Japan Journal of Human Resource Management
Online ISSN : 2424-0788
Print ISSN : 1881-3828
Special Contribution 2
Learning in the MBA Program at Kobe Business School: Personal Views on its Characteristics
Norio KAMBAYASHI
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2017 Volume 18 Issue 2 Pages 30-47

Details
ABSTRACT

This paper outlines some characteristics of educating system of the MBA program at Kobe University, particularly focusing on its seminar system. In conclusion, it is claimed that an MBA student at Kobe University is an important partner both for teaching staff and for a graduate student to conduct good research.

1. はじめに

1-1 知識創造の場

本誌の編集委員会より,社会人大学院の特色ある取組みや先進的な事例を紹介するコーナーを新たに設けるので何か執筆してもらいたいとのご依頼を筆者あてに頂いた。

どのような内容について書こうか迷ったが,新コーナーの目的は,社会人大学院生の学会員を増やしたり,大学院修了後も継続的に学問に関心を持ってもらったりすることにあるようなので,本稿では,筆者の勤務する神戸大学が提供しているMBAプログラムを,カリキュラムの設計思想や修士論文の執筆プロセスなど一般にあまり知られていないことも含め紹介し,これを読む社会人大学院生各位が経営学を学ぶ面白さや意義を発見できることを目指して書いてみることにしたい。

一般社会人の方々が抱いておられるような,経営学上の知識の修得の場としてのMBAとはかなり様相が異なった,ダイナミックな知的交流と知識創造の場として神戸大学MBAをとらえて頂ければと思っている。

1-2 神戸大学MBAの歴史

日本全国にいわゆるMBA(経営学修士,Master of Business Administration)プログラムが設立されるようになって久しい。神戸大学MBAプログラムは1989年に開設され,今日に至るまで30年近くの歴史を有している。設立当時,本格的な社会人ビジネスパーソンに対する大学院レベルでの教育を手掛けた大学院としては慶應義塾大学経営管理研究科(慶應ビジネススクール)が先行していたが,神戸大学MBAはそれに次いで古く,関西では最も長い歴史を有したMBAプログラムとなっている。

図表1は,神戸大学MBAプログラム開設以来,今日に至るまでの志願者数と合格者数の推移をグラフにしたものである。2016年度末までに,すでに1,375名が神戸大学MBAプログラムを修了し経営学修士号を取得している(神戸大学MBAパンフレット,2017)。

いわゆる入試倍率は,定員が現在の69名になった2002年度以降においても,年度によって多少の凸凹はあるものの,概ね2倍強程度の水準を維持していることが窺える。とりわけ1990年代後半以降,日本の大学が開設したビジネススクールが全国に急増し,定員確保に苦労するMBAプログラムも散見される中(上林,2003),神戸大学MBAプログラムは比較的健闘している方であるといえるだろう。

神戸大学MBAプログラムは,設立以来,時代の要請に合わせ何度かカリキュラムが改訂されているが,その中核となる理念や教育上の目的は,現在もさほど大きく変わってはいない。神戸大学大学院経営学研究科規則によると,当MBAプログラムの目的は「日本の経営方式やビジネスの慣行の合理性及び限界について正確な知識を持ち,それを土台にして,国際的に活躍できるビジネス・エリートを育成する」ことであると定められている(神戸大学大学院経営学研究科規則)。一般に,ビジネススクール教育といえば,アメリカで開発された経営理論をほぼそのまま輸入して日本で教えるものという印象を持たれる場合も多いが,神戸大学では,日本企業の文脈にあったMBA教育を志向して創り上げていこうという意識が設立の当初より色濃く存在しており,それが今日に至るまで続いていることがこの目的の文面からは窺える。

本MBAプログラムの歴史的変遷の詳細を本稿で記述する紙幅はないので,以下では現在のプログラムの特徴と教育カリキュラム上の特徴,中でも特色ある取組みとしてMBAゼミナール制度(以下では「ゼミ」と略称)を中心に概説してみよう。

図表1 神戸大学MBAプログラムの志願者数と合格者数の推移

2. 神戸大学MBAプログラムの特徴

ホームページ等を通して一般に公表されている点であるが,神戸大学MBAプログラムの特徴は,第一に,企業に働き続けながら学ぶ教育システムとなっていること,第二に,MBA教育の背後に教員スタッフの研究活動があることが前提とされていること,そして第三に,学生同士が複数名でチームを組んで学修するプロジェクト方式がとられていること,この3点である。

第一の特徴はプログラム設置上の,第二のそれは教育理念上の,第三のそれは具体的な教育方法上のそれぞれ特徴として整理することができるだろう。以下,これらの諸特徴について見てみることにしよう。

2-1 働きながらの学修

神戸大学MBAプログラムの大きな特徴の1つは,土曜日に集中開講されるため,会社で働きながら学位取得が可能になっていることである(一部に金曜薄暮に開講される科目も存在する)。学生は,入学後1年半で所定の単位を修得すれば修了できる仕組みとなっている。平日の昼間にも授業への出席が必要となるフルタイムのMBAプログラムに比べると比較的容易に通学が可能であり,そのこともあって例年関西圏のみならず東京や九州などから週末のみ通学してくる学生も散見される。

こうした「働きながら学ぶ」方式は,神戸大学MBAでは「仕事のそばで学ぶ」という意味から(些か奇をてらった呼称ではあるが)By-the-job learning(BJL)と称されている。BJLがプログラム設置上の特徴であるということは,企業勤めを終えて退職した方々や学部学生からそのまま(会社での仕事の経験を経ることなく)大学院に進学した学生(いわゆるストレート・マスター)は,神戸大学MBA教育の対象にならないことを意味している。つまり,神戸大学MBAプログラムは,企業などの組織の第一線で目下働いている現役の人たちを対象とした教育プログラムである。

組織で働きながら学修することのメリットは,何よりも,大学で学んだ理論に各自なりの内省を加え,即座に企業で実践することができることである。また,この働きながら学ぶ方式は,後述するチームベースのプロジェクト方式とも相まって,理論と実践を架橋するための必須の仕組みとして位置づけられている。組織の現役第一線で働いている学生同士であれば,各自が目下の仕事のうえで抱えているビビッドな実務上の問題を持ち寄りながら,各自の知見や判断能力をディスカッションの中で相互にぶつけ合い,教員のアドバイスを受けつつ経営の現実の諸問題を解決するための能力を高めていく学修が可能になると考えられている(神戸大学MBAパンフレット,2017)。

2-2 研究に基礎を置く教育

神戸大学MBAプログラムは,既述の通り1989年に設置されたコースであるが,その母体となる神戸大学大学院経営学研究科ないし経営学部の歴史は遥かに古く,そのルーツをたどると1904年設立の神戸高等商業学校以来の長い歴史と伝統を持ち,経営諸学界に多くの研究者を輩出してきている。こうした伝統校としてのメリットをMBA教育にも最大限活用すべく設けられた教育上の理念が,この「研究に基礎を置く教育」(Research-based Education: RBE)である。

このRBEとは,その語の意味する通り,経営学研究科に所属する教員が目下携わっている(ないしこれまで携わってきた)研究を基礎に置いてMBA教育が行われるという意味である。

RBEは,まず企業の現場が抱えている現実の諸問題に対して,経営学をはじめとする学問の世界ではこれまでどのような知識や理論が蓄積されてきたのか,またこれら諸問題の解決にはどのような方法が適しているのかを徹底して把握・理解しようとすることから始められる。こうしてひと通り既存の理論や方法を知ったうえで,単にそれを当てはめて「解決」しようとするのではなく,既存の理論や方法を超えた新たでオリジナルなアプローチを学生自身に編み出してもらい,その独自の世界観や方法論に則って問題の深掘と真の解決を志向させることが,このRBEでは期待されている(このRBEは第4節で後述されるMBAゼミの指導方法と関係している)。

なお,このRBEは,何も教員から学生へ向けた一方向での指導が含意されているわけではない。むしろ,実践の世界から遊離しがちな学問の世界にも現場のフロンティアで問題となっている現象がフィードバックされ,それを基礎に既存理論の修正や新理論の開発に研究者サイドが積極的につなげ,経営学研究の更なる発展へと寄与することが期待されている。その意味で,RBEという理念には研究と教育の間の有意でダイナミックな相互作用,相互発展が企図されているといえる。

2-3 プロジェクト方式

神戸大学MBAの特徴として第三に挙げられる点は,教育の具体的手法として,学生相互に数名のチームを組んで学修するプロジェクト方式(Project Research Method: PRM)がとられていることである。

ここでいうプロジェクト方式とは,学生が5~10余名程度でチームを組み,現実的なビジネス課題について学生相互に,そして学生と教員との間で幾度もディスカッションを重ねながら,答えるべき「問い」を深化させていき,最終的に高度な解決策を導出する教育システムである。ここでのポイントは,学生1人では発見しえないであろう気づきや新しい視点からの探究が,相互のディスカッションを介して可能になることが期待されている点である。

企業で働いている多くのビジネスパーソンは,普段の職場においてはこうした気づきはなかなかなし得ない。なぜなら,彼らは日常の仕事の現場においては,役職や地位に基づき指揮命令系統が明確に存在し,この指揮命令の階層に沿って業務が進捗していくからである。たとえ上司の命令が正しくないと感じたとしても,多くの場合それに異を唱えることはビジネスの現場では困難である。指揮命令系統がないフラットな組織において,アカデミックなディスカッションをとことんまで重ね合うことは,彼(女)らの日常業務からは得難い経験であり,そうした相互のフランクなディスカッションの中で,新たなアプローチや異なった視座の存在に気づかされるのである。

同時に,今まで職場において部下が自分の指示命令に文句なく聞き従っていたのは,決してその内容が正しかったからではなく,むしろ階層的な上下関係があるから(いやおうなく)聞いていたに過ぎなかった,ということに改めて気づかされることすらある。

このPRMの重要なポイントは,解決すべき課題を教員が指定するのではなく,学生が自ら意味ある問いを発見し,ディスカッションを通じてそれを深化させていくというプロセスにある。こうした学修方法は,昨今でこそ「アクティブ・ラーニング」や「創発型学修」といったようなさまざまな呼称が付され,今や時流の教育方法となっている感があるが,神戸大学MBAでは1989年の設立当初からその中核となる教育方法として採用されてきたアプローチである。

以上,3つの観点から神戸大学MBAプログラムの特徴を見てきたが,次に実際の教育カリキュラム上の特徴を検討してみることにしよう。

3. 教育カリキュラムの特徴

図表2は神戸大学MBAの教育カリキュラム構成の全体を要約的に示したものである。

この図表2に示されているように,神戸大学MBAカリキュラムは,コア科目,プロジェクト科目,専門科目の3群から構成されている。ここに「コア科目」とは,MBAであれば世界中のどこであっても最低限学修すべき知識や理論,その活用能力を身に付けさせる授業科目を指している。「プロジェクト科目」は,前述の通り,学生間同士で数名のチームを組み,ケースの掘り起こしや相互のディスカッションを通じて学修していくことが求められる科目群である。また「専門科目」は,最新の時事的なトピックスや教員の最新の研究成果を教授するための科目として位置づけられており,コア科目を補完する役割を果たしている。

図表2 神戸大学MBAカリキュラムの構成

以下,それぞれ具体的に敷衍してみよう。

3-1 コア科目

コア科目は,具体的にはマーケティング系のSales & Marketing, 技術経営系のTechnology & Operations, 組織・人材マネジメント系のIndividual & Groups, 会計系のControlling & Reporting, そして戦略系のStrategyの5科目から構成される。これらコア科目の教育内容と教育方法については,担当教員が誰であってもその講義内容が大きく変動することがないよう標準化されている。講義で使用するテキストブックも,日本の教員が執筆した“個性”豊かなものではなく1,グローバル標準に則ったものであることが必要とされている。

これらのコア科目では,講義とケーススタディを繰り返し学修することで,ビジネス理論や知識の実践志向が促進されるとともに,ケーススタディからグローバルな経営事例に通じることもできるよう,設計がなされている。なお,これら5つのコア科目は,世界のビジネスのグローバル標準となる知識を身に付けてもらうという設計思想から,科目名称は英語表記となっているが,授業自体は日本語で行われる2

また,これら5科目のコア科目間の関係を図式的に表しているのが次の図表3である。

この図表3から窺えるように,コア科目である上述5科目は,ヒト・モノ・カネの各経営資源のマネジメントという観点から整理されている。モノのマネジメントはここではManaging Products(「製品のマネジメント」)という概念で表現されており,その最も下流にある,具体的な製品として形のあるProductsのマネジメントを学修する科目としてSales & Marketingが,そしてそのProductsが原材料から完成品に至るプロセスのマネジメントを学修する科目としてTechnology & Operationsが,それぞれ充当されていることが窺えるであろう。

組織・人材マネジメント系のIndividuals & Groupsはヒト資源のマネジメント,会計系のControlling & Reportingはカネのマネジメントにそれぞれ該当し,これらヒトとカネはProductsを生み出すための資源(resources)として位置づけられていることも窺えよう。

しかも,この図表3には明示されていないが,MBA生の履修の順序はSales & Marketingを入学後最初に学修し,その後にTechnology & Operations, 次いでIndividuals & Groups, Controlling & Reporting, そして最後にそれらすべてを“統合”するIntegrating Products and Resourcesということで戦略(Strategy)が位置づけられていることがわかる(後掲の図表6「履修の流れのイメージ」も参照されたい)。

通常のアカデミックな発想法に基づけば,経営学ではまず戦略論があり,全体の到達目標が明らかにされた後に,その目標を実現するべく組織を設計し,組織が出来上がればそこでモノの生産をし,最後にそれを販売する,というのが常識的な学修の順序であるが,神戸大学MBAプログラムではむしろその逆の順序で学修することになっていることに注意されたい。必ずしもアカデミックな思考様式に馴染んでいない社会人学生に対しては,こうした経営学の論理の流れに沿った順序ではなく,形があって目に見えやすく,したがって学生が具体的に理解のしやすい下流から,より抽象度が高く目に見えにくい上流へ向けてという方向で学修を進める方がわかりやすく望ましいというプログラムの設計思想が読み取れるであろう。

図表3 コア科目の構成と概念図

3-2 プロジェクト科目

コア科目と同時並行的に,またコア科目学修終了後も継続的に続けられるのがプロジェクト科目であり,図表4に示されるように,プロジェクト科目は,ケースプロジェクト,テーマプロジェクト,修士論文プロジェクト(いわゆる「ゼミ」)の3種から構成される。

図表4 プロジェクト科目の構成

(1) ケースプロジェクト,テーマプロジェクト

ケースプロジェクトとは,6名前後の指定されたチームで,指定されたケースに斬り込み,学修していくこととなっている。テーマプロジェクトは,6名前後のチームを自由に編成し,研究するテーマ自体も自由に設定して研究に取り組むプロジェクトである。

後掲の図表6に示すように,履修順序はケースプロジェクトが入学直後,テーマプロジェクトは半年後になっていることから,最初のケースプロジェクトでは担当教員が,チームもさまざまな観点から構成を考慮して指定し,また素材となるケースも指定したうえで学修が進められるのに対し,テーマプロジェクトにおいては,チームも各自で自由に編成してもらい,そのチームで研究しようとするテーマ自体もそのチームに任せることとなっている。いわば,最初の段階では大学サイド(担当教員)による指示によって手助けされていた学修が,大学院という環境に慣れてくるにつれ,学生同士の主体性や自主性が重んじられるようになり,より本来の研究に近い自学自修を体験させていくという順序でのカリキュラム設計思想が見て取れるであろう。

(2) 修士論文プロジェクト

テーマプロジェクトが終了すると,最後の仕上げの段階として修士論文プロジェクトが課されることとなる。修士論文がMBA授業科目に必修科目として位置づけられることは昨今の他大学MBAではほとんど見られず,神戸大学MBAならではの特徴をなしているといってよい3

この修士論文プロジェクトでは12~15名程度のゼミの中で相互にディスカッションしながら,個人で論理性の高い研究論文を書いてもらうこととなっている。この修士論文は,自社上層部へ向けた「建議書」という位置づけとなっており,アカデミックで学術的であることは当然に要求されるものの,それだけにとどまることなく,各自が所属している組織できっちり実行でき,役立つことが何よりも重要であるとされている。

したがって,修士論文の評価基準は,①所属する組織で役に立つ結論を導出していること,②その結論の導出過程に説得力があること,この2点である。このいずれの要件が欠けても神戸大学MBAの修士論文としては不十分であり,この双方を満たすように指導教員や学生相互のディスカッションが繰り広げられ,最終的に提出可能な修士論文の執筆を目指すこととなる4

3-3 専門科目

専門科目は,既述のように,コア科目の枠に収まりきらなかった時事的に重要なトピックスや教員による最新の研究成果等を,受講生にフィードバックする科目群から構成されている。既述のコア科目群が,授業担当教員が誰であっても変わらない,グローバル標準に基づいた授業科目であるのに対し,この専門科目群は,より教員各自のリサーチに依存している部分が大きく,その意味において,前節で述べた神戸大学MBAの「研究に基礎を置く教育」(RBE)という理念を体現するうえで重要な授業科目をなしているといえる。

より具体的には,図表5に示されるように,統計解析,サービスイノベーション,マーケティングリサーチ,ファイナンス,経営史,ビジネスエコノミクス,需要予測と意思決定,経営倫理,コーチング,ネゴシエーション,事業再生,事業創発マネジメント,グローバル戦略,M&A,日英産業事情の諸科目である(コア科目とは違い,科目名称も日本語表記である)。

これらの中には,集中講義による英語授業や,海外視察や交流を行う講義,外部の専門家やコンサルティング会社などの専門組織による講義等,多種多様な授業科目が含まれている。コア科目やプロジェクト科目に並び,こうした多種多様なスタイルや専門分野に特化したコンテンツの授業科目も履修しつつ,総体として学修を深化させていくことができるように工夫されていることが窺えるであろう。

以上で見てきたコア科目,プロジェクト科目,専門科目これらの授業科目群をすべて含め,履修のスケジュールと大まかな流れを図式化して示したものが図表6である。授業科目が基本的に土曜日集中開講であり,土曜日のみの履修により1年半で修了することが可能なプログラムを提供していることから,順調に学修が進めば,M2の前期終了時点でMBA学位の取得が可能な体制となっている。実際,毎年ほぼすべての学生がこのカリキュラム体系に沿って単位を履修し,1年半で修了している。

では次に,これらの授業科目の中から,プロジェクト科目の1つとして位置づけられている修士論文プロジェクト(MBAゼミ)について紹介してみよう。

図表5 専門科目の構成
図表6 履修の流れのイメージ

4. 修士論文プロジェクト―ゼミの体制と運営事例―

神戸大学MBAでは,1学年約70名の学生が在籍し,修士論文プロジェクト(ゼミ)を指導する教員は毎年5名が経営学研究科約60名の教員スタッフの中から選ばれ,ゼミ担当教員として割り当てられる。この5名の指導教員の専攻ないし研究領域は,例年概ね,①戦略・マーケティング,②組織・人的資源管理,③技術経営・イノベーション管理,④会計・ファイナンス,の4領域のいずれかである。この①~④の各領域から1名のゼミ担当指導教員が必ず登壇し,残る1名は④を除いた①,②,③の領域から登壇する。換言すると,①,②,③のいずれかの領域については例年2名のゼミ担当者が登壇することが慣行となっている5

このうち,日本労務学会会員の多くが関心を持つであろう②の組織・人的資源管理のゼミに関して,筆者がゼミ指導教員として登壇した経験から,ゼミの体制と運営上の特徴をいくつか紹介してみよう。

4-1 ゼミの指導指針

神戸大学MBAのゼミは修士論文プロジェクトとして位置づけられており,ゼミの最終目的は当然ながらMBAにふさわしい優れた修士論文を執筆させることである。

修士論文は20,000字以上(英語の場合は8,000 words以上)という形式基準を満たすことが要求され,内容的には,既述のように「論理性のある建議書」であること,即ち所属組織の社内上層部へ向けた有益な提案であることとなっており,その提案を導出するプロセスがエビデンスでもってきっちり論証されているかどうかが問われるということである。一般に,経営学においてはアカデミシャンの行う学術的な研究であっても何らかの経営学的含意(managerial implication)ないし実践的含意(practical implication)が要求されることが多いが,そうした含意をより鮮明な形で強く打ち出すことがMBA論文においては求められている。

通常の社会人は,20,000字を超えるような長い文章をこれまで書いた経験がない。実務の世界では論理の厳密さよりも,簡明で端的な結論を明確にするべく(しばしば理由は抜きで)箇条書きで要約することの方が優先されるためである。したがって,論理だった長い論文を執筆するためには,それなりの知的鍛錬が必要となる。とりわけ,筆者の指導するゼミでは以下の3点に重きを置きつつ,毎回のゼミを運営している。

(1) 問題意識の深化

各自が実務上抱えている問題意識を,いかに研究に値する研究課題(いわゆるリサーチ・クエスチョン)へと昇華させ,尖鋭化させていくかが,優れた修士論文を執筆する最重要の鍵となる。

MBA生がゼミに入る前の時点で抱いている問題意識は,実務上は重要なものではあっても,近視眼過ぎて研究するには値しないようなものや,あまりにも問題が漠然としていて研究課題に落とし込むためにはさらなる思索が必要なもの,また既に学術的には解答が出てしまっており,ゼミでの研究には適さないものが大半を占めている。

例えば,「自分の働いている職場で外国人が配属されたが,日本式の(わが社の)仕事の進め方がわかっていない。上司として,彼にどう接したらよいか?」といった問題意識は,実務上は重要な解決すべき課題ではあっても,近視眼的過ぎるため,学位論文のテーマとして取り組もうとすれば,一歩引いた目線で現象を眺めさせるなど,一工夫が必要となる。

同様に,「わが社は経営者候補となる人材が育っていない。社長のリーダーシップが弱いから同業他社に後れを取っている。今後,優れた経営者人材を育成していくにはどうしたらよいか?」という問題意識も,極めて重要な問題ではあるものの,論文で取り組む研究課題にするためには問題をもう少し具体化し,この問題に関わりあう諸要因間の関係を緻密に整理しなければ前へは進めない。

MBA生の多くが最初に躓くのは,いきおい学問上の「正解」ばかりを探し求めようとするあまり,あたかも正解が存在しているかのように誤解してしまったり,学問上の「正解」を無批判に鵜呑みにしてしまったりすることである。いわば「常識を疑う」ことが難しいのである。

例えば,上記の問いでいうなら「社長のリーダーシップがないから同業他社に後れを取っている」という思い込み(背後仮説)がそこには潜んでいる。「社長やそのリーダーシップは育成できるはずだ」という前提も潜んでいる。これらの背後仮説や前提が必ずしも誤りというわけではないが,こうした思い込みを極力排し,客観的に冷めた眼で現実を見つめ直そうとする姿勢が,修士論文の執筆に際し何よりも重要である。

また,問題意識を研究課題として落とし込み,研究を進めていくためには,研究課題を設定する時点で,既にある程度の解がおぼろげながら見えていることが重要となる。例えば,「わが社にあった成果主義はどのような成果主義か?」という問いは漠然としていて掴みどころがなく,研究課題とは呼ぶことができない。ここから一歩進めて「成果主義をうまく導入するためには,職場の士気を低下させない工夫が必要である。」というある種の命題の形へと発展させることができれば,「本当にそう断定できるか?」「他の可能性もあるのではないか?」等の形でディスカッションができ,これを明らかにするためには,そもそも成果主義とは何か,士気とは何か,それらの間の相互関係はどうなっているのか,などといった論点を1つ1つ詰めていくことが重要となることもわかる。一筋縄で安直に考えようとしていた思考が,ゼミでの議論を通じ,このようにして深まっていくのである6

(2) 先行研究のレビュー

ひと通り研究課題が定まれば,その設定した研究課題に対しこれまでの経営学および周縁の学問領域ではどのようにアプローチされ,どういった解がひとまず出されているかをまずは探索してみる必要がある。つまり,学問的知見の到達点をまず知ることが求められる。いわゆる先行研究のレビューと呼ばれる作業である。

多くのMBA生が壁に当たるのは,自分が設定した研究課題に対してこれまでの先行諸研究が何ら解を出しておらず,そのものずばりの文献が見つからない,という点である。いくつか部分的に自身のテーマを取り扱っている文献は見つけることはできるが,問いと答えのセットがきっちり合致している文献が見つけられない,ということである。

このような相談をMBA生から受けた場合,筆者は「完全に合致するような文献は見つからなくて当然である」という返答をすることにしている。むしろ,これまで研究されたことがないような新しい問いを立てようとしている証左なのであり,したがって「プラスに捉えるべきである」と答えている。

自身の立てた研究課題と完全に重なり合うような文献がもし見つかったとすれば,その問いは既に先人が取り組んで解を出してしまった問いなのであり,(その論理の妥当性の吟味等はできるが)神戸大学MBAでゼミ生が取り組む必要はむしろ低いといえるであろう。いくつか部分的にしか重なり合わない,関係するかしないか判断が難しそうな先行諸研究をそのロジックに留意しながら注意深く読み込んでいき,要約的にまとめるのが先行研究のレビューである。

まとめ方にもコツが必要である。よく見られるのが「誰それはこういうことを主張した」という要約を単に列挙しているまとめ方であるが,これは宜しくない。読む側もつまらなくて退屈してしまう。あくまで自身の取り組もうとしている論点に対し,どのようにその先行研究が関係しており,自身が明らかにしようとしている点に関してどういうことがわかったか,という点に焦点を当てて先行研究レビューがなされなければならず,したがってその叙述も自身の掲げた論点との論理的連関が論じられていなければならないのである。

また,文献を調べる方法にも,時間のないMBA生は特にインターネットでキーワードをもとに検索をして,該当した論文や文献をかたっぱしから読んでいく,というパターンを取りがちであるが,この方法はできうる限り避けなければならない。インターネットの検索では,必ず読んでおくべき重要な古典的文献も,最新の文献も,先輩院生の書いたMBA論文も区別することなく平板に列挙されることとなる。領域やテーマに予備知識があまりない場合,それらを同列に扱い,いわば大御所の論文も先輩院生の論文も同じ感覚で読んでしまうことにつながる(先輩の論文は軽く流し読みで済ますべき,ということをいっているわけではもちろんない)。

とりわけ,インターネットのキーワード検索だけで文献を調べようとすると(最初,多くのMBA生がそうである),時に全く無関係な論文までもが読むべき文献リスト一覧として表示されてしまうことになる。ここはやはり,一見面倒なようであるが,誰もが読んでおくべき古典的文献が何たるかをまずは知り,それをきっちり読み込んで,その文献で引用されたり批判的に吟味されたりしている論者の文献を次に読み,というような順序を辿らない限り,学史的系譜の大まかな流れや研究の発展過程,それぞれの先行研究のコンテンツを真に理解することは難しい。研究の時系列を追いながら先行研究をレビューすることが,時間制約の多いMBA生にとっても,一見回り道のようでいて,実はオーソドックスで近道となるアプローチであることを銘記する必要がある。

(3) 分析フレームワークの構築

研究課題が定まり,先行研究レビューにより,従来の学術的知見の到達点を知ることができれば,次なるステップは自分の設定した研究課題をどのように分析するかについて大きな枠組みを作ることである。このステップは,一般には「分析フレームワークの構築」の作業と呼ばれる。自身が取り組もうとしている研究課題を明らかにするためには,どのような要因が関係するのか,それらの諸要因間の関係はどうなっているのかを,一覧できる図形式で示すことが必要となる。

社会科学を少しでも勉強したことのある学生であれば,この分析フレームワークの構築という意味は理解しやすい。そもそも社会科学における「社会」とは,人間と人間の間の多様な関係性を指し示す概念であり(上林,2007),それら複雑に絡み合う諸要因の間の関係を,1つずつ絡んだ糸をほどくように論理関係を明確化していくための設計図がこの分析フレームワークである。それゆえ,論文を書く執筆者自身が,多種多様な諸要素のうちのいずれを特に取り上げ,それら間の関係を分析しようとするかを分析者自身で設定するということの意味は,社会科学の専攻者であれば比較的すっと理解することができる。筆者の指導経験からして,ここで躓きやすいのが理工学部や医学・薬学などの自然科学系出身のMBA生である。

自然科学においては,ここでいうフレームワークはいわば学問領域ごとに予めきっちり設定されており,その指定された枠組みに沿って実験を行い,データを取り,論文を書いていく,というスタイルがとられることが多い。いわば,分析フレームワークはあらかじめ準備されているものであるので,それを自ら作らなければならないという意味がよく理解できないのである。

ごく一例を挙げれば,組織行動論の領域でよく知られている「組織コミットメント」の概念に,アレンとマイヤー(Allen, N, J. & Meyer, J. P.)が開発した3つの下位概念(情緒的コミットメント,存続的コミットメント,規範的コミットメント)があるが,これを所与の枠組みとして使い,自身でその枠組みに則ってデータを取り,その結果を論文にまとめようとするMBA生がいたとしよう(実際,自然科学系出身のMBA生の論文の構想は,こうした先行研究のフレームワークをそのまま所与として捉えていることが多い)。データは自身で取得したものなので,データが新しくて新奇性があるといえばその通りであるが,こうした論文の書き方は神戸大学MBAでは推奨されない。分析フレームワークを分析者自身の手で構築しておらず,アレンとマイヤーの作った既存の枠組みの中で議論しようとしているためである。

アレンとマイヤーの3次元の組織コミットメントのモデルは,先行研究の1つとしてひと通りおさえておく必要はもちろんあるが,それを絶対的に所与のものとして捉えている限りにおいては,理論的側面においてそこからの発展はない。むしろその枠組みや概念それ自体に批判的な吟味を加え,自身の実務経験に照らしつつ新たな自分なりの新概念を創出し,分析の枠組みを自身の頭で構築してもらう必要があるのである。例えば,アレンとマイヤーの概念創出過程は当然にその国の文化的背景に依拠したものであるだろうし,日本企業にそれをそのまま当てはめて分析することの妥当性を吟味するなど,学界の常識や既存の知見への疑いや批判がないと,神戸大学MBAが評価する優れた学位論文とはいえない。

以上で見た問題意識の深化,先行研究のレビュー,分析フレームワークの構築以外にも,MBA生が修士論文を執筆するうえで重要な要素は多々ある。データを収集する際にどのような方法をとるか(例えばケーススタディとするか,統計的サーベイリサーチとするか),データをどのように分析するか,また結果をどのように解釈するか,等々である。しかし,筆者のこれまでの指導上の経験からすると,上記3点がしっかりしている論文の場合は,それ以下の作業も比較的すんなりと滞りなく進んでいき,結果,優れた論文に仕上がることが多い7

4-2 研究テーマと修士論文の例

(1) 研究テーマの特徴

こうしたゼミでの指導やメンバー間の相互討議を経て論文が執筆されるわけであるが,次の図表7図表8は,筆者がゼミで指導した直近のMBA学生の取り組んだテーマおよび提出した論文タイトルを示したものである。図表7は2016年度修了生の研究テーマ(ゼミ志願書を提出した時点)と実際に提出した修士論文のタイトルを,図表8は現役ゼミ生がこれから研究しようとしているテーマを,それぞれを示している。

これらの図表から窺えることは,第一に,筆者のゼミは組織・人的資源管理系の修士論文プロジェクトとして開講されているものの,各自の研究テーマは通常の組織・人的資源管理論8よりも射程が広く,戦略や技術経営に関わる問題を検討しようとしている学生も在籍していることである。研究テーマや論文のタイトルを見ても,オープン・イノベーションや事業承継といったキーワードが含まれていることが窺えるであろう。もっとも,これらのように一見領域外のテーマを設定していたとしても,結局は組織や人的資源の問題に関わらせながら研究していくことになるため,指導教員や他のゼミ生とのディスカッションは他のテーマと同様に,活発に行われることになる。

第二に,組織・人的資源管理系の研究テーマの中でも,ここのところ実務的にも時流のテーマになっているキーワードが多く見られることである。例えば,外国人社員の育成管理,中途採用者の組織再社会化,企業横断型プロジェクト,サーバントリーダーシップ,等々である。その中には,学界がこれまであまり大きな関心を示してこなかったようなテーマ,例えば経営企画部門の果たす役割や人材育成のスピード等といった論点に焦点を当てた(ないし当てようとしている)研究テーマも含まれており,これらはMBA生ならではの関心に沿った研究テーマ設定であるといってもよいであろう。

そして第三に,ゼミに入る段階では漠然としたテーマ設定であったものが,修士論文提出時には課題が絞り込まれ,明確な論題になっていることも窺えよう。中には,入学時に取り組もうと考えていたテーマと論文タイトルが全く変わっているケースも散見されるが,これは所属組織内での異動に伴って関心が変わったり,所属組織の部署の長とゼミ生とが話し合った結果,会社にとってより有益なテーマへと重点を移すよう所属組織から指示されたり,などの事情によっている。

図表7 ゼミでの研究テーマおよび修士論文タイトル(2016年度修了者)
図表8 ゼミでの研究テーマ(2017年度生)

(2) 優れた修士論文の例

図表7に示した修了生が執筆した論文のうち,上から5行目に示した「創薬研究に於けるHRM」という研究テーマで取り組んだ「日本型製薬企業における人的資源管理―研究者のキャリアトランジションに着目して―」というタイトルの論文は,神戸大学MBAでの秀逸した研究として評価を受け,優秀論文賞を受賞した論文である9

この論文の筆者である鈴木紀子氏は,日本を代表する大手製薬企業に研究職として勤務し,製薬企業における研究者のキャリアについて,現場で目下実務的に最も大きな問題となっている点の1つであるキャリア転換(「キャリアトランジション」)について主に研究を行った。論文の副題に示されているように,研究者として研究所に配属されキャリアをスタートさせたとしても,必ずしもその全員が当該企業にとって「優れた研究者」として成果を上げていけるわけではない。なかなか芽が出ない研究者の中には,所属組織としては,研究者ではなく別の職種へと転換させざるを得ない者も当然出てくることになる。従前であれば,研究者から別の職種に転換することは,ある種の「挫折」としてネガティブにとらえられる傾向にあり,彼女の所属組織においてもそうしたイメージがかなり強かった。

しかし,鈴木氏は,研究から他部署への異動を経験した者に対し,他社を含みインタビュー調査や独自のアンケートに基づくサーベイ調査を行い,職務満足や自己効力感を得るまでに要した時間や,キャリア転換後に「自己成長」がどのようにして得られたかを,エビデンスに基づき具体的に明らかにした。結果,キャリアを転換した元研究者も,当該組織の別部署の職場において,当社にとって大きな貢献をなしていることを発見した。また,研究での経験や専門性を活かすことができる異動が望ましいこと,比較的若いうちに異動させる方がキャリア転換後の伸びが期待できること,等といった意味ある実践的含意を引き出した。いわば,キャリアの転換をネガティブにとらえるのではなく,むしろそこに積極的意味を見出し,その具体的プロセスをいかに組織的にマネジメントすべきかについて修士論文をまとめたのである(鈴木,2016)。

いわゆるキャリアトランジションについては,心理学を中心に学界でもそれなりに議論が蓄積されつつあるものの,筆者の知りうる限り,データをきっちり分析した実証研究や経営学的視点からの論点の詰めは未だ十分に行われているとはいい難い。そのような中,彼女は具体的に所属組織でのコンテキストを踏まえ,独自の分析フレームワークを構築し,データを自ら収集し,その具体的プロセスや経営実践上の含意を導出した点が高く評価され,優秀論文賞の受賞となった。

なお,鈴木氏はMBA課程修了後,この修士論文プロジェクトでの成果を踏まえ,所属組織の人事部に対し助言を行ったり,トップ経営者層に対しても意見を述べたりしているとの由である。

以上で紹介した鈴木氏の研究は,MBA論文の一例に過ぎないが,職場で抱えていた重要な実務上の重要課題を,ゼミでの議論を踏まえつつ問題意識を次第に深化させていき,最終的に優れた修士論文を書き上げた,しかも修了後も所属組織にその研究成果をフィードバックさせているという意味で,神戸大学MBA修士論文プロジェクトの好事例として位置づけることができるであろう。

5. MBAに必要な研究能力―むすびに代えて―

以上で概観してきたように,神戸大学MBAプログラムでは「コア科目」により標準的なMBAとして身に付けるべき知識や思考法を主に教育し,ゼミを中核とする「プロジェクト科目」により論理的な思考力や構想力,ディスカッション,独創性などが鍛えられるよう設計されている。

こうして改めて見てくると,MBA生が身に付けるべき能力は,学問としての経営学を学ぶ一般院生と大きな相違がないことが窺える。神戸大学大学院経営学研究科に在籍している一般院生は,博士課程を経て博士号を修得後,大学等の教育研究機関において経営学の研究者としてのキャリアを歩むことが期待されているため,研究に必要となる論理力や構想力,独創性は当然に高いレベルが要請されることとなる(上林,2009)。

既述のように,MBA論文では何よりも「修士論文を職場に持ち帰って所属組織の経営に役立てられる」ことが重要な要件の1つになっているが,その役立つ結論を導出する過程においては論理力・構想力,独創性といった諸能力が必要である。一般院生には,実践的含意(いかに経営に役立てうるかの含意)は必ずしも表立って鮮明な形では要求されないが,論文の結論では理論的含意のあとに実践的な含意についても少しは記載することが一般的であり,その意味で実用性をある程度射程に入れた経営学研究は,たとえ一般院生であっても必要となる。

したがって,MBA生と一般院生に必要な能力は,実用性と論理性のいずれにより大きな重点を置くかの程度の差が多少あるだけであって,両者間の必要とされる能力に本質的な相違はないとさえいえるであろう。既述のように,筆者のMBAゼミでの指導の強調点である「問題意識の深化」や「先行研究のレビュー」,「分析枠組みの構築」等は,当然のことながら一般大学院のゼミにおいても最重点で指導を行うポイントである。

実際,筆者の指導するMBAゼミでは,一般院生がTA(Teaching Assistant)等の形で参加したり,あるいは大学院を修了し大学教員としてキャリアを歩んでいる若手研究者たちがアドバイザーとしてゼミに参加したりして,報告内容に対しコメントをしたり,ゼミ生各位と多様なディスカッションを繰り広げたりしている。MBA生のコメントから,一般院生も―指導教員である筆者自身も―新たな実務上の知識やトピックス,実務界での時流の考え方等を教えてもらう局面も多々ある。時には,一般院生にとっては得ることが難しい貴重なデータを,MBA生を介して企業から収集させてもらうきっかけを頂ける場合もある。

こうした意味において,研究者とMBA生は一方向的に教える側・教えられる側という関係にあるのではなく,互いにフィードバックをし合う双方向的でダイナミックな関係なのであり,MBA生は教員や一般院生にとっても研究上の重要なパートナーとなっている。神戸大学MBAは,企業経営に直接役立つことを学生に単に伝授するためだけに存在しているわけではない。第2節で見た「研究に基礎を置く教育」(RBE)という理念の神髄はこの点にこそある。

本稿を読んだ社会人大学院生が,MBAで学修することの意義や面白さを再発見し,学問の世界に多少なりとも興味を持って頂けたなら,筆者にとって望外の喜びである。

(筆者=神戸大学大学院経営学研究科教授)

【注】
1  周知のように,日本の経営学のテキストブックは,その執筆者によって体系も内容も千差万別であり,良くいえば個性的で独創的,悪くいえばバラバラで結局受講生が何を体系的に学修すべきかを客観的に示すことが難しくなってしまいがちである。

2  組織・人材マネジメント系のコア科目であるIndividuals & Groupsをはじめ,各授業科目の詳細シラバスは神戸大学経営学研究科MBAのホームページ(→「在学生の方へ」→「講義シラバス」)上で公開されている。コア科目については,グローバル標準を意識したテキストブックや各回のテーマ,取り上げるケースなどが明示されている(2017年10月時点)。ご関心ある向きは参照されたい。

3  このような現状は,文部科学省による2003年の「専門職大学院」制度の新設に伴い,修士論文が修士課程修了の必須条件から外されたことと関係している。実際,2003年以降,社会人にとってハードルの高い修士論文提出を修了要件として課さないMBA課程が急増することとなった。この制度変更は,日本のMBA教育が,授業の履修ないし知識の修得を中心とする,欧米のMBA教育に倣った学位授与方針へと大きく変更の舵を切った契機として理解してよい(cf., Kambayashi, Okabe & Morita, 2008)。

4  ちなみに,一般院生向けの論文の評価基準は,片岡ほか(2010)に要約されている。筆者の評価基準も本書に寄稿しているので,ご関心ある向きは参照されたい(同書,193-195頁)。

5  この点は神戸大学MBA志願者の関心領域が,主に①,②,③の領域に多く分布していることによっている。

6  ちなみに,最初から完全に解がわかっているような問いは,敢えてそれに答えるべく研究しようとしたところでその意義がない。完全に解がわかっているのではなく,逆に全く雲を掴むような曖昧模糊とした問いでもなく,それらの中間ゾーンに位置する「おぼろげながら」解が見えている,という問いの立て方こそが重要なのである。

7  もう一点,ゼミで学ぶにあたって敢えて注意を促すべき点があるとすれば,MBA生の中に,大学院での「研究」というだけで,数式化して表記したり,あるいは難解な用語を持ち出して説明したりしないといけないという固定観念を持っている学生が散見されることである。時に,ごく簡単にいえるようなことをやたらと難しい専門用語で表現しようとする―大学院での研究ではそうしなければならないと誤解している―学生すら見られる。しかし,本来的な学問の営みは,全くその逆,すなわち理解が困難なほど諸要素が複雑に絡まり合った社会現象を,1つ1つ絡まった糸を解いていくように,誰にとっても理解可能でわかりやすく表現することなのである。換言すれば,「単純なことを難しく表すこと」ではなく,「複雑なことを簡単にわかりやすく表すこと」が学術研究の本質である。

8  この点については,例えば上林(2012)を参照されたい。

9  賞の正式名称は神戸大学MBAの設立・運営に多大な貢献をした本学名誉教授の加護野忠男氏の名を冠し,加護野忠男論文賞と称される。毎年,その年度のMBA論文の中から優れた論文3本が選ばれて表彰されるが,当該論文は金賞・銀賞に次ぐ銅賞を受賞した論文である。審査講評と審査経過は神戸大学MBAのホームページでご覧頂ける。

【参考文献】
  •   Kambayashi, N., Okabe, Y. and Morita, M.(2008) Management Education in Japan, Chandos Publishing.
  •   片岡信之・佐々木恒男・高橋由明・渡辺峻・齊藤毅憲 共編著(2010)『経営・商学系大学院生のための論文作成ガイドブック』文眞堂。
  •   上林憲雄(2003)「日本型ビジネススクール教育の論点と課題」『国民経済雑誌』第187巻第1号,2003年10月,35-46頁。
  •   上林憲雄(2007)「経営学とはどんな学問か」上林憲雄・奥林康司・團康雄・開本浩矢・森田雅也・竹林明『経験から学ぶ経営学入門』有斐閣,367-388頁,所収。
  •   上林憲雄(2009)「経営学の研究者になるということ―経営学研究者養成の現状と課題―」経営学史学会編『経営学の理論と実践』(経営学史学会年報第16輯)文眞堂,91-106頁,所収。
  •   上林憲雄(2012)「人的資源管理論」(特集:この学問の生成と発展)日本労働研究機構編『日本労働研究雑誌』2012年4月号(No.621),38-41頁。
  •   神戸大学MBAパンフレット(2017)「神戸大学大学院経営学研究科現代経営学専攻(専門職大学院)神戸大学MBA入学案内」。
  •   神戸大学MBAのホームページ:http://mba.kobe-u.ac.jp/,2017年9月9日閲覧。
  •   神戸大学大学院経営学研究科規則:http://www.office.kobe-u.ac.jp/plan-rules/act/frame/frame110000303.htm,2017年9月9日閲覧。
  •   鈴木紀子(2016)「日本型製薬企業における人的資源管理―研究者のキャリアトランジションに着目して―」神戸大学MBA2016年度修士論文。
 
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