日本労務学会誌
Online ISSN : 2424-0788
Print ISSN : 1881-3828
書評
石山 恒貴 著『日本企業のタレントマネジメント―適者開発日本型人事管理への変革―』
柿沼 英樹
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2021 年 22 巻 1 号 p. 100-103

詳細

『日本企業のタレントマネジメント―適者開発日本型人事管理への変革―』,石山 恒貴 著;中央経済社,2020年7月,A5判・248頁

1. はじめに

人的資源管理の理論と実践における新興トピックのひとつとして,タレントマネジメント(talent management; 以下TM)が耳目を集めるようになって久しい。特に,議論の蓄積が豊富な欧米圏では,複数の学術誌において特集号が組まれたほか,TMを主題とした学術カンファレンスが定期開催されるようにもなっているほどである。しかしながら,日本での動向をみると,TMに関する海外論文の紹介を行った厨子(2009)に続く学術的な議論は守屋(2014)柿沼(2015)まで待たなければならず,これら論文の刊行以降も研究蓄積に乏しいのが実際である。その一方で,産業界からの高い関心は各種雑誌やセミナーの動向から推察されてきたが,それら機会を通じた実務家のTMへの理解は多義的であり,その本質や日本企業にとっての実践意義が正しく理解されているのかという点に疑問が残されていた。

本書は,このような背景を持つTMを主題とした体系的な学術書として,わが国では最初期の一冊である。欧米発の議論を網羅的に整理したうえで,TMが日本型人事管理において受容されうるのかという点について,複数の実証研究・事例分析をもとに検討がなされている。TMそのものへの関心の有無を問わず,日本型人事管理の変革の方向性を模索する研究者にとっても興味深い側面があると考えられる。加えて,日本国内で事業展開する企業(国内企業・外資系企業)における実践事例の記述も多くみられることから,人事実務家にとっても示唆に富むものであるといえるだろう。

以下では,本書の概要を紹介したうえで,評者の考える本書の意義と今後の研究課題について述べる。

2. 本書の概要

第1章では,本書の中核的なテーマであるTMについての広範な先行研究レビューが展開される。具体的には,①タレントという概念に関する整理,②TMの定義に関する整理,③TMの理論的基盤となる学問領域に関する整理,④TMの構成要素に関する整理,⑤TMの類型化に関する整理が行われている。あわせて,TMに対するいくつかの批判的議論や,それらを受けたTM研究の発展動向についても若干の言及がなされている。

第2章では,欧米発の議論であるTMの考え方が,日本型人事管理においてどのように受容されうるのかという点が理論的に検討されている。まず議論の前提として,長期的な昇進期間,職務と職能の関係性(職能ルール),OJTによる能力開発,集権的人事部門の4つの特徴を持つ日本型人事管理を「適者生存日本型人事管理」と呼び,それが効果を発揮するメカニズム・発揮しないメカニズムが示される。そのうえで,適者生存日本型人事管理が効果を発揮しない場合に行われる人事改革において,TMの考え方を取り入れ,自社の企業文化や特定のビジネスモデルに相応しい適者を開発する方向,すなわち「適者開発日本型人事管理」へ変貌を遂げることが望ましいのではないかと指摘する。

第3章ではまず,第1章の議論にもとづいて,本書におけるタレントとTMの定義が示される。本書において,タレントは「個性に応じた天賦の才能を有しながら努力してその開発を継続する個人であり,在籍する組織の環境に適合し貢献する存在(p.82)」と定義される。またTMは「組織が,その競争戦略をタレント戦略に転換したうえで,適者開発を前提として,タレントを引きつけ,開発し,留め続けること(p.82)」と定義される。その後,第2章の議論を踏まえながら,本書のリサーチ・クエスチョン(RQ)が提示される。それらは,日本企業におけるTMの導入の実態に関するRQ1-1,その際の効果や課題に関するRQ1-2,競争戦略のタレント戦略への転換,およびタレントの選抜方法に関するRQ2,そして日本企業のTMの類型化に関するRQ3である。

第4章は,『日本労務学会誌』に掲載された著者らの論文(石山・山下,2017)をもとに加筆・修正を行ったものである。日本国内に立地する多国籍企業(外資系企業11社・日本企業1社)への聞き取り調査や社内資料の分析にもとづくふたつの議論がなされている。RQ1-1に対応する外資系企業11社の調査では,10社がTMの実施を意図していながら,キーポジションのつくり込みやタレントプールの活用といった条件を満たした戦略的タレントマネジメント(STM)が機能していると評価できる企業は4社に留まっていた。これら4社がSTMを機能させている背景としては,経営判断が必要なほどの経営資源の投入がなされていることが示唆された。またRQ2に対応する日本企業1社の調査に関する記述では,当該企業がSTMを導入した背景のほか,具体的な実践の一端,さらには現状認識している課題について整理がなされている。

第5章では,日本企業6社に勤務する465名が回答した定量調査のデータを用いて,TM施策に対する集団・個人レベルの認知が従業員のワークエンゲイジメントに対して与える影響を検討している。社員全員をタレントとみなす包摂的タレントマネジメント(FITM)の実践を念頭に置いた調査データの分析から,個人レベルの認知としての「公正な選抜と採用」と「人材育成の実行」,集団レベルの認知としての「事業戦略の明確さと浸透」がワークエンゲイジメントを高めることが明らかになった。加えて,LMX(leader-member exchange)がTM施策の集団的認知を経由してワークエンゲイジメントを高めることが明らかになった。

第6章から第8章にかけては,RQ1-2,RQ2およびRQ3の検討を企図して,日本企業におけるTMの導入に関する事例研究が展開される。事例研究の対象となった3社(サトーホールディングス,味の素,カゴメ)は,社員全員を包摂する日本型人事管理を重んじながらTMの導入を進める企業であることを理由として選定されている。1社ごとに章を分けて,TM導入の目的と経緯,具体的施策とその効果および課題について具体的な記述がなされたのち,RQに沿った考察が展開されている。3社の共通点としては,前述の選定理由に挙げたことのほかに,グローバルでの競争に伍するための人事制度整備としてTMを導入したことなどがあった。他方で,サトーホールディングスとカゴメでは「包摂アプローチを基調とした,部分的な選別アプローチの混合」的なTMが,味の素では「グローバルにおけるキーポジションでは選別アプローチ,それ以外の国内組織では包摂アプローチの組み合わせ」的なTMが行われているという異同がみられた。ちなみに,第4章にて記述された日本企業の事例はこれら2つの類型とも異なる「選別アプローチの全面導入」的なTMであり,本書では日本企業におけるTMが3つの類型に区分されている。

第9章では,RQごとに分析結果が改めて整理され,理論的・実践的意義とともに,今後の研究課題が議論されている。

3. 本書の意義と今後の課題

本書の意義は,次の3点にまとめることができる。

第1に,包摂的な側面を有したTMの存在とその機能性を,企業事例や従業員調査にもとづいて議論したことである。これまでのTM研究のほとんどは選別アプローチに立脚したものであり,包摂アプローチはともすれば伝統的な人的資源管理との差異がなくなるのではないかという批判にさらされてきた。この批判に対して本書は,組み合わせ型や混合型といった包摂アプローチの色彩が強い形態のTMが日本企業において一定の効果を発揮していることを明らかにしている。また加えて,選別・包摂の別を問わず,事業戦略の人材像への落とし込みがTMの機能性を高めるうえで不可欠な要素となっていることを明らかにしている。

第2に,日本型人事管理の新たな方向性として,学習的観点による「適者開発型」への変革を提示したうえで,その具体的な実践手法にTMを位置づけたことである。これまでの日本型人事管理の変革をめぐる議論には,「職能か職務か,あるいは役割か」や「メンバーシップ型か,ジョブ型か」といったような社員格付や賃金,雇用にかかわる基本ルールの議論に矮小化されてしまう向きがあったように思われる。これに対して本書は,個別従業員の育成・開発のあり方の変化に主な関心を向けたうえで,戦略に応じたタレントの確保を進めるための包括的な取り組みを進めたり,個人のキャリア自律を促したりすることが今後の日本企業の人事変革に求められるのではないかと指摘している。

そして第3に,日本におけるTMの学術的・実務的展開の呼び水や参照点となりうる一冊となっていることも忘れてはならない。TMがどのような概念であるのか,企業内でどのようにTMが導入されていくのか,また日本企業にとってどのような意味を持つのかといった点が本書によって明解に示されたことは,TMについて考え語る人びとに一定の共通理解をもたらす大きな前進である。

こうした意義を踏まえながら,著者自身が本書内で言及しているものも含めて,今後さらに議論を深めることが望まれるように思われる課題をふたつ挙げてみたい。

ひとつは,本書の含意がTMの理論と実践のうちどの程度の範囲に当てはまるのかという論点である。たとえば,第6章から第8章にかけての記述がすべてグローバル経営の観点からTMに取り組んでいる大規模な企業の事例であったことからは,中堅・中小企業ではどうか,グローバル経営以外の観点からTMを導入する企業ではどうかなどといった疑問が出てくる。また,第5章での従業員調査が包摂的なFITMの導入を前提としたものになっていることを踏まえると,選別的な側面の強いTMを導入する場合の結果についても気になるところであろう。具体的には,タレントとして扱われる人たちとそうでない人たちの双方のワークエンゲイジメントが同じように高まるのか,それとも両者で異なる効果がみられるのかということである。

もうひとつは,日本型人事管理とTMとの関係性についての論点である。本書では,適者生存日本型人事管理がTMの要素を取り込んで適者開発日本型人事管理へと変容するとされているが,別の見方も考えることができる。それは,上林(2011)が人事労務管理から人的資源管理への移行について仮説的に述べたことと同様に,日本企業の人のマネジメントにはTM的な側面が従前から内包されていて,それを欧米企業が学習し取り込んでTMとして体系化したというものである。これ自体の精緻な検証は困難であろうが,「日本企業が欧米的なTMを受容する」という本書の立場とは異なった,後者のような見方も意識した検討を重ねることでさらなる発見事実が得られる可能性は,ある程度は考慮に入れてみても良いのではないだろうか。

ただし,これらは本書に固有のものというよりは,(日本における)TM研究に共通してみられるものであるように思われる。その意味では,これらの課題が想起されることは本書の価値を損なうものではない。

著者と評者が学会懇親会で交わした偶然の会話から本書に収められた一連の研究が始まったように(p.iii),本書を偶発的に手に取ったことからTMへの研究関心を抱く読者もみられるであろう。繰り返しになるが,日本の学界におけるTMに関する論考は,蓄積が進んでいるとはいえども十分ではない。本書が多くのTMに関連する議論を喚起し,さまざまな知見が積み上げられるようになることを期待したい。

(評者=流通科学大学商学部准教授)

【参考文献】
 
© 2021 Japan Society of Human Resource Management
feedback
Top