哲学
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観念の「表現性」の問題
ガッサンディのデカルト批判をめぐって
水野 浩二
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1982 年 1982 巻 32 号 p. 94-103

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抄録

デカルトは、「第三省察」及び「第六省察」のなかで、イデア (idea,idée) についての或る理論を提出している。それは、一般に、「表現的観念 (idées représentatives) 」の理論と呼ばれているものである。その理論によれば、「観念」は、私自身を、物体的事物を、神を、表現する。更には、天使を、動物を、私と同類の他の人間を、表現する (AT. VII, pp. 42-43.Alq. II, p. 441)。デカルトにとっては、我々が志向している対象そのもののなかにあると思われるものは、観念そのもののなかに、対象志向的に (objectivement)、すなわち表現によって (par représentation) ある、と言える。デカルトは、対象志向的・表現的「観念」(意識内容)から出発して、実在的・現実的世界を捉えようとする。それがデカルトの方法であった。超感性的原型としてのプラトンのイデアは、デカルトに至り、人間の意識内容として捉え返された。今や、内なる「観念」と、外界の事物との関係が問題となる。デカルトは、ジビーフ宛の書簡において、「私は、私の内部にある観念を介して以外に、私の外部にあるものについてのいかなる認識をも持ち得ない」と述べている。
ところで、問題は、「観念」が事物を表現することができるか否か、という点にあるように思われる。というのも、もし、「観念」が事物を表現することができないのなら、内なる「観念」から出発して、外界に向かおうとするデカルトの方法は挫折せざるを得なくなるから。さて、デカルトの論駁者のひとりのガッサンディ (P. Gassendi) は、「観念」の表現的性格を否定する.そのことは.ガッサンディがデカルトの方法を根底から覆していることを意味する。本稿では、こうした、デカルトの「観念」をめぐるガッサンディの批判を吟味することを、課題とする。ガッサンディのデカルト批判を検討することは、単にガッサンディ自身の哲学を解明することになるばかりか、デカルトの基本的立場を再確認させてくれることにもなり、更には、十七世紀後半以降の哲学史の流れに対するひとつの見取り図をも提供してくれることになる、と思われる。

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