2023 年 30 巻 p. 1-10
Laguna (2023) 30: 1-10 ISSN 2185-2995
資 料
江戸時代以降の江島埋立て史
渡辺正巳 1*・平石 充 2
History of a land reclamation of Eshima after the Edo era, Shimane pref., Southwest Japan
Masami WATANABE1*, Mitsuru HIRAISHI2
Abstract: Eshima Island is located in Lake Nakaumi, eastern Shimane Prefecture. A small-scale reclamation was performed for creating farmland in Eshima Island during the Edo–Meiji era. During the Showa era, in 1952, the “Eshima Island vicarious execution land reclamation project” was started by Shimane Prefecture. Furthermore, the “Government managed Lake Nakaumi land improvement project” was started in 1963, which continued until 2009 with some changes in the initial plan. The current landscape of Lake Nakaumi and Eshima Island was formed because of this project. In this study, we examined the history of land reclamation in Eshima Island using maps from the Edo and early Meiji era and several topographic maps that were published after 1901. In addition, we have quoted and explained various documents.
Key words: land reclamation of Eshima Island, Lake Nakaumi, Shimane Prefecture, illustrated map, topographic map
中海に位置する「江島」(図 1)は,「出雲国風土
む か で
記」(沖森ほか編,2005)では「蜈蚣島」とされ,「周
る五里一百卅歩,高さ二杖*1 なり」と記されている.これに対し現在の江島の地形は,宝暦 4(1754)年以降(桜木,1963),昭和 37(1962)年まで断続
的に続いた中浦水道の埋立て*2 と,昭和 38(1963)年に着手された「国営中海土地改良事業」*3 などによってその形を変化させ,現在では「出雲国風土記」の時代のおよそ5.7 倍の面積になっている.一方,「国営中海土地改良事業」の終了(平成 26(2014)年)から 10 年近くが過ぎ,一連の埋立て事業等によって地形環境を変えていった江島とそれに関連する中
1 島根大学エスチュアリー研究センター,文化財調査コンサルタント株式会社
2 島根県古代文化センター
* Corresponding Author
受付日:2022 年 10 月 17 日,受理日:2023 年 2 月 27 日,WEB 掲載日:2023 年 3 月 31 日
図 1 1/5 万地形図「境」:明治 34(1901)年発行スケール,インデックスマップを加筆.
Fig. 1 Topographic Map 1/50,000: Sakai (1901).
We have trimmed the map, added a scale, and an index.
浦水道,中海の地形変遷も忘れられつつある.それは,一連の埋立て事業の概要を知る手がかりとなる資料も同様である.特に江戸から明治時代初頭に行われていた埋立てについては,その概要および資料の所在を知る人は僅かであろう.
「国営中海土地改良事業」に伴う江島とその周辺地域の地形変化や環境変化を知ることは中海の環境変遷を論じる上で重要であり,「中海宍道湖干拓淡水化データバンク」として,島根大学エスチュアリー研究センターに 多くの資料が保管されている(徳岡,2019).一方,「国営中海土地改良事業」以前の江島,中浦水道,中海北東部の地形変遷については,関連資料をまとめられることがなかった.
本報では,これらに係わる資料をまとめることが
学術的に重要と考え,江戸時代から連綿と続いた埋立て事業について,絵図,地形図等と関連資料などをもとに通史的にまとめた.
江戸時代における江島埋立ての歴史は,桜木
(1963)に詳細にまとめられている.
桜木(1963)によれば,文政 2(1819)年頃に描かれた「江島村渕古中浦新田絵図」(図 2)に「古田」と記された 2 ヶ所の内 1 ヶ所が,宝暦 4(1754)年の神田寄進札にある「寄進田五畝歩」に相当し,これが最初の埋立て地である.その後手角村儀八によりもう 1 ヶ所の「古田」が,天明・寛政年間(1781
*1 距離を示す尺度に関して,『出雲国風土記』では律令制下の天平尺に基づく「尺」(1尺 =約 29.6cm),「歩」(1歩=6尺)と「杖」(1杖= 10尺),「里」(1里= 300歩)などが用いられたと考えられる.五里一百卅歩(周囲)は約 2.9km,二杖(高さ)は約 5.9mとなる.
*2 昭和 27年に始まった「江島代行干拓事業」で「干拓」という言葉が使われたが,実際には「埋立て」であった(島根県江島干拓事務所, 1962).また,江戸時代以降行われた江島の新田開発も,全て「埋立て」である.
*3「国営中海土地改良事業」に関する記述は,主に中国四国農政局(2020)を参考にした.
図 2 江島村渕古中浦新田絵図(松江歴史館所蔵)
Fig. 2 Pictorial map of new rice field in Fuchiko and Nakaura, Eshima Village (collection of the Matsue History Museum).
図 3 江島埋立絵図(松江歴史館所蔵).
Fig. 3 Pictorial map of reclaimed land in Eshima Island (collection of the Matsue History Museum).
~ 1801 年)頃に埋立てられた.さらに文化 2(1805)年以降では本庄町来見屋定四郎らによって,天保末期(1844 年頃?)以降では松平藩人参御手畑代替として,それぞれ埋立てが進んだ.
江戸時代末期の江島埋立て地の状況は,明治 3
(1870)年に描かれた「江島埋立絵図」(図 3)で観察することができる.この絵図を明治 34(1901)
年発行された,本地域の最初の地形図である大日本帝国陸地測量部作製 5 万分の 1(以下,1/5 万と記述)地形図(図 1)と比較すると,明治 3(1870)年から測量年の明治 32(1899)年の間にも埋立てが行われていたことが分かる.また後述のように,明治 32(1899)年から「江島代行干拓事業」が開始された昭和 27(1952)年までの間では,埋立ては行わ
図 4 江島干拓地の拡大と縮小(宝暦 4 年~昭和 46
年頃).
昭和 3(7 1962)年撮影空中写真に,時期ごとの干拓地,
「国営中海土地改良事業」によって削られた地域とスケールを加筆 .
Fig. 4 Changes in the reclaimed land in Eshima Island (1805–1971).
We corrected the aerial photograph taken in 1962. These are the reclaimed lands. We deleted area and scale.
図 5 「伊能図:大図」と現代地形図との差異.
「伊能図:大図(国土地理院 HP)」と 1/2.5 万スケール地形図を重ね合わせた.
Fig. 5 Differences between the Inou large map and topographic map.
The Inou la rge map and topographic map a re superimposed over one another.
れていない.各絵図と航空写真の地形的な特徴を比較・検討して,一連の江島埋立て地の拡大過程を図 4 にまとめた.
江戸時代の絵図(地図)については,伊能忠敬による「大日本沿海輿地全図:伊能図」が有名である.伊能が文化 2(1805)年から翌年にかけて中国地方で測量を行った際,事前に測量図面の提出を諸藩に求めていた.松江藩では神田助右衛門(武兵衛)が測量図面作製の任に当たり,「出雲国十郡絵図(島根県立図書館蔵)」として文政 4(1821)年に仕上げている.現代の地形図(江島周辺)と「伊能図:大図」*4,「出雲国十郡絵図」*5 のスケールを併せ重
ね合わせたものを,図 5,6 にそれぞれ示した.両図とも江戸時代の測量成果としては優れたものと考えられるが,かなり歪んでいることが分かる.ほぼ同地域での「伊能図:大図」と 1/5 万地形図との重ね合わせを試みた高安(2014)は,図面の拡大縮小による重ね合わせが上手くいかない原因として,測量法の違いや部分的に目測描画があったことのほか,当時の複写法に問題があったと推察している.本稿においても両絵図と現地形図の重ね合わせを実施したが,同様な理由のため江島埋立て地の状況を知ることはできなかった.
*4 伊能図は大図(1/36,000スケール),中図(1/216,000スケール),小図(1/432,000スケール)からなり,大図を縮小して中図,小図が描かれている.
*5「出雲国十郡絵図」には,島根県立博物館蔵の文政 4年版と,島根大学附属図書館蔵(桑原文庫)の改訂縮小版がある.複写時の歪みを考慮し,今回は文政 4(1821)年版を利用した.
表 1 国土地理院発行地形図「境(境港)」の推移.
Table 1 List of the topographic maps: “Sakai (Sakaiminato)” by the Geospatial Information Authority of Japan.
2万5千分1地形図「境港」の変遷
|
|
|
|
|
|
|
||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
|
|
|
|
|
|||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
昭和52 |
|
|
|
|
|
|
|
|
昭和59 | 1984 |
|
|
|
|
|
|
|
平成 3 | 1991 |
|
|
|
|
|
|
|
平成 4 | 1992 |
|
平成 2(1990)
|
|
|
|
||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
平成22 |
|
|
|
|
|
|
|
|
平成30 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||
|
|
|
|
|
|
|
||
|
|
|
ー |
|
|
|||
|
|
|
|
|
ー |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ー |
|
|
|
|
|
|
|
|
ー |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
||||||||
|
|
|
|
|
|
|
||
|
以下では国が公表している地形図をもとに,主として「江島代行干拓事業」及び,「国営中海土地改良事業」に関する江島埋立ての歴史を振り返る(図 1,7,8).なお,2 万 5 千分の 1(以下,1/2.5 万と記述)と 1/5 万地形図について,昭和 53(1978)年以降は 1/2.5 万地形図をもとに 1/5 万地形図が作製されているが,それ以前はそれぞれの地形図が別々の測量成果をもとに作製されている(表 1 参照).
図)の作製はない.両図を比較すると,この間にも江島北~東部で埋立てが続いていたことが分かる.
度が良く,地形が精細に描かれている.江島内の田畑,宅地の分布や道路も詳細に描かれている.明治 34(1901)年発行 1/5 万地形図と比較すると,この
間に江島および対岸の弓ヶ浜半島では,埋立てが行われていないことが分かる.
も引き続き埋立ては行われていない.
昭和 52(1977)年発行 1/2.5 万地形図(図 7-3)前回測量(昭和 9(1934)年)から 40 年近く経 ており,江島内外で幾つかの大型事業が実施されていた(表 2).江島の北側では昭和 27(1952)年に着工され昭和 37 年度に終わった「江島代行干拓事業」によって,40.50ha の埋立て地が造成された(島根県江島干拓事務所,1962).この事業は,昭和 18
(1943)年に米子空港(海軍飛行場)が設置された際に買収された,八束村民が所有した耕作地との代替の意味合いがあった(八束町教育委員会,1992).ただし,「江島代行干拓事業」は計画変更され,一部の埋立てを残して完成となった.その後昭和 38
(1963)年に着工された「国営中海土地改良事業」によって,江戸時代以降の埋立て地東側が削られた.
表 2 江島周辺地域開発事業一覧.
Table 2 List of development projects in Eshima Island and surrounding areas.
事業名など
期間
開始 終了
主な場所 事業主体
⼸ヶ浜半島⻄海岸埋⽴⼯事(外江⼲拓) 昭和24年 昭和30年 外江⼲拓地(境港市北⻄部) 農林⽔産省(⿃取県)
境港、江島⼲拓地北部、
「重要港湾 境港」指定 昭和26年 継続中
および周辺⽔域
運輸省(現国⼟交通省)
江島代⾏⼲拓事業 昭和27年 昭和37年 江島⼲拓地 島根県
国営中海土地改良事業 昭和38年 平成26年 本庄⼯区・⼸ヶ浜⼯区ほか 農林⽔産省
外江干拓地木材工業団地化 昭和38年 昭和40年 外江⼲拓地(境港市北⻄部) ⿃取県
中海北東部、江島⼲拓地、
「中海地区新産業都市」指定 昭和41年 平成13年
外江⼲拓地ほか
経済企画庁(現内閣府)・島根県・⿃取県
江島⼲拓地⼯業⽤団地化 昭和46年 平成30年 江島⼲拓地(江島⼯業団地) 島根県
境港臨港道路江島幹線(橋梁)整備事業
(江島⼤橋)
昭和60年 平成16年 中浦⽔道
着⼯時:運輸省(現国⼟交通省)完成時:国⼟交通省
外江⼲拓地⻄⼯業団地化 平成8年 平成14年 外江⼲拓地(境港市北⻄部) 境港市境港⻄⼯業団地⼟地区画整理組合
図 6 「文政 4 年出雲国十郡絵図(島根県立図書館所蔵)」と地形図との差異.
「文政 4 年出雲国十郡絵図(島根県立図書館所蔵)」と1/2.5 万地形図を重ね合わせた.
Fig. 6 Differences between the pictorial map of ten countries in Izumo and topographic map.
We superimposed the pictorial map of ten countries in Izumo (a collection of the Shimane prefectural library) and the topographic map.
「国営中海土地改良事業」によって削られずに残っ
さかいこ う
た埋立て地北側では,「重要港湾 境港」整備に伴う
事業として,新たな埋立てが始まった様子が窺える.また,「国営中海土地改良事業」の一環として,昭和 50(1975)年に通行が可能になった中浦水門(管理橋)のほか,当初「本庄工区」東縁の干拓堤防として造り始めた美保関町和名鼻から江島に向かう堤防の一部(徳岡,2020)が認められる.この堤防は,後に江島地区水面貯木場新設のための堤防に転用され,江島に繋がることがなかった.このほか,「弓浜工区」の外周堤防(干陸前)や,鳥取県による外江干拓地(昭和 24(1949)年着工,昭和 30(1955)年完成,昭和 40(1965)年木材工業団地として造成完了: 境港市,1991;2001)も認められる.
一方で,昭和 45(1970)年の農林省(現在の農
林水産省)による開田抑制策と減反政策の開始を受け,「国営中海土地改良事業」は最初の転換期を迎
さかいこ う
えた.これに先立つ昭和 26(1951)年に「境港」が「重
要港湾」の指定を受けたこと,昭和 41(1966)年に「中海地区新産業都市」の指定を受けたこともあり,昭和 46(1971)年には江島干拓地の工業用地(江島工業団地)への転用が決まり,同年には工事に着手している.昭和 49(1974)年には「江島代行干拓事業」埋立て地北側を埋立てた埠頭と,「本庄工区」予定地内への江島地区水面貯木場の建設が島根県により計画され(竹永・徳岡 , 2019),この地図上では江島北側の埋立てがほほ完了している.
さかいみなと
また,「重要港湾 境港」は鳥取県境港市と対岸の
島根県松江市(旧美保関町,八束町江島)がその範
図 7 地形図に示された江島干拓地の拡大(大正時代以降).
1: 大正 7(1918)年発行 2: 昭和 11(1936)年発行 3: 昭和 52(1977)年発行
4: 昭和 59(1984)年発行 5: 平成 4(1992)年発行 6: 平成 11(1999)年発行
1/2.5 万地形図「境(境港)」を利用.スケールバーを加筆.測量年度は表 1 参照.
Fig. 7 Expansion of the Eshima reclaimed land as shown in the Topographical map (1918–1999).
1: 1918, 2: 1936, 3: 1977, 4: 1984, 5: 1992, and 6: 1999.
These Figs. are based on Topographic Map 25000: “Sakai (Sakaiminato),” published by Geospatial Information Authority of Japan. We trimmed it and added a scale. The surveying year of each map is cf. table 1.
図 8 地形図に示された江島干拓地の拡大(21 世紀以降).
7: 平成 14(2002)年発行 8: 平成 22(2010)年発行 9: 平成 30(2018)年発行
1/2.5 万地形図「境(境港)」を利用.スケールバーを加筆.測量年度は表 1 参照.
Fig. 8 Expansion of the reclaimed land during in Eshima Island during 2002–2018 as shown in the topographic map. 7: 2002, 8: 2008, and 9: 2018.
This figure is based on the topographic map at a scale of 1:25,000: “Sakai (Sakaiminato),” published by the Geospatial Information Authority of Japan. We trimmed it and added a scale. The year of survey of each map is listed in Table 1.
囲に指定されており,現在に至るまで整備が続けられている.
年から江島工業団地の分譲が開始されている(島根県,2022)が,江島干拓地内には道路が描かれているのみで建物は無く,「荒地」の地図記号が描かれている.また,江島干拓地北西部の埠頭(「重要港
湾 境港 江島地区」)は建設途中である.一方で,江島南西部に昭和 53(1978)年に完成した「地方港湾 江島港」には,「港湾」の地図記号が描かれている.
平成 4(1992)年発行 1/2.5 万地形図(図 7-5)江島干拓地内に「江島工業団地」の記載が認めら
れるが,道路整備が進んでいる他は,小規模な建物が認められるのみである.一方,江島干拓地北岸と島根半島の去ルガ鼻から和名鼻にかけての範囲は
「重要港湾 境港 江島地区」としての整備が進められている.江島北岸中央部の 1 号岸壁(水深 9m),西側の 1 号,2 号物揚場が完成し,東部の 2 号岸壁
(水深 7.5m)が整備中のようである.また,地形図
には昭和 37,38(1962,1963)年測量の湖沼図を用いた等水深線が描かれているが,境水道から新設された 1 号岸壁へ向かう水深 7.5m を超える水路が存在しない. このことから,岸壁の整備に合わせて,浚渫が行われたものと考えられる.また,港湾施設として昭和 60(1985)年に完成した江島地区木材ドルフィン(-9.0 岸壁 3 バース),平成元(1989)
さかい こ う
年に完成した江島地区水面貯木場(境港管理組合,
2021)が,ここには描かれていない.
新規開田の抑制や昭和 48(1973)年の大干ばつ等を背景に,昭和 59(1984)年に第 1 回計画変更が行われ,「弓浜工区」でも営農計画が当初の水田から畑に変更された.このため,平成元(1989)年に完成した「弓浜工区*6」が,畑として利用されている.また,昭和 63(1988)年には,中海の水質悪化への懸念などの事業を取り巻く諸情勢の変化から,宍道湖・中海の淡水化試行及び「本庄工区」の工事延期が決まっている.平成 4(1992)年に自治省(現在の総務省)が,それまで決まっていなかった中海内での両県境を正式に決めたほか,平成 5
(1993)年には,中海内での市町村境界が確定した.
このため,この地形図が発行された翌年(1993 年)に,鳥取・島根県境のほか,島根県内の市町村境界を加筆した地形図が発行されている.
前述 2 号岸壁(水深 7.5m)が平成 8(1996)年に完成したことによる.
江島工業団地内の道路が密になり,建物(工場)も多く描かれている.また,森山堤防上に道路が描かれ,堤防道路の供用が始まったことが分かる.この堤防道路は,平成 12(2000)年に「本庄工区」の干陸中止を経て,平成 19(2007)年に県道の指定を受ける.外江干拓地内の水域(貯木場)であった部分が堤防で締め切られたうえ,「荒地」の地図記号が入るなど,木材工業団地から西工業団地へと再開発(平成 8(1996)年着工.平成 14(2002)年完成)途中の様子が窺える.
下宇部尾沖(昭和 55(1980)年度完成)の関連施設と考えられる.いずれも水域での構造物であり,地形図への表記が遅れた可能性がある.また,外江干拓地の再開発が最終局面となり,南西の堤防が開削され,新たな貯木場が完成している.更に道路整備も行われ,西工業団地としての全貌が見えてきた.
こうもん
する中浦水門の管理橋と水門が消え,閘門が残る.
また,「中浦水門」の記述も消えている.この背景に,平成 14(2002)年の淡水化中止決定と,それに伴う淡水化施設の取り壊し,完成済みの干拓地内での灌漑施設整備工事等が始まったこと,そして同時進
さかいこ う
行した重要港湾:境港の整備がある.また,江島工
業団地内では建物が増え,江戸時代の干拓地内では道路整備が行われている.一方,外江干拓地には「西工業団地」の記載が認められる.更に,平成 17(2005)年に美保関町,八束町が松江市に吸収合併したことに伴い,中海水域内に描かれていた市町境界線が消失した.
平成 26(2014)年に「国営中海土地改良事業」が全て完了し,江戸時代から続いた江島の埋立て事業が終焉した.森山堤防の開削と架橋は,平成 17
(2005)年の「中海に関する協議会」*7 により,船の運行路を確保する目的で,淡水化中止に伴う措置として行われた事業で,平成 21(2009)年に完了した.開削した部分は,築堤以前における湖沼図で最も水深が深い地点が選定されている.
本報では,江戸時代以降の江島,中浦水道,中海北東部の地形変化とその原因について,絵図,地形図を基にして通史的に簡素にまとめた.本報が,中海研究に携わる多くの方々に用いられることを願うものである. また,江戸時代以降江島の埋立てに携わってきた多くの方々の功績を称え,まとめに代える.
*6 昭和 63(1988)年度末(平成元年 3月 31日)完了.一部資料には昭和 63年完了と記されている.
*7 中国四国農政局,中国地方整備局,鳥取県,島根県で構成された.
本報をまとめるに当たり,島根大学名誉教授 徳岡隆夫博士には,多くの資料を提供頂いたほか,多岐に亘りご助言を頂いた.島根大学エスチュアリー研究センターの瀬戸浩二博士と齋藤文紀センター長には有意義なご助言を頂いた.江島関連の絵図借用にあたり,松江市立松江歴史館 新庄正典氏には便宜を図って頂いた.文化財調査コンサルタント株式会社 平佐直子氏には図面作製に協力頂いた.国土地理院地形図の入手には,島根県古代文化センターの「出雲風土記」関連の予算を使用させて頂いた.査読に際して,2 名の匿名査読者の方々より有用なご意見を頂いた.また,英文については editage(カクタス・コミュニケーション(株))に校正頂いた.以上の方々,機関に対し,御礼申し上げます.
pp.78-80.松江市.
徳岡隆夫(2019)中海宍道湖干拓淡水化データバンクの作成.Laguna,26:85-88.
徳岡隆夫(2020)進む工事と淡水化への疑問・反対.松江市史 通史編 5 近現代,pp.832-835.松江市.
八束町教育委員会(1994)江島干拓.八束町誌, pp.662-680.八束町教育委員会.
著者不明(1819 頃)江島村渕古中浦新田絵図:松江市立松江歴史館蔵.
著者不明(1870)江島埋立絵図:松江市立松江歴史館蔵.
中国四国農政局(2020)国営土地改良事業等事後評価 国営干拓事業「中海地区」【事後評価基礎資料】.中国四国農政局,85p.
神田助右衛門(1820)出雲国十郡絵図,島根県立図書館蔵.
国土地理院(HP)伊能図一覧:155 出雲 松江 伯耆米子,
https:// kochizu.gsi.go.jp/items/448?from=ategory, 14,index-table(2022 年 10 月閲覧)
沖森卓也・佐藤 信・矢嶋 泉編(2005)出雲国風土記.
山川出版社,141p.
境港管理組合(2021)境 港要覧 2021, http://sakai-
port.com/publics/download/?file=/files/content_type/ type019/273/202111111438323525.pdf(2022 年 10 月
時点).
境港市(1991)境港市 35 周年史.境港市,444p.
境港市(2001)境港市 45 周年史.境港市,618p.
桜木 保(1963)中海江島新田の開発.八束村役場,
100p.
島根県(2022)江島工業団地について(完売): https:// www.pref.shimane.lg.jp/industry/enterprise/richi/
takuchi_jigyo/eshima.htm(l 2022 年 10 月閲覧).
島根県江島干拓事務所(1962)江島代行干拓事業概要.島根県,6p.
高安克己(2014)伊能図から読み取る沿岸地形の移り変わり(1) 中海沿岸の埋立て.伊能忠敬研究,72:6-9.
竹永三男・徳岡隆夫(2019)終章 私たちの松江-これまでとこれから.松江市史 史料編 10 近現代,