2022 年 23 巻 1 号 p. 40-47
The purpose of this paper is to offer suggestions on the methods and future challenges of labor research studies through an analysis of Koikeʼs representative works.
Koike (1977) and Koike (1987), his representative works, are both international comparative studies on the skill formation of production workers. Although the basic research objectives of the two books are the same, the implications of their conclusions are very different due to the difference of research methods.
Koike (1977) explained the breadth of Japanese workers’ careers in terms of the major theories of economic history and the latecomer effect. While the explanation was highly universal, it did not have many practical implications, such as what organizational conditions were connected to the wide career and how the management could change the way of skill formation.
On the other hand, Koike (1987) clarified the differences in the skills of workers in three countries, Thailand, Malaysia, and Japan, by using the concept of “intellectual skills”. In addition, the introduction of the separation-integration approach has made it possible to relate differences in skills to a variety of factors such as firm size, years of operation, academic background, training, and management policies, opening up the possibility of discussing the influence of labormanagement and policy actors. The analytical concept of “intellectual skills,” derived inductively from field observations, has contributed greatly to the finding of facts and the obtaining of practical implications.
There have been many responses and criticisms for Koikeʼs studies. One of these contentious issues is the extent to which Japanese workers have the power against the management in matters of their tasks. Even though this is a fundamental theme in industrial relations studies, a sufficient consensus has yet to be developed. However, several previous research suggest the importance of focusing on the influence of workplace groups. There is a need to theorize the factual findings of these previous studies and to advance the research through more structured investigations.
本稿の目的は,小池氏の代表作の分析を通じて労働調査研究の方法と課題に関する示唆を得ることである。
小池氏の代表的な調査研究書である『職場の労働組合と参加』(1977年)と『人材形成の国際比較―東南アジアと日本―』(1987年)は,いずれも生産労働者の技能形成に関する国際比較研究である。両書は,基本的な研究目的が同じであるにもかかわらず,研究方法が異なるために,分析結果のインプリケーションが大きく異なっている。
本稿では,まず両書の内容を整理し,研究方法の相違がどのようにインプリケーションの違いを生じさせたのかを明らかにする。次に,労働調査方法に関する分類枠組みを用いて,小池氏の調査の特徴を分析する。最後に,小池氏に寄せられた批判を整理したうえで,労働調査研究の今後の課題を明確化する。
2つの著作の外形的な特徴を記せば表1のとおりである。上述のとおり両研究は深く重なるが,いくつかの踏まえるべき違いがある。第1に,調査時期の違いである。1970年代半ばから80年代半ばにかけての10年間には,日本の製造企業は海外展開を進め,国際競争力を強めた。そのため,日本の生産システムの効率性に対する世界からの関心も高まっていた。小池(1987)では,そうした社会状況をふまえて,日本の技能育成方式の海外移転の可能性に関心を向けた。
第2に,調査対象国の経済発展の違いである。それは労働組合への関心度合ともかかわっている。小池(1977)では,労働組合による職場規制に関心が向けられており,アメリカの先任権制度の調査が行われている。それに対して,労働組合運動の歴史の少ない後発国を取り上げている小池(1987)では,管理に焦点が当てられている。
第3に,調査対象とする産業の違いである。小池(1977)は装置産業と機械産業を取り上げ,技術的条件の違いに関心を払っている。他方,小池(1987)は,労働生産性を比較するために設備条件が類似する工場であることを優先して,産業を選択している。
第4に,主な調査項目は,いずれもキャリア(仕事経験の幅)であるが,小池(1987)では,知的熟練(変化と異常への対応)について調査が行われている。この点が本稿の注目する研究方法の相違である。
第5に,調査手法は,いずれも事例調査であるが,小池(1987)ではよりインタビューの機会を豊富に得ている。1つの企業に対して,2つの職場を調査し,それぞれ最低2回のインタビューを行っている。インタビューは現場をよく知る職長に対して設備のそばで行われている。
2-2. 『職場の労働組合と参加』(1977年) (1) 課題設定本書の課題は,日米の労働者のキャリアのタテとヨコの広がり,およびそれらに対する組合規制のあり方を明らかにすることである。こうした課題の背景にある問題意識は,次の通りである。
まず,当時の学界においては,年功賃金,長期雇用,企業別組合などの雇用慣行を日本の文化に起因するものとらえて,その非合理性を批判する主張が広がっていた。小池氏は,こうした議論が,日本の人材育成の効率性を見落としていると問題視していた。
経済史の理論に従えば,独占資本主義段階には人の配分が企業内に取り込まれ,仕事は企業特殊的となるために,それを担う労働者も内部育成されると考える。その結果として,雇用が長期化し,企業内賃金構造が生まれ,企業別組合の役割が増大するのは,独占資本主義段階に普遍的な現象といえる1。
しかし,それらの事実が十分に確認されていないので,本書では,日米企業のキャリア(移動の範囲)を中心に,賃金制度,それらに対する組合の規制などの事実発見を課題として設定している。
(2) 事実発見ここでは主にキャリアに関する調査結果を整理する。第1に,ヨコの移動に関しては,日本の労働者のほうが広い。具体的には,①職場内の移動に関しては,日本ではほとんどすべての仕事を経験するのに対して,アメリカではそのような労働者は少なく,②親しい職場への移動に関しては,日本では頻繁にあるのに対して,アメリカではレイオフの「押しのけ」に限られ,③遠い職場への移動に関しては,日本では応援という形で時折行われるのに対して,アメリカではやはりレイオフの「押しのけ」以外では行われないなどの違いがみられる。
第2に,日本では職場内,親しい職場への移動が,組織状況の変化に応じて日々あるいは数週間おきに柔軟に行われる。また,賃金は配置職務とは切り離されたものとなっている。
第3に,キャリアの上限は,日本の労働者のほうが高い。日本では,本工労働者のキャリアが役付工までつながっているのは通常のことであるのに対してアメリカでは役付工になると先任権を失うこともあり,昇進を断る場合も多い。
第4に,日本では下位の仕事には非正規・社外工が充てられており,本工昇格への見通しが小さいという意味でキャリアの下限が高い。それに対してアメリカではレーバープールがあり,下位職務から上位職務に昇ることができる。
第5に,雇用保障に関しては,日本は終身雇用とは言えない。なぜなら,高齢層がリストラの対象となり,また非正規・社外工の雇用保障は弱いからである。アメリカでも先任権の下の労働者の保証は弱いが,5年以上層は日本より雇用が保証されている。
なお,雇用調整の仕方については,(イ)人数,(ロ)対象者の選定,(ハ)再雇用の保障などが問題となるが,日本の労働組合は(イ)について強く発言するが,(ロ)は経営専制を許しており,(ハ)については全く規制を及ぼさない。
アメリカの労働組合は,(イ)は経営にゆだねており,(ロ)と(ハ)に関する明確なルールを作っている。その意味で,解雇は日本ではキャリアの挫折になるが,アメリカではキャリアの遅れにすぎない。
第6に,キャリアの決定や解雇に関する規制の仕方に違いがある。アメリカには,先任権というマギレの少ないルールが実質的に機能している。日本にはそのようなルールはないが,職場内や親しい職場間の移動を職場集団が自律的に決めている。また,それは職長の恣意ではなく,平等主義的に運営されている。
以上,本調査では日本の労働者の広いキャリアと弱い組合規制が確かめられたのであるが,それらは,企業と労働者に次の帰結をもたらす。第1に,労働者のキャリアの広さや柔軟性は,企業のパイの増大に対する肯定的な影響を持つ。またパイの配分においても労働者側に肯定的な影響を持つ。しかし第2に,キャリアの下限が低いこと,キャリアの途絶(解雇)に関するマギレのないルールがないことは,パイの配分に関して労働者側に否定的な影響をもたらす。すなわち,日本の労働者の広いキャリアは,企業にとってはメリットがあり,労働者には功罪があるというのである。
(3) 解釈・説明本書では,日米の労働者のキャリアの違いを後発効果から説明する。ここでいう後発効果とは,ある歴史段階に対応した社会制度(熟練形成のタイプ,労働組合など)が強固に確立しなかった国(あるいは産業)は,新しい段階への適応が円滑に行われるというものである。
具体的には,欧米諸国は手工的・万能工熟練の時代に産業化を進め,それに対応したクラフトユニオンや職種別賃金が社会に根付いたために,独占資本主義段階における内部労働市場の雇用慣行への転換が遅れた。他方,後発で急速な産業化を果たした日本は,内部労働市場により円滑に適応したのである。
2-3. 『人材形成の国際比較』(1987年) (1) 課題設定小池(1987)では,生産労働者のキャリアのタテ,ヨコ,深さの程度を調査している。キャリアの深さとは,第1に,変化への対応である。新製品の登場,製品構成の変化,生産量の変化,生産方法の変化,労働者構成の変化などを指している。それらに対応するための技能とは,製品に合わせて多様な治工具を扱えること,それらの取り換えや微調整ができること,多くの持ち場をこなせることなどである。第2に,異常への対応である。それは,検査し,不良を取り除くこと,異常の原因を推定すること,異常を処置することなどである。それらに対応するための技能とは,機械や製品の構造,生産の仕組みの知識などである。こうした技能を「知的熟練」と呼ぶ。
次に,このような難易度の高い作業をだれが行うのかに関して,2つの方式が提示される。第1は,ふだんと違った作業を技術者などの生産労働者とは別のグループに担当させる「分離方式」である。第2は,普段と違った作業を生産労働者が行う「統合方式」である。
統合方式は,①対処する人数が多いこと,②対処する人が異常の傍にいること,③生産労働者のやりがいにつながることなどの点から,分離方式よりも効率性において優れている。ただし,それには生産労働者に知的熟練を身に付けさせるコストが高すぎない場合という条件が付く。
以上の通り分析概念を設定したうえで,統合方式の優位性を検証するという課題が設定される。このような課題は,事実発見を目指した小池(1977)よりも構造化が進んでいる。
(2) 事実発見本調査で発見された事実は次の通りである。第1に,日本と2つの途上国との間に,生産労働者の技能育成方式に関する多くの共通性が確認された。3か国ともに,OJTによる技能育成が中心であった。海外では熟練労働者が技能を独占するという通念があるが,労働者間の技能伝承は行われていた。また,程度の違いはあるが,オペレーターは特定の仕事に固定されているのではなく,職場で様々な仕事を経験し,普段と違った仕事へも対応していた。
ただし第2に,3か国の生産労働者のキャリアの広がりには,程度の違いが確認された。多くの場合,日本,タイ,マレーシアの順に,キャリアは広く,深い。たとえば,セメント工場の事例で言えば,制御室内で異常が発見された場合には,オペレーターおよび職長が1次対応にあたることは日本とタイでは共通であるが,日本の場合は,制御室外にいるエンジニアがオペレーターの説明を聞きに来るのに対して,タイではエンジニアの行うデータ解析にはオペレーターは関与しない。また,マレーシアでは,異常に対応するのは職長のみで,異常対応に関する報告書は制御室の外にあるテクニカルオフィスに保存され,それを閲覧するのも職長のみである(110-114)。
第3に,3か国はほぼ同じ設備であり,産業によっては日本の方が古いにもかかわらず,すべての産業において日本企業の労働生産性(生産量/要員数)が優位であった。ただし,セメント工場と比較して,電池工場の3か国の差は小さい。同工場では,いずれの国でも統合方式を志向しており,タイと日本との違いは深い作業を担当できる人数の違いでしかなかった。マレーシアは職長や品質管理者が担当することとなっているが,それらは生産労働者のキャリアとつながっていた。
(3) 解釈・説明労働生産性の差は,従業員の技能,とりわけ知的熟練によって説明される。本書は,生産労働者の知的熟練の育成コストが過大ではないという前提条件の下で,統合方式は分離方式よりも効率的であると考える。そのうえで,3か国の生産労働者の知的熟練度の相違はそこに向けての進展度の違いとして解釈される。
さらにそれをもたらした要因として,企業内教育の充実度,勤続年数,工業化や操業の歴史の長さ,学校教育の水準,経営陣による知的熟練の効果の認知度などの影響が指摘された2。あるいは賃金制度といったインセンティブ制度との整合性も見出された。
図1は労働調査を分類するための枠組みである。縦軸は,調査設計の構造化の程度を表している。調査に入る前に分析の焦点を絞り込むことは,明確な結論を得るために広く有益なことであるが,とくに仮説検証を目指す調査であれば必要条件ともいえる。あるいは,情報源の限られた調査では,焦点を絞り込まざるを得ないということもあるだろう。
ただし構造化の程度は,基本的にはそのテーマの研究蓄積に依存する。新規性の高いテーマであれば,大括りの調査設計によって,まずは基礎的な事実発見をめざす場合が多い。また,そのような調査には,当事者の論理をくみ取ることから新しい仮説を作り上げる可能性も広がっている。
小池調査は,一般的な労働調査と比較して構造化の傾向が強い。小池氏は,本調査に入る前に,自身の先行調査の知見,予備調査,文献などを用いて分析の焦点を絞り込む。たとえば,「知的熟練」概念は,小池(1987)の予備調査として行われた関西の農機具メーカーの生産ラインの観察がきっかけになっている。そこで,段取り替えを担当する者とそうでない者とがいることを目の当たりにして,その重要性を認識したという(小池 2000:40)。このような観察が,「知的熟練」という分析概念につながったのは,経済理論の知見に加えて,日本の生産労働者の縦と横のキャリアが国際的にも広くかつそれがパイの増大につながるという調査結果(小池 1977)が既に得られていたからではないだろうか。
その意味で,小池氏の技能に関する調査研究は初めから高度に構造化されていたわけではなく,段階的に進んでいるのである。小池(1977)の日米調査は,労働者のタテとヨコのキャリアの違いを発見することが主目的であった。そこでの発見を前提として,小池(1987)では,キャリアの広さが知的熟練につながり,それが生産性を高めるという仮説を検証した。調査設計の構造化が進み,研究が成熟していることがわかる。
次に,横軸は,調査対象の数である。調査対象の数は一般化の仕方の違いと関わっている。大量観察であれば,統計的検定をすることを通じて一般性を確認しようとする。少数の事例研究であれば,発見事実と先行研究との異同を明確化することを通じて,事例を超えたインプリケーションを得ようとする。
小池氏の研究は事例調査が主であり,左側に位置する。ただし,小池氏は複数の事例を比較することを重視し,そこから一般性のある論理を引き出そうとする。たとえば,小池(1977)では日米比較に加えて機械産業と装置産業という対比が行われている。小池(1987)は,タイ,マレーシア,日本の国際比較であるが,生産性をより厳密に比較するために設備体系までが同じ工場が選ばれていた。こうした研究対象の設定は,構造化の仕方とも密接にかかわる。
小池氏の一連の研究は,多くの批判を喚起したが,その論点は2つに大別できる。第1に,日本企業の効率性の源泉に関する論点である。この議論はさらに①生産労働者の「変化と異常への対応」はより限定された範囲なのではないかという批判(野村 1992),②知的熟練という視点は,生産性・品質の向上への組織的取り組みという,日本企業の効率性の源泉を十分にカバーしていないという批判に分かれる(石田 1997 / 2003)3。
①の批判は,企業や産業における知的熟練の程度の違いを明らかにしていくことで,より正確な実態解明につながったはずであるが,その後,そうした研究が十分に蓄積されたわけではない。
②に関しては,部門業績管理研究によって1990年代以降に進展していった。この議論は,知的熟練論と対立するというよりも,それを包括する関係にある。小池氏の研究は人材育成の効率性を起点として,雇用制度を幅広く説明することに特長があったが,そもそも企業にとって,人材育成は組織発展のための諸課題の1つである。部門業績管理論はこうした現実的な組織モデルを前提にして,経営の統制が職場を効率化する過程を分析する。この議論は,企業内の諸課題あるいは諸主体の拮抗関係にも関心を払うために,組織の経済学へと接続しやすいものとなっている。
第2に,労働側の発言力の評価に関する論争があった。小池(1977)は,職場内の配置を職場集団が自律的に決めており,またその運用は平等主義的という。これに対して,熊沢(1977)は,日本の職場内での配置は確かに柔軟であるが,それは労働者間競争につながっており,必ずしも労働者がその恩恵を享受するものになっていないと批判した。両者に基本的な認識が共通しているにもかかわらず,評価が異なっているのである。日本の労働者の発言力というテーマについては,その後いくつかの研究成果が発表されているが,いまだに十分な共通認識が構築されていない。
4-2. 仕事に関わる労働側の発言力日本の労働組合は春闘や雇用保障に関しては活発な運動を展開してきたが,その反面,労働給付(仕事)に関しては,経営の要請に対して柔軟に対応してきたと考えられている。しかしそうであっても,一定の発言が行われてきたという指摘がある。以下,代表的研究を紹介する。
第1に,労働組合の労使協議である。仁田(1988)は1970年代における日本の高炉メーカーを対象に,要員問題,配置転換,組織の縮小合理化などの局面で労使協議が実質的に機能している例を明らかにした。そこでは,職場労働者集団のエネルギーが発言力の源泉であると同時に,労働組合執行部はそれを政策に結実させるための調整や統制の役割を担っていることが明らかにされた。
第2に,日本の労働者の技能の高さである。この議論の代表者はやはり小池氏である。小池氏は労働側の発言力の源泉を技能に求めており,経営は高い労働意欲を引き出すためには労働側の発言を認めざるを得ないという。こうした高度に内部化した労働者の労使関係を「ホワイトカラー化組合モデル」と称した(小池 1983)。また,小池氏の事実発見は,青木昌彦氏の双対原理の実証的基盤ともなった。
第3に,経営参加である。仁田(1978)は,日本の製造業の職場集団が上位組織に対する調整・折衝の機能を持っていることを指摘した。すなわち,日本では,労働組合員でもある職長が原価・品質,労務管理などに関する幅広い管理業務を担っており,こうした職長に率いられる作業者集団は,その利害主張を,一方では職制機構を通じて反映させ,他方では企業別組合を通じて反映させるという二重のルートを持つことになる。職制機構の中に「「交渉」ないし相互作用の体系」というある種の労使関係が存在することを指摘したのである(仁田 1978:30)。
さらに,石田(1997)は,自動車組立メーカーの部門業績管理を分析し,こうした組織内の交渉が,経営計画の展開と関わって各級経営レベルに広がっていることを明らかにした。その中で,たとえば要員問題などについては,工場労使が協力しあって本社への要請を行うことや,業績目標は本社からの単なる上意下達ではなく,工場長そして工場内の各級管理職が参画して作成されることなどを指摘し,労働側の影響力があることを示唆した。さらに,石田・富田・三谷(2009)あるいは石田・寺井(2012)では,こうした部門業績管理の研究視点は,ホワイトカラーにも適応可能であることを示した。
以上の先行する労働調査研究は,日本の労働者の発言力を考察する上では,職場労働者集団が経営の意思決定過程の中で果たす役割に注目することの重要性を示唆している。
本稿の要点は以下の通りに整理することができる。
第1。小池(1977)では,段階論と後発効果という大きな理論から,日本の労働者のキャリアの広さが説明された。普遍性の高い説明がなされる反面,それがどのような組織的条件と結びつており,それをどのように経営が変革しうるのかといった実践的インプリケーションは多くなかった。
他方,小池(1987)では,「知的熟練」概念を用いることによって,各国の労働者の技能の違いを明らかにした。さらに分離・統合方式という組織内分業の観点が導入されたことによって,技能の相違が企業規模,操業年数,学校教育,経営陣の認識などの多様な要因と関連づけられることとなり,労使や政策主体の影響を論じる可能性が拓かれた。現場観察から帰納的に導かれた「知的熟練」という分析概念は,事実発見と実践的インプリケーションの獲得において大きく貢献した。
なお,小池氏の研究では,技能の問題が経営管理の体系と十分に関連付けられることはなかった。それは,同氏の研究が大きな経済理論とミクロな職場観察に重点を置いており,組織に関する中範囲の理論を組み込んでいないことと関わっているだろう。
しかし,小池氏の一連の事実発見は組織の経済学の多くの研究で引用されることとなる。事例調査による事実発見は,その社会的意義が確かなものであれば,発見者の意図を超えて理論研究に貢献する可能性を持つのである。
第2。一般的に,大量観察は仮説検証に向いており,事例研究は仮説発見に優位性があると考えられている。ただしここまでの考察からは,より正確な理解を引き出すことができる。仮説検証型の調査を効果的に行うための最重要条件とは,その設計が十分に構造化されていることであり,調査対象の数が多いことではない。調査対象の数は,むしろテーマの性格によって規定される面が強い。小池氏の追究した技能形成というテーマにとっては,事例に密着した調査がもっとも手堅い方法であり,調査対象数は制約されざるを得ない。
調査の構造化の程度は当該テーマの研究蓄積に依存している。新規性の高いテーマであれば,まずは基礎的な事実発見に注力することが重要である。そして事実発見とその理論的整理が進むに従って問いが絞り込まれ,仮説検証型の調査も可能となる。研究の蓄積と調査の構造化は同時に進む。
第3。小池氏の研究に対して寄せられた主要な批判の1つに,日本の労働者の仕事に関する発言力という論点がある。これは労使関係の基本的テーマであるにもかかわらず,いまだに十分なコンセンサスが作られていない。ただし,いくつかの先行研究は,職場労働者集団の影響力に注目することの重要性を示唆している。こうした先行研究の事実発見を理論化し,さらに構造化した調査を通じて,研究を進展させることが求められている。
(筆者=香川大学経済学部教授)