那須野が原博物館紀要
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【調査報告】塩原温泉天皇の間記念公園所蔵資料調査
坂本 菜月近藤 慧臼井 祥朗
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2023 年 19 巻 1 号 p. 75-88

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   はじめに

 塩原温泉天皇の間記念公園は、明治期から昭和期にかけて、大正天皇や昭和天皇をはじめ多くの皇族の方々が利用した塩原御用邸のうち新御座所の部分が、昭和五十六年(一九八一)に移築・整備された施設である。新御座所は、塩原の人々から「天皇の間」と親しみ呼ばれていたことから、「塩原温泉天皇の間記念公園」と名付けられた。建物内には天皇家ゆかりの資料が展示されており、一般に公開されている。

 建物は、御用邸として使用されていた当時のまま移築保存されており、その内容については『旧塩原御用邸新御座所保存修理工事報告書(1)』に詳しい。しかし、これまで所蔵資料についてまとめた記録はなかったことから、今回、塩原温泉天皇の間記念公園の所蔵資料について記録することを目的とした資料調査を実施した。

 本稿では、塩原温泉天皇の間記念公園の所蔵資料について簡単な解説とともに目録を公開し、調査の報告としたい。

   一 塩原御用邸の沿革

 塩原御用邸の沿革は、臼井祥朗著「大正天皇と塩原御用邸、三島別荘からの変遷(2)」にて詳しく報告されているため、ここでは簡潔に述べるにとどめたい。

 塩原御用邸は、明治二十一年(一八八八)に三島通庸が建てた別荘が、明治三十七年(一九〇四)に三島家から献上されて成立した。三島通庸が別荘を構えた塩原温泉の入口ともいえる福渡の地は、元々通庸が離宮として皇室に献上しようとしていた土地だった。通庸は、一度献納を願い出たというが、種々の都合により裁可にはならず、その後は三島別荘として利用された。明治三十五年(一九〇二)、皇太子嘉仁親王(のちの大正天皇)が初めて塩原に行啓され、畑下にあった明治天皇の御生母である中山慶子の別荘に五一日間滞在した。皇太子は、塩原の地をお気に召され、翌年も塩原に行啓した。その明治三十六年(一九〇三)の行啓では、前年の中山別荘では手狭であるとされ、宮内省東宮職からの申し出で、三島別荘を借り上げての滞在となった。三島家では、別荘の修繕増改築など皇太子受け入れの準備に追われたが、滞りなく皇太子の三五日間の滞在を迎えた。皇太子は、塩原の地を気に入られ、またその健康にもよいとされたことから、三島家当主弥太郎が別荘の献上を願い出て、同年に塩原御用邸となった。当初は三島別荘を増改築しただけの建物が使用されたが、明治三十八年(一九〇五)に新御座所が造営され、明治四十四年(一九一一)にも増築がなされた。以降、明治期から昭和期にかけて皇室の避暑地として、塩原御用邸は多くの皇族たちに利用された。戦時中は、孝宮和子内親王・順宮厚子内親王・清宮貴子内親王の疎開先にもなった。終戦後の昭和二十一年(一九四六)には、皇室財産の整理によって厚生省へ移管され、視力障害者のための社会復帰施設「光明寮」として利用された。昭和三十九年(一九六四)には「国立塩原視力障害センター」と改称し、多くの視力障害者の社会復帰に寄与した。旧御用邸の建物は、教室や寮の建設のために取り壊されたが、新御座所のみが、かつて宮内省御料地であった旧紅葉山御料地の地に移築され、「塩原温泉天皇の間記念公園」として一般公開されている。

那須野が原博物館紀要 第十九号 二〇二三

【調査報告】塩原温泉天皇の間記念公園所蔵資料調査

坂本菜月1・近藤慧2・臼井祥朗3− 76 −

表1 塩原温泉天皇の間記念公園所蔵資料一覧

No. 資料名 数量 付属品 形態 寸法(㎝) 備考
1 明治天皇第六皇女 常宮昌子内親王殿下 (竹田宮恒久王妃) 写真 1点 写真 縦35.0×横27.5 台紙下部には「小川一真謹写」とある三島家より寄贈
2 明治天皇第七皇女 周宮房子内親王殿下(北白川宮成久王妃 伊勢大神宮斎主) 写真 1点 写真 縦35.0×横27.5 台紙下部には「小川一真謹写」とある三島家より寄贈
3 大正天皇御集 1点 書籍 縦19.3×横14.0 和歌465首・漢詩251編収録発行者 大正天皇御集刊行会
4 御用邸敷地献納願及び返書 願書1点返書1点 封筒 願書:和紙・一紙返書:罫紙・綴 願書:縦27.8×横40.0返書:縦28.0×横37.0(封筒:縦23.5×横9.5)

願書:東宮大夫齊藤桃太郎宛 三島弥太郎差出    2枚返書:三島弥太郎宛 東宮大夫齊藤桃太郎差出

   封筒あり

5 領収証(別荘修理) 1点 和紙・一紙 縦24.8×横34.4 三島弥太郎宛 君島吉蔵差出
6 三島和歌子覚書 1点 洋紙・冊子 縦22.2×横15.0 三島通陽著
7 塩原御用邸平面図 1点 青図・一紙 本紙:縦54.2×横68.5 マット:縦61.6×横76.0
8 塩原御用邸総図 1点 青図・一紙 本紙:縦67.9×横104.0 マット:縦74.6×横110.0
9 塩原御用邸附属各建物平面図 1点 洋紙・一紙 本紙:縦52.0×横77.5マット:縦60.0×横84.0
10 大正天皇 貞明皇后 御真影 1対 写真 昭和60年9月11日 元皇太后宮大夫 大谷政男氏より寄贈
11 大正天皇 貞明皇后 御真影 1対 写真
12 昭和天皇 香淳皇后 御真影 1対 額・額スタンド 写真
13 大正天皇御羽織 1対 幅約130×長さ約103 昭和60年9月11日 元皇太后宮大夫 大谷政男氏より寄贈
14 大正天皇御使用の御帽子 1点 幅17.0×奥行25.5×高さ6.0 大正天皇が満8歳の時に着用していたものを、御遊び相手をつとめた2歳年上の三島通庸の三男・弥六が拝領
15 上皇陛下の御産着 産着1着襦袢1着 長着:幅約80×長さ約91 肌着:幅約75×長さ約77 平成5年11月12日 牧野伸和氏より寄贈
16 皇太子殿下(嘉仁親王)御下賜 花瓶 壱対 1対 木箱(破損)・木箱の外袋 陶器 径16.5×高さ34.0
17 火鉢 1対 金属 幅37.0×奥行23.0×高さ20.0 明治天皇からの拝領品
18 御膳一式 2点 漆器 一辺33.5×高さ13.5 江連富美子氏より寄贈大正11年、久邇宮良子女王殿下が皇太子殿下(昭和天皇陛下)と御婚約直後、塩原を訪れ箒川で鮎がりをしたとき、昼食に使われたものと伝えられる
19 大正二年八月行啓之節備附御学友用文机 1点 木・金属 幅181.5×奥行39.0×高さ30.2 引き出しの裏に墨書きあり
20 椅子 3点 木・布 幅48.0×高さ91.0 1点は背もたれ破損塩原御用邸にて使用
21 テーブル 1点 径91.0×高さ76.0 塩原御用邸にて使用
22 燭台 2点 金属・ガラス 径17.0×高さ40.0 塩原御用邸にて使用君島久一郎氏より寄贈
23 燭台 2点 金属・ガラス 径27.0×高さ133.5 塩原御用邸にて使用河瀬明一氏より寄贈
24 行燈 3点 木・紙 一辺27.0×高さ84.0 塩原御用邸にて使用君島久一郎氏より寄贈
25 行燈 3点 金属 一辺36.0×高さ65.0 塩原御用邸にて使用
26 湯桶 1点 木・金属紐 径21.5×高さ16.0 塩原御用邸にて使用か刻印は消してある
27 手桶 1点 木・金属紐 径28.0×高さ51.5 塩原御用邸にて使用か刻印は消してある
28 煙草盆 2点 木・竹・陶器 鉢:六角形径11.5×高さ8.0   円形径11.0×高さ7.0竹筒:径4.3×高さ12.5 塩原御用邸にて使用か
29 ソケット 2箱分 金属 ソケット:径9.0×高さ10.0照明かさ付き:径15.0×高さ22.5 塩原御用邸にて使用か取り壊し時に保管されたものとみられる一部照明かさ付き
30 照明器具 1点 金属・ガラス 径36.0×高さ51.0
31 御寝所の蚊帳(2種) 2種 ①燕柄:幅約330×奥行約250×高さ約200②柄無:幅約300×奥行約320×高さ約250
32 鬼瓦 1点 金属 幅145.0×奥行40.0×高さ70.0
33 外灯 1点 金属・ガラス 径約50.0×高さ約290.0 対となるもう一点は、塩原もの語り館に展示
 
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