抄録
本研究は、何かに「なる」ことと「なりきる」ことの違いに注目し、自発的な活動としての遊びにおいて、「なりきる」という言葉が示す子どもの姿を明らかにすることを目的とした。保育・幼児教育では「なりきる」という言葉が広く用いられているが、その定義は曖昧である。一方で、身体表現の教育では「なりきる」ことの検討がなされている。そこで本研究では、3〜5歳児の遊びを参与観察し、身体表現の視座から遊びを見ること通して、身体表現の視座では捉えきれない子どもの姿をエピソード記述から検討した。その結果、何かに「なる」遊びにおいて、①表現対象になる、②表現対象と自分が混在する、③表現対象のイメージと動きが消えて自分になるという様相が入れ替わりながらも、何かに「なる」ことが本人の中で継続している姿が明らかになった。そして、自発的な遊びにおいて何かに「なりきる」子どもの姿は、「自分であること」と「表現対象になること」が混在しつつも、何かに「なる」ことが本人の中で継続している姿であると結論づけた。今後は、「なりきる」経験が育む資質・能力や小学校以降の学びへの接続についての検討が求められる。