Japanese Journal of Social Psychology
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2024 Volume 39 Issue 3 Pages 230-231

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かつて、君主制を敷く16世紀フランスに生きたエティエンヌ・ド・ラ・ボエシは、著書『自発的隷従論』において、「圧政下で人々が支配者への自発的な随順を示すのは何故か」という重大な問いを提示した(La Boétie, 1576 山上訳 2013)。『自発的隷従論』で主張されているのは、支配—被支配構造の存続における必要条件としての被支配者の自発的隷従である。ラ・ボエシによれば、一者支配のもとで、支配者が勢力を維持・強化できるのは、大多数の被支配者側が、自らに振るわれる権力に抗うことなく、むしろその権力に積極的におもねり従うからこそである。彼はまた、被支配者の自発的隷従は通時代的に確認される現象であり、君主制に限らず他の政治体制下においても、支配の様態はほとんど同じあると論じる。

翻って現代の民主主義社会に目を向けると、ラ・ボエシの議論をナイーブに当てはめることは難しいにせよ、社会経済的地位の低い人々が、自分達の利益に必ずしもそぐわない主張を行う政治的指導者(あるいは政党)を熱心に支持する現象自体はそう珍しくはない。

システム正当化理論は、ラ・ボエシの議論を、より現代的な枠組みで再構築した心理学理論であるといっても過言ではない。これは、本書第1章のタイトルが「新たな『自発的隷従論』」とされていることからもうかがえる。2020年に出版された『A theory of system justification』の翻訳書である本書では、システム正当化理論の要諦が説明されるとともに、理論の提唱から現在に至るまで蓄積されてきた代表的な研究がまとめ上げられている。

システム正当化理論は、社会システムが維持される仕組みを、人々の有する現状を正当化しようとする動機(システム正当化動機)から説明する理論である。システム正当化理論によれば、本来的に人間は、確かさや安全、社会的なつながりを希求する。人々は、混沌として不確実な状況を避けるため、単に今それが存在するというだけの理由から、しばしば非意識的に既存のシステムを正当化するよう動機づけられる。さらには、今の社会や経済、政治のもとで不利益を被っていている人でさえも、システム正当化に強く動機づけられると、たとえ現存のシステムがどれほど不条理であったとしても、それらのシステムを積極的に擁護することがある。このようなシステム正当化動機の存在こそが、格差や不平等を下支えしているというのが、本書全体の主張である。

本書の流れは、大まかに以下の通りである。まず第1章で全体の概要が示され、第2から4章にかけて理論的背景の説明が行われる。ここでは、システム正当化理論の背後にある社会科学の諸理論が紹介されるとともに、それらがいかにシステム正当化理論と関与しているのかが述べられる。また、理論構築上、鍵となっているのはマルクスの「虚偽意識」概念であり、システム正当化概念が「虚偽意識」概念のエッセンスを備えていることが論じられる。続く第5章では理論の仮説が導入され、第6章以降では、貧困や宗教、ジェンダー格差といった社会現象を取り上げ、それらについての代表的な研究が紹介される。締めとなる第12章では、システム正当化理論への批判に対する応答と、今後の展望が描かれる。

本書を理解するうえで、評者がとくに重要であると思うのは、第4章でなされるステレオタイプ化と「虚偽意識」の生成に関する説明である。システム正当化理論は、今でこそさまざまな社会政治的現象を説明するために応用されているものの、理論の揺籃期には、社会的不平等や格差の維持に寄与する認知的メカニズムとしてのステレオタイプに強い関心を寄せていた。ここで、第4章の内容について、システム正当化理論研究の嚆矢であるJost & Banaji(1994)をふまえつつ紹介したい。

JostとBanajiは、ステレオタイプが有する機能について、従来の研究で焦点が当てられてきた自己正当化(Ego-justification)アプローチと集団正当化(Group-justification)アプローチの限界を指摘したうえで、それらを克服しうるシステム正当化アプローチの有用性を訴えた。ここでいう自己正当化アプローチとは、ステレオタイプは自己防衛手段として生起するとの見方であり、他方の集団正当化アプローチとは、社会的アイデンティティ理論に基づき、ステレオタイプの役割を個人レベルから集団レベルへと拡張する立場である。彼らによれば、いずれのアプローチも、外集団ひいきや否定的自己ステレオタイプ化、そしてステレオタイプが集団の枠組みを越えて共有されるステレオタイプの社会的合意性を捉え損ねている。

従来の2つのアプローチに対して、彼らは、新たにシステム正当化アプローチを導入し、ステレオタイプには従来の見方とは異なった役割があると論じる。曰く、システム正当化アプローチの観点からみれば、ステレオタイプ信念そのものが、既存の社会政治的システムから派生したものであり、その内容は社会における何らかの取り決めを反映している。こうした社会的取り決めは、その中で合意された個々人の地位や役割が正当化されるよう、自己あるいは他者をステレオタイプ化するよう促す。ゆえに人は、自己や内集団にとって不利益なステレオタイプであっても受容し、そのステレオタイプが構造的に組み込まれている既存のシステムをも正当化する。本書でも強調されているように、ステレオタイプはある種のイデオロギー的な役割を果たすのである。

ここで重要なのは、システム正当化理論の社会構築主義的立場である。システム正当化理論研究者がステレオタイプや偏見を検討するとき(それらは実質的には個人内における社会的認知プロセスの検討である場合が多いだろうが)、その根底には、社会的認知プロセスだけではなく、よりマクロなプロセスへの強い関心が横たわっている。システム正当化アプローチでは、偏見やステレオタイプが、人々の間で築き上げられた社会的現実であり、人々の認識や解釈を経ることで再生産されてゆく社会的構築物であることを強調する。本書がマルクスの「虚偽意識」をつど引用するのも、ステレオタイプや偏見、さらにはその帰結としての差別が社会的に構築され、維持される構造を問題としていることの証左だろう。

あらためて本書全体を眺めると、随所で紹介されるどの研究にも一貫して上記の視点が含まれていることに気づく。たとえば第8章では、ジェンダーステレオタイプへの接触が女性のシステム正当化や自己モノ化を促すという実験研究が、第9章では宗教性とシステム正当化に関係する諸保守的信念の相関研究が紹介される。両者は、扱っているトピックこそ全く異なるが、「なぜ人は一見不条理にみえるようなシステムを擁護するのか」という大きな問いを背後に掲げているという点では同一である。もちろん、ある特定の理論がさまざまなトピックに応用されることは社会心理学では決して珍しいことではない。しかし、システム正当化理論研究ほど、社会に対する一個の巨大な問いが理論内で前面に打ち出され、トピックを大きく異にする研究同士が、垣根を越えてその問いを分かち合う研究群もなかなかないのではないかと思う。

ただし、本書がマクロな関心を持ちながらも、実証レベルでは、個人の心理過程に重点を置く社会的認知研究が多数を占め、さまざまなコンテクストが交差している現実社会の維持や変動と個人のシステム正当化プロセスの対応関係という理論の本来的な関心については十分に検討できていないという限界も指摘できよう。さらに、今後は、社会のダイナミクスと個々人のシステム正当化傾向との連動を検討する必要があるだろう(cf. Friesen et al., 2019)。

問いの興味深さもさることながら、理論の持つ記述の豊かさにこそ、システム正当化理論の魅力があるように思われる。本書はシステム正当化理論の概説書として位置づけられるが、「心理学の本として内容はわかりやすいですか?」と問われたとしても「はい、わかりやすいです」と即答はできない。筆者が参照する文献は心理学研究にとどまらず、哲学や社会学、政治学、そしてときには文学作品や詩人の言説にもおよび、その記述は縦横無尽に駆け回る。浅学な評者は、本書を読み進めるとき、未知の、もしくは名前だけは知っている引用文献に遭遇し、詳細を調べるため幾度となくgoogle検索に頼った。しかし、本書は意味もなく難解である訳では決してない。本書のキメラ的ともいえる議論構築はむしろ、理論に奥行きを与え、刺激的なものとすることに成功している。この裾野の広さこそが、多くの心理学者を惹きつける源泉の1つとなっているのではないだろうか。

引用文献
 
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