抄録
アジアに分布するトリカブト属植物(キンポウゲ科)の分類学的研究の一環として,前報(本誌,9,1-8,1996)の中央アジア・天山山脈のAconitum rotundifolium KAR. & KIR.とA. zeravschanicum STEINB.の2種に引き続き,西ヒマラヤ産の2種Aconitum heterophyllum WALL. ex ROYLEとA. kashmiricum COVENTRYについて,標本調査の結果にもとづいて異名を整理して再記載を行った.A. kashmiricumについては既にレクトタイプ(選定基準標本)が選ばれていたが,選定の根拠に問題があったため,新たにレクトタイプを選び直した.
A. heterophyllumは種形容語(種小名)が示すようにふつう分裂しないで欠刻のある茎葉をもち,次のA. kashmiricumや韓国・智異山のA. austrokoreense KOlDZ.,中国・四川省のA. racemulosum HAND.-MAZZ.などとともに,トリカブト属にあって特異な存在である.花の色は緑色と褐色を帯びた灰紫色で濃い紫色の脈が目立ち,中央アジアから西ヒマラヤにかけて分布するAconitum rotundifoliumの色調によく似ている.上萼片は舟形であるが,側萼片の形態が独特で,著しく歪んだ非対称の卵形となり,向軸側に長い集粉毛を欠く.花弁の距はほとんど直立する爪(柄部)の先の舷部の頂端につき,頭状となる.舷部の側面には小さな膨らみがあり,唇部は非常に小さく上向きに伸び,全縁である(Fig. 2,A-B).A. heterophyllumはパキスタンからネパール中部に分布し,標高2700-4000 mの草原にはえる.
A. kashmiricumは1930年に発表された種であるが,これまではA. heterophyllumと混同されたり,あるいは無視されてきたものである.これはA. heterophyllumが非常に外部形態の変異に富んだ種であり,高山帯に生育すると著しく小型(高さ10cmほどにしかならない)になり,かつ少数花(2-3花あるいは単生)をつけるため,一見して両者は非常によく似ているためである.しかし,A. kashmiricumはA. heterophyllumと花の色や花弁の形などで明瞭に区別され,外見上の類似は「他人の空似」である.とりわけ,花弁の距は頭状というよりはコブ状で,舷部の後方につく.舷部の側面には膨らみがなく,唇部は小さいながら明瞭に2裂する.爪が著しく内曲し,舷部→距への開口部が内側を向くのもはっきりした相違点の一つである(Fig. 2,C-D).A. kashmiricumはカシミールの固有種で,標高3000-3500 m の草原に生育する.
A. kashmiricumのレクトタイプはQURESHIによって既に選定されている.この標本は英国のキュー植物園の標本庫に保管されている.コヴェントリィ自身によってカシミールで採集されたCOVENTRY 654 (Fig. 1,D)である.キュー植物園には全部で11葉のCOVENTRY 654が収められているが,これらは全てA. heterophyllumと同定されるものである.さらに,COVENTRY 654はA. kashmiricumの原記載とも,そして同じくキュー植物園に収められているコヴェントリィ自身による手書きのメモとも一致しない,したがって,国際植物命名規約(東京規約1994),第9.13条,同勧告9A.2及び9A.3にもとづいて,QURESHIによって行われたレクトタイプ選定は改められなければならない.そこで,コヴェントリィの手書きのメモにA. kashmiricumとして記されているCOVENTRY 58のうち,原記載に最も一致する標本(Fig. 3,A)をレクトタイプとして改めて選定し直した.