抄録
「宮座」と称される祭祀は、民俗学、宗教学、歴史学、社会学、文化人類学など多くの学問領域が関心を寄せ、きわめて多数の調査報告と研究が生み出されてきた。それにもかかわらず、これらの研究から何が分かったのか、という肝心な点になると判然としないところがある。筆者はまず「宮座」の研究史を振り返ることによって、いかなる混乱がそのような状況を生み出したのかを整理した。私見によればそれらの混乱は、定義作法の錯誤に由来している。宮座を構成する要素の何を取り出しても、研究者たちには宮座と見えないものにも含まれてしまっており、宮座とそうでないものとの境界がきわめて見えにくいのである。それはおそらく「宮座とは何か」という明示的な基準のほかに、「宮座とは何ではないか」という無自覚の基準が潜在しているためなのだ。その難点を克服するのは困難な作業だが、筆者は「もの事」だけでなくむしろ「でき事」に着目するところに突破口があるのではないかと述べた。