抄録
郡山遺跡は,宮城県仙台市太白区郡山の地にあり,東北地方で最古の官衙,寺院跡である。それらの存在は,同時代の記録である日本書紀や続日本紀には記されていない。土器や瓦が出土したことは大正末年以降に報告されるようになるが,昭和54年に発掘調査が実施されてからその実態が徐々に明らかになってきた。仙台市教育委員会では,昭和55年から国庫補助事業により継続的な発掘調査を進め,7世紀中頃からのI期官衙と,それを建替えたII期官衙,さらに郡山廃寺の調査を行なってきた。その内容は多賀城が造られる以前の日本列島北部の在り方を解き明かすに足るものであった。とりわけ方四町II期官衙の中心に位置する石組池や石敷遺構は,当時の宮が置かれていた飛鳥地方との直接的な繋がりがなくては存在しえず,蝦夷への服属儀礼や饗宴が現地でも行なわれていたことを想起させる。また周辺の南方官衙や寺院東方建物群,西方建物群を含めたII期官衙全体の配置や,多賀城廃寺との伽藍や軒丸瓦の類似性からは多賀城創建以前の陸奥国府として考えざるをえない内容となっている。本稿は調査が25年を経過したことを機に,その内容の概略を述べたものである。