わが国に西洋野菜・果樹を導入,紹介した先駆者として知られる農業啓蒙家・津田仙が創立した学農社農学校は,国内で最も早くに創立された農学校であった。開校期間は明治8年(1875)から明治17年(1884)までの10年足らずであったが,西洋農学を取り入れた学理的,実践的な教育を行った。本稿では,学農社農学校卒業後に西洋野菜・果樹の研究,栽培に携わった福羽逸人,立花寛治,橘仁,阿閉政太郎の4人を取り上げ,彼らの取組みとその成果についての検討を通じて,同校が果たした役割について明らかにした。その結果,学農社農学校における教育が,彼らが西洋野菜・果樹栽培を行う上での動機または知識源となり,ひいては明治期の農業生産,技術の近代化と発展に寄与したことを実証した。