日本労務学会誌
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巻頭言
私たちは「働き方」を変えられるか
三輪 卓己
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2020 年 21 巻 1 号 p. 2-4

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ここ数年の間,私たちの「働き方」を変えることに関する議論や動きが活発になっている。その代表的なものをあげるならば,一つは2019年4月より順次施行されている「働き方改革関連法」に関するものであり,もう一つは世界的な規模で猛威を振るっている新型コロナウィルスへの対応に関するものであろう。

前者の働き方改革関連法の柱は,労働時間法制の見直し(残業時間の上限規制,勤務間インターバルの確保,高度プロフェッショナル制度等)と,公正な待遇の実現(主として正規従業員と非正規従業員との間の不公正の是正)の二つである。この働き方改革においては,労働時間の短縮や,同一労働同一賃金,すなわち年功重視の賃金から職務重視の賃金への移行が特に注目されやすく,それ自体が目的のように思われることが少なくない。しかしその本来の目的は,確実に進行している労働人口の減少に対処するために,多様な人たちが多様な働き方をできるようにするものだといえる。すなわち,女性や高齢者,外国人をはじめ,育児や介護に従事している人たち,フルタイムでは働けない人たちの雇用を増やし,そこでの公正な待遇を実現することが目指されていたのである。また高度プロフェッショナル制度は,高度な専門職を勤務時間管理の対象から外すものであったため,「残業代ゼロ法案」などの厳しい批判を受けてきたが,本来は知識社会化の進展とともに重要性が高まっている専門職や知識労働者に対して,自律的な働き方を可能にしようとするものである。働き方改革関連の法律は,こうした社会の変化に対し,行政主導で私たちの働き方を変えようとしたものだといえよう。しかしながら,実際の私たちの働き方の変化は大きなものではなく,時間外勤務が多少減少することはあっても,多様な働き方や自律的な働き方はなかなか普及しないというのが実情だったのではないだろうか。

 一方,後者の新型コロナウィルスへの対応は行政だけが主導したものではない。突然の危機に対処するために,個々の企業や働く人々が苦心して試行錯誤しつつ進めたものだったといえよう。そこでは,人との過剰な接触を避けることが重視されたために,フレックスタイム勤務や時差出勤の実施,テレワークの推進,オンライン会議の導入などが盛んに行われた。もちろんこうした施策を導入できない企業や職場もあるのだが,大企業のオフィス部門を中心にテレワーク等の導入が増えており,あるIT企業においては,9割の従業員がテレワークに移行した部門もあるようである。そしてこうした取り組みが,結果的に多様な働き方や自律的な働き方を企業が進めるきっかけになったようなのである。

テレワーク等を円滑に行うためには,ある程度従業員一人一人の職務や役割を明確にし,それに責任や自律性を持たせることや,細かなプロセスの管理を止めて(そもそも不可能であり無理にやると弊害が出る),仕事の成果に基づいて評価すること等が必要になる。そしてそれを突き詰めれば,働き方改革が目指していた自律的な働き方や,職務に基づく待遇に近づいていくことになる。またテレワークによって,家庭で育児や介護をしながら働くことを経験した人が大幅に増えたことにより,多様な人が多様な形で働くことの意義や大変さの理解がかなり進んだのではないかと思われる。これも働き方改革関連法が目指していたものにつながると理解できるだろう。法律による働き方改革がなかなか進まなかったことを考えれば,意外なことで事態が動いたということもできるし,「やろうと思えばできるではないか」とみることもできるだろう。このことは単なる偶然かもしれないのであるが,私たちにとっての大きな転機になり得るものと思われる。私たちはこの経験から多くのことを学んだはずである。おそらくこの経験を私たちがどう活かすかによって,日本の企業や社会の将来が変わってくるものと思われる。

もし新しい働き方を推進するとすれば,働く個人には組織に過度に依存せず,強い自律性を持って自らの職務で成果をあげる姿勢が求められるだろう。そのために正規,非正規を問わず自発的な学習が重要となり,何より人と接触しないでコミュニケーションを行うための高度な言語能力やITスキルが求められるようになるだろう。一方,彼(彼女)らを雇用する組織には,従業員との関係を見直すことが求められるだろう。従来のような強い組織コミットメントや,それに基づく長時間労働等によって従業員を評価することも,それらに基づいて彼(彼女)らを処遇することも難しくなる。また,組織内の相互作用に対面のものが少なくなるため,いわゆる暗黙知の共有などは従来ほど期待できなくなる。よく「日本的」と表現されるようなマネジメントの多くはやりにくくなるだろう。仕事で活躍する人材も,それを支えるマネジメントも変化してくるのである。

ただ新型コロナウィルスによる変化が一過性のものであるか,今後も継続するものなのかは意見が分かれるところだろう。個人にしても組織にしても,転機を経た後で前に進もうとする者と,元に戻ろうとする者がいるのも事実である。一方ではカルビー,ダイドー,NTT,日立,富士通などの有名企業が,テレワークの継続や拡充を発表しており,それに伴って職務や成果を基準とした人事制度への転換も行われているようである。しかしもう一方では,テレワークに強いストレスを感じる管理職や中高年がいるという話も聞かれる。それを象徴する「オンライン疲れ」なる言葉もあるらしい。おそらくは,新しい働き方がこれまで日本企業が大事にしていたプロセス管理や組織コミットメント,非言語コミュニケーションと適合的ではないので,それへの不満が蓄積されるのだと考えられる。自分の居場所や出番がなくなってしまったと感じる人もいるのだろう。それらの人々が近い将来,「元に戻る」ことを望んだとしても不思議ではない。いくつかの企業がそれを支持することも考えられるが,そのことがコストとなり,春先から問題になっている非正規社員等の仕事の減少を長期化させる恐れもある。

新型コロナウィルスに対処するために行った企業努力が,日本社会の長期的な課題である労働人口の減少や,知識社会の進展といった問題に対応するものであるのなら,簡単に元に戻してしまうのはあまりにも勿体ない話である。もちろん今後は,ウィルスだけでなく多様なリスクに対処するために,望ましい働き方を考え続けることが必要になる。そうであるならば,今回の大きな危機に直面して私たちが経験したこと,感じたこと,考えたことを振り返って,将来に向けて建設的な議論や取り組みをしていくことが重要になるのではないだろうか。

バブル崩壊以降の日本社会や日本企業を見ると,「なかなか変われない」という認識を持たざるを得ない。それを思い返せば,今回の変化は一過性のものになるという予測もできる。しかし同時に私たちの国は,幾多の震災や気象災害を乗り越える強靭さも備えているように思われる。そうであるならば,危機から多くのことを学ぶことも可能なはずである。新型コロナウィルスを経験したことが,私たちの働き方をより良いものにし,企業や社会を発展させられるよう,学界や産業界をはじめ,多くの人々による活発な意見交換と知の交流が行われることを期待したい。

  • 三輪 卓己

京都産業大学

 
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