日本考古学
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北陸西部地域における飛鳥時代の移民集落
移民系煮炊具と竪穴建物構造,集落経営の視点から
望月 精司
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2007 年 14 巻 23 号 p. 67-88

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抄録

越前・加賀地域において7世紀は集落再編の画期にあたり,農業生産に適した沖積平野に分布する伝統的集落以外に,扇状地や台地など開発後進地域へ面的に広がる新規開発型の集落群が形成される。伝統的集落が掘立柱建物へ既に転換している時期に,当集落群では竪穴建物主体の集落を形成し,北陸西部では始めて造り付けカマドの付設をみる。
7世紀前半の集落では,6世紀からの伝統的技法を踏襲する煮炊具群で構成されるが,7世紀中頃から8世紀初頭にかけて,新規開発型の集落において近江・丹波などの近畿北部地域または朝鮮半島を故地とする煮炊具群が出現してくる。これら他地域系煮炊具群を人の移住によってもたらされた副産物と位置付け,本稿では移民系煮炊具とした。つまり,新規開発型集落は移民集落と言えるものであり,当集落の移民系煮炊具,竪穴建物様式から,移民の本貫地を探り,どのような移民構成で集落が形成されていったのかを検討した。
その結果,移民系煮炊具の分布から,近江と丹波,そして朝鮮半島を本貫地とする移民が混成した集団ではなく,単一移民系統の集団で構成されていた様子を看取できた。それら集団はまとまった居住領域をもちながら,集落単位,村落単位または郷単位で集住させられていたものとみられる。ただ,異なる移民集団間での相互交流が行われていた可能性も確認できた。
また,加賀地域の台地集落と扇状地集落とを当期の代表的な新規開発型集落と位置づけ,前者を丘陵部手工業生産地帯と一体的に営まれた工人集落兼手工業生産型の集落群,後者を大規模な農業生産振興を図るための農地開発型の集落群と性格づけた。前者の集落群が朝鮮系移民主体で編成されるのに対し,後者は丹波・近江の近畿北部系移民主体で編成される点で,それぞれの開発目的に応じた移民集団の選択が行われていたものと理解した。その管理経営は中央政権―国―郡のもとで支配統括されていたものと予想される。在地首長層が本拠を置く伝統的な集落域を避けて,それまで農地や集落域に適さなかった広域の開発後進地を対象に,先進的技術を保有する移民集団を計画的に配置していく樣は,律令初期の中央政権が描く地方支配政策をイメージできよう。

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