1989 年 54 巻 2 号 p. 113-136
牧畜社会というものが放牧者の集団と家畜の群との対応関係の上に成立しているものだとすれば, 牧畜社会の構造もその変遷の動態としての歴史も, 放牧者集団の側面と家畜の群の側面の両方の視点から考察が可能である。本論は, その後者の群の視点から, すなわち, その共通のデザインが群を成すことによって初めて意味を持つ耳印を材料にして, サミ人のトナカイ遊・放牧社会の社会構造とその歴史を考察する。左耳に刻まれる一定の刻み目とその継承は, 放牧社会の中核を成すトナカイ遊牧系サミ人達の放牧集団と, そのリーダーの「系譜」を表し, 集団毎の耳印の形成やそのデザイン上の分化が, それぞれの集団の動態を表現する。また, 定住系の弱小放牧者達の多くは, 自らの「系譜」とはかかわりなく, 遊牧系の有力放牧者の「系譜」に沿った耳印を使用するが, これは放牧社会全体が遊牧系放牧者を核に収斂しようとする動態を示している。