香川大学看護学雑誌
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認知症高齢者が内面を表出するうえでの生活環境の意味づけ
認知症高齢者が内面を表出するうえでの生活環境の意味づけ
日本家屋の施設での生活を文化的側面から捉えて
森河 佑季大森 美津子西村 美穂菊地 佳代子政岡 敦子
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研究報告書・技術報告書 オープンアクセス HTML

2020 年 24 巻 1 号 p. 27-41

詳細
要旨

本研究の目的は,認知症高齢者が内面を表出するうえで,日本家屋の施設の生活環境をどのように意味づけているのかを文化的側面から記述することである.研究デザインは,焦点を絞ったエスノグラフィーを用い,香川県内のK施設で,認知症高齢者A氏とA氏に関わる利用者・職員に参加観察を実施した.また,ヘルパーと職員にインタビューを実施した.分析は,生活環境を意味づけている場面について文脈を重視して抽出し,5つの領域に分類,コード化し,カテゴリーを見出し,関連性を記述した.本研究は,香川大学医学部倫理委員会の承認を得て行った.

A氏が内面を表出するうえでの生活環境の意味づけは,【家庭を感じ,安らげる場】【仕事の感覚を,持ち続ける場】【幾度も挑戦し,一喜一憂する場】の3つのカテゴリーと8つのコードで構成されていた.K施設は,利用者が自宅にいるような環境を創り,家族のように関わるといった考えをもつ職員達と日本家屋の物的環境が重なり合うことで【家庭を感じ,安らげる場】となっていた.また職員達は,認知症高齢者の行動には理由があると考え,A氏の言動を妨げずに見守っていた.そのなかで,A氏は【仕事の感覚を,持ち続ける場】や【幾度も挑戦し,一喜一憂する場】と意味づけていた.

A氏は,家庭を感じ安らぎながら,これまでの経験を幾度も再経験し,過去を振り返ることで,過去の後悔に折り合いをつけていた.これらの背景には,過去を何度も想起することができる生活環境とA氏の言動を見守り,家族のように関わる職員の考えがあった.また,A氏自身が,表現していることに寄り添う,聴き手の存在が重要であることが示唆された.

Summary

Our purpose was to clarify the significance of the living environment in a nursing facility designed with Japanese-style architecture for demented elderly in helping them express themselves from the cultural aspect. Participant observation was conducted for A, a demented elderly person, and staff who interacted with A at facility K in Kagawa Prefecture. Staff were also interviewed. Scenes reflecting the living environment were extracted focusing on the contexts, coded, and categorized, and then, relevance with A was described. This study was approved by the Ethics Committee of Kagawa University School of Medicine.

There were three categories of the meanings of the living environment for A that helped him express his feelings (“a place to feel at home and at ease”; “a place to maintain the feeling of being at work”; “a place to repeatedly take challenges and react to the outcomes”), and 8 codes. The staff’s efforts to create an environment where clients can feel at home and are involved like family members and the physical environment of the Japanese-style facility provided “a place to feel at home and at ease”.

The staff observed A’s behaviors without disturbing him since they believed that there are reasons behind the behaviors of demented elderly. It was assumed that A considered this facility as “a place to maintain the feeling of being at work” and “a place to repeatedly take challenges and react to the outcomes”. A dealt with his past regrets by repeatedly re-experiencing and looking back over the past while feeling at ease. This was supported by the living environment that allowed A to repeatedly recall his past, and by the staff who involved A as their family member. The results suggested the importance of people who closely listened to and embraced what A expressed.

はじめに

わが国の65歳以上の認知症高齢者数は,2012年に462万人と65歳以上の高齢者の7人に1人であったが,2025年には約700万人,5人に1人に達することが見込まれている1).認知症になると中核症状が現れ,身体的・環境的誘因が合わさることで行動・心理症状(以下BPSDとする)が出現し,介護者の負担が多くなるとされている.超高齢社会にある日本は認知症対策が進められ,認知症になっても本人の意思が尊重され,できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会の実現を目指すための取り組みが行われている.また,認知症高齢者に対する本質的理解も求められ,認知症高齢者独自の内的世界を知り,行動を捉えるための軽度認知症高齢者の日常での経験2)や認知症高齢者の世界3456)に関した研究などが近年では増加している.林5)は,認知症高齢者の生きる世界は,過去・現在の時空間を往還しながら生を育む本人とそれを持する滋養的環境の存在によって形成されていることを明らかにしている.戸田・谷本・正木6)は,他者と共に在る認知症高齢者の表現する姿は,高齢者を今取り巻く関係性と培われてきた関係性が多層的に交錯する様相を浮き上がらせ,認知症高齢者自身の在り方がこの場と不可分であることを示している.また,Naomi Feil7)は,認知症高齢者について,見当識障害があっても一番重要なことは,彼らが属する世界をもち,主体性を見つけ,自分を表現するという人間の普遍的な欲求を持ち続けていることと述べている.認知症高齢者は,認知症をもちながら,日々の生活における困難や不安に直面しながら生きている.また,介護者は,BPSDへの対応に困惑しネガティブな感情を抱きやすい8).しかし,認知症高齢者の言動の変化に着目し,認知症高齢者ひとり一人が持ち続けている精神・心理的,社会的欲求7)に目を向けることで,認知症高齢者が生き生きと暮らすことができるようなその人らしさを尊重した支援の視点をより深く得ることができると考える.

認知症高齢者や家族の生活を支える施設では,できる限り認知症高齢者の意思を尊重し,自立した生活が送れるように支援をすることが求められる.施設を利用している認知症高齢者と環境に関連した先行研究では,中庭を中心とした回廊型ユニットは,会話が多く,落ち着いた雰囲気を創り出すことが可能となり,わずかな空間の違い,入居者の違い,スタッフの違いによって大きな相違が生み出され9),「場」をうまく活用することで他者と自然に過ごすことができる10).また,認知症高齢者が安定した暮らしを維持するために定常化することが望ましい要素は【安心できる空間】【生活リズム】【主体の一貫性】である11).さらに,空間はケア体制と連動し,空間とケアの条件が,入居者の生活範囲や交流範囲をある面で規定する12)ことから,環境や空間が認知症高齢者の施設での生活にとって重要な役割を果たしていることが理解できる.認知症高齢者にとっての環境を理解することは,認知症高齢者が施設で生活するうえで,安心と安寧をもたらすために重要であるといえる.しかし,認知症高齢者における生活環境の意味に焦点を当てた研究は,ほとんどなされていない.認知症高齢者1人ひとりにおける生活環境の意味が明らかになると,その人らしさが理解できる.そして,その人らしさを活かした環境調整が可能になると考える.そのためには,認知症高齢者の生活環境の意味づけを明らかにする必要があると考える.

看護と文化に関する先行研究において,堀井13)は,ニジェールの農村部をフィールドとし,そこに暮らす女性という特定の文化集団に焦点を当て家族計画の意味と行動について,エスノグラフィーを用いて明らかにしている.またその意味づけは,文化や社会の姿を鮮明に再現しながら記述されているといえる.

本研究では,焦点を絞ったエスノグラフィーを用い,認知症高齢者が内面を表出するうえで,日本家屋の施設の生活環境をどのように意味づけているのかを文化的側面から探究し,明らかにする.そのことを通して,認知症高齢者ひとり一人のその人らしさの理解ができ,認知症高齢者の視点に近づくことで,生活の質を高める支援に繋がると考える.

目的

1. 本研究の目的

認知症高齢者が内面を表出するうえで,日本家屋の施設の生活環境をどのように意味づけているのかを文化的側面から記述することである.

2. 用語の定義

本研究では,次のように用語の操作的定義を行う.

1) 生活環境

人間が生活している空間とその周囲のすべてで,人間と相互作用をして影響しあうものである14).本研究での「生活環境」とは,認知症高齢者が生活している空間とその周囲のすべてで,認知症高齢者と相互作用をして影響しあうものとする.

2) 文化的側面

文化については,行動/唯物主義と認識という2つの主な概念化が存在する.行動/唯物主義的な見方からは,集団の行動や習慣のパターン,つくり出しているもの,そしてその集団メンバーの生活の仕方を通して観察できる.認識を重視する立場からみれば,文化は人々の集団が生活を送るのに用いる考え方,信念,知識からなる15).本研究での「文化的側面」とは,施設における人々の行動や習慣のパターン,つくり出しているもの,人々の集団が生活を送るのに用いる考え方,信念・知識などからの見方のこととする.

3) 日本家屋の施設

本研究での「日本家屋の施設」とは,木造建築で畳敷きの部屋が居室である施設のこととする.

方法

1. 研究デザイン

認知症高齢者が内面の表出をしている言動に注目し,生活環境の意味づけを文化的側面から明らかにするためには,現場に根差した調査が不可欠である.そこで,参加観察やインタビューに基づく焦点を絞ったエスノグラフィーを用いた.エスノグラフィーとは,特定の文化の中で生活する個人や集団の行動パターンを記述するものである.焦点を絞ったエスノグラフィーは,小集団における特定の文脈の中でみられる独特な問題に焦点を当てているエスノグラフィーのことである16)

2. 研究フィールドおよび研究協力者

1) 研究フィールド(図1

香川県内のショートステイセンターK(以下K施設とする)とした.K施設は,田園地帯に建てられ,日本家屋のたたずまいで中庭を中心とした回廊型である.廊下には手すりがなく,居室は,段差を軽度残しており,すべて畳で布団を敷いて就寝している.認知症高齢者は自由に行動できる状況にあり,オープンキッチンでは,職員とともに食事の用意,片づけをする認知症高齢者がいる.食堂は2か所にあり,利用者が日中多数坐っている.トイレは4か所,洗面台は5か所に分散配置され,洗面やトイレには無理なく行くことができる.利用者の定員は20名で,80歳代,90歳代の割合が多い.職員の人数は,10名である.職種に分類すると,施設長(相談員兼務)1名,看護師2名,介護職員6名,管理栄養士1名である.職員の年齢層は,10歳代後半から50歳代まで幅広く,20歳代が半数近くを占める.職員の服装は,画一的なユニホームではなく,ポロシャツと綿のパンツ(色は自由)を着用している.1日のスケジュールは,固定されておらず,朝食は8時,昼食は12時,おやつ15時,夕食17時30分を目安にしている.

図1

K施設の平面図

2) 研究協力者

研究協力者は,香川県内のK施設を10週目以降も利用していて,なおかつ,身体状態,心理状態が安定している認知症高齢者を主とした.(以下主となる研究協力者とする)そして,主となる研究協力者と関わりのある施設の利用者・家族・職員も含めた.

3. データ収集方法

データ収集は,参加観察,インフォーマルインタビュー,フォーマルインタビュー,基本属性の4つの方法で行った.データ収集期間は,平成25年4月から11月までの8カ月間であった.

順序は,まず参加観察から行い,しばらく経過した後,基本属性のデータ収集をし,同時にインフォーマルインタビューを開始した.その後は,参加観察,インフォーマルインタビューを継続した.そして,主となる研究協力者の言動の変化がみられた場面に関するデータがまとまり始めた頃(参加観察開始から約3か月後),フォーマルインタビューを実施した.また,主となる研究協力者の言動が不明確であった場合,参加観察中や参加観察直後は本人に直接確認をすることで信頼性を確保した.また,参加観察後時間経過している場合は,観察したことや観察の解釈を施設職員に確認することで妥当性の確保をした.

1)  参加観察

研究者は,「観察者としての参加者」の立場で参加観察を行った.主となる研究協力者の言動と生活環境に関する参加観察を7日間,合計17時間実施した.特に,主となる研究協力者が生活をしているなかで,会話内容や口調・声のトーン・表情・動作の変化や速度などといった言動の変化に着目した.参加観察中は,同意のもと,主となる研究協力者と関わりのある他の研究協力者の会話をICレコーダーに録音し,逐語録をデータとした.参加観察中に研究者が気づいた点や感じた点などをフィールドメモに記録した.参加観察後,参加観察内容をできるだけ速やかにフィールドノートに記録した.また,フィールドノートに記録した内容をデータとした.

2) インフォーマルインタビュー

主となる研究協力者の参加観察の際に,主となる研究協力者と会話のあった研究協力者を対象に行った.インフォーマルインタビューは,参加観察内容の意味づけを補助的に行うために,参加観察中や参加観察後に参加観察内容が不明確であった場合にのみ行った.内容は,同意のもとICレコーダーに録音し,逐語録をデータとした.

3) フォーマルインタビュー

半構成的面接とし,在宅から関わっている主となる研究協力者担当のヘルパー1名と施設職員1名を対象に,参加観察内容の意味づけを補完的に行うために行った.面接時間は,ヘルパーは40分,施設職員は12分であった.面接内容は,認知症高齢者を人として捉える視点と生活環境を加えた「主となる研究協力者の生活歴・健康状態・社会とのかかわり方・生活環境など」とした.面接方法は,質問項目(自宅の生活環境や生活歴,人との関わりや現在の健康状態,施設での言動に関すること)を提示し,口頭でも同様の質問をすることを説明した.そして,質問項目に沿って,自由に語ってもらった.面接場所は,研究協力者の希望を優先し,プライバシーの確保される施設の面接室で実施した.フォーマルインタビューの内容は,同意のもとICレコーダーに録音し,逐語録をデータとした.

4) 基本属性

病名,認知症の程度,年齢,性別,生活歴などを看護記録や介護記録から情報を得たものをデータとした.

4. 分析方法

参加観察内容を文字に起こした逐語録を,繰り返し読み込み,主となる研究協力者の会話内容や口調・声のトーン・表情・動作の変化や速度などといった言動に変化がみられた場面を文脈に重視し,抽出した.抽出した内容を,内面を表出している場面とし,その場面に関するフィールドノートの内容,インフォーマルインタビューとフォーマルインタビューの内容,基本属性のデータを5つの領域に分類した.5つの領域とは,行動や習慣のパターン,過去の出来事と過去の出来事との関連,物的環境,人的環境,人々の集団がもつ考え方・信念・知識である.これら5つの領域の根拠を以下に述べる.行動や習慣のパターンと人々の集団が持つ考え方・信念・知識は,文化の定義から抽出した.物的環境と人的環境は,文化の定義のなかにあるつくり出しているものとして抽出した.過去の出来事と過去の出来事との関連は,Naomi Feil7)が述べる認知症高齢者もつ特定の精神・心理的・社会的欲求が過去の出来事と関連していることを前提として抽出した.次に,内面を表出している場面を5つの領域に分類したものを類似性でまとめ,コード化をした.さらに,コードの類似性を比較検討し,カテゴリーを見出した.最後に,文化的側面に焦点を当てて記述した.なお,研究の分析の過程において,エスノグラフィーの専門家による助言を受けた.また,老年看護の専門知識と臨床経験を備えた実践者や研究者にデータや分析結果を提示し,議論を繰り返し,再分析を行うことで内容の妥当性を保証した.

5. 倫理的配慮

本研究は,香川大学医学部倫理委員会の承認(承認番号平成24-95)を得て実施した.研究協力施設へ研究の趣旨や研究の協力内容について口頭および書面を用いて説明をし,承諾を得た.対象となる研究協力者へは,研究の趣旨を文書と口頭で説明し,さらに研究以外の目的でデータを使用しないこと,プライバシーの保護,研究協力の拒否・中断の自由などを口頭および書面で説明し,同意を得た.研究内容の理解や同意についての判断が困難な認知症高齢者には,本人と家族に説明したうえで家族を代諾者とした.データ収集中は,認知症高齢者の言動から,拒否・中断の意思サインがないか,細心の注意をはらった.

結果

1. 研究協力者の概要(表1
表1 研究協力者の概要
主となる研究協力者 A氏
年齢 80歳代前半
性別 男性
認知症の種類 アルツハイマー型認知症
認知症高齢者の日常生活自立度 M
生活歴

5人兄弟の二男として生まれ4歳年上の女性と結婚した。

妻は,漁師町で生まれ育ち,江戸っ子のような話しぶりの小柄でしっかりものであった。夫婦の仲は良く,妻と縫製の仕事に就くが,弟の経営する串カツ屋が経営難となったため,引継ぎ,立て直し繁盛させるが,店が立ち退き対象となり,やむなく閉めた。後に,仲間と管工事会社を設立した。12年間働き定年退職時継続申請を出したが却下の通知が来たため仕事を継続できなかった。また,小型犬を息子のように可愛がっていた。

妻が他界後,仕事を辞めた頃より見当識障害が出現し,ヘルパーを開始した。後に,K施設を利用となった。当初は,筋力低下が著しく独歩が困難であったが,現在は,ゆっくりと自立歩行可能である。

施設の利用日数 318日
主以外の研究協力者 A氏と関わりのあった施設利用者

16名(敬称略)

(C・D・E・G・K・N・O・P・Q・R・S・U・V・X・Y・Z)

A氏と関わりのあった施設職員

6名(敬称略)

(α・β・μ・χ・γ・θ)

在宅から関わっているA氏担当のヘルパー 1名

1) 対象

香川県内のK施設利用の認知症高齢者A氏(以下A氏とする)80歳代前半を主となる研究協力者とした.また,A氏以外の研究協力者は22名であった.そのうち施設利用者は,40歳代から90歳代の16名であった.残りの7名は,在宅から関わっているA氏担当のヘルパー1名と,職員10歳代から50歳代の6名であった.

2) K施設の総利用日数

A氏が318日,A氏以外の施設利用者の平均利用日数は,709日であった.

3) A氏の概要

認知症の種類は,アルツハイマー型認知症で認知症高齢者の日常生活自立度はMであった.生活歴は,5人兄弟のなかで育ち,結婚後,幾度か転職したが,常に真面目で仕事一筋であった.夫婦の仲は良く,一緒に仕事をする機会が多かった.妻の他界後見当識障害が出現し,ヘルパーを開始したが,認知症症状が悪化したためK施設利用となった.当初は,筋力低下が著しく独歩が困難であったが,現在はゆっくりと自立歩行可能である.

2. A氏における生活環境の意味づけの記述

A氏における生活環境の意味づけは,3つのカテゴリーと8つのコードで構成されていた(表2).A氏における生活環境の意味づけのカテゴリーを【太文字】,コードを太文字,会話を「  」で示し,話の途中の沈黙を・・・・で表す.( )は話し言葉で分かりづらい部分の解釈を示す.利用者は英字,職員はギリシャ文字で名前を表記する.

表2 A氏における生活環境の意味づけ
カテゴリー コード
家庭を感じ、安らげる場 家族のように接してくれる人達の優しさを実感することで、心が穏やかになる
和室で寝起きし、利用者や職員と食事を共にし、愛犬といる日常を過ごし、穏やかな日々を送る
仕事の感覚を、持ち続ける場 食堂の隣のオープンキッチンで、毎食調理をする様子を見守り、時折手伝うことで、過去の仕事(串カツ屋)の感覚を取り戻そうとしている
居室のカーテンに触れ、干している洗濯物を見ることで、仕事(縫製)の難題をくぐりぬけようと奮闘している
回廊型の廊下を一周し、5か所の洗面台に触れ、他の利用者や職員を身内や仕事仲間と感じ、仕事(管工事)に対する責任感をもつ
玄関から他の利用者と職員が車で出かける様子を眺め、会社を連想し、過去の後悔を語り、折り合いをつける
幾度も挑戦し、一喜一憂する場 靴箱の沢山の靴を幾度も試し、自分に合う靴を見つけることで、喜びを感じる
一日に何度も会う利用者を、特別な人と感じ、声をかけることで、一喜一憂する

【家庭を感じ,安らげる場】

1) 家族のように接してくれる人達の優しさを実感することで,心が穏やかになる(写真123

研究者が,フィールドワークを始めて3日目のことである.A氏が食堂1とキッチンをつなぐ柱の近くで,両手をズボンのポケットに入れ,猫背で立っていた.そして,スタッフβさんがキッチンで食器を洗っているのをじっと見ていた.すると,スタッフβさんがA氏に「にこにこしとる.今日なんかにこにこしとる.」と話しかけた.研究者に聞こえないくらいの小さな声で,A氏がスタッフβさんにつぶやいた.スタッフβさんが「にこにこしとるか聞いてほしい?にこにこしていますか?Aさん.」と,A氏に聞いた後,研究者に質問を投げかけてきた.研究者は,にこにこしていることを告げると,スタッフβさんが「よそいきの顔しとる.なんかよそいきの顔しとる.Aさん.」とA氏にもう一度話しかけた.すると,A氏が「そなんいよる(そのように話している).ははは.」と笑った.そして,A氏が穏やかな表情のまま,洗い終えた食器を拭いているのを眺め,「上手やの.そやけど上手.」と話し,笑った.

スタッフβさんがA氏の機嫌が良いと感じているときには,「Aさん,機嫌がいいね.」といつも声をかけている.その理由は,「Aさんの機嫌の差が激しくわかりやすいため,機嫌が良いときには自然と話をしている,利用者さんには家族に接するような関わりを心がけている.」と語った.スタッフβさんが機嫌がよいと伝えたことに対して,A氏が拒否をすることはなかった.

昼前,A氏がいつものように猫背で食堂2からキッチンに向かってゆっくり歩いているのを見た研究者は,A氏の斜め後ろからついて行くことにした.すると,A氏がキッチンの入り口で立ち止まった.そして,研究者に聞き取れない声でスタッフγさんに笑顔で話しかけた.スタッフγさんは「南蛮漬けー.今日は機嫌がいいね.」と話しかけた.するとA氏が「あははは.」と笑った後,食堂1とキッチンをつなぐ柱の近くで,スタッフγさんが昼食を作っているのをじっと眺めていた.

スタッフγさんに機嫌の話をする理由を尋ねると,「Aさんの機嫌の良いときと悪いときの差が激しく機嫌がわかりやすいことと,機嫌の話をすると「そうか.」と言いながら笑うことがあること,Aさん自身が穏やかに過ごしていることを自覚してほしいから.他には,Aさんの存在感があるため,職員皆が機嫌の話をするのかな.」と答えた.

写真1

食堂1

写真2

キッチン

写真3

食堂2

2) 和室で寝起きし,利用者や職員と食事をともにし,愛犬といる日常を過ごし,穏やかな日々を送る(写真1456

マル(仮名)は,妻が他界する2年前より飼っていた小型犬である.子どものいないA氏夫婦は,マルを息子のように可愛がっていた.特にA氏は,マルのごはんを“まんま”と呼び,誰かが“えさ”と言うと怒っていた.自宅では,マルの“まんま(えさ)”の用意をしてから,自分の食事を摂っていた.また,マルの散歩を日課にしていた.

昼食前,食堂2の窓際のテーブルには,できあがったおかずやお味噌汁が入った鍋やフライパン,炊飯器,食器類(陶器製)が置かれ始めた.食堂1にいたA氏が,スタッフγさんと手をつなぎ,ゆっくり歩いて和室までやってきた.そして,和室の手前にある小さい四角テーブルの前で立ち止まり,畳にそのまま正座をした.奥の8人掛けのテーブル側には,UさんとBさん,研究者が坐っていた.A氏が,スタッフγさんの持ってきた昼食を,正座をしたまま黙々と最後まで食べ終えた.そして,「マルどこかいの?」と言いながら和室内を歩き,屈んだり,覗き込んだりしてマルを探した.K施設は,職員も利用者と同じ場所で同じ時間帯に食事を摂り,食事の準備も職員だけでなく利用者も一緒に行っている.また,おかずやご飯を食堂でつぎ分け,食器も同じ種類だけでなく,さまざまな食器を使用し,家庭環境に近づけている.それらの理由は,利用者と家族のように関わり,施設にいても自宅にいた頃を思い出してほしい,自宅に帰った時に家事ができるようになってほしいという職員達の考えからくるものである.

夜が明けだし,外からすずめの鳴き声が飛び交う頃,研究者が一人で食堂1にいると,A氏が居室から出てきた.そして,食堂1の洗面台に向かってゆっくり歩き,洗面台の鏡の前に立つと,「自分やの~ははは.」と笑った後,中庭を眺め,窓際まで歩き,窓を開けようとしたが開かなかった.その後,「なんせ・・・・まんま(マルのエサ)しょっか~中には何が入っとんかいの~.」と独り言のように呟き,テーブルの上にある広告を見た後,食堂1にあるトイレに入った.

別の日の夕方,靴箱の前で靴の品定めをし終えたA氏が食堂1まで歩き,隣にいた研究者に「雨は?」と尋ねてきた.研究者は「雨は,降りよらんよ(降っていないよ).」と答えた.すると,「さあ,マル,部屋行くぞ.」と言いながらキッチンの前を通り過ぎた.

写真4

食堂2

夕食前に並べられた食器

写真5

和室

写真6

中庭

【仕事の感覚を持ち続ける場】

1) 食堂の横のオープンキッチンで,毎食調理をする様子を見守り,時折手伝うことで,過去の仕事(串カツ屋)の感覚を取り戻そうとしている(写真12

A氏は,串カツ屋の大将をしていた過去を持っている.食堂1にあるオープンキッチンで毎食調理をしている様子を眺め,料理について話しかけることが多い.

朝の6時半過ぎ,A氏と玄関前の廊下にいると,O氏が朝食の材料を腕に抱え目の前を通り過ぎた.A氏がスタッフχさんに「あれなんな?」と尋ねた.すると,「今からごはんするんやて.」と返事があった.A氏が「そーなー.」と言って腕組みをし,猫背でキッチンに向かって歩きながら,O氏に「もうれいたん?(もうできたん?)」と話しかけた.O氏が「いまからや.」と答え,ささがきごぼうの袋をはさみで開けた.その様子をキッチン台の前でじっと見ていたA氏であったが,O氏の持病により,調理が中断してしまった.するとA氏が,調理途中のキッチンを見て「何作ろう.」と言いながら,エリンギの袋を開け,「はい.」と研究者にエリンギを1つ渡し,もう1つを「うまいうまい」とかじった.キッチンからは,ささがきごぼうとミンチを砂糖・醤油・みりんで煮込む匂いがしていた.

K施設では,利用者が自らの意思で調理をすることがある.その際,職員達は遠くで見守ったり,一緒に作ったりとさまざまであるが,第一に利用者の意思を尊重している.また,利用者に食事を皆で作る働きかけをしている.それらの理由は,主婦業や昔にしていたことを思い出してほしい,自宅に帰った時にできるようになっていてほしいという職員達の考えからくるものである.

梅雨の晴れ間が広がった日のお昼のことである.食堂1のソファーにA氏と研究者が座っていると,インゲン豆を袋から出す音や包丁で切る音,水道が流れる音,食器がこすれる音が聞こえてきた.キッチンでは,スタッフγさんが昼食の準備に取りかかっていた.食堂1では,他5名の利用者さんが椅子に坐っていた.A氏の目の前で,G氏がキュウリを切るリズミカルな音がしていた.その調理風景をしばらく眺めていたA氏だが,キッチンにやって来たスタッフβさんに注目した.そして,まな板の上に置かれているできあがったお肉のおかずを包丁で刻んでいる様子を見て,「まままままないに・・・・・・・・なに・・・・・・・・なにを.」と声を出した.研究者は「お肉ですね.」と答えたが,A氏からの返答はなかった.しかし,キッチンを眺めながら両手同時に親指と人差し指で何かをつまむようなしぐさをした後,両手の平を広げるしぐさを研究者に見せた.そして,スタッフγさんがキッチン台でおかずを刻み始めると,ソファーに座ったA氏が,右手の親指と人差し指をくっつけ,残りの指は丸めて上下に動かし,何か(包丁か串)を持っているような動作を始めた.

別日の昼食前,いつものように猫背で廊下を歩いていたA氏が,キッチンの入り口で立ち止まった.そして,研究者には聞きとれないぐらいの声で,スタッフγさんに話しかけ,キッチンに入った.すると,スタッフγさんが「南蛮漬けー.今日は機嫌がいいね.」とA氏に話しかけた.しかし,返答せずに食堂1とキッチンをつなぐ柱の近くで,昼食を作っているのをじっと眺めていたA氏であった.そこで研究者は,A氏の隣に立ち,「Aさんは作らんのですか?」と話しかけた.すると,A氏が「ああ.」と答え,キッチン台にある沢山の小あじを見ながら,左指を丸め,右の親指と人差し指をくっつけて右手首を3回まわす(小あじを串にさすような)しぐさをした.そして,流し台まで歩き,生ごみが入った袋を触った.それを見たスタッフγさんが,「これは,ごみやけんの~Aさん.」と話しかけた.するとA氏が,蛇口のレバーを持ち上げ水が流れるのを見た.そして,右手を振り,さっさっと水を飛ばすようなしぐさをした.スタッフγさんが,生ごみの入った袋を触ったA氏の行動を止めなかった理由は,行動を否定することで,A氏が混乱するかもしれないことや,その人らしさがなくなりそうだということからだ.

小あじを串にさすようなしぐさをした日の午後,A氏がキッチンで鍋を洗っていた.これまでA氏がキッチンで何かを洗ったことは一度もなかったため,A氏がK施設を利用してからの今までを知っているスタッフαさんも驚き,喜んで写真を撮ったほどの出来事であった.A氏がキッチンの流し台の前に立ち,水道を出すと,手で鍋を洗い始めた.研究者は,A氏の隣に行き,「洗ってくれよんですね.」と話しかけた.すると,A氏が「鍋をな.」と答え,それから話すことなく,写真を撮っていることも気に留めない真剣な顔で,鍋を洗い続けた.研究者は,A氏から少し離れた食堂1の椅子から,A氏の様子を見守ることにした.すると,A氏が鍋を洗い終え,鍋をキッチン台に置いた.次に,まな板をスプーンで洗い,合計25分間,他のことに目もくれずに鍋2つとまな板1つを洗い終えた.そして,ゆっくりと歩いて,食堂1にある黒いソファーに坐った.この後,スタッフθさんがいつものように夕食の準備を始め,キッチンから水道の流れる音やお米をとぐ音が聞こえてきた.いつもキッチンを眺めているA氏だが,この日はキッチンを眺めず,ソファーに坐ったままSさんと穏やかな表情で話をしていた.

2) 居室のカーテンに触れ,干している洗濯物を見ることで,仕事(縫製)の難題をくぐりぬけようと奮闘している(写真7,8

A氏は,妻とともに縫製の仕事をしていた過去をもっており,カーテンや衣類を見ると長さを測ったり,衣類に触れたりすることが多かった.また,洗面台があると持ち上げたり引っ張ったりした.

ある昼下がり,A氏が食堂1から洗濯干し場のある勝手口に向かって,廊下を歩いていた.そして,勝手口の横にあるY氏の居室に入りカーテンを触った.「ひっぱってみてーしょうがないの.よし,うまいことつこうてみるわ(使ってみるわ).」と言った後,ナースコールを手に取り,長さを指で確かめた.そして「いかんわ(だめだ).」と言いながら,Y氏の居室を出た.次に廊下に大量の洗濯物が干されている(梅雨の時期には,よく見る光景である)のを目にしたA氏が,「いかんわ.こんなんでは.」と言いながら,ハンガーをまとめ始めた.その後「まわしてみますわ.しかくのですわ.入っとるけんの.これがはまらんことには(入らないことには).」と言いながら勝手口に向かって歩き,勝手口の取っ手を回した.しかし,カギが閉まっており,開かなかった.A氏が「開かんのう.あら,ばっとしとるのう.」と独り言のように呟きながら,勝手口から食堂1の手前にあるQ氏の居室まで歩いた.居室では,Q氏が点滴を受け,布団の中で横になっていた.居室に入ったA氏が,Q氏の前で「○○○(会社の名前)マル,○○○よ.こっち暑い.むこうへ・・・・・・・・・・.カラスのほう.・・・・・困ったの.・・・・・マル・・・・・.なおらんのや.」と話した後,居室を出た.

写真7

廊下と勝手口

雨の日は洗濯干し場になる

写真8

居室

3) 回廊型の廊下を一周し,すべての洗面台に触れ,他の利用者や職員を身内や仕事仲間と感じ,仕事(管工事)に対する責任感をもつ(写真1

A氏が昼食を終え,食堂1のソファーに座ったのを見た研究者は,A氏の左隣に座った.すると,椅子に坐っているC氏がお箸でお茶碗やテーブルを「かんかんかんかん」と一定のリズムで,たたきはじめた.C氏は毎日この動作を長時間繰り返している.キッチンからは,食器を洗う音や電子レンジの音が聞こえてくる.A氏が他の利用者さんやスタッフさんについて,「弟夫婦,監督,課長,ひら,大きいの,さくしょう奏者」といった呼び方で,研究者に説明をし始めた.そして,「それでもう一回きれいになるやろ.・・・・・あれあれを・・・・・の.もれん(こぼれない).水がひとつ.楽な.」と話した.研究者は,A氏の言葉を繰り返しながら相槌を打って答えた.その後,A氏が研究者に「今日・・今日はの・・・・・あれしてから,ようようよう言うたけど,なんなん,あはは,いかなんだ(ダメだった).で,べちゃっときとったんや.で・・・・・ま・・・・・いえ・・・・・次直してきます.・・・・・へへ・・・・・次直しておきます.」と仕事がまだ出ていないことを詫びて,次回直すことを話した.この間,食堂1では,C氏がゆのみをテーブルに打ちつけ,お箸でお茶わんやゆのみをたたき,多様な音を奏でていた.C氏が音を奏でていた回数は13回,時間は長くて60秒間で短くて8秒間,合計354秒であった.

この日の夕方,研究者は,食堂1でA氏が洗面台を押さえたり持ち上げたりしているのを見た.研究者は,「あぶないね.(洗面台が)持ち上がっりょるから(持ち上がっているから),置いときましょうか.」と伝えた.すると,A氏が洗面台から手を離し,歩いて椅子に坐った.そして,テーブルの上にあるティッシュで口を拭き,大息をついた後,右斜め前にいるC氏に向かって「課長!こんなん,これくらいでは.」と右手の親指と人差し指の先をくっつけて大きな声で話しかけた.C氏は気に留めず,広告をめくっていた.

4) 玄関から他の利用者と職員が車で出かける様子を眺め,会社を連想し,過去の後悔を語り,折り合いをつける(写真9

A氏が仲間と設立した会社を定年退職した頃の話をヘルパーに聞くと,「本当はもっと仕事をしたかったと思う.」と代弁していた.

昼食後,A氏と研究者は,玄関前の廊下で立っていた.すると,D氏とスタッフγさんの乗ったシルバーの軽自動車が食材の買い出しに行く為に玄関前を通り過ぎた.いつもは玄関を開けているが,今日はエアコンをしているため戸が閉まっており,玄関の格子の間から車が見えた.その光景を見たA氏が「港・・・・一周していかないかん.」と言った後,仕事に対する思いを話し始めた.A氏の自宅は港の近くにあり,A氏が設立した会社もまた港の近くにある.その後,A氏が「のくのく残ってくれー(残ってくれと)言うて.」と言ったため,研究者は「残ってくれ言うて.」と繰り返した.すると,A氏が「おうおう言うたもんや(言ったものだ).」と,目を細め,両手をそれぞれのポケットに入れて,前かがみになりながら話し始めた.「かい・・・・・・会社のしゃあない,しゃあない.やさしそうな.・・・・そりゃあの.いつまでも(仕事)やってられん・・・・自分もおそまで(遅くまで)しゃべれたら,もっとはよう(早く)踏み切っとったらの.こっちでゆっくりできたのにの.ささびれ・・・・もっともっとはように(会社を)運営できとったらの,ゆっくりできるのに.意識消すまで・・・・やってきますわ.」と話した.研究者は,ゆっくりとした速さで話すA氏に合わせた口調で「はい.やっていきましょうか.」と答えた.すると,A氏から「よろしくたらんとってよ.」と返答があり,研究者は「うん.はい.」と答えた.

写真9

玄関

【幾度も挑戦し,一喜一憂する場】

1) 靴箱の沢山の靴を幾度も試し,自分に合う靴を見つけることで,喜びを感じる(写真8

ある日の夕方,食堂1のソファーに坐っていたA氏が間食の塩おにぎりを食べた後,立ち上がった.そして,ゆっくりとした足取りで,玄関に向かって歩き出した.研究者は,A氏の左後ろからついて歩いた.A氏が玄関にある靴箱の前で立ち止まり,靴を片足ずつ手に取り,履きながら研究者に話しかけてきた.「こうれは(これは),小さい,こっここれ,これを・・・・・そうでなしに(そうではなく),これでの.ええ(良い)?ここがのう.うんうん.これ.これはあったらいけん(これはあったらダメ).」と研究者に問いかけ,また独り言のように呟きながら,スリッパの大きさが違うものを履いては脱ぎ,また違うものを履きだした.玄関には,たくさんの靴が無造作に置かれていた.「またこれ,いけるやろ(良いね)?いけまへんか(良くないですか)?」「なかなか一番ええ.うん.これでもええわ~」と言いながら,研究者に同意を求め,自分に合う靴を選んでいた.最後に「これだったらいける.よっしゃ~.ん.よっしゃ行こう.」と言いながら,穏やかな表情で,食堂1にある洗面台に向かって歩き始めた.A氏は,一人で玄関から外へ出て行くときがある.この日は,約8分間,玄関前にいた.その間,キッチンにいたスタッフμさんが,A氏を気にかけながらも場所移動を強要することはなかった.その理由を聞くと,「Aさんは強要されるのが嫌な方で,何かの意思があって玄関にいると思うので,自分が動ける範囲内で見守り,Aさんが外に行きたくなったらついていく.」とスタッフμさんは答えた.

2) 一日に何度も会う利用者を,特別な人と感じ,声をかけることで,一喜一憂する(写真3

A氏と妻は,これまで縫製の仕事や串カツ屋の経営などの数々の仕事を一緒にしてきた.妻は他界しているが,江戸っ子のような性格と話し方で,A氏が調子の悪い時には,妻のように短めの言葉で話すと会話ができるとヘルパーさんが語った.A氏は,P氏が近くにいると,ほとんどといってよいほどP氏に手を振り,声をかけるといった,他の利用者さんにとらない反応を示した.P氏は,声が大きく高いキーで短めの言葉で話す.そして,日中は,大きな声で皆に伝えるような言い方で回廊型の廊下を歩くことが多いが,長い時間同じ場所にいることは少ない.また,毎日,夕方になると,P氏と職員が,施設内のごみ集めをして回るため,頻回に出会うことが多い.

スタッフγさんが白透明のごみ袋を持ち,P氏が一緒に歩いて食堂1にやって来た.A氏が椅子に座ったまま,「こっちや.こっちや.」と目を細くして,P氏に向かって話しかけながら,左右の手を胸の辺りで動かした.しかし,P氏がA氏のところには行くことはなかった.また,A氏の表情が暗くなることもなかった.別日の朝の6時半過ぎ,キッチンの近くでP氏がA氏に「おはよー.」と早い口調で話しかけながら通り過ぎた.A氏が「おはよう.・・・あはは.」と笑いながら返事をした.ある夕方,食堂2では,A氏を含め6名の利用者さんが椅子に座っていた.研究者も同じようにA氏の隣椅子に座った.そこへ,P氏が食堂1から歩いてきた.「え~.どれ~.なに~.」と短めのキーが高く大きな声で話しながら通り過ぎ,脱衣所の方へ歩いて行った.A氏がP氏の様子をじっと見て,首を右に三回動かした.そこに,P氏が廊下を一周し,もう一度食堂1から歩いてきた.それを見たA氏が,P氏に向かって右手を挙げた後,はいているズボンの裾を持ち上げ,縫うような仕草をした.研究者が「縫っよんですか?(縫っているのですか?)」と尋ねると,うなずき「うん.針.糸.」と答えた.翌日の15時頃,A氏が食堂2の椅子に座っていた.他の利用者さん6名も椅子に座っていたが,研究者はA氏の右隣に座った.そこへ,P氏が和室から出てきて,食堂1に向かって歩き出した.P氏を見た途端に,A氏が「おい!」と荒々しい口調でP氏に大きな声で叫んだ.P氏は,振り向かずに歩いて行った.するとA氏が,右の親指と人差し指を広げてテーブルの長さを測りながら「せないかん.遅くきて.」とひとり呟いた.研究者は,A氏に「せないかんのですか?」と尋ねると「うん.」とうなずいた.その後,P氏が廊下を一周して,再び食堂2にやってきたが,すぐに通り過ぎた.その様子に気づいたA氏が,窓越しに中庭の向こう側の廊下を歩いているP氏を見て,「ふっ.」と笑った.そして,P氏がまたすぐに食堂2に歩いて来たのを見たA氏が「はっはっ.知らんで.はっは.」と笑った.

考察

1. A氏における生活環境の意味づけ

K施設は,利用者が自宅にいるような環境を創り,家族のように関わるといった考えをもつ職員達と日本家屋の物的環境が重なり合うことで【家庭を感じ,安らげる場】となっていた.北村16)は,ある場を人が家庭的であると感じるためには,空間やモノといった環境だけではなく,人との関係性が重要な要因であると述べている.和風建築の自宅に住んでいたA氏は,他の利用者や職員とともに和室で食事をし,職員が家族のように接することで,自宅で愛犬が近くにいるような感覚となり,愛犬の名を呼んでいたのではないかと考える.また,二人の職員は,研究者が聞き取れなかったA氏の言葉を理解し,返答していた.A氏も職員の言葉を笑って受け入れていた.利用者の生活は,食事の時間以外,利用者自身のペースで毎日を過ごし,利用者の言動には理由があるという職員達の考えから,安全面以外は利用者の言動を尊重している.職員は,A氏に対しても言動を尊重し,身体・心理的状況を把握したうえで関わっていた.木島・井出11)は,認知症高齢者が安定した暮らしを維持するための3要素として〈安心できる空間〉〈生活リズム〉〈主体の一貫性〉を挙げている.K施設は,職員達の考えや関わりによって安定した暮らしを維持できる3要素を満たしているといえる.

食堂1と向かい合わせのキッチンは,調理の様子を近くで感じることができる.A氏は,毎日調理の様子を眺め,串にさすしぐさをするなど,調理に関する言動が多かった.また,回廊型の廊下を一周すると,洗面台が5か所,付随して各居室の畳やカーテン,衣類を目にすることができる.A氏は,施設内を自由に行動することにより,物的環境や人的環境に応じた過去の経験を回想し,昔とっていたと思われる串カツ屋や縫製,配管工事の仕事を再経験し,K施設が【仕事の感覚を,持ち続ける場】となっていた.また,研究者に過去の後悔を語ることで,折り合いをつけることができていたと考える.野村17)は回想法のうち,認知症高齢者を対象としたライフレヴューには,自我の統合,心の静かな平安,人生満足度の増幅,抑うつ感の軽減,現在の課題の対処方法の発見,過去の未解決の課題の再解決などの効果があるとされている.K施設では,ライフレヴューは用いていない.しかし,職員達がA氏の言動には理由があると考え,言動を妨げず見守ることや料理に興味があるA氏に対して献立の話をすることなどの人的環境やK施設の物的環境をきっかけとして,A氏は回想を生み出していたと,とらえることができる.過去の経験を回想し,幾度も再経験することは,老年期の発達課題のひとつである,これまでの人生を振り返り,自分の価値を見出して自我の統合に向かう,もしくは,否定的に解決して人生に絶望を生じる18)ことに繋がる.また,認知症高齢者のもつ精神・心理的,社会的欲求である過去の不満足な人間関係を解決することや平穏な死を迎えるために,まだやり終えていない人生の課題を解決すること7)としてとらえることができる.

A氏は,悩みながらも自分に合う靴を見つけ喜びを感じたり,他の利用者P氏を見かけるたびに声をかける特別な存在として感じたりすることで,K施設が【幾度も挑戦し,一喜一憂する場】となっていた.玄関前の靴箱で靴の品定めをし,研究者に相談しながら,「これだったらいける.よっしゃ~.ん.よっしゃ行こう.」と話した場面では,自分の靴がわからずに立ちすくむのではなく,自分に合う靴を見つけるために試行錯誤し,挑戦し続けることで喜びを実感していたと考えられる.また,強要されるのが嫌なA氏を理解したうえで,意思を尊重し見守ることが大切であると考えている職員の行動もこの場面が創られた誘因になっている.そして,A氏はP氏の言動に毎日注目し,笑っている場面が多かった.しかし,時にはP氏に対して仕事に遅れてきたと感じ,声を荒げて怒っていた.それは,他の利用者や職員とは,明らかに異なる反応であった.P氏を妻の名前で呼ぶことはなかったため断定できないが,亡くなった妻の口調と似たP氏が大きな声で話しながら,頻繁に施設の廊下を毎日行き来していることで,P氏を特別な存在として感じていたのではないかと考える.そして,A氏は,幾度も話しかけても反応が少ないP氏の言動が刺激となり,感情が動かされ一喜一憂していた.これらのことは,以前の社会的役割を回復させ,過去のとても重要で愛した人物をよみがえらせるために,現在の人物を利用する欲求7)としてとらえることができる.

2. 看護への示唆

A氏が内面を表出している場面は,介護者から見るとBPSDと認識される言動が多くあった.また,A氏は,K施設の生活環境を契機とした過去の経験を回想し,幾度も再経験をしていた.A氏が研究者に過去の後悔を語ることで,折り合いをつけていたように,人が人生を振り返る際,他者存在が必要であると考えられる.介護者は,BPSDと認識される言動を受け入れ,認知症高齢者ひとり一人が毎日表現していることに注目することが重要である.そして,認知症高齢者ひとり一人における生活環境の意味づけを理解し,ひとり一人に応じた環境調整をし,生きる姿を見つめながら,寄り添い,時には聴き手となって関わる.これらのことが,認知症高齢者のもつ精神・心理的,社会的欲求を満たし,認知症高齢者が自分の価値を見出し,自我の統合に向かうための一助となると考える.

A氏が生活環境を契機とした過去の経験を幾度も再経験していたことは,記憶障害をもちながら,毎日を生きる認知症高齢者が有する力としてとらえることができる.そして,A氏にとってのK施設は,これまで過去にやり残してきた課題を,乗り越えるためのチャレンジをする場になっていた.認知症高齢者の言動には意味があるため,行動を妨げずに見守るといった考えに基づき,職員達は,認知症をもつ利用者に対して,家族に接するような関わりをしていた.このような職員達の関わりのなかで,A氏は生活環境に意味を見出し,自らがもつ欲求に向かった行動がとれていたと考える.施設における認知症高齢者へのケアは,認知症の人を疾患という視点で捉えるのではなく,一人の人として捉え,その人らしさを尊重するケア,すなわちパーソン・センタード・ケア19)が重要となる.K施設では,パーソン・センタード・ケアを学んでいない職員が多い.しかし,職員同士の会話や認知症高齢者と接するなかで,パーソン・センタード・ケアを自然と身につけている.そして,自らが行っている認知症高齢者への関わりの重要性を職員達が改めて気づくことで,より深いケアが提供できるのではないかと考える.また,介護者が認知症高齢者の有する力を信じ,受け止め,認知症高齢者の言動を温かく見守り,寄り添うことは,認知症高齢者ひとり一人がその人らしさを保ちながら暮らすことへの支援につながると考える.

本研究の限界と今後の課題

本研究では,A氏1名を中心とすることで,他の利用者や職員など多くの人的環境とK施設の物的環境との多重構造を含めた観察をした.そして,焦点を絞ったエスノグラフィーを用いて生活環境の意味づけを明らかにし,文化的側面から細やかに記述することで,A氏のもつ精神・心理的,社会的欲求7)や過去の経験と関連している人生の課題18)を捉え,分析することができた.しかし,参加観察の際,A氏の認識を正確に把握することが困難な場合があった.今後は,研究協力者自身の認識をより正確に把握することができるようなデータ収集方法の工夫をすることが必要である.また,今後も研究を重ね,認知症高齢者ひとり一人の生活環境の意味づけを明らかにしていくなかで,認知症高齢者ひとり一人に応じた環境調整の検討を継続して行っていくことが重要であると考える.

結論

A氏は,家庭を感じ安らぎながら,これまでの経験を幾度も再経験し,過去を振り返ることで,過去の後悔に折り合いをつけていた.これらの背景には,過去を何度も想起することができるK施設の生活環境とA氏の言動を見守り,家族のように関わる職員の考えがあった.また,A氏自身が表現していることに寄り添う,聴き手の存在が重要であることが示唆された.

謝辞

本研究に快くご理解とご協力をいただき,いつも温かく迎え入れてくださったK施設の研究協力者の皆様には,心より厚く感謝を申し上げます.論文を作成するにあたりご指導いただきました方々に深く感謝申し上げます.

Notes

本稿は,2013年度香川大学医学部医学系研究科修士学位論文として提出した一部を,加筆修正したもので,(社)日本看護研究学会中国・四国地方会第32回学術集会(2019年3月,高松)で示説発表を行った.

著者資格について,MYは研究の着想,データの収集と分析,論文の作成を行った.また,その過程においてOMにスーパーバイズを受け,NMとKK,MAから助言を受けた.すべての著者が最終原稿を読み,承認した.

本研究における利益相反は,存在しない.

文献
関連文献
 
© 2020,香川大学医学部看護学科

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