日本考古学
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立柱祭祀の史的研究
立柱遺構と神樹信仰の淵源をさぐる
植田 文雄
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2005 年 12 巻 19 号 p. 95-114

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抄録

祭祀形態の一つとして,祭場に柱を立てる立柱祭祀が世界各地の民族例に存在する。日本列島では,上・下諏訪大社の「御柱祭」が著名であるが,一般論としてこの起源を縄文時代の木柱列など立柱遺構に求める傾向が強い。しかしこれまで両者の関連について論理的に検証されたことはなく,身近にありながらこの分野の体系的研究は立ち遅れている。また,しばしば縄文時代研究では,環状列石や立石も合わせて太陽運行などに関連をもたせた二至二分論や,ラソドスケープ論で説明されることも問題である。そこでまず列島の考古資料の立柱遺構を対象に,分布状況や立地環境から成因動機・特性を考察し,立柱祭祀の分類と系統の提示,およびそれらの展開過程について述べた。考察の結果,列島では三系統の立柱祭祀が存在し,それらが単純に現在まで繋がるものでないことを指摘した。
次に視点を広げ,人類史の中での立柱祭祀を考究するために,世界の考古・歴史資料を可能な限り収集し,列島と同手法で時間・空間分布や立地環境,形態などの特性について検討した。対象とした範囲はユーラシア大陸全般であるが,古代エジプト,南・北アメリカの状況も触れた。合わせて類似する儀礼として,樹木の聖性を崇拝する神樹信仰をとりあげ,列島と関係の深い古代中国の考古資料と文献資料から,神樹と立柱が同義であったことを指摘した。さらに,近代以前の人類誌に立柱祭祀と神樹信仰の事例を求め,世界的な分布状況や特性を検討し,その普遍性について述べた。そして,これら考古・歴史・民族資料を総括して史的展開過程の三段階を提示し,立柱祭祀の根源に神樹信仰が潜在することも論理的に示すことができた。また,普遍的には死と再生の祭儀が底流しており,列島の縄文系立柱祭祀はその典型であることが理解された。
新石器時代当初には,生産基盤の森や樹木への崇拝から神樹信仰が生まれ,自然の循環構造に人の死と再生を観想して立柱祭祀がもたれたと考えられる。その後は,各地域の史的展開のなかで各々制度や宗教に組み込まれつつ,目的も形態も多様化したのである。

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