2016 年 17 巻 2 号 p. 60-63
本書の研究は,主に2つの問題意識に基づいて行われている。1つは,戦後復興期から高度成長期にかけて確立された「日本的雇用慣行」が,平成以降の混乱期を経てどのように変わったのかということである。もう1つは,そこにおける人事部の役割はどう変わったのかということである。企業の人的資源管理は人事部とライン部門の協働によって行われるものであるが,日本的雇用慣行の下では人事部に集権化しやすいことが,多くの先行研究で指摘されている。それがどのように変わったのか,本書ではそれが,人事部とラインの「管轄争い」という言葉を用いて考察されている。
本書はこれらを明らかにするために,日系企業と米系企業の双方を対象として,事例調査と質問紙調査による丁寧な分析を行った意欲的研究だといえる。
本書は研究目的を示した第1章を含めて,8つの章から構成されている。
第2章から第3章において,先行研究のレビューと,調査のための理論的フレームワークの設定が行われる。先行研究は,日本的雇用慣行と人事部の役割についてレビューされるのであるが,前者においては,平成以降の採用慣行の変化(中途採用や非正規従業員の増加)や,評価制度・賃金制度の変化(成果主義化,能力基準から仕事基準への変化)が取り上げられている。一方後者では,主に人事部が組織全体の調整機能を持つ日本企業と,ラインに分権化した欧米企業の対比がなされる。そのうえで,人事部への集権化がラインの不満の原因になりえることや,ラインへの分権化が各部門の機会主義的な行動を増やしてしまい,全体最適を損ねる可能性があることなどが議論されている。
続く第3章において,本書の調査のための理論的フレームワークが設定される。そこで依拠した理論がWilliamson(1975)の取引コスト理論である。取引コスト理論では,すべての人間は限定合理的かつ機会主義的であるという行動仮説を置く。そのために取引に際しては駆け引きが生じ,それを防止または抑制するためにコスト(取引コスト)が発生する。その取引コストを節約するために,多様なマネジメントの制度が発生すると考えるのである。
取引コストは,取引状況をめぐる不確実性,取引頻度,資産特殊性に依存するものであるが,本書が注目したのは従業員の資産特殊性である。従業員の資産特殊性か高くなれば,その異動や評価をめぐって,人事部とラインとの駆け引きが多くなり,取引コストが高くなることに着目したのである。そしてそれに基づき,本書の理論的フレームワークが示されている。
そのフレームワークでは,人材の資産特殊性の高さが組織機能(職能)の独立性と,事業(製品)間での従業員の流動性の2軸から判断される。この考え方は本書のユニークな点であり,これまでの研究と違う点である。
組織機能の独立性が高く,事業間での従業員の流動性が低い場合,仕事が専門化して人材の資産特殊性が高くなるために,人事異動が限定的になり,職務基準の人事制度や即戦力の中途採用などが増えることになる。そこにおいて欧米(アングロサクソン)型雇用が行われると考えられている。そしてその反対の場合,仕事はあまり専門化しないので人材の資産特殊性は低く,より一般的な基盤スキルが大事になるとされている。そこでは,日本的雇用が行われると考えられている。本書では調査した企業の雇用慣行がこのフレームに当てはまるのか,またそこに日本的雇用慣行の変化を見出すことができるのかといった問題が分析される。
同時に,人材の資産特殊性によって人事部とラインの権限(管轄)が異なることも分析される。資産特殊性が高い場合(アングロサクソン的),人事部は人材の情報を収集して活用することが難しくなるので,人的資源管理の主体はラインになりやすいとされる(ライン分権)。それに対し,資産特殊性が低い場合は,人的資源管理の主体は人事部になりやすいとされる(人事部集権)。人事部はラインから従業員の職務遂行状況の情報を収集し,それを異動や評価に反映して全体最適を図るのである。
続く第4章から第6章において,本書独自の調査結果が示されている。第4章が2006年から2008年に行われた第1回事例調査の結果であり,第5章が2008年から2009年に行われた郵送質問紙調査の結果,そして第6章が2014年に行われた第2回事例調査の結果である。日系と米系の電機,医薬,流通,金融の11社に対する調査結果を要約すれば次のようになる。
まずほとんどの日本企業が能力基準の人事制度を導入しており,新卒採用と職能を超えた人事異動による日本的雇用慣行を維持している。そしてそれらの企業の人的資源管理は人事部集権型である。ただしこれに該当する企業6社のうち,4社は役割等級制度を導入しているのであるが,本書ではこれを能力基準のものとしてみなし,職能等級制度との区別を厳密に行っていない。その点については,疑問の残るところである。
次に大半の米系企業と,日系医薬企業1社が職務基準の人事制度を導入しており,それらの企業では中途採用が多く人事異動は少ない。そしてそこでは,人的資源管理がライン分権型になっている。
そのような中で日系の電機1社が,日本的雇用慣行を維持しながらライン分権を進めていたのであるが,第2回事例調査によって再び人事部への集権化が行われていることがわかっている。
一方,郵送質問紙調査では,人事部が人的資源管理の主体であると回答した企業において,新卒採用を重視し,専門性よりも全社共通の基礎能力で採用を決めており,人事部が従業員の職務遂行状況の情報を収集している比率が高いことなどがわかった。これは事例調査の結果と同様のものだといえよう。ただし,これらの分析は簡単なクロス集計などによるもので,厳密な検証はなされていない。
そして最後に,第7章と第8章において,本書のまとめと今後の方向性が示されている。本書が最も重視していた「日本的雇用関係は変化したのか」という問いに対しては,「変化していない」という結論が示されている。新卒採用を重視し,職能を超える異動を行うような人的資源管理を,人事部集権の下で行うのが日本企業の主流であるとまとめられている。ただし,第8章において,今後は人的資源管理のラインへの分権化を部分的に進めていくことが有効であることが論じられている。ワークライフバランス,非正規従業員の雇用,女性の活躍推進などは,ラインに分権化した方が取り組みやすいとされている。
本書の意義は,実際の企業を様々な方法によって調査し,変化の時代における企業の実像を描こうとしたことである。業種ごとに複数の企業を選び,日系と米系を比較しながら分析したことは非常に大きな意義を持つであろう。またこの調査の期間は8年間にも及ぶものであり,非常に労力をかけた丁寧な研究がなされたといえる。さらに,人的資源管理における人事部とラインの関係を詳細に調査した研究は過去に少なく,その点においても大きな貢献があったといえる。
最後に,今後の研究の発展のために期待されることを若干述べておきたい。分析の精緻化については先に触れたので省略するとして,理論的フレームワークに関連することから述べたい。本書は取引コスト理論に則り,人材の資産特殊性に着目して理論的フレームワークを設定しているが,そこにおける人材の資産特殊性のとらえ方や,その人的資源管理との関連性の考え方は,従来の先行研究とはかなり異なるものである。先行研究では,人材の資産特殊性は,企業が人材を内部化し,長期雇用することにつながるものとして論じられてきた。それゆえ,人材の資産特殊性は日本的な雇用慣行に深くかかわるものとして捉えられてきたと思われる。それらの研究と,本書のフレームワークとの違いに関する説明は,慎重かつ詳細なものが必要になるだろう。
また,それに基づく分析を具体的にみていくと,結局はスペシャリスト型の人材を雇用するかジェネラリスト型の人材を雇用するかの議論に終始しているように思われる。前者が職務基準の人的資源管理でライン分権,後者が能力基準の人的資源管理で人事部集権というのは,従来から多くの研究で述べられてきたことである。壮大な理論に依拠しながら,従来からよくある議論に帰結してしまうのはやや勿体ないように思える。また理論的フレームワークは先述の2軸を用いた4象限の表として示されるのであるが,実質的には第1象限と第3象限しか使われておらず,2軸を用いることの積極的意義が確認できない。さらにいえば,全体的にみて本書の分析には「新しさ」を感じるような点が少ない。従来の議論に何かを加えるような分析の視点が加わることをぜひとも期待したい。
次に,本書の結論に関わることである。基本的には「日本的雇用慣行は変化していない」とされているのだが,そう断じてしまっていいか疑問である。たしかに日本的雇用慣行はすっかり様変わりしたわけではないが,90年代以降,重要ないくつかの変化があったと考えるのが自然だろう。Jacoby(2005)では,日本企業の雇用や人的資源管理は市場志向に変化したが,米国企業もより市場志向になったので,双方の相対的位置づけは変わらないとされている。この主張はかなりの説得力を持ち,理論的な含意も多い。あるいは中村・石田(2005)では,MBOの導入などによって財務的業績を厳しく問う日本企業が増えたものの,同時に仕事のプロセスも丁寧に評価する企業が多いことや,賃金に大きな差がつくのは管理職が中心で,若年層の賃金カーブに変化は少ないことが詳細に論じられている。そうした様々な変化の意味を丁寧に考察することも重要であろう。
本書の調査結果を活かして議論するならば,このような人的資源管理,あるいは雇用慣行の変化がある一方で,人事部への権限集中が続いているのはなぜなのか,またそのことは日本企業にとってどんなメリットやデメリットを生むのか,などを考察することの意義が大きいものと思われる。本書のフレームワークでいえば,現在の日本企業は補完関係の崩れた状態だといえるのかもしれない。それが今後どこに向かうのか,あるいはそれが何を生み出すのか。そうしたことを議論する研究を今後期待したい。
(評者=京都産業大学経営学部教授)