2020 年 21 巻 1 号 p. 66-68

1980年代から1990年代初頭にかけて,「日本的経営」は社会科学の中心的なテーマであった。日本的経営の起源を家族主義,村落共同体,或いは集団主義を強調する社会学的なアプローチから人的資本理論を全面に押し立てる労働経済学的アプローチなど百家争鳴,さらにはその国際的移転可能性に関しても多くの研究が行われた。ちなみに,評者は故津田真澂氏が立ち上げた学部学生のインターゼミナールに毎年参加しているが,研究会の名称は「日本的経営研究会」である。
尤も,バブル経済崩壊後平成の30年を経て,日本的経営に関する関心はグローバル化やベストプラクティスにすっかり置き換えられた。昨2019年6月,労働経済学の観点から長年に渡り日本的雇用制度に関する研究を全うされた小池和男氏が逝去されたのは,この点を象徴的に表していると言えるだろう。
しかし,我々が日本の研究者である以上,日本的経営は時間を超えて関心を持ち続けるべきテーマである。この点,経営学の「西の総本山」である神戸大学グループによる日本的経営,特に日本の人事に関する研究書が刊行されたのは誠に意義深い。「プロローグ 日本の人事ステム」によれば,本書は,日本的経営の変革圧力としてグローバル市場主義を挙げ,こうしたグローバル市場主義によって企業は社会的関係から経済的関係へと変貌しつつあるあるとされている。そして,こうした日本的経営の最後の砦である組織・人事の変容がいかほどであるかを明らかにするのが本書の目的である。本書の各章では,日本能率協会の協力の下に2017年に上場企業及び外資系企業計3,000社の人事部長を対象に行われた郵送調査の結果に基づいた論述が展開されている。
以下では,まず本書の概要を紹介し,しかる後に評者の所見を述べることにしたい。
まず第1章は,「人事部の新しい役割」である。日本企業の人事部の特徴は,個別人事権と個別従業員の人事情報を有する「強い人事部」という点にある。こうした強い人事部の背景にあるのは,職務と賃金が切り離され,企業内異動が容易な職能給である。他方,著者によれば近年こうした職能資格制度から,能力主義,市場主義,職務主義,期待役割主義を組み合わせる役割等級制度に移行しつつある。そこで従業員の働きがいを従属変数にした最小二乗法の結果,役割等級制度と個別人事権の人事部集中との間にはネガティブな交互作用効果が見られた。即ち,役割等級制度を導入する企業が人事権を人事部に集中させると従業員の働きがいは低下する。ここから「職能資格制度と人事部人事権集中」と「役割等級制度と人事権ライン分権」という異なる補完的組み合わせが並存すると著者は述べている。
第2章は「人事ポリシーと従業員の働きがい」である。近年の人事管理のトレンドから情報公開,業績主義管理,個別的労使関係,従業員の自律性尊重,エンプロイアビリティ重視,という5つの方針を導出し,因子分析によって,「エンプロイアビリティ重視」,「個別化された能力揮発」,「実力・貢献主義的処遇」,という3つの人事ポリシーを抽出した。こうした人事ポリシーと従業員との働きがいの関係を最小二乗法で検討した結果,実力・貢献主義的処遇と働きがいについては,統計的に有意な関係が認められた。
第3章「人事ポリシーと組織文化」は「組織の外部適応や内部調整に関する問題解決の際に組織が学習してきた過程である組織文化」をクラスタ分析で類型化し,クラン,イノベーション,マーケット,ビューロクラシー,の4つの組織文化が抽出されたが,同時に多くの企業が複数の企業文化を併せ持つことが明らかになった。そして,こうした4つの組織文化がバランスよく観察される企業は「エンプロイアビリティ重視」,「個別化された能力揮発」,「実力・貢献主義的処遇」を意識する傾向が高いことも見出された。
また,第4章「人材育成と参加的意思決定」では,低い階層の従業員が組織の意思決定に関わる「参加的意思決定」が,下位職位の従業員が上位職位を経験することで管理職の充足度(つまり企業内昇進)を高めるのではないかという仮説を設定した。重回帰分析の結果,低位の職位による起案への参加は管理職を育成する効果があることが確認されたのである。
第5章「働き方改革の現状と未来」では働き方改革関連の様々な人事施策と社員格付け制度の関係が検討され,働き方の柔軟化と職能資格制度には負の交互作用が存在することが明らかになった。
第6章「グローバルリーダーの条件」は,日本企業のグローバルリーダーの選抜基準を因子分析で検討した。その結果,日本企業に共通するのは企業内でグローバルリーダーを育成する一方で,社内では絶対的に不足しているグローバルリーダーを社外に適任者を求めることもあり得るという「柔軟的内外選抜」と,グローバルリーダーは基本的に社内で賄いたいという「計画的内部選抜」の二つであった。
最後に「エピローグ日本の人事システムの変貌と今後の展望」では,本書の全体から,日本型人事システムは強い人事部,職能資格制度,雇用保障,ゼネラリスト育成,という組織指向からライン分権,市場相場賃金,エンプロイアビリティ保障,という市場志向に緩慢な形で移行しており,その過程で「ハイブリッド型」に進化したとされている。
次に本書を読み終えた評者の読後感について述べると,日本の人事システムを構成する重要な要素である人事部門,人事ポリシー,組織文化,人材育成,グローバル人材を取り上げ,包括的な分析が行われている点が評価できる。特に評者の観点から興味深いのは,各章が一見異なるテーマで書かれているようで,実は人事システムや人事制度という一貫したヨコグシを刺し,最後に「ハイブリッド」という形でまとめていることである。
そして,「日本的経営=終身雇用,年功賃金」と言われて久しいが,第1章ではでその本質が職能資格制度に代表される等級制度と,人事部門にあることを明らかにしている(この点は筆者も八代(2002)で指摘している)。こうした等級制度は第4章の人材育成,第5章の働き方改革においても言及されている。他方,第2章,第3章は,もう一つの重要なイシューである人事ポリシーが取り上げられており,本書の分析に厚みを加えていると言えるだろう。
次に,本書に対する若干の所見を述べることにしたい。
まず第1に,人事部門,等級制度,人事ポリシーを陽表的に取り上げたのが本書の強みであるが,逆に明示的に取り上げていないのが,人事システムと経営者との関係である。一般に人事システムの利害関係者は人事部門,管理職,個別従業員であると考えられる。しかし,もう一つ重要な主体として経営者の存在を忘れることはできない。嘗て故青木昌彦氏が指摘した様に(青木(1984)),経営者は株主と従業員の利害を調整するという重要な役割を果たしている。現状日本企業では,経営者の多数は従業員から内部昇進しており,この点も経営者機能に影響しているだろう。これに加えて,経営者と人事部門は,「経営者が人事部門の人事をグリップする」という側面と(経営者が企業内昇進で選抜されるという前提に立てば)「経営者の候補である管理職を選抜するのは,人事部門である」という「同時決定・相互牽制」関係にある。しかも経営者は人事に関して「終身雇用を維持するのは困難である」,「新規学卒採用は時代遅れである」といった形で,「大所高所」から様々な発言をする。果たして,経営者は日本の人事システムの「外生的与件」なのか,或いは,経営者自身も日本の人事システムに組み込まれているのか,この点を検討して頂きたかったというのが評者の率直な感想である。
第2点,本書の特徴を一言で言えば,日本的経営の「非日本的経営論的アプローチ」,具体的には多変量解析を駆使した分析であるという点にある。第6章にもある様に,日本企業がグローバル化を求められ,ベストプラクティスが強調される今日,分析の手法も「グローバル化」していくのは時の流れである。従って,こうしたアプローチに全く異存はない。ただし,本書の発端が日本的経営であり,日本的経営の特徴が良きにつけ悪しきにつけ「現場」を重視する以上,本書の分析には今少し「現場感」を期待したかった。こうした多変量解析に「隔靴掻痒感」を感じてしまうのは,これまで事例研究中心に研究してきた評者の僻目だろうか。各章の分析が企業の現場から直接聴き取りで収集した情報によって補完されていれば,その記述により深みが出たであろうと惜しまれる。
もちろん,以上述べたことは多分に評者の「ない物ねだり」であり,本書の価値を減じるものではない。本書を通じて,日本的経営,就中日本の人事システムに関する理解が一層深まることを期待して,評者の書評を終わることにしたい。
(評者=慶應義塾大学商学部教授)