2021 年 6 巻 8 号 p. 1-21
佐賀県唐津市では、唐津弘山坊大巡りという新四国八十八ヶ所巡礼が明治時代より行われてきた。昭和20 年代から40 年代にかけての記録を分析したところ、佐賀県のほぼ全域ならびに長崎県佐世保市、福岡県南部から巡礼者が訪れ、多くの霊場外からの巡礼者たちに支えられていたことが明らかになった。これには、佐賀県の石炭産業の発展にともなって敷設された鉄道の利用や、僧侶等の宗教者同士のつながり、新四国八十八ヶ所巡礼への関心が関わっていた。そして、霊場外からの巡礼者の減少時期が、炭鉱の衰退や閉山時期と重なることから、霊場内の地域で暮らす人たちの生活の充実だけではなく炭鉱の賑わいが、巡礼空間としての魅力を形成していたといえる。