抄録
本研究は日本を、CBE の「グローバル潮流」における非西洋社会の初期採用者だけでなく、OECD による当該潮流の再強化と共に 2010 年代半ばから再び CBE 改革を本格的に取り組んだ「再帰的採用者」として捉え直すことを試みた。その主な結果は以下の通りである。
グローバルな政策借用の視点から見ると、日本におけるこの潮流への「受け入れ」は、受動的なものから能動的なものへと変化を遂げていることが明らかとなった。2000 年代初頭、 「脱ゆとり教育」の背景において、文科省は既定の教育改革方針を維持するために、国際的な CBE の理念を受動的に「受け入れ」ざるを得なかったのである。しかし、時が経つにつれ、日本は CBE改革の「グローバル潮流」を再解釈し、それを自国の教育制度や文化を正当化するために利用して自らの国際的プレゼンスを高めようとするようになった。したがって、日本における CBE 改革の「グローバル潮流」への借用過程は、国際的な経験から学ぶこと(外から内へ)から日本の経験を発信すること(内から外へ)へと徐々に移行し、そのコンピテンシー概念の「翻訳」もそれに伴い変化していった。この借用の性格変容は、CBE に結び付けられうる多様な能力モデルが混在する今の日本の状況とも繋がっていると思われる。
OECD、世界銀行やユネスコを代表とする国際組織は、教育政策のグローバルガバナンスにおける発言力をますます強めており、その結果、各国が教育政策を策定する際にいわゆる「グローバル潮流」を完全に無視することはできなくなっていることは事実であろう。しかし、本研究の結論は、他国の教育政策や改革の動向を探るにしても、自国の教育政策に助言を提供するにしても、いわゆる「国際標準」の流動性と、教育借用の過程におけるローカル文脈の主体性を十分に認識しなければならないことを示したのである。