日本労務学会誌
Online ISSN : 2424-0788
Print ISSN : 1881-3828
日本労務学会創立50周年に寄せて:これからの労務研究に向けて
人事労務分野における心理学系研究への期待
坂爪 洋美
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2020 年 20 巻 2 号 p. 15-20

詳細

1. はじめに

日本労務学会の特徴は言うまでもなくその学際性にある。多様な学問分野から学会員が集う本学会の今後に対する期待は,その学際性をより活かした形での情報発信の場を増やすことだ。多様な学問分野をバックボーンとする研究者が集うだけでなく,共通のテーマについてそれぞれの立場から論じる場を今以上に増やし,テーマについての理解や知見に厚みを増していくことが,学際性の高い本学会の存在価値をより高める。

本学会が,その学際性が持つ力を今以上に引き出そうとする際に個々の研究者に問われるのが,「人事労務研究に対する自身の学問分野の意義は何か」という問いに対する自分なりの回答を見つけることではないだろうか。学際的な学会は確かに魅力的であるが,そもそも固有の専門分野を持つ研究者はなぜ学際的な場に集うのだろうか。心理学をバックボーンとする自分自身を振り返ると,学際性を求めてという以上に「人事労務研究には心理学という学問分野からのアプローチが不可欠だ」という自負があるように思う。同時に,本学会に参加する度に「人事労務研究における心理学系の研究とは何か」「人事労務研究における心理学の強みは何か」という問いを突きつけられる感覚があった。その問いと改めて向き合うきっかけとなったのが2019年9月に開催されたレビュー研究会(正式名称は「創造的回顧-日本の人事労務研究のレビュー研究会」)に向けた準備である。

準備を通じて,「人事労務分野における心理学系の研究とは何か」「人事労務分野における『良い』心理学系の研究とは何か」といったことを改めて考えることになったが,その時考えたあれこれを述べることを通じて,学際性の高い本学会における心理学系の研究の今後への期待を整理してみたい。言うまでもなく,それぞれの学問分野に対する期待があるが,私自身の学問的バックボーンが心理学であることから,ここでは心理学系の研究について言及する。

2. 学際領域としての人事労務分野に関わる楽しさとつらさ

学際領域で研究をすることには楽しさとつらさがある。私が実感している楽しさは2つある。まず,今人事労務の場で起きている問題を視点の異なる切り口から,多角的・立体的に捉えることができることである。心理学は個人を中心においた上で,ミクロな視点で物事を捉えることを得意とする学問であることから,ともすれば視野を絞り込むことになるので,視野の広がりをもって事象を捉えられることは,心理学系の研究にとって自分たちの研究の土台を知るという点で大きな意味がある。

次に,自分の学問を相対化することを通じて,心理学の独自性を知ることができることである。たとえ同じテーマを取り上げた研究であったとしても,背景となる学問分野が異なれば,捉え方も切り方も全く異なる。そこから得られる知識自体が意味あるものだが,それ以上に自分の学問の相対化に意味がある。

心理学では事象を説明する際に,例えばモチベーションといった構成概念を想定する。モチベーションは個人の内面を説明するもので,直接さわることも見ることもできない。そのような構成概念を想定した上で,モチベーションが高まるメカニズムを説明しようとするのである。随分前のことだが,他の学問分野の研究者に「モチベーションのような目に見えない構成概念を何故想定するのか? ある条件とある行動との関連を検討する際に,モチベーションという構成概念を介在させる必要性はどこにあるのか。」と聞かれてとても驚いたことがある。私にとっては必要性など考えたこともない位,モチベーションという構成概念を用いることが当たり前のことだったからである。

上記の問いは,構成概念の必要性を考えるきっかけとなった出来事であると同時に,心理学としてどんなに優れた研究であったとしても,他の学問分野からみれば,腑に落ちない研究となることに気づくきっかけとなった。それ以降,学際領域のジャーナルに論文を投稿する際,複数の学問分野の研究者に了解可能で批判されにくいように論文を作成するのではなく,自分の学問的アイデンティティを意識した,すなわちこの論文は心理学系の枠組みに基づいて作成されているということを,誰が読んでもわかるように書くことを意識している。学際領域でどう研究し,どう論文としてまとめていくか,その方法は各自が考えればよいが,自分の論考に向けられる批判をどの順番で受け取るか,何を受け取り何を受け取らないかを判断する際に,自分の学問的アイデンティティを意識することが大事だと考える。多くの人に受け入れられようとするがあまり,自分の研究が学問的に迷子にならないためにもである。

「楽しいことは楽ではない」とはよく言ったもので,学際的な場にいることの楽しさはつらさともつながる。私が実感するつらさは2つある。まず,人事労務の場を研究する多様な学問分野の中で,心理学の限界をふと意識する瞬間があることである。大学で教え始めたばかりの頃,「自分はとても面白いと思っているのに,学生は授業が始まって30分もすると居眠りを始める。それに傷つく。こんなに面白いのに。」という類の話を自分もしたし,自分より後に入ってくる大学院を出たての教員仲間からも聞くことがあった。それと似た感覚を研究上でも感じるということだ。限界があることはわかっているが,他の学問分野との比較を通じて限界を感じる時には,身を切られる感覚になる。ただ,このつらさは「でも好きだからいいか」と割り切ることができるので,私にとってはそれほど大きな問題ではない。

より意識するのは,「自分は果たして何者なのか」という問いである。多様な学問的バックボーンを持つ研究者が人事労務に関わる時,私の学問的アイデンティティは心理学者である。一方で,私は心理学者と言ってよいのだろうか,私が心理学を語ってよいのかと疑問に思うことが時々あり,この問いがいつもどこかでひっかかっている。他の学問領域に触れることで,自分自身のスタンスが少なからず変化していることを自覚する中,まだ心理学者と名乗って良いのだろうか,という迷いがある。

3. レビュー研究会の準備で感じたあれこれ

このことを改めて直視するきっかけになったのが,この学会が2019年9月に開催したレビュー研究会であった。レビュー研究会は,日本における人事労務研究の蓄積を振り返りつつ,今後の新しい研究成果の呼び水となることを目指し,5つの班が各自の学問分野のパースペクティブに基づく過去40〜50年間の日本の人事労務研究をレビューし報告し合うという学際領域ならではの研究会であった。

私は心理学班の一員として,心理学系の研究をレビューするというタスクを担ったが,その過程で,「人事労務における心理学系の研究とは何か」「良い研究とは何か」という2つの問いと改めて向き合うことになった。心理学とは何かを考える時,2つの境界を考えることになる。心理学と他の学問分野を分けるソトの境界と,他の学問分野の研究者からみれば心理学カテゴリーだが,カテゴリーの中にいる研究者にとって案外気になる,心理学カテゴリーの中に存在する心理学か否かというウチの境界である。境界を考えることは心理学とは何かを明らかにするだけでなく,心理学の課題を浮き上がらせる。

順番に見ていこう。まず,ソトの境界についてである。論文を読む際,「著者の学問的バックボーンは何か」を確認する私にとって,心理学系の論文か否かを分ける最初の基準は著者になる。具体的には産業・組織心理学や組織行動を学んだ経験の有無である。大学や大学院等で学んだ経験を確認することは難しいので,著者の過去の論文がどのような学問的バックボーンで書かれているかを確認している。産業・組織心理学や組織行動を学んだ経験がある研究者が書いた論文が心理学系の論文に該当する。

しかしながら,実はこの基準に当てはまらない心理学系の論文は数多く存在する。学際領域ならではの現象だと考えているが,著者の学問的バックボーンは心理学ではなさそうだが心理学系の論文と呼べる論文が存在する。具体的には論文の中に心理学で慣れ親しんだ構成概念が登場するタイプだ。心理学系の構成概念は個人を分析単位とした論文で頻繁に用いられる。

論文の中に心理学系の構成概念が用いられない論文は心理学の研究ではないが,心理学系の構成概念が用いられれば心理学系の研究なのかと問われると,「そうとも言えるし,そうとも言えない」という曖昧な回答になる。レビュー研究会では,「特定の雑誌に掲載された論文のうち,心理学系の論文でよく登場する構成概念を用いた論文」を心理学系の論文とした。この定義を用いることで,人事労務分野における心理系の論文の数は飛躍的に増えるが,それらを眺めると2タイプの心理学系の研究が存在することに気づく。まず,心理学の流れを強く汲む研究である。先に心理学の理論があり,その理論的課題を乗り越えるべく研究が構築されるタイプで,心理学の学問的進歩に貢献することを強く意識していることが特徴である。

次に,実際の人事労務に対する強い興味関心を前提とする研究である。このタイプの研究は,個人を分析単位として,心理学の概念を用いて,事象ならびに事象が生じるメカニズムを説明しようとする。人事労務分野での心理学系の研究としては,後者の方が数が多い。就業者の雇用形態や個人属性の多様化が進み,人事制度も変化する中で,個人を分析単位とした研究は今後も増加すると予想できることから,心理学系の研究は増えてにぎわいを見せるだろう。しかしながら,それを無邪気に喜んでよいのだろうか。

心理学の構成概念を用いる論文の中には,関心の中核は個人ではなく,例えば新たな人事制度とそれが与える影響に関心があり,影響を把握すべく個人に注目した結果,心理学の構成概念を用いているものがある。一見すると心理学系の論文に見えるが,この論文の学問的貢献は人事制度に向かう。他の学問分野からの心理学の知見の活用方法としては正しいが,心理学から見た時,「構成概念を貸す」だけなので,これを心理学系の論文と呼んでよいのかという疑問がある。

もう1つの境界が心理学のウチの境界である。人事労務分野の心理学系の研究者には,経営学の中で組織行動を学んできた人と,心理学の応用領域としての産業・組織心理学を学んできた人がいる。両者が取り上げるトピックスには共通性が高く,アメリカのジャーナルでも,「両者には大きな違いはなく,区別することに大きな意義はない」という主張があることから,両者をまとめて心理学系の研究者といって差し支えない。

しかしながら,組織行動と産業・組織心理学は似ているけど大きく異なるという感覚がある。論文のテイストが違う,研究デザインが違う,査読で書く文章が違う,投稿先のジャーナルが違う,というように違う現象をいくつも上げることができるが,コアな部分で何が違うのかを,現時点で他者に誤解がないように伝えることができる程度までに,私はその違いを言語化できていない。「なんか違う。でも結構違う。」という感じだ。「そんな細かいことにこだわる必要があるのか」と思う人もいるだろうが,自分は心理学系の研究者だと考える人にとっては案外大事なことだ。この違いを言語化できることが,人事労務分野における心理学系研究をより進める力になるだろうと感じている。

学際領域で研究をする上で,自分は何者か,自分の学問分野の強みは何かを意識することが不可欠だと考える。ダイバーシティ研究では多様な能力・スキルの組み合わせが創造性の発揮につながることを明らかにしているが,多様性を創造性へと変換させる第1歩が自分の学問分野の強みを理解することだ。組織行動と産業・組織心理学という外からみれば些細な違いしかないが,やはり似て非なるものの違いを理解することは,人事労務分野を対象とする心理学系の研究の意義と,その強みを浮かび上がらせることにつながるのではないだろうか。心理学と経営学という学問分野の中で育った私自身について言えば,「自分の学問的アイデンティティは産業・組織心理学だと思っているが,あてはまらない部分がある」という経験を繰り返ししてきた。例えば自分が書いた査読票と産業・組織心理学者が書いたと思われる査読票とを読み比べると,自分の査読票に産業・組織心理学のテイストが薄いことに気づく。その度に,何が違うのか,その違いは何を意味するのか,その違いはどう使えるのかを考えることが,人事労務分野における心理学系の研究とは何かを考える時間となっている。念のため確認しておくが,産業・組織心理学と組織行動のいずれかがより優れているということを言っているわけではない。違いの中に潜む何かが,人事労務分野における心理学系の研究をより進めるために役立つのではないかと考えているということだ。

これとは別に,1970年代から今日までの心理学系の論文を読む中で気づいたことがある。最近の論文と単純に比較すると,以前の論文には統計手法も論理構築も粗いものが少なくないが,そのような論文の中に,今読んでもわくわくする論文が存在することだ。そんなわくわくする論文を読んでいると,論文執筆には,問題意識の立て方とその切り口の明確さが何よりも大事であり,それらの条件が満たされていると,たとえ論理構築が甘くとも,その甘さを後の研究者が埋めようとしたくなる魅力が備わることに気づく。

問題意識について補足すると,執筆時点から遠い未来の時点でその論文を読む時には,理論上・実務上いずれの課題についても,その当時の状況を記述をする部分が非常に大きな意味を持つ。その論文の必要性が,論文が書かれたのと同時代に読むならばわかる論文と,同時代でなくてもわかる論文があるということだ。特に,実務的課題でこの点は重要だ。論文という限られた紙面では,同時代に読むならばあえて記述しなくても読者に伝わる部分は記述から除外されることが多いが,著者と読者との間で暗黙の了解として論文の土台を流れる文脈,その論考が成立する要件を整理・具体化・精査することが,その研究の意義をより鮮明にすることにつながると感じた。

4. おわりに

レビュー研究会を契機に考えたことをつらつらと書き連ねてみたが,最後に「人事労務分野における心理学系の研究とは何か」「良い研究とは何か」という問いに対する現時点での私なりの回答をまとめたい。私が考える人事労務分野における心理学系の研究とは,働くことに関連する個人の認知や行動に注目し,心理学で慣れ親しんだ構成概念を用いた上で,個人が研究のコアに位置づく,もしくはコアに位置づかないとしてもその研究結果が心理学の学問的進展に貢献するものである。前述した構成概念を貸す形の研究であったとしても,その研究の成果が心理学の学問的進歩につながるものであれば,心理学系の研究に該当する。したがって,自身を心理学系の研究者だと自負するならば,自身の研究成果と「心理学の学問的進歩へのつながり」を示すことが必要だと考える。学際領域であればあるほど,また研究対象となる実務的課題の重要性が高ければ高いほど,この点は求められない場合が増えてくなるが,それでもなお,自分の研究がどのように心理学の学問的進歩につながるのかを提示することが,学問としての心理学を前進させ,ひいては人事労務分野への心理学的アプローチの有効性を高める。人事労務に対して強い関心を寄せつつ,心理学という学問とのやり取りを怠らないということだ。さらに言えば,心理学をバックボーンとする以上,研究の前提に個人のwell-beingを尊重する姿勢があることが望ましい。

「良い研究とは何か」という問いに対する回答としては,良い研究とは何かを大上段に語るのではなく,私自身今後どのような研究をし,どのような論文を書いていきたいと考えているかという形でまとめてみたい。まず,対象となる研究テーマの現状と課題を具体的・多層的に記述することを通じて,テーマの全体像を立体的に浮かび上がらせ,10年後に読んでも書いた当時のリアルが伝わる論文を書いてみたい。統計を用いるタイプの心理学系の研究では,最終的には2〜3の変数に絞り込んで仮説を設定する。その仮説に至るまでのプロセスで,その時点だからこそ,日本という文脈だからこそ,という切り口で研究課題を記述することにより,心理学だからこそ描きだせる,その時でなければ書けない成果につながる研究をしてみたい。

次に,人事労務の課題に対する理論的知見だけでなく,心理学分野の概念の発展にも貢献する研究をしていきたい。これは簡単なことではない。二兎を追う者は一兎をも得ずで,双方を追い求めると結果として論文として中途半端なものとなるリスクが高まる。したがって,実際には人事労務への貢献,もしくは心理学という学問分野への貢献のいずれかにより比重を置くものとなるだろうが,たとえ人事労務に比重を置くことを第一義としたとしても,それがどう心理学という学問分野に貢献するかを意識して論文を書いていきたい。

さらに言えば,完成度は低いけど面白い研究をしてみたい。心理学は,精緻化・厳密化を追求する学問であり,今後もその流れは続く。したがって,自分の研究も精緻化・厳格化を図っていかなければならないが,その上で,欠ける部分があり完成度は低いけれどめちゃくちゃ面白いという研究をしてみたい。論文の学術的水準を保つために,欠ける部分が存在する論文は許容されにくいが,欠ける部分があり許容してよいか査読者が大いに迷うが,でも面白いし意義があるから掲載可と判断してしまう,そんな論文を書くということだ。面白い研究はその後に続く他の研究者が精緻化を図ってくれるだろう。新たな構成概念の提唱,切り口の独自性等,面白さには様々な側面がある。そういった研究を生み出す土壌が本学会には備わっており,この土壌は心理学系の研究者にとって非常に貴重なものである。実際の人事労務場面と研究上の構成概念との間には,大小様々なズレが存在する。例えば既存の心理学の概念では捉えきれていない人々の感情や行動はいくつも存在する。そういった研究上の気づきを得る機会が多くあるこの土壌を,心理学系の研究者はもっと活用することができるだろう。

人事労務分野における心理学系の研究は,個人を中心に据え,個人の視点から働く場で生じる様々な事象ならびにその事象が発生するメカニズムをミクロな視点から捉えることに優れた強みを持つ。人事労務のあり方が「個」を前提に構築されるように移行する中で,心理学系の研究が取り上げるべき事象や貢献は今後も増えていく。その強みを生かした「今・ここ」ならではの研究を積み重ねていくことが,学際領域である人事労務分野の研究全体の発展につながる。

(筆者=法政大学キャリアデザイン学部教授)

 
© 2020 Japan Society of Human Resource Management
feedback
Top