2「めまい基礎研究の最前線」
脳由来神経栄養因子類似作用をもつ7,8-Dihydroxyflavoneの経口投与による前庭障害治療
木下 淳
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2025 年 84 巻 6 号 p. 545-553

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Translated Abstract

Bilateral vestibulopathy (BVP) is a debilitating condition characterized by persistent imbalance and a markedly increased risk of falls, resulting from bilateral loss of vestibular function. While vestibular rehabilitation remains the mainstay of treatment, its efficacy is often limited, and no pharmacological interventions with strong evidence have been established yet. Neurotrophic factors, particularly brain-derived neurotrophic factor (BDNF), are known to play a crucial role in the development, maintenance, and regeneration of vestibular hair cells and their afferent neurons. However, clinical application of BDNF is hindered by its large molecular size, poor permeability across the blood-labyrinth barrier, and the need for invasive inner ear delivery.

7,8-Dihydroxyflavone (DHF), a small-molecule TrkB receptor agonist that mimics BDNF activity, offers a promising alternative. DHF is orally bioavailable, crosses the blood-labyrinth barrier, and activates major downstream signaling pathways (MAPK/ERK, PI3K/Akt, PLC-γ), thereby promoting hair cell regeneration, synaptic remodeling, and neuronal survival.

In a gentamicin-induced vestibular injury model in guinea pigs, oral administration of DHF significantly enhanced the regeneration of both type I and II vestibular hair cells, preserved afferent nerve fibers, and facilitated functional recovery, as confirmed by caloric testing and synaptic marker analysis. These findings suggest that DHF may represent a novel, non-invasive, systemically deliverable therapeutic strategy for vestibular dysfunction.

Further research is warranted to optimize the dosing, improve delivery systems, and evaluate the efficacy across different etiologies of vestibular diseases. Development of DHF-based therapy may contribute to establishment of a new treatment paradigm in the field of vestibular regenerative medicine.

 1.はじめに

末梢前庭器官は,頭部の回転加速度・直線加速度を検知するセンサーであり,得られた情報は視線の安定化,姿勢制御,空間認識など日常生活に不可欠な重要な機能を支えている。一側の前庭障害では前庭代償によりめまいやふらつきが徐々に軽減することが多いのに対し,両側前庭障害(bilateral vestibulopathy, BVP)1)では,多くの患者で前庭機能の改善が困難であり,慢性的なふらつきにより転倒のリスクが健常者の約30倍に達し,生活の質が著しく低下する2)

BVPは,薬剤性,髄膜炎,自己免疫性内耳障害,両側メニエール病,加齢性変化など多岐にわたる原因によって引き起こされ3),全世界で180万人が罹患していると推定される4)。治療として多く用いられているのは前庭リハビリテーション(平衡訓練)であるが,その効果に関する報告は一貫しておらず,エビデンスは中等度にとどまり5),効果が不十分な患者も少なくない。現時点で高いエビデンスレベルを持つ確立した治療法はない。

BVPに対する新たな治療法としては,人工前庭装置6)7),感覚代行システム8)~10),ノイズ前庭電気刺激(noisy galvanic vestibular stimulation, nGVS)11)12)などが研究されており,これらはヒトを対象とした臨床研究が進められている。再生医療も重要な選択肢であり,その手法には神経栄養因子などの薬剤投与13)14),遺伝子操作15)16),幹細胞移植17)18)などが含まれる。本稿では,神経栄養因子の一つであるBDNF(Brain-derived neurotrophic factor)に焦点を当て,前庭有毛細胞の発生と再生機構を概説し,経口投与が可能なBDNF類似作用物質7,8-Dihydroxyflavone(DHF)の前庭障害治療への応用の可能性および将来的な展望と課題について述べる。

 2.内耳発生におけるBDNF

内耳の発生や機能維持において,神経栄養因子の役割は極めて重要である。代表的な神経栄養因子にはBDNFおよびNT-3(neurotrophin-3)があり,それぞれの主要な受容体としてTrkBおよびTrkC(tropomyosin receptor kinase B, C)が知られている。これらのリガンド-受容体経路は,神経細胞や感覚細胞の発達,生存,分化,適切な神経線維の投射,および機能的な神経回路形成に不可欠な役割を担っている14)

発生初期のマウス内耳では,BDNF/TrkBシグナルは前庭有毛細胞,前庭神経節細胞に強く発現しており,前庭神経節細胞の分化・生存維持ならびに感覚上皮への求心性・遠心性神経支配の確立と維持に必須である(図119)。BDNF欠損マウスでは,前庭神経節細胞の約80%が出生前後で消失し,さらに有毛細胞への求心性・遠心性神経線維も著しく減少し,感覚上皮への神経投射がほぼ消失する。蝸牛では,NT-3/TrkCシグナルが主にI型蝸牛神経節細胞の分化・生存維持を支え,BDNFはII型蝸牛神経節細胞の生存に関与している。NT-3欠損マウスではI型蝸牛神経節細胞の約87%が消失し,BDNF欠損ではII型が主に減少,両者の二重欠損では,蝸牛神経節および前庭神経節細胞が共にほぼ全消失する。

図1  発生期および成体げっ歯類前庭における神経栄養因子および各受容体の発現

太字は高発現,灰色フォントは低発現,中抜きフォントはリガンドまたは受容体が存在しないことを示す(文献14の図を改変)。

BDNFおよびNT-3は,有毛細胞自体からも分泌されており,前庭・蝸牛神経節細胞はそれぞれTrkB,TrkCを発現している(図120)21)。さらに,これらの因子は胚性期から成体期に至るまで一定の発現を維持しており,成熟した感覚上皮では自己分泌(autocrine)によるトロフィックサポートや神経突起の伸長,神経細胞の生存維持に関与している22)

以上のように,BDNF/TrkBおよびNT-3/TrkC経路は,内耳発生や恒常性維持の分子基盤として不可欠であり,両者は機能的に代償性はなく,それぞれ独立かつ協調的に作用しているため,BDNF/TrkB経路は前庭再生医療の重要な標的である。

 3.前庭障害治療におけるBDNFの効果と問題点

哺乳類の前庭有毛細胞には,損傷後にある程度の自発的な再生能力が認められるが,その再生は主としてII型有毛細胞であり,I型有毛細胞の再生や本質的な機能回復は極めて限定的である23)~25)。我々のゲンタマイシンによる前庭障害モデルにおいても,有毛細胞数は部分的に回復したが,再生された細胞の大部分はII型有毛細胞であり,I型有毛細胞は大きく不足していた26)図2)。

図2  ゲンタマイシン局所投与後の有毛細胞の自発的再生

(A)共焦点顕微鏡画像。(a,b,c)の枠内を拡大したものが,(b,e,f)となる。MYO7A(赤):Myosin7a,有毛細胞。PVALB(緑):parvalbumin,I型有毛細胞周囲の神経杯(矢印)。DAPI(青):4',6-diamino-2-phenylindole,核。Scale bar = 50 μm(a–c)。Scale bar = 10 μm(d–f)。(B)有毛細胞密度の変化。平均±SD。

何らかの前庭障害による有毛細胞の消失後,それまで有毛細胞から分泌されていた神経栄養因子(主にBDNFやNT-3)に依存していた前庭神経節細胞が二次的に変性・消失し,不可逆的機能低下の重要な因子となる(図114)。そのため有毛細胞の保護や再生だけでなく,神経線維の維持を目的とした神経栄養付与も治療戦略上,極めて重要な要素となる。実際,成体マウスおよびヒトの前庭神経節細胞はBDNFの高親和性受容体であるTrkBが一定程度発現し続けており(図1),有毛細胞が消失した状況でも外因性もしくは内因性のBDNFによる神経保護や可塑的変化の誘導が可能であることを示唆している14)15)。薬剤性前庭有毛細胞障害モデルにおいて,BDNF単独投与では有毛細胞の保護効果が確認されている27)。また,TGF-α,IGF-1,レチノイン酸といった成長因子とBDNFの併用実験では,これらの因子のみでは,II型有毛細胞の増殖は認められたものの,I型有毛細胞の再生や前庭機能(VOR)の回復は得られなかったが,これらにBDNFを併用した場合には,I型有毛細胞の再生とVORの改善が認めら,BDNFの追加が機能回復に不可欠であることが示唆された24)

しかし,内耳障害に対するBDNF治療にはいくつかの重大な課題が存在する。第一に,BDNFは約13,000 Daという比較的大きな分子量を持ち,血液内耳関門を通過しにくいため,全身投与では内耳への移行性が極めて低い(図3)。このため,現行の再生医療では内耳局所への直接投与が必要となり,鼓室内注入や蝸牛穿孔といった蝸牛損傷のリスクを伴う侵襲的な手技が避けられない28)。さらに,BDNFは半減期が短く,継続的な効果を得るには頻回かつ大量投与が求められる。これにより,薬剤コストの上昇に加えて,副作用リスクも無視できない29)

図3  DHFのメカニズム

BDNFとは異なり,DHFは血液内耳関門を透過し,TrkBの活性化により分子活性カスケードを引き起こし,BDNF様の作用を発揮する(文献29の図を改変)。

このように,BDNFは前庭有毛細胞および神経線維の再生・維持において重要な役割を果たすが,その分子特性や薬理学的プロファイル,ならびに投与経路の侵襲性,安全性,費用対効果といった多方面にわたる課題が,現時点での臨床応用の障壁となっている。

 4.経口TrkB作動薬による前庭障害治療の新展開

BDNFは前庭感覚器の再生や神経保護に有用である一方,その分子量や薬理学的特性,投与経路の侵襲性が臨床応用の大きな障壁となっている。こうした課題を克服する手法として,近年は低分子TrkB作動薬の開発と応用が注目されている。

植物由来の小分子フラボノイドであるDHFは,BDNFと同様にTrkBの細胞外ドメインに選択的かつ高親和性(Kd:約15.4~320 nM)で結合し,MAPK/ERK経路,PI3K/Akt経路,PLC-γ経路などのシグナル伝達を持続的かつ協調的に活性化することで,神経細胞の分化・軸索伸長・シナプス再構築・細胞生存といった長期的な神経保護作用を発揮する(図329)30)

DHFは分子量が254 Daと非常に小さく,水溶性・耐熱性・胃腸耐性に優れるため,経口投与後に血液脳関門および血液内耳関門を通過し,中枢神経系および内耳組織に速やかに到達する。これにより,従来のBDNF製剤に求められるような侵襲的局所投与は不要となり,全身投与のみで十分な効果を期待できる点が大きな利点である。実際,アルツハイマー病やパーキンソン病,うつ病,外傷性脳損傷など多様な神経疾患モデルにおいて,DHF投与による神経保護・再生効果が報告されている31)

我々の研究では32),モルモットの内耳へゲンタマイシンを局所投与し,急性の前庭有毛細胞障害を誘導したモデルを用いて,経口DHFの治療効果を検討した。ゲンタマイシン投与の14日後には,DHF投与群およびDHF非投与群ともに半規管膨大部の有毛細胞がほぼ消失した。28日後には,DHFを経口投与した群では,有毛細胞数がゲンタマイシン非投与対照群の74%まで回復し,DHF非投与群(49%)と比較して有意な再生促進効果が認められた。特にDHF群ではI型・II型有毛細胞の両方において再生促進が顕著であったのに対し,非投与群では従来のII型のみの再生にとどまった(図4-C,D,E)。さらに,膨大部神経線維の評価では,14日後および28日後の神経線維体積比はDHF群の方が非投与群と比較して顕著な神経保護効果を示した(図4-A,B)。また,シナプスマーカーの共局在解析により,有毛細胞と神経線維間のシナプス再構築がDHFによって促進されていることも確認された(図5-A,B)。カロリックテストによる機能評価においても,DHF投与群では前庭機能の有意な回復が認められた。

図4  ゲンタマイシン局所投与後のDHFによる膨大部神経の保護(A,B)とI型を伴う有毛細胞再生(C–E)

(A)共焦点顕微鏡画像。MYO7A(赤):Myosin7a,有毛細胞。NF200(緑):neurofilament 200,神経線維。DAPI(青):4',6-diamino-2-phenylindole,核。Scale bar = 50 μm。(C)共焦点顕微鏡画像。MYO7A(赤),PVALB(緑):parvalbumin,I型有毛細胞周囲の神経杯(矢印)。DAPI(青)。Scale bar = 50 μm。(B,D,E)*:p < 0.05,**:p < 0.01。

図5  ゲンタマイシン局所投与後28日目におけるリボンシナプスの解析

(A)共焦点顕微鏡画像。PSD-95(赤):postsynaptic density protein,後シナプス。CTBP2(緑):C-terminal-binding protein 2,前シナプス。DAPI(青):4',6-diamino-2-phenylindole,核。(B)前後シナプス共局在の解析。HC:hair cell。Scale bar = 5 μm。*:p < 0.05,**:p < 0.01。

これらの結果から,DHFの経口投与が有毛細胞障害時のBDNF作用を補完し,神経線維の保護,有毛細胞の自己修復およびI型有毛細胞の再生促進,シナプス再構築,機能的回復につながることが示唆された(図6)。DHFは,「低侵襲かつ全身投与による前庭障害治療」の新たな選択肢として今後の臨床応用に大きな期待を抱かせるものである。

図6  薬剤性前庭有毛細胞障害に対するTrkBアゴニスト(DHF)経口投与効果のシェーマ

 5.神経栄養因子治療の将来展望と課題

これまでに,BDNFやその模倣物質であるDHFなどの神経栄養因子を用いた治療が,BVPに対する再生・神経保護戦略として有望であることを述べた。特にDHFのような低分子TrkB作動薬は,従来の侵襲的な内耳局所投与に代わる経口治療の選択肢となりうる点で,実用性が高い。しかし,本研究で用いたDHFによる介入は,神経栄養因子治療全体の中の一例に過ぎず,臨床応用に至るまでには,薬剤の選択・投与法・治療設計に関して,より包括的な検証と最適化が不可欠である。

神経栄養因子治療の実用化にあたっては,まず薬剤の体内動態,投与経路,組織特異性などを精緻に制御できる治療設計が求められる。従来のBDNFタンパク質は主に内耳局所投与が前提であり,その侵襲性は治療導入の大きな障壁であった。一方で,DHFのような低分子化合物は経口投与が可能で,患者負担を大幅に軽減しうるが,薬効の安定性や持続性,選択性の更なる向上が求められる。

次世代の治療戦略としては,薬剤の徐放性を高める製剤設計,血液内耳関門透過性を高める分子修飾,さらには内耳感覚上皮など標的組織への選択的デリバリーを実現するための薬理学的最適化が求められる28)。特に,ナノ粒子やリポソームなどのドラッグデリバリー技術,あるいはプロドラッグ化による標的活性化型の治療設計は,薬剤の局所濃度の向上と副作用の最小化が期待できる。

また,薬剤と遺伝子操作の統合的アプローチ13),医療機器との融合といった新たな治療手法も模索されている。たとえば,我々が近年提唱したMPCポリマーによる人工前庭装置電極のコーティング技術は,電気刺激と薬剤徐放を一体化することで,神経刺激と再生促進の両立を目指すものである7)33)。このような統合型デバイスは,従来の単独療法を超えた新たな治療パラダイムとなりうる。

一方で,神経栄養因子治療の効果は病態によって大きく変動することが考えられる。今回の研究では薬剤性障害モデルにおいてDHFの効果を検証したが,前庭障害の背景には,加齢性変化,炎症,ウイルス感染,自己免疫性疾患など,多様な要因が存在する。これらの病態では,障害の進行様式や再生能,神経可塑性の程度が異なるため,それぞれに適した投与時期,薬剤選択,治療期間などを検討する必要がある。

また,ヒトにおける前庭系の再生ポテンシャルや可塑性の理解を深めるためには,基礎研究のさらなる深化が求められる。動物モデルを用いた多面的な解析と並行して,疾患の重症度分類や個別化医療との統合を図ることで,より的確な治療適応が導き出されるだろう。最終的に,臨床応用を視野に入れるためには,長期的な安全性評価,治療タイミングの最適化,標準化された効果指標の確立,そして多施設共同による臨床試験体制の整備が必要となる。倫理的・制度的課題への対応も含め,実装に向けた環境整備が求められる。

このように,神経栄養因子や低分子TrkB作動薬の導入にあたっては,薬理学,製剤科学,デバイス工学,基礎医学,臨床医学が密接に連携し,個別化された病態に応じた多面的戦略を構築していくことが必要となる。神経保護・再生医療の実現に向けては,学際的で横断的なアプローチによる研究開発の継続が不可欠である。

 6.おわりに

BVPは,患者の生活の質に深刻な影響を及ぼす難治性疾患であり,有効な治療法の確立が急務である。本稿では,BDNFおよびその模倣物質であるDHFを中心とした神経栄養因子治療の可能性の有用性について概説した。

今後はさらに高い安全性,効率的な薬剤送達,非侵襲的デリバリー技術や医療機器との融合など,複数の技術領域が連携することで,より実用的かつ個別化された治療法の構築が期待される。神経栄養因子を基盤とする治療アプローチは,前庭障害にとどまらず,多様な神経疾患への応用も視野に入れたトランスレーショナル研究の一つとして,今後ますます重要性を増していくことが予想される。

 謝辞

本論文の要旨は第83回日本めまい平衡医学会総会・学術講演会(2024年11月13日~15日,名古屋)のシンポジウム「めまい基礎研究の最前線」において講演した。

シンポジウムでの発表の場を与えてくださった会長の岩﨑真一先生,座長の土井勝美先生,本研究の機会を与えてくださった山岨達也先生,近藤健二先生,柿木章伸先生,藤本千里先生に深謝いたします。

なお,本研究の一部はJSPS科研費17K16895の助成を受けたものである。

利益相反に該当する事項はない。

文献
 
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