日本考古学
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大和紀寺(小山廃寺)の性格と造営氏族
小笠原 好彦
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2004 年 11 巻 18 号 p. 93-109

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抄録

紀寺(小山廃寺)は大和の飛鳥に建てられた7世紀後半の古代寺院で,小字キテラにあることから紀氏が造営した寺院とされている。『続日本紀』には紀寺の奴婢を解放する記事があり,これによると天智朝に飛鳥に建てられていたことがわかる。
この寺院に葺かれた雷文縁複弁八葉蓮華文軒丸瓦は紀寺式軒丸瓦とも呼ばれ,畿内では山背の古代寺院に顕著に葺かれ,さらに地方寺院にも多く採用されている。しかし,近年の研究ではこの瓦当文様が地方寺院まで分布すること,また紀寺に藤原宮から軒丸瓦の瓦当笵が移されていることなどから,紀氏の寺院ではなく,官寺の高市大寺とする考えがだされている。
一方,紀寺は1973年(昭和48)以降,数回にわたって調査され,藤原京の条坊に伽藍中軸線をあわせて建立されていることが判明した。このことは藤原京の条坊施工が開始した天武5年(676)以前には遡れない可能性が高く,紀氏が建てた寺院とはみなしにくくなった。
紀寺式の雷文縁複弁八葉蓮華文軒丸瓦のうち,最古式のものは山背の大宅廃寺に葺かれ,紀寺と大宅廃寺は少なからず関連をもつ寺院であったとみなされる。この大宅廃寺の軒平瓦の一つである偏行忍冬唐草文の瓦当笵は,後に藤原宮の瓦窯に移動しており,この寺院を藤原氏の寺院とみなす考えがだされている。また平城京に建てられた興福寺の同笵軒瓦が出土する飛鳥の久米寺も藤原宮に軒瓦を供給しており,二つの藤原氏の寺院が藤原宮の屋瓦生産に深く関与している。大宅廃寺と関連をもつ紀寺(小山廃寺)に藤原宮の瓦窯から瓦当笵が移されたのは,この寺院も藤原氏ときわめて関連が深いものであったと推測する。そして,この性格を考えるには,紀寺(小山廃寺)が岸俊男説の藤原京左京八条二坊,本薬師寺が右京八条三坊にほぼ対称の位置に建立された背景を検討する必要がある。また,創建瓦として葺かれた雷文縁複弁八葉蓮華文軒丸瓦は,持統天皇の乳部の氏寺に葺かれた瓦当文様を祖形にして創出されたものと思われる。

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