民族學研究
Online ISSN : 2424-0508
人間と家畜との相互作用からみた日帰り放牧の成立機構 : 北ケニアの牧畜民サンブルにおけるヤギ放牧の事例から(<特集><家畜化の過程>への新視角)
鹿野 一厚
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1999 年 64 巻 1 号 p. 58-75

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抄録

牧畜という生業を安定して営んでゆくためには多くの家畜を飼養することが必要であるが, 牧畜民は日帰り放牧という方法によって家畜の群れを維持している。つまり日帰り放牧は, 牧畜という生業体系においては搾乳とともにもっとも重要な要素の一つなのである。本論文は, ケニアの牧畜民サンブルがおこなう家畜ヤギの日帰り放牧を対象として, 牧民とヤギとの相互作用の積み重ねがいかにして日帰り放牧を成立させているかについて, 解明することを試みたものである。日帰り放牧をおこなっている牧童は, 群れの統合を保ちながら放牧計画に沿って群れを誘導していると考えられるが, 日帰り放牧の観察によると, 牧童の身体的な統率行動の量は驚くほど少なく, 一日中群れの統率に追われているのではないことがわかった。一方, 放牧されているヤギの群れは, 群れのなかにリーダーがいるわけでも特定の個体同士が近接するわけでもないにもかかわらず, 群れは凝集性と輪郭を保つことがわかっている。このようなヤギの群れがいかにして成立したのかを明らかにすることが, サンブルにおける日帰り放牧の成立という問題を解く鍵を握っていると考えられる。第一に, 筆者は放牧中のヤギの行動を手がかりにして, ヤギは「自分の群れ」を認知しており, その認知にもとづいて「自分の群れ」に追随しているという仮説を立て, この仮説を「群れ追随仮説」と呼んだ。そしてこの仮説を受け入れることによって, 家畜ヤギの群れの凝集性と輪郭の問題を一挙に解決できるだけでなく, 牧童とヤギとの相互作用のあり方までもが了解可能となることを示した。つぎに, 従来は, 家畜は人間の管理に受動的にしたがうだけだと考えられてきたが, 本論文では, 牧民は管理技法を家畜に適用することによって家畜の行動の背景をなすコンテクストを設定しているのであり, 家畜がそのコンテクストに主体的に対応する結果として, 牧民の管理のあり方にすり合せられた家畜の認知と行動の変容が生じるのだという見方を提起した。筆者はこのような見方にもとづいて, 仔ヤギは成ヤギ群に入れられてから「放牧群」および「人間による誘導」という二重のコンテクストを与えられることになり, この二重のコンテクストへ対処する過程で, ヤギは「人間による誘導」のコンテクストを学習し, 「自分の群れ」という認知を獲得し, 「自分の群れ」に追随するようになるのだと論じた。そして, 以上のような牧民とヤギとの相互作用の結果, サンブルにおけるヤギの日帰り放牧が成立しているという結論を得た。

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© 1999 日本文化人類学会
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