那須野が原博物館紀要
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北那須3館共催展-ROAD OF THE NASU-実施報告
重藤 智彬作間 亮哉坂本 菜月
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2024 年 20 巻 1 号 p. 81-86

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那須野が原博物館紀要 第20号 2024

北那須3館共催展-ROAD OF THE NASU-実施報告

重藤智彬1・作間亮哉2・坂本菜月3

1大田原市那須与一伝承館 〒324-0012 栃木県大田原市南金丸1584番地6

2那須歴史探訪館 〒329-3443 栃木県那須郡那須町大字芦野2893

3那須塩原市那須野が原博物館 〒329-2752 栃木県那須塩原市三島5丁目1番地

はじめに

 本稿では、令和4年(2022)秋に開催した北那須3館共催展-ROAD OF THE NASU-に関し、各館が開催した展示会や関連イベントの内容、3館共催で開催したリレー講座「奥州道中と北那須の街道」の実施結果について報告する。なお、本稿における北那須地区とは、大田原市・那須町・那須塩原市の3市町を指し、北那須3館とは大田原市那須与一伝承館(以下、那須与一伝承館)・那須歴史探訪館・那須塩原市那須野が原博物館(以下、那須野が原博物館)を指す。

 この企画では、五街道の一つである奥州道中を中心に、主要街道の会津中街道・原(方)街道などの北那須地区を通過した街道に焦点をあて、各街道や宿場、それらに関連するトピックスについて紹介した。会期は、那須与一伝承館及び那須歴史探訪館が10月29日~12月18日、那須野が原博物館が11月12日~12月28日であった。

 北那須3館で「街道」をテーマとした展示会は、これまで開催されることはほとんど無かった。那須野が原博物館では、平成17年(2005)に企画展「那須塩原・風景の記憶‐刻まれた人と自然の姿‐」を開催したが、その後は那須塩原市や那須町、大田原市の博物館・資料館で大きく扱われることは無かった。一方、「街道」は来館者ニーズの高いテーマであり、那須与一伝承館で行っている来館者アンケートでは「展示会の開催を希望するテーマ」として以前より要望が多い。街道は複数の地域を結ぶ道路であり、現在の自治体の地域区分で完結するテーマではない。そのため近世街道について、より多くの方に理解を深めていただくことを目的として、今回初の試みとして北那須3市町の博物館・資料館による共催展を開催した。

 共催展では、北那須3館がそれぞれ展示会名に「北那須3館共催展-ROAD OF THE NASU-」を冠して企画展やギャラリー展を開催した。各館の展示会の内容については後掲の各実施報告をご覧いただきたい。また、展示会のタイトル「ROAD OF THE NASU」は、有名な映画のタイトルにちなんで考案した。

 本企画を開催するにあたり、北那須3館にて共通チラシを作成し、市内・町内や近隣市町に配布した(図1参照)。また、来館者が博物館や展示会に対して親しみやすくなるよう、イメージキャラクターの「たびとくん」と「うまのすけ」を作成し、共通チラシや各館の展示パネルに掲示した(図2参照)。この他、会期中は3館にてスタンプラリーも開催し、来館者の周遊促進を図った。

 さらに、各館からマスコミへ情報提供を行い、積極的にイベントの周知を図った。この結果、地元紙の下野新聞記事(11月13日付)に「北那須 江戸時代の街道を行く」、「3市町の博物館、初共催」として大きく紹介された。

図1 共通チラシ表紙

図2 イメージキャラクター

   (左:たびとくん、右:うまのすけ) − 82 −

1.那須与一伝承館

 ⑴企画展の開催

①展示概要

 那須与一伝承館では企画展「奥州道中-大田原の街道と宿場-」と題し、奥州道中の概要や佐久山宿と大田原宿について、さらには石上宿を通過していた会津中街道や、大田原宿と今市宿を結んでいた日光北街道、大田原宿と福原村を結んでいた福原道、喜連川宿~佐久山宿(和田村付近)で奥州道中から分岐し、福原村や黒羽城下を結んでいた黒羽道中について紹介した。

 企画展の構成は、ⅰ奥州道中とは、ⅱ佐久山宿、ⅲ大田原宿、ⅳ大名行列と宿場、ⅴ物流と街道、ⅵ旅と街道、ⅶ北那須の街道の7章立てとし、写真パネルを含めて71点を展示した。この内、19点は初公開資料であった。また、開催に合わせて展示会図録(A4判、96頁、1,300円)を刊行した。

 奥州道中の概要については、会津若松から春日部までの道中を描いた「道中案内」(福島県立博物館所蔵)や、清水秋全が寛延4年(1751)に南部藩主の命を受けて江戸桜田から盛岡までの道中を描いた「武奥増補行程記」(国立国会図書館蔵)に加え、現況写真を展示した。

②佐久山宿と大田原宿

 佐久山宿は、日本橋から数えて21番目の宿場で、交代寄合福原氏3,500石の陣屋町である。「奥州道中宿村大概帳」によると、天保14年(1843)時点で本陣と脇本陣が1軒ずつ、旅籠屋が17軒あり、人口は473人であった。本展示では関連資料として、「佐久山宿絵図」(寛政12年)、「佐久山宿絵図」(安政2年)、「俎板(本陣所用)」、「金巻絵平椀(本陣所用)」、「膳(本陣所用)」、「火鉢(本陣所用)」の6点を初公開した。

 大田原宿は、日本橋から数えて22番目の宿場で、大田原藩(大田原城)1万500石の城下町である。「奥州道中宿村大概帳」によると、本陣は2軒、脇本陣は1軒、旅籠屋は42軒あり、人口は1,128人であった。本展示では関連資料として、正徳3年(1713)の「大田原宿図(模本)」や「御大名様日記控」、「助郷村高帳」等の本陣家伝来資料のほか、上杉弾正大弼が宿泊した際の「関札」、「大田原藩主行列図(嘉永四年十一月御乗出シ之行烈)」などを展示した。また、文政2年(1819)に宿内に建立された常夜燈の金燈籠についても台座・竿の拓本や古写真を展示した。さらに、「大田原城並郭内屋敷図」(当館蔵)に記されている「江戸堀道」について、慶長5年(1600)に徳川軍が上杉景勝軍の南下に備えるために普請したと伝えられる「江戸堀」が、享和3年(1803)時点で道として使われていたことを紹介した。

③脇街道

 脇街道の関連資料としては、「会津中街道絵巻」(栃木県立博物館蔵)や「会津藩廻米絵図」(福島県立博物館蔵)、「関海道絵図」(個人蔵/栃木県立文書館寄託)、「黒羽道中図画」(大田原市黒羽芭蕉の館蔵)などを展示した。

 (2)関連企画の開催

 関連企画として、記念講演会を2回開催した。第1回は11月13日に常盤大学教授の平野哲也氏をお招きし、「大金家文書から見る那珂川の舟運」をテーマに開催した。舟運は、近世の物流を語る上で陸上交通と併せて重要なテーマである。平野氏の講演では、那珂川舟運や黒羽河岸の概要のほか、大金重貞が構想した通船計画についてお話しいただいた。

 第2回は11月27日に栃木県歴史文化研究会顧問の大嶽浩良氏をお招きし、「とちぎの街道-下野国の街道と、その歴史的変遷-」をテーマに開催した。大嶽氏の講演では、古代の東山道駅路や中世の奥大道、近世の日光道中・奥州道中、近代以降の新陸羽街道や東北自動車道など、下野国・栃木県に関する道路の概要について通史的にご紹介いただいたほか、道路が歴史の中で様々な役割を果たしてきたとご紹介いただいた。奥州道中については、河川や弥五郎坂のように難所が多く通行に難儀した一方で、奥州の大名だけでなく黒羽藩や大田原藩、烏山藩など下野北東部の諸大名の参勤交代の経路としても重視されていたことをお話しいただいた。

写真1 那須与一伝承館展示風景− 83 −

2.那須歴史探訪館

 ⑴企画展の開催

①展示概要

 那須歴史探訪館では、「奥州道中と芦野-しもつけ最北の宿場町-」と題し、現在の那須町大字芦野に存在した奥州道中芦野宿を中心に、間の宿である寄居や奥州との境目に鎮座する境の明神について紹介した。芦野宿は、日本橋から数えて奥州道中25番目の宿場町であると共に、交代寄合旗本芦野氏3,016石の城下町でもある。芦野宿を過ぎ北上するとすぐに黒羽藩領となり、境の明神を越えると白河藩領となる。今回は芦野宿から境の明神までの道中に関連する古文書・絵図・考古遺物を展示した。

②芦野宿

 関東最北の宿場町である芦野宿は「奥州道中宿村大概帳」によれば、天保年間に南北4町30間余(約1,030m)あり、家数168軒、人数350人の規模を有した宿場町であり、本陣(臼居家)1軒、脇本陣(吉川屋)1軒、問屋(戸村家)、旅籠25軒が存在したことが記されている。

 本展示では「芦野宿の規模ときまり」として、芦野宿内の「鳴物停止」について取り上げた。特に安政4年(1857)に亡くなった芦野氏27代芦野資原の事例では、「年中御触留記」(山田家文書・当館蔵)から、宿内では普請10日・鳴物50日・殺生100日が停止されていたことを示した。また資原の実父・交代寄合旗本福原内匠資功が安政3年(1856)に亡くなった際には、普請7日・鳴物50日・殺生50日が停止されていることがわかり、殿様や親類問わず芦野宿では鳴物が50日間停止されていることが示された。

 また、「芦野氏と参勤交代」と題して奥州の諸大名の参勤交代に伴い遺された資料も展示した。関札や黒石藩の先触を展示すると共に、「御大名様御通行出役覚」(山田家文書・当館蔵)が展示され、芦野宿を通行する諸藩の名前と共に交代寄合旗本芦野氏側の使者・町支配役などの名を確認することができる。

③間の宿・寄居村

 寄居村は、奥州道中の芦野宿-白坂宿間の「間の宿」であり、黒羽藩領である。江戸時代に黒羽藩寄居西組名主を務めた寄居村・松本家の旧蔵資料を紹介し、「寄居西組名主家屋敷絵図」(当館蔵)や「伝大関公使用膳」(当館蔵)、寛政5年(1793)作の小泉斐「鯉図」(当館蔵)などを展示した。

④境の明神

 境の明神は、関東・奥州の境目に鎮座し、現在も両側に1社ずつ存在する。関東側は天喜元年(1053)の勧請と伝えられており、江戸時代には仙台藩や南部藩などが参勤交代の折に参拝している記録が遺されている。周辺には名物の餅を出した茶屋の存在や、高札場の存在が「武奥増補行程記」などで確認することができる。

 展示では、国道294号の拡幅工事に伴う令和元年(2019)に行われた発掘調査で出土した、「ひょう燭」、「土製大黒天」、「銅製大黒天」、「磁器皿破片」(いずれも栃木県教育委員会蔵)などを展示し、発掘調査後初めてその成果を地元で紹介した。

 ⑵関連企画

①史跡見学会「奥州道中芦野宿を歩く」

 関連事業として、11月20日に「奥州道中芦野宿を歩く」を開催し、19名が参加した。見学会では、芦野宿内にある名所・旧跡を散策し、日本三所聖天と伝えられる三光寺や芦野宿の境に置かれた川原町・新町の両地蔵尊、芦野宿本陣跡(現・石の美術館)や問屋跡(現・町営仲町駐車場)などを巡った。

②講座「奥州道中芦野宿」

 12月17日には、「奥州道中芦野宿」と題して、郷土史家・伊藤晴康氏をお招きし、芦野公民館を会場に講座を実施し、23名が参加した。講座では、奥大道から始まる芦野地区の道の歴史を導入として、道興が記した「廻国雑記」などの紀行文に見る芦野の景観、古新町や往古街道の存在から見る奥州道中芦野宿の変遷、芦野宿の江戸時代の様子をお話しいただいた。

写真2 那須歴史探訪館展示風景− 84 −

3.那須野が原博物館

 ⑴ギャラリー展の開催

 那須野が原博物館では、ギャラリー展「那須塩原市の近世街道」として、那須塩原市域に通っていた近世の街道に焦点を当て、街道の路線や宿場、道標や一里塚について紹介した。

 那須塩原市では、明治17年(1884)に三島通庸によって開削された新陸羽街道・塩原新道といった近代の道が注目されることが多いが、近世においても主要な街道が市域を通っていた。今回の展示では、五街道の一つである奥州道中、脇街道であり物資輸送を主とした原(方)街道、参勤交代で会津藩主も利用した会津中街道について取り上げた。

 那須塩原市域には、奥州道中の宿場として鍋掛宿・越堀宿があった。鍋掛宿は江戸から41里8丁(約161㎞)、日本橋から数えて23番目の宿場である。「奥州道中宿村大概帳」によると、長さは東西5町余(約550m)で、宿内は西から古町・中町・東町に分かれていた。2軒の問屋が1日交替で任務にあたり、人馬継立は芦野宿までの片道勤めだった。越堀宿は江戸から41里17丁(約162㎞)、日本橋から数えて24番目の宿場である。正保3年(1646)に正式に宿場として認められた。「奥州道中宿村大概帳」によると、宿場の長さは南北4町半(約491m)、宿内は南から下町、中町、上町に分かれていた。2軒の問屋が1日交替で任務にあたり、人馬継立は大田原宿までの片道勤めだった。

 奥州道中は、明治6年(1873)に陸羽街道と称されるようになり、明治9年(1876)の奥羽巡幸(東北巡幸)と明治14年(1881)の北海道山形秋田巡幸(東北北海道巡幸)において、越堀宿で昼食をとったという記録がある。このとき明治天皇が昼食をとられたのは、越堀宿本陣の藤田家で、昭和4年(1929)にこれを記念して「明治天皇御駐輦之碑」が建てられた。また、浄泉寺には明治天皇の飲用に供したという「御膳水」と呼ばれる湧き水がある。

 原(方)街道は、正保2~3年(1645~1646)にかけて会津藩によって整備された白川(福島県白河市)と奥州道中の氏家宿(栃木県さくら市)を結ぶ街道である。廻米などの物資輸送を専門とする脇街道で、本陣・脇本陣・旅籠等の宿泊施設は設けられなかった。

 会津中街道は、元禄8年(1695)に整備された会津若松(福島県会津若松市)と奥州道中の氏家宿(栃木県さくら市)を結ぶ街道である。天和3年(1683)の日光地震で戸板山(葛老山)が崩れ、男鹿川がせき止められて湖となり、会津西街道が通行不能となったことから、その代替えとして開削された。宝永元年(1704)に脇街道に編入され、その後享保8年(1723)の大地震でせき止められていた男鹿川が決壊し、再び会津西街道が通行できるようになると、交通量は減少したといわれている。

 展示資料としては、奥州道中越堀宿の「助郷の割札」や「天童御飛脚宿」と記された「関札」、御巡幸の際に使用された「行在所建札」などを紹介した。また、会津中街道の板室本村から板室温泉へのみちしるべとして天保7年(1836)に建立された道標や三斗小屋宿などの写真パネルもあわせて展示した。

 ⑵関連企画の開催

 関連事業として、12月10日に史跡見学会「奥州道中鍋掛宿・越堀宿を歩く」を実施し、15名が参加した。見学会では、鍋掛公民館を出発して正観寺山門、芭蕉の句碑、鍋掛宿本陣跡・問屋跡、那珂川の渡し、越堀宿本陣跡・問屋跡、不動堂境内(御前水・不動堂・宝篋印塔・明治天皇御輦之碑・黒羽領境界石)、官修墳墓、桝形を巡った。

写真3 那須野が原博物館展示風景

写真4 見学会風景− 85 −

4.リレー講座「奥州道中と那須の宿場」

 ⑴概要

 北那須3館共催展の関連企画として、12月4日にリレー講座「奥州道中と那須の宿場」を那須与一伝承館多目的ホールで開催した。本企画では、来場者に基調講演や講座を通して北那須を通過した奥州道中や原(方)街道、さらには奥州道中の佐久山宿・大田原宿・鍋掛宿・越堀宿・芦野宿について理解を深めていただいた。各宿場の事例報告については、3館の展示会担当者がそれぞれ報告した。タイムスケジュールは下記のとおりである(参考1参照)。

参考1 タイムスケジュール

13:30 開会

13:30~13:35 挨拶・趣旨説明

13:35~14:35 基調講演「北那須の街道」

14:35~14:45 休憩

14:45~15:15 講座1「佐久山宿・大田原宿」

15:15~15:45 講座2「鍋掛宿・越堀宿」

15:45~15:50 休憩

15:50~16:20 講座3「芦野宿」

16:20 閉会

 ⑵内容

①基調講演

 那須野が原博物館長の松本裕之氏に「北那須の街道–廻米輸送を中心として–」をテーマにご講演いただいた。本講演では、江戸時代に北那須地区を通過した奥州道中や会津中街道、原(方)街道、関街道といった主要街道の概要について解説していただいた。また、廻米の輸送経路や物資輸送をめぐる奥州道中と原街道・関街道の争論の事例をご紹介いただいた。さらに、北那須地区を通過した近世街道の特色として、「白河や会津から阿久津河岸や板戸河岸の鬼怒川水運につながる南北の街道」として奥州道中や関街道、会津中街道があり、大田原を起点として那須地区を東西に横断する日光北街道が通過していることをお話しいただいた。

②講座1「佐久山宿・大田原宿」

 「奥州道中宿村大概帳」をもとに佐久山宿と大田原宿の概要について解説したほか、佐久山宿に関する新出資料として本陣伝来の調度品や宿場の町並図を紹介した。また、大田原宿については「御大名様日記控」の見出しをもとに、本陣で休憩ないし宿泊した大名の一覧を提示した。このほか奥州道中の名残として、巻川に架かる県道72号線の二本松橋(大田原市中田原)の名前が、奥州道中の名所であった「大田原の二本松」に由来していることを紹介した。

③講座2「鍋掛宿・越堀宿」

 「奥州道中宿村大概帳」をもとに鍋掛宿と越堀宿の概要について解説し、各宿の現況を「奥州道中分間延絵図」と比較しながら紹介した。また、鍋掛宿と越堀宿は那珂川を挟んで近距離にあったが、その理由について那珂川の渡船場があったことや大田原宿までの距離が長かったこと、芦野宿までは山道が続き難路であるなどの地理的要因を指摘した。

 さらに、明治9年と明治14年の明治天皇の御巡幸で越堀宿本陣の藤田家は御休息所として使用され、これを記念し昭和4年に「明治天皇御駐輦之碑」と刻んだ記念碑が建立されたことを紹介した。なお、記念碑は現在那須塩原市越堀にある浄泉寺(不動堂)境内に移設されている。

④講座3「芦野宿」

 「奥州道中宿村大概帳」や「創垂可継」をもとに、芦野宿や芦野宿と白坂宿の間にある寄居村・境の明神村の概要について解説したほか、芦野宿での鳴物停止令の実施や天狗党とのエピソードについて、「御用書留控」や「武田耕雲斎及簗瀬大膳書状写」などの那須歴史探訪館所蔵資料から紹介した。

 また、芦野宿に関する文書史料の課題について、現存する史料の大半が武士層のものであり、本陣や問屋の家が既に所在しないため交通・輸送関係の史料が乏しいという問題点を挙げ、芦野宿に関する交通・輸送の実態を探るためにも、近隣の白坂宿や越堀宿・鍋掛宿の史料が重要となると指摘した。

 さらに、代替わりや引っ越し、空き家化、オークション、断捨離などで地域の歴史を語る資史料が次々と散逸しており、「江戸時代や近代以降の古文書や文化的な資料が失われ、地域の歴史がわからなくなる」と指摘した。そしてこの問題は、博物館・資料館だけの問題ではなく、自治体として取り組んでいく問題であり、今後どのように捉えていくべきか考える必要があると課題を提起した。

 ⑶来場者の評価

①アンケートの実施

 本企画を開催するにあたり、来場者全員にアンケート用紙を配布した。アンケートでは、ⅰお客様− 86 −

の年齢を教えてください、ⅱどちらからお越しになりましたか、ⅲこのイベントをどこでお知りになりましたか、ⅳお聴きになった感想、ⅴ今後どのようなテーマの企画展を希望されますか、という5つの項目についてご回答いただいた。来場者数88名の内、85名からご回答いただいた。

②来場者の内訳

 来場者の年齢層は60代が最も多く、35名であった。次いで70代が29名で、50代が7名、80代が5名、30代が3名、40代が2名、20代と90代が各1名という構成であった。また、来場者の居住地は開催地の大田原市が33名と最も多く、那須塩原市が29名、宇都宮市が8名、那須町が6名、矢板市・那須烏山市が各2名、鹿沼市・日光市・さくら市・那珂川町が1名という内訳であった。開催地が栃木県北部という地理的な要因もあり、栃木県南部からの参加者はいなかった。また、県外からは福島県在住の方が1名参加された。

 本企画を知った広告媒体としては、チラシが31名と最も多く、各市町の広報誌が26名、新聞記事が11名であった。

③来場者の評価

 来場者の評価(感想)は好評で、「とても良かった」、「身近な話だった」、「史跡(街道)を巡りたい」といった感想が多かった。また、3館共催という形態についても好評であり、街道以外のテーマでも共催展の開催を希望する声もあった。以下、自由記述していただいた感想を一部抜粋する(参考2参照)。

参考2 来場者の感想

・大変興味深かった。

・展示資料の解説が良かった。

・身近な話だったので楽しく聴くことができた。

・今後も史跡巡りを楽しみたい。

・昔の絵図と現在の写真との比較だったのでわかりやすかった。

・地区のつながりがわかりやすく、とても興味深く傾聴した。

・現地を訪れ近世の宿場が今どうなっているのか比較したい。

・家の近くを奥州道が通り、街道ウオーカーの人たちも見かける。自分もいつか歩いてみたいと思っている。宿場についての知識が増えるのは、歩いていてもより楽しいと思った。

・基調講演は複雑な那須地域の街道及び廻米の様相を垣間見ることができたので大変興味深かった。

・複雑につながった街道に今までの街道の概念を見直す思いで、大変新しい景色を見せていただいた。

・3館リレー講座は良かった。

・「3館同じものを目指して」という点がとてもGOOD。

・3館連携のイベントを継続して欲しい。

おわりに

 本稿では、北那須3館共催展と関連企画(リレー講座)の実施内容について報告した。

 単館での展示会開催には、内容(資料数)や広報活動の点で限界がある。共催展とすることで、より充実した内容の展示会を開催できるほか、各市町の広報誌や各館のネットワークを活かした広報活動を展開することができる。また、スタンプラリー等を開催することで、広域での周遊も可能となる。

 北那須地区で今後共催展が可能なテーマとしては、下野国北部に居を構えた有力武家の「那須七騎」、江戸時代の物流を支えた「那珂川舟運」、日本遺産に認定された「明治貴族が描いた未来~那須野が原開拓浪漫譚~」、昭和43年(1968)に全線廃止となった「東野鉄道」などがある。関連企画「リレー講座」で実施したアンケートでも、これらのテーマの展示会開催や3館連携イベントの継続を望む意見が多かった。

 今後も自治体の垣根を越えて広域的な連携を図り、魅力ある北那須地区の歴史や文化を発信していきたい。そうした取り組みが、地域のみならず、博物館・資料館の価値を高める一助にもなる。

参考文献

大田原市那須与一伝承館『奥州道中-大田原の街道と宿場-』令和4年

児玉幸多校訂『近世交通史料集6 日光・奥州・甲州道中宿村大概帳』吉川弘文館 昭和47年

栃木県教育委員会事務局文化財課編『栃木県歴史の道調査報告書 第二集 日光例幣使道 奥州道中』 平成23年

栃木県教育委員会事務局文化財課編『栃木県歴史の道調査報告書 第三集 会津西街道 会津中街道 大田原通会津道 原街道(原方道)足尾道』平成27年

栃木県那須郡黒羽町教育委員会編『黒羽藩政史料創垂可継』柏書房 昭和43年

栃木県立博物館『とちぎの歴史街道-みちの世界へ-』平成17年

 
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