Japan Journal of Human Resource Management
Online ISSN : 2424-0788
Print ISSN : 1881-3828
Foreword
What Should Universities Do?
Atsushi YASHIRO
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2017 Volume 18 Issue 1 Pages 2-3

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少子化の中,どこの大学も生き残りに必死である。「入口」では定員獲得のために様々な策を講じ,在学中は企業実務を経験するインターンシップを重視すると共に,社会人の声が直接伝わる寄附講座を設け,「出口」である進路対策にも余念がない。学会で人事系の研究者と話をすると,自分の専門とは別に,キャリア論やキャリア教育を担当している者が多いことに驚かされる。正に一昔前とは隔世の感があると言えるだろう。

それに伴い,「大学で学んだことが社会で役に立たない」と言われることが多くなった。かつて大学1年で内定を出したと報道された企業もあったし,卒業したゼミのOBも「会社に入ると,一からすべて学び直しだ」と言う。これに対して「大学教育は役に立つ」という論も見られるが,今度はコンサル本まがいの「〇〇力」が身につくというもの,何か寒々しい思いにとらわれるのは私だけだろうか。

こうした議論は,つまるところ「大学は何のために存在するのか」ということに帰着する。まず「大学教育は役に立たない」という論者は,暗黙のうちに大学は即効性ある「スキル」を教える専門学校化すべきだと考える。私は専門学校が労働市場で果たしている役割を認識しているつもりだが,大学の専門学校化には反対である。理由はただ一つ,大学が専門学校化しても所詮は専門学校に敵わない,それなら大学固有の役割を追求するのが経営学的にも正しい解であるし,社会的分業という観点からも好ましいからである。

それでは,大学固有の役割とは何か。それは,即効性ある「スキル」ではなく,即効性に欠けるが長続きする「学問」を伝えることにある。学問を通じて身につけるのは,物の見方や論理的思考能力であり,経済学で言えば「お金の儲け方」ではなく「企業がお金を儲けるために何をしているかを理論化する」こと,人的資源管理であれば「コーチング」ではなく,「人事という仕事の重要性やその類型化」である。こうした「学問」こそが人生の座標軸となり,物の見方の指針となるのである。

この点に関連して,「人事を専攻した人が人事部門に配属されないのは,職種別労働市場が存在しないからだ」といったことも言われるが,これも浅はかな見方である。そもそも,大学の4年間で勉強できることは限られている。しかも大学の専攻との職能との結びつきが強まると,大学で人事を勉強した人しか人事の仕事につけなくなってしまう。さらに「企業」よりも限定された「職種」が単位の労働市場は,雇用を不安定化させるだろう。

確かに大学は社会との接点にあり,社会に扉を開く必要がある。しかし,社会に扉を開くのと,子供を無理矢理大人にするのは同じではない。学問はもちろん,読書,スポーツ,談論風発など様々なことを経験しながら,学生は成長していく。若者がこうした経験をする機会を総合的に与え,大人としての心構えや物の考え方を教えることこそが大学の使命ではないだろうか。

大学は,「学位交付所」ではなく「学問の府」であるし,またそうあり続けるべきだ。

  • 八代 充史

慶應義塾大学

 
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