抄録
二〇一七年十一月に「杣中木村本家文書」がみつかった。既存の関連史料を突き合わせ、本稿で
は、尾張藩忍役人である甲賀者五人の成立過程、勤仕、家計・経済や諜報活動の実態を明らかにす
る。尾張藩には甲賀者十七人がいたが廃絶し、その後、寛文十二年(一六七二)の初代・木村奥之
助の召し抱えをきっかけに、甲賀五人が成立した。奥之助は、甲賀の在所に帰り、「家軍」を伝え
る家々の者たちと契約を結んでいる。甲賀五人が名古屋にきて射撃訓練をする際には、旅宿まで見
舞いに出向き、家督相続があるときは嫡子とともに甲賀まで行って儀式を行うなど、丁重に遇し
た。城下に住んだ奥之助家は生活費や、甲賀五人を自屋敷に滞留させるなどの費用がかさみ、窮状
を訴えるに及んでいる。諜報活動については、初代・奥之助は慎重な見方をもっていたようで、彼
の死後の享保八年(一七二三)から、七代藩主・宗春隠居謹慎の元文四年(一七三九)までの十六
年間において最も活発であった。