日本考古学
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近世長崎の発掘調査
近年の調査成果から
川口 洋平
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2001 年 8 巻 11 号 p. 161-168

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抄録

長崎は,元亀元年(1570)に大村純忠によって開港され,南蛮船が入港するようになって,歴史の舞台に登場した。以後,幕府の貿易制限にも関わらず近世を通じて国際貿易港市として栄え,独自の地位を占めるに至った。本稿では,近年盛んになった近世長崎の発掘調査の成果を時期を追って概観し,問題点や今後の課題などを抽出したい。
1980年代に始まった近世長崎の発掘調査は,1990年代に入って本格的になった。中国・東南アジア,ヨーロッパ産など,国際色豊かな遺物が出土することで注目を集めたが,狭い範囲の点的な調査例が増えてくると,遺構・生活面などの情報が錯そうし,遺跡全体の包括的な様相が理解しにくいという状況になっていた。これらの問題を解消し,研究の便宜を図ることを目的として,筆者は遺跡を長崎遺跡群として再定義し,表記法の整理を行った。また今回は,調査成果を順を追って概観するために,時期区分を設定した。考古学の視点からは,遺物・層位から,長崎I期から長崎VII期まで七区分を設定した。また,政治・経済状況の変化など歴史背景的な観点から,開港から大村領期,教会領期,豊臣公領期,徳川公領I期~IV期までの八区分を設定した。
長崎I期は,開港から豊臣公領期にほぼ相当し,中世的な遺構や青花を主体とする遺物が出土している。また,この時期の資料としてヨーロッパ製のガラス杯などがあり,南蛮貿易との関連が考えられ注目される。長崎II期は,徳川公領I期前半に相当し,引き続き青花が多いが,I期に比べると器種構成に変化がみられる。また,東南アジアや国産の瀬戸・美濃製品などが豊富になってくる。東南アジア産の増加は,朱印船貿易との関連が推測される。長崎III期は,徳川公領I期の後半に相当し,初期伊万里を含む時代である。長崎IV・V期は,徳川公領II期に相当し,寛文大火による焼土層から輸出向けと考えられる肥前陶磁がまとまって出土している。長崎VI・VII期は,徳川公領III・IV期に相当し,輸出向けのVOC銘皿や清朝磁器などが出土し,幕末まで海外交渉が継続したことを裏付けている。
今後の課題として,遺跡全体を包括する形での遺構面や生活面の検討が必要であると考えている。また,遺跡の構成や変遷を関連学問との連携を通して,幅広く研究を進めていくことも課題であると考える。

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